団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

携帯 不携帯

2024年06月26日 | Weblog

  先日受けた右脚のCT検査の結果を聞くために東京の病院へ行った。妻と東京駅まで一緒に同じ電車で向かった。電車の中で私は自分の携帯電話を充電したまま家に置き忘れたことに気が付いた。運転免許証の更新のための認知機能検査を受けてから、物忘れがひどくなった気がする。携帯電話の電池が十分あるかチェックした。少し足りなくなるかもしれないので、充電することにした。備えあれば患いなし。保険証、マイナンバーカード、お薬手帳、予約票、病院の診察券を昨夜のうちに準備用意してあったが、もう一度点検した。そうだ部分入れ歯も忘れずに入れておかねばと、早めにポリデント(入れ歯の固定糊)を付けて装着した。家を出る前に、指差し点検するように持ち物の再点検をした。携帯電話の“ケ”の字も頭に浮かばなかった。携帯電話と浮かんだのは、東京行きの電車の中だった。

 妻は妻の携帯電話を使ってと私に渡した。妻は職場でパソコンを使って私と連絡が取れると言った。東京駅で別れた。病院に到着。妻からメールが入った。妻の携帯電話と私の携帯電話は、同じ会社の同モデルなので使い方は慣れている。これで何かあってもお互いに連絡を取り合える。受診前の手続きを終えた。今は、すべて機械で受付ができる。私の診察時間は、9時半だった。時計を見るとまだ8時50分。時間が十分ある。診察室の前の待合所の椅子に座った。漢字パズルを始めた。9時ちょっと過ぎに診察室のスピーカーから「〇〇さん358番の診察室にお入りください」と流れた。えッまだ9時だよ。いつもどこの病院でも予約時間はあってもないと同じで20分30分遅れるのは当たり前。私の気持ちは、まだ診察を受けられる準備ができていなかった。リュックに上着と、首から下げていたスイカやいろいろなカードの入ったケースを外して入れた。急いで診察室に入った。

 初回の診察で打ち解けた感じがまだ残っていて安堵した。まず前回右脚のカテーテル施術を受けた病院から画像CDと所見詳細書が届いたと言って、それを見せてくれた。「こんなの初めてです。ほとんどが白紙。何も答えていない。これでは役に立ちません」 何か私が責められているような気分になった。前にカテーテルをやってくれた医師は、岡山の病院に移ってしまった。信頼できる医師だったので今回もまず診察してもらおうと思った。でもいなければ他の医師を探さなければならない。かかりつけの糖尿病の医師に頼んで今度の医師を紹介してもらった。この医師を信頼して嫌いなカテーテルをやってもらおうと思った。

 CT検査の結果は、右脚の膝から下の3本の血管の内、2本に血液が流れていないほどの閉塞が見つかった。これはカテーテルで治療するしかない。しかし閉塞が難しい箇所にあるので、場合によっては腹からのカテーテルと足首2か所からのカテーテルで治療してみるしかないと言われた。入院に関しては受付で手続きをしていくように言われた。

 やはり思っていた通り、カテーテルをやらなければならない。落ち込んだ。妻に知らせなければと携帯電話を出そうとした。ない。携帯電話がない。もしや待合室のイスの上に置いたまま診察室に入ってしまったかも。診察室と同じ階の受付に行った。届いていると願った。ない。事務員が一緒に診察室に戻って医師に聞いてくれた。ない。妻に何て言えばいいのか。家を出る時は、私の携帯、そして今度は病院で妻の携帯を失くしてしまった。仕方がない。気を取り直して入院手続きをするために2階に降りた。大勢の患者やその家族が、順番を待っていた。もう一度カバンとリュックの中を探した。ない。待ち時間が長かった。最後にもう一度と念入りにリュックの中を探した。上着のポケットの中に何か固いものが…。あった。私の体から力が抜けてフニャフニャになった。嬉しさがこみあげてきた。看護士との入院手続きの話のほとんどが耳に入ってこなかった。

 その夜、妻に事の顛末を話せなかった。でも翌日の朝、勇気をだして告白した。さほど叱られなかったが、私は一気におじいさん度合いが上昇したように感じた。

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