団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

「来た、来た!」

2010年05月05日 | Weblog
 都合により5月6日分を本日投稿いたします。

「来た、来た!」まだ幼かった私は興奮して誰に言うでもなく、踊るように足をジタバタさせて叫ぶ。生まれ育った町を横断して走る信越線。蒸気機関車D51が長野方面から左側から孤を描いて上田駅に向かってくる。列車でどこかに出かけるのは、年に一回あったかどうか。乗車する列車が到着する一時間くらい前から駅で待った。改札を通る前に待合室で待つ時間とホームに立って待つ時間と同じくらい長かった気がする。

 何をするにも待つことが普通の時代だった。正月を指折り数えて待った。

 祝いの食事が、カレーと決まっているのに姉ちゃんの、私の、妹ふたりの誕生日が来るのを年4回首を長くして待った。誰かの誕生日が終わると、次の誕生日を待ち始める。親の誕生日にカレーはなかった。

 一年が長かった。

「もういくつ寝るとお正月」と歌って正月を待ち、「春よこい、春よこい」と歌って春を待った。

 傘を持ったお迎えの母親やじいちゃん、ばあちゃんともうみんな帰ってしまった。ガランとした学校のガランとした玄関の下駄箱の脇に立ち、一人で「雨、雨降れ降れ、母さんが蛇の目の~」と、口ずさんだ。かあちゃんが「ごめんね。お客さんが来て、遅くなちゃった」と長靴と傘を差し出す。歌ったことが待っていると必ず巡りめぐってきた。待つ喜びを歌が教えて、一緒に待ってくれた。待てば何でも大丈夫なんだといつしか思っていた。

 離婚して二人の子どもを自立するまで育てるんだと無理をした。もう破滅だとあれだけ勝手に思い込んで、落ち込んでいたのに、なんとか通過してきた。いつか楽になれる日が来ると、歯を喰いしばった。

 時間は確実に過ぎる。待っていれば、いつも信越線のD51蒸気機関車のように力強く湯気を吐き、大きなシリンダを回して近づいてくる。気が付かないだけだ。見えないけれど人生は、レールの上を進んでいる。人生の終着駅が近づいてくる。その日が来たとき、信越線の上田駅で「来た、来た」とD51を迎い入れたように終わりを受け入れることができればと願っている。
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