団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

テレフォン人生相談

2011年12月15日 | Weblog

 ラジオニッポン放送が毎週月曜日から金曜日の午前11時から「テレフォン人生相談」をライオンという会社の提供で放送している。1965年から46年間続く長寿番組である。長年パーソナリティを勤めた俳優の児玉清さんが今年の5月16日に亡くなり、今度はやはりパーソナリティを勤めていた脚本家の市川森一さんが12月10日に亡くなった。

 私は自分の人生で再起不能と思われたどん底時代に「テレフォン人生相談」をよく聴いていた。離婚した後、知人の借金の保証人になっていて、その知人が夜逃げして代理弁済をすることになった。引き取った二人の子供を一人はアメリカの先輩の一家に預け、一人を他県の全寮制の学校に入れていた。子どもには、親のドロドロの愛憎劇や生き様を見せたくなくて、あえて別れて暮らした。一人で暮らす寂しさ、経済的な困窮、時々町で見かける、同じ町に居続けた元妻と、彼女と暮らす年下の彼氏への殺意さえ伴う嫉妬とで、精神状態は滅茶苦茶になっていた。自暴自棄になって犯罪に走るかもしれない自分を沈静させるために、児玉清さん、市川森一さん、加藤泰三さんになら聞いてもらえると思って、数回「テレフォン人生相談」のダイヤルを回しかけたこともある。結局踏みとどまってしまった。

私と同じ境遇で同じ悩みを打ち明ける相談者の言葉、それに答えるパーソナリティや回答者の言葉を私は噛み締めるように聴いていた。同時に毎朝4時に起きて車で一時間のお寺へ坐禅に2年間通った。毎日、津波のように襲いかかってくる現実という非情な時間に押しつぶされそうになりながら、泥沼を手探りで這い廻るように少しずつ前に進めることで、ようやく最悪期を脱出できた。そして離婚から14年後、今の妻との信じられない出逢いがあり、結婚した。

 今でも時々「テレフォン人生相談」を聴く。いろいろな相談がある。私自身が経験したこともあれば、全く経験したことがない相談もある。相談する人は、電話がつながって、自分の悩みや問題を話し始めた時点で、大方自分の解答をつかんでいるように思える。勇気ある人々だと思う。電話をかけることもできなかった卑怯な私は、エエカッコシイの臆病者だった。いろいろな本を読む以上にこの「テレフォン人生相談」から勉強させてもらった。パーソナリティや回答者の言葉も私自身への教訓となる場合がある。児玉清さんも市川森一さんも、相談者への気遣いと優しさがあった。相談者のもつれた心の中を、ときほどく導入部分を見事にこなしていた。ラジオは声だけしか伝わらない。人間の声音もその人の才能のひとつである。臆病者の私でも電話の向こうから、児玉清さんか市川森一さんの“この人なら私の話を親身になって聞いてくれそうだ”と思える声音に誘引されて、洗いざらい私の苦悩を告白していたかもしれない。多くの悩める相談者の声に耳を傾け、生きる勇気を与えてくれた二人に敬意と感謝を捧げたい。私は最悪期の自分と比較すれば別人になって、まだ生きている。私は、私と関わった過去の人々に、出遭っても、頭を深く下げて、通り過ぎることが出来る域にまで成長している。

 『あのとき 飛び降りようと思ったビルの屋上に 今日は夕日を見に上がる』 萩尾珠美 中央経済社『日本一短い手紙 大切ないのち』

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