ネットのニュースで「大阪地裁判決:髪の色や脱色禁止の校則は学校の裁量範囲内」という記事を見つけた。校則の問題が裁判にまでなっていることに驚いた。
小学校の時、歌謡曲を学校で歌うことが禁止されていた。たくさん校則があったが、覚えていない。中学では男女交際が禁止されていた。しかし信州大学の教育学部の教授の息子が同学年にいたが、彼の大っぴらな男女交際はまったく問題にならなかった。彼は、多くの男子生徒の憧れだった女子と交換日記をしていたことが発覚した。当時中学の教員は100%近く信州大学卒だった。あれほど校則などと言うものは、教員のさじ加減でどうにでもなるものだと呆れた。生まれて初めて、世の中には忖度という不平等が存在することを知った。高校に入学しても相変わらず厳しい校則があった。高校の途中からカナダの高校へ移った。
カナダの高校はキリスト教の私立で全寮制だった。校則は日本の学校とは比べ物にならないくらい厳しかった。男子生徒は学校の玄関でズボンにゴルフボールを入れ、上から下まで、どこにも引っかからずに落ちるか検査された。女子の検査を見たことはなかったが、スラックスは禁止されていて、スカートは膝上何センチと決まっていて、違反者は着替えするまで校内に入れてもらえなかったそうだ。校則だけではない。罰則もあった。日本の自動車の免許証制度のように点数(15ポイント)があり、上限に達すると退学処分された。5点になると強制労働で5時間発電所(学校の自家発電所)の石炭くべをやらされた。私も1回やった。仲の良かったシカゴ出身のトニーは職員の子弟不良グループと喧嘩して退学になった。他にも学年で成績が一番だったポールは、禁止されていた卑猥なスラング(slang 俗語)を使ったといって、退学になった。同じ学年(在籍70名くらい)から1年で11人が退学処分になった。
校則は必要だと思う。しかし髪の染色に関しては持論を持つ。私は日本人の髪の色や肌の色がだいたい同じである事が、ある意味国際化の妨げになっていると考える。今や日本の髪の染色技術は世界でも評価されるほどだという。ならば、生徒に自然色であれば、好みの髪の毛の色にさせたらいい。教室の中に世界のあちこちにある髪の毛の色があることになれれば、海外へ行った時、違和感が薄れる。私がカナダの学校に入学した時、多くの人が私の髪の毛を触らせてくれと言った。私のような太くて黒い毛は珍しかったのであろう。
私の長女は、私の離婚によって小学校2年生でアメリカの小学校に移った。ある日クラスの男の子がモヒカン刈りになって登校してきた。娘はきっと先生は、その男の子を叱るだろうと思った。先生はその子に「良く似合っている」と褒めた。娘はその日からアメリカの小学校が好きになったと手紙に書いてきた。
厳しい校則も必要だろうが、多様性を認め、独自性国際性を育てるのも教育である。ほとんどの校則は私の時代とさほど変わっていないようだ。10年先100年先を見るのも必要である。