団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

再会⑤

2008年02月20日 | Weblog
 ミセス・ツジと話しておかなければ、聞いておかなければならないことは、たくさんあった。ずっと聞こうと思っていても聞けずにいたことである。

 私はツジ夫妻がどういう思い、理由で私の娘を預かって育ててくれたのかの経緯を、どうしても知りたかった。それに対しては、予期したこともない意外な答えが返ってきた。

 ツジ夫妻は私に私の娘を預かって育ててくれと要請された時、それは無理だと断るつもりでいた。5人の子供と夫婦で7人家族。トイレは一つしかなく、毎朝争奪戦はすさまじい。そんなところへ日本から英語もわからない8歳の女の子が来ても暮らしていけるわけもない。自分の子供さえ育てるのに四苦八苦している。

 一応家族会議を開いて、子供たちに状況を説明し、意見を求めた。5人の子供たち全員が「引き取って一緒に暮らすべきだ」と言った。「トイレはどうするの?」の両親の問いに「そんなこと問題ではない」と答える5人の子供たち。ツジ夫妻も同意し受け入れを決めた。ただし16歳までが条件。

 こうして私の娘は、彼女が通っていた小学校の先生が「真っ赤な絵を描くのは、心理的に危険な兆候」と訴えてから、わずか半年で渡米が決まった。

 親としてあまりにも無責任で丸投げ的な方法だった、今は冷静さを取り戻しているのでそう言える。あの時は、一家心中を考える程、追い詰められていた。

 ツジ夫妻が案じたとおり、朝のトイレの争奪戦は激しさを増した。けれども洗面の前の大きな鏡の前で女の子5人が並んで、身支度を整えるのを見て、やはり子供たちの言うことを聞いて良かった、と何度も思ったそうだ。

 言葉を荒げて喧嘩をすることもなく、4人の年上のお姉さんたちは、実に見事にそれぞれがお姉さんぶりを発揮した。一人だけの男の子も兄のように私の娘を可愛がり、いろいろ助けの手を差し伸べた。 

 学校ではそれぞれ優秀な5人の影響で、私の娘は、9月の新学期が始まる前、英語を3箇月で会話に不自由しないところまで上達させた。私の娘の宿題と家庭での英語学習は、ミセス・ツジと5人の子供たちが交代でみてくれた。休日にはミスターツジまでが個人指導してくれた。こうして一挙に5人の姉と弟とダディ、マミーのおかげで傷ついた私の娘は、徐々に再生されていった。

 もう2度と真っ赤な絵を描くこともなくなった。皆の愛情を一身に受け、客人としてではなく、家族として迎え入れられた。その様子をミスターツジは、私がクリスマスプレゼントに贈ったソニーのビデオカメラで撮り、編集して私に送ってくれた。

 私の息子は全寮制の高校へ行き、私は一人になり、自宅を売って、市営住宅に移り、毎月の仕送りに明け暮れていた。子供たちが何とかまともに育って欲しい、の一心だった。

 あの頃、私の娘は毎朝のトイレ戦争の中でもまれ、たくましく生き、経験したこともない大家族の愛情に包まれていた。

 月日が経ち、私はどん底のような生活から立ち上がり、隣に座り、真剣にミセス・ツジから私の娘の話を私と同じ目線で聞いてくれる妻と出会った。捨てる神あれば、拾う神あり。人と人の出会いは、その人たちの人生を形作るそのものだと強く思う。もし会うことができなかったら・・・
(写真:コンドミニウムの裏庭の放し飼いの七面鳥)
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オーロラ | トップ | 再会⑥ »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事