団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

再会⑥

2008年02月21日 | Weblog
 妻は2日目から、私も驚くほど英語耳になっていた。もちろんミセス・ツジのゆっくり穏やかな話し方のおかげもあるだろう。それと私たちの聞き逃すまいという気持ちも強かった。いつしか妻と私の会話も英語になっていた。 

 外から車の音も電車の音も、何も聞こえない。テレビも見ない。ステレオもない。静かに静かにハワイの夜は更けてゆく。皆が心の底にあることを語る。そんな毎日。起きて、話して、食べて、料理して、お茶を飲み、寝るまでまた話す。 時間の経つのは早い。特に充実した中身のある時間は、またたくまに過ぎ去る。私は朝食、昼食、夕食15回、気持ちを込めて調理した。どうしても私達に食べてもらいたいとミセス・ツジが2回ハワイ料理を作ってくれた。外食は到着した日のお昼だけだった。 

 とうとう最後の朝が来た。ミセス・ツジはシアトルからたくさんの小瓶に油、醤油などの調味料を入れて持ってきている。5人の子供プラス私の娘を育てた母である。モッタイナイ精神が凄い。これから2週間、ハワイ最北端のカウアイ島の友人のコンドミニウムで過ごす。私が日本から持ってきた食材を持っていって、友人夫婦に日本料理を作ってあげたいと言う。私は残った食材をジップロックに入れ、その使い方をメモして添えた。 

 ミセス・ツジの荷物の梱包を手伝う。私たち二人の荷物よりはるかに多い。たくましい、というか、そのあくなき生命力に圧倒される。付き添いもなく独力で生きている。覚悟のできている人間の強さを感じる。5人の子供がいて、だれもが一緒に住もう、と声をかける。頑として一人で住む。家の中を整理しようと始めても、ひとつひとつの品を手にして、ミスターツジとの思い出にふけってしまう。まだ何も片付かないと笑う。

 大きな旅行用ゴルフバッグの隙間と言う隙間につめる込めるだけ詰め込み、大きなキャリー付きの旅行バッグもパンパンになった。 

 別れはあっけないものだった。私は空港の出発ロビー前に車を止めた。幸い私たちの出発便とミセス・ツジの便とは、ロビーが隣り合わせだった。私はレンタカーを帰しに行かなければならない。荷物を降ろした。何を言ってよいのか戸惑う私をミセス・ツジが抱きしめる。「ジュニチ、ありがとう。楽しかった。美味しかった。たくさん話せてよかった。今度は天国で会いましょう。キョウコと良い人生を!」 

 後を妻に託して私は、警察官の早く車を動かしなさいの警告の笛に従う。レンタカーの返却所は空港から少し離れている。「天国で」と言われても私には信仰がない。永遠の別れに思えた。 

 空港へのレンタカー会社の送迎バスが出発ロビーに到着する。妻が「ミセス・ツジ、ギリギリまで待っていたけれど、中に入った」と涙ぐむ。「会えてよかったね」 しばらくして真っ青な空に、ハワイアン航空のジェット機が轟音と共に飛び立っていった。
「さようなら、ミセス・ツジ」(完)
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