団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

乗り遅れ

2022年04月25日 | Weblog

先週の金曜日、用事があって電車に乗った。電車を降りてホームを歩いて、階段を降り始めた。幅が7,8メートルある広い階段。私は手すりのある端を手すりに手を触れさせて降りた。あと少しで階段が終わるという所で、広い階段の真ん中あたりを降りていたおばあさんが前にひれ伏すように崩れ落ちた。私は、駆け寄った。おばあさんの左側の腕をとって顔をあげさせた。右側から女性がおばあさんの脇の下に手を差し入れて「大丈夫ですか?」と声をかけた。最初おばあさんは、声が出せなかった。私と女性は、おばあさんを両脇で抱えて、立たせようとした。でもおばあさんの膝がフニャフニャできちんと立てなかった。しばらく私と女性は、おばあさんを両側から支えていた。だんだん膝がしっかりしてきて立てるようになった。「もう大丈夫です。ありがとう」と交互に私と女性に向かって頭を下げた。女性が、「本当に大丈夫ですか?救急車を呼んだらどうですか?」「大丈夫です。主人と一緒ですから」 ここで初めておばあさんの旦那が後ろに立っていたのを見た。彼は呆然としているだけで、喋りも動きもしなかった。小さな旅行鞄を持っていた。おばあさんがちゃんと立って歩き始めたので、女性も私もその場を離れた。

 女性は、もう一人の女性と急いで、乗り換えホームの階段を、勢いよく駆け上がって行った。上のホームから「〇番線の〇〇行きドアが閉まります」と聞こえて来た。私は間に合えばいいのだがと思いながら、改札口の脇のトイレに入った。用を足して出て来た。さっきの女性の二人連れがトイレの方に歩いてきた。電車に乗り遅れたのだ。顔を見合わせた。そして自然に会釈した。女性は、歳の頃40歳くらいだった。二人とも荷物を持っていなかった。どこのどんな人で、どうしてあそこにいたのかは、わからない。でも、とても溌溂とした清々しい感じがした。

 女性を見て、私が若かりし頃、東京へ塾の教材の購入に行った帰りに上野駅であったことを思い出した。あの頃はまだ信越線は、上野駅が発着駅だった。最終電車に乗ろうとしていた。構内を歩いていると、男性が床にスーツケースの中身を散乱させていた。よく見ると男性は、盲人だった。床に座り込んで手探りで散らばったスーツケースの中身を拾っていた。「どうかされたんですか?」「スーツケースの鍵がきちんとかかっていなくて、開いてしまったのです」 私は、手伝ってちらばったモノを彼に渡した。彼は一つひとつ手で触って確かめてスーツケースの中に入れていった。すべて終わった時には、私が乗るはずだった最終電車の発車時間は過ぎていた。盲人の男性は、私の住所か電話番号を教えてくれと言ったが、そうすることはしなかった。その晩、上野の安い旅館に泊まって、翌朝上田へ帰った。乗り遅れたことを悔いることはなかった。

 困ったときは、お互い様。私も歩いて、ふらつきやつんのめることが多くなった。だからエレベーターやエスカレーターがあれば、使わせてもらう。階段は、必ず手すりを触りながら降りる。隠居は、時間が有り余っている。何事もゆっくりたっぷり時間を使ってする。まだ誰かが困っている時、私なりにお手伝いできることはする。でもできないことは若い人たちを頼る。無理はしない。乗り遅れても、待てば、次があるのだから。

 せまいニッポン、そんなに急いで、どこへ行く!のんびり安全優先でいこう。


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