団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

山菜ソバ

2022年04月07日 | Weblog

  2001年に受けた心臓バイパス手術が終わって、最初に出た食事は、山菜ソバだった。

  麻酔で意識がなくなってから、麻酔から覚めるまでの間、何があったか知る由もない。ただ私は、整然と等間隔に植えられたオリーブ畑の中にいた。地面は、黄色い花におおわれていた。動物も昆虫も人もいなかった。音もなかった。

  手術室に入る前、妻と子供たちが見送ってくれた。手術は、手術室に入ってから出てくるまでに7時間だった。私は記憶がないが、妻の話では、手術室からストレッチャーに乗せられて出て来た時、妻や子供たちの問いかけに涙を流していたという。私の鼻、口は、何本ものチューブが挿管されていた。声を出すことはできなかった。

  翌朝、私はCCU(循環器疾患集中治療室)で目を覚ました。腹が減っていた。笑った。あれだけの手術を受けた後、腹がちゃんといつものように減っていた。そのことは、自分がまだ生きている証だと実感した。腹が減って当たり前。手術は、心臓のものであって、消化器系統にメスは入っていない。何本も入れられていたチューブすべてが抜かれた。声が出るようになった。

  妻と娘は、前の日、私の手術が無事終わったのを確認して家に戻っていた。翌日、また病院へ来てくれた。妻は私に「朝飯食べた?」と尋ねたそうだ。私は「うん。山菜ソバを食べた。美味かった」と言ったそうだ。私はまったく記憶がない。

  山菜ソバを美味かったと言った事が信じられない。なぜなら私は今までに山菜ソバを食べたことがなかった。蕎麦屋のメニューに山菜ソバがあっても、注文しようと思ったことがない。山菜という表示に偏見を持っている。山菜といっても、どうせ水煮の缶詰かなにかを、ちょこっとのせたものだと決めつけていた。蕎麦屋でわざわざ注文して食べるモノではない。

  昨日、行きつけのスーパーでワラビを見つけた。思わず買ってしまった。まだ山でワラビが採れる季節ではない。温室での促成栽培と解っていても買ってしまった。ワラビを見て、20年前の心臓バイパス手術の後、初めての食事が山菜ソバだったことを思い出した。

  山菜ソバは、未だに蕎麦屋などで注文していない。山菜ソバにのっている山菜が、店主自ら山で採ってきて、店で調理してソバにのせているなら喜んで食べるだろう。でもそんな話聞いたことがない。山菜は、好きだ。子供の頃から、父親や親戚のおじさんたちと山に入ってワラビ採り、キノコ採りに行った。妻が海外赴任して一緒に暮らした国々でもワラビやキノコを採って食べた。

  チュニジアの山にも、たくさんのワラビがあった。現地の人たちは、だれも食べない。チュニジアのローマ時代のモザイク博物館がある。当時のローマ人の食べ物のモザイク画がいくつもある。そこで私は注意深くワラビを探してみた。ない。どうやらローマ人はワラビを食べ物と見ていなかったようだ。ロシアのサハリンでもたくさんワラビを採った。ワラビを食べるのは、中国、韓国、日本だけらしい。

 ウクライナにもワラビは、きっとあるだろう。以前ポーランドで暮らした知人が、春に山野でワラビ採りを楽しんだと言っていた。たとえ、ウクライナの人々が、ワラビを口にしなくて、せめて山野にワラビがミサイルや砲撃や地雷に吹き飛ばされることなく、自然のままに生える春を迎えられることを願う。2月に始まったロシアのウクライナ侵攻もすでに2ヶ月になろうとしている。ロシア軍に包囲されたり攻撃が激しい地域の住民は、飢餓に直面しているという。切ない。いてもたってもいられなくなる。もう殺し合うのは、やめてくれ。

 私は、高度医療で命を救われた。山菜ソバの山菜がどうのこうのと減らず口を叩いている。今、ウクライナの多くの人々が、命がけで求めている平和と自由を持てている。何もできない自分を情けなく思う。せめて今までに自分の受けた、今、受けている恩恵に感謝して生活しようと思う。


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