団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

体の中の宇宙

2022年04月11日 | Weblog

  胃液が逆流して口まで上がって来た。こんな事長い間なかった。はっとした。外の事ばかり気にしていて、自分という存在に意識を向けていなかった。胃液のあまりの強烈さにたじろいた。こんな強い液体が私の胃の中にある。普段、存在さえ考えてもいない。胃液ばかりではない。私は私の体のことをほとんど知らない。体は、不思議の塊だ。

 私は、散歩する時、周りに人がいなければマスクを外す。そしてディープブレスを繰り返す。1,2,3と数えて鼻から息を吸う。吸った息を1,2,3,4,5,6,7と数えながら最後の1ccまで吐き出す気持ちで噴き出す。普段、自分が呼吸していることさえ意識していない。呼吸という動作が、肺で血液に新鮮な酸素を入れていることくらいしか知らない。

  2001年に心臓バイパス手術を受けた。開胸手術だった。今では内視鏡を使って開胸しなくても手術ができるほどに進歩しているという。開胸手術の場合、心臓も肺も止める。つまり死んだ状態になる。人工心肺という凄い器械がある。心臓と肺の機能を肩代わりしてくれるのだ。ただこの器械には、3時間という使用限界がある。開胸手術は、3時間以内に終わらせなければならない。私は、手術中、オリーブ畑にいた。それが死の疑似体験のようなもので、私があの世へ旅立つ途中だったのではという、淡い期待を持っている。つまり死後は無でなく、何かあるのではという期待。

  私は、私の心臓も肺も実際に見たことがない。今私が生きているということは、心臓も肺も正常に機能しているということだ。わかるのはその程度である。体の事は、万事その程度しかわからない。器官の名前は知っていても、役目や構造などわからないことだらけである。医者の妻にいろいろな質問をする。妻は、医学でも人体についてわからないことの方が多いと言う。医者がそう言うのだから、私にわからないのは当然だ。

  目で見る世界が、映画や写真と違って、現実そのままである不思議。鼻から知るコーヒーの香しい匂い。耳に入って来る朝の小鳥たちのさえずり。妻の手を握った時伝わる、ぬくもりとすべっこさ。ペッパーステーキを食べた後、口に残っていた胡椒の粒が弾けて、舌が再度ペッパーステーキを食べたことを思い出してしまう心地よさ。ロボットや機械や仮想世界と違って、一歩間違えば、血が噴き出し、命が途絶える儚さを併せ持つ。人間の体は、宇宙である、とどこかで読んだのか聞いたことがある。宇宙のように神秘的であり、また実用的によくできている。

  宇宙そのものを体の中に持つもの凄い存在である人間が、ウクライナでボロキレのように意味もなく殺されている。病気でもない、事故でもない。殺戮である。宇宙がひとつ、またひとつと消されている。

  私のようなたった一人の狭心症の患者を救うために、人工心肺などの高価な最先端医療機器が使われ、十数人の医療スタッフが手術に携わってくれた。なのにウクライナでは、人間が、ミサイルや爆弾で一度に何十人何百人という、それぞれが体内に宇宙を持つほどの尊い人間を、木っ端みじんに殺す。殺すことより生かすことに、皆で手を携える未来が来ることを願う。


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