団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

樹木希林と北林谷栄

2018年09月21日 | Weblog

  役者という職業はいいなと思った。なぜなら役者はいろいろな人間の役をこなせる。私は最初、蒸気機関車の運転手になりたかった。次はバスの運転手。学校の先生。医者。建築家。作家と変わり、結局、塾の教師で終わった。優柔不断な性格は、一方で夢ばかりみている移り気でもあった。その点、役者は配役さえされれば、どんな人の演技でもできると思っていた。自分で選択するのではなく、与えられた役で蒸気機関車の機関手、バスの運転手、医者、建築家、作家なんでもござれだ。しかしやがて北林谷栄と樹木希林のように若い時から老女役を主に演じる役者の演技力に出会って、役者の見方が変わった。

 映画好きだった父の影響で幼い頃から父に連れられ映画館へ行った。映画館から帰ると亡き実母に観た映画の話を上手にできたと聞いた。実母が亡くなったのは私が4歳の時だった。だとすれば、どうやら4歳以前は案外記憶力があったのかもしれない。

 父親は演技にうるさく、あの役者はここが良い、この役者はあそこが悪いと批評していた。その影響を私も受け継いだようだ。

 現在の日本のテレビドラマに出演する役者で好きな役者はいない。私はイタリア映画、フランス映画が好きでよく観る。便利な時代である。ケーブルテレビの“ムービープラス”、最近では“アマゾンプライム”や“ネットフリックス”で映画も現地のテレビドラマを観ることができる。映画館へも良さそうな映画を選んで観に行く。外国映画多いが樹木希林が出演する映画は観たいと思う。しかしいつも観終わるとがっかりする。樹木希林の演技ばかりがすごくて周りの役者がかすんでしまうからである。主演者や脇役の演技に訴えるものが欠けている。日本にも良い役者は大勢いる。配役担当や監督の力量だと思うが、もっと観客が物語に自然に溶け込めるような役者を使って欲しい。あの役者の子供だからなどのコネや忖度ばかりが前面にでているのが現状である。これでは良い映画は作れない。

 父は宇野重吉をよく凄い役者だと褒めていた。宇野重吉が登場すると場面の空気が変わると、父は言った。私にはただの老人にしか見えなかった。だんだん目が肥えてきて演技が見えるようになってきた。北林谷栄は宇野重吉や滝沢修と劇団民芸を立ち上げた。宇野重吉と北林谷栄は盟友であった。北林谷栄の出演した映画『にあんちゃん』『キクとイサム』は、小学校の時、引率されて鑑賞した。映画の中の北林谷栄演じる老婆は、似てもつかないが私の祖母を思わせた。『阿弥陀堂だより』の北林谷栄は、私の継母に見えた。それが北林谷栄の凄さであると思う。観る者を映画の中に引きずり込む力である。北林谷栄と樹木希林は共演したことがある。映画『大誘拐RAINBOW KIDS』1991年作品。

 樹木希林が亡くなった。私にとって北林谷栄に次ぐ役者だった。演技もであるが、彼女の生き方、特に死生観に同感した。「自分が生きたいということが他人の迷惑にならないように」は胸を打った。

 どうやら芸能界では「世界で最も美しい顔100人」など見栄えや外見だけの芸能人一派と演技力で役者をする派があるようだ。私はもちろん後者を支持する。あの美形の歌姫、安室奈美恵さんがインタビューで「芸能人なんて何もできませんから」と言って引退した。これも見事。老婆を演じた樹木希林にも北林谷栄にも侘茶の精神である「美は不完全の中に存在する」を私は感じるのだがおかしいだろうか。近いうちに『大誘拐RAINBOW KIDS』をDVDで観る。


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