今から55年前私はカナダのアルバータ州のドラムヘラーという町を訪れた。友人一家が昼食に招かれ、私も同行した。大平原の中の小さな町だった。アルバータ州の田舎町はどこも似ている。アメリカの西部劇映画に出てくる開拓時代の町のようだった。ドラムヘラーもそういう町だと私は期待を持っていなかった。行って驚いた。普通アルバータ州はどこへ行っても麦畑ばかりなのに、未開拓の原野が丘陵をなしていた。その地域は“ミッドランド”と呼ばれていたが、友人は“バッドランド”だと言っていた。ドラムヘラー在住の友人の友人がその“バッドランド”を案内してくれた。何とそこには恐竜の化石がゴロゴロ転がっていた。恐竜の卵まで転がっていた。その辺はどこを掘っても化石が出てくると言っていた。
9月9日からコキイチ(古稀+1=71歳)友達夫婦と私たち夫婦の4人は、彼らの車で福井県を訪れた。友人が福井で用事があり行くので一緒に福井を巡ろうと声をかけてくれた。有難いことである。私の妻は以前から福井の恐竜博物館へ行きたいと言っていた。なぜかは尋ねていない。妻が恐竜に興味を持っているなどと想像すらしたことがない。福井の恐竜博物館の休館日まで調べて旅行の日程を変更させるほど妻は真剣だった。
行って驚いた福井の恐竜博物館は、カナダのドラムヘラーにあるロイヤル・ティレル古生物博物館と姉妹館契約を結んでいるという。ロイヤル・ティレル博物館は、1985年に開館している。私がドラムヘラーを訪れた20年後である。
私は落ち込んだ。自分はどうしてこんなに運から見放されているのだろうかと。当時ドラムヘラーは何らかの規制がかかっていただろうが、個人所有の土地に規制はなかった。案内してくれた友人の友人は、私に何回も恐竜の卵の化石を持っていきなさいと勧めてくれた。私は恐竜にまったく興味がなかった。もしあの時恐竜の卵の化石を日本へ持ち帰っていたら…。私の人生には「…たら、…れば」が目立つ。
留学したカナダの学校は、アイスホッケーやカーリングが盛んだった。アイスホッケーはあまりにも激しいスポーツだったので可能性はゼロだったが、当時カーリングは女性や年寄りのスポーツと言われていた。カーリングを本気でやっていたならば、オリンピックの日本カーリングチームを率いて、「監督、そーだね~」とか女性選手に言われていたかも。
まだ専門学者にしか注目されていなかったドラムヘラーでコツコツと恐竜のコツ(骨)を集め研究していたら、今頃は福井恐竜博物館の館長になれていたかも…。「…たら、…れば」は無限の夢の続きとなる。
福井恐竜博物館で目を輝かせて2億5千年前の恐竜時代にどっぷり浸かっていた妻の横で、私はたった55年前のドラムヘラーの回顧にふけっていた。あの時恐竜の卵の化石を持ち帰っていれば、ここに展示され、寄贈者の名前が入れられていたかも…。いやさもしい私のことだから、テレビ東京の「開運、なんでも鑑定団」にでも出品して金銭に換えていたかも。
いずれにしても私がカナダから恐竜の卵の化石を持ち帰らなかったことは、正しいことだった。福井県立恐竜博物館もロイヤル・ティレル古生物博物館も人類の宝である。私ごとき者の出番はない。それがわかっただけでもよしとしたい。