12月26日金曜日職場の妻からメールが入った。「今年の外来終わりました。一年無事乗り切りました」の内容だった。遠距離通勤がかなり妻の負担になっているに違いない。今まであまり弱音をはかない人である。よほど1年無事終えたことが嬉しかったのだろう。27日の夜友人宅にお呼ばれした時は、最後の記憶がないほど深酒した。ベッドの中では豪快なイビキを上げた。私は普段睡眠に関して何も問題がない。寝入ったら朝まで熟睡である。その私が珍しく夜中に妻のイビキで目が覚めた。午前1時過ぎだった。しばらく妻のイビキを聞いていた。そしてふと思った。私が死んでしまったら妻は友人宅で今晩のように酒を楽しく飲んで酔って、イビキをかいて寝られるだろうか。そうできるならそうしていてほしいと思った。
私には毎日が日曜日である。正月が来てお盆が来てクリスマスが来ても関係なくタガはゆるんだままである。よく歳をとると時間が過ぎるのが早いと聞く。年末の年寄りの挨拶に「1年があっという間に過ぎた」がある。残念ながら私はそう思えない。1年より1日を単位としているからだろう。自分が残量わずかな歯磨きチューブにみてとれる。いつかはチューブに残った命を使い切るであろう。チューブを切り開いて綿棒で残った命をこそげ採るようにしてでも大事にしたい。
今年も一年間毎日日記を書き続けた。その5年日記もあと3日で書き終り元旦からは新しい3年日記になる。ブログも土日祝祭日を抜かした月水金火木の順にすべて投稿できた。平日妻の出勤日には5時に起きて7時の電車に遅れることなく駅まで車で送った。夕方6時過ぎには忘れることなく駅へ迎えに出た。台風や豪雨列車の運転見合わせなどで新幹線の停車駅まで送迎も何回かした。居間のグランド時計のネジ巻を毎日やって一度も時計を止めなかった。15分ごとにヨーロッパの教会のように鐘を叩く。郵便やメールには3日ルールを守って大切な人々への返事を送った。カロリー計算して糖尿病の食事療法も一日1万歩の散歩2日に一回の入浴、毎日下着を取り換えた。一日に多くの事はできなくなったが、やらなければならにことを一所懸命やった。それ以外の残りの時間すべてを好きな読書と物書きに費やした。時々映画館へ映画も見に行った。ほぼ毎月の病院歯科医院への診察治療にも出かけた。
海外に暮らした時間が長かった。日本の生活を夢見ていた。今は毎日日本にいる。それが嬉しい。時差もなく日本の土の上にいる。日本の空気を呼吸する。日本の雨に濡れ、日本の風に吹かれ、日本の青い空を白い雲を緑の山を紅葉の山を見る。日本のセミを鳥のさえずりを聴く。私にとって日本は自然そのものである。テレビに映る日本も新聞に載る日本も私の日本ではない。
大晦日、今年も私は妻と二人だけで年越し蕎麦を食べ、9時にはベッドに入る予定である。住む町の谷には寺がいくつかある。もし除夜の鐘の音が寝ぼけていても聞けたら最高である。