団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

一気にお爺さん

2024年10月10日 | Weblog

  先日ある84歳の元プロ野球選手が東京ドームで行われた式典に参加した。その姿がネットで話題になったという。「テレビに出なくなってから一気にお爺さんになった気がする」「もう一度『喝』が効きたいです」「ちょっと前まででっかい爺さんだったのに偉く小さくなって」「人間ってこんな短期間に激変するものなのか」 全部ではないが、まるで私の事を言われているように感じた。他人に言われるまでもなく60過ぎたらつるべ落としのように老いを感じるようになった。

 今回の突然の衆議院選挙に立憲民主党の元首相の菅直人さんが立候補しないと言った。引退理由について「基本的には年齢の問題だ。元気に活動してきたがもう77歳」として自身の年齢をあげたという。奇しくも菅さんは私と同じ年齢である。菅さんの政治家としての私の評価は低い。国会議員を辞めようが続けようが関心はない。老害がはびこる政界や経済界の中で77歳は、さほど目立つ年齢ではない。菅さんより年上の議員は、まだいる。菅さんが77歳という年齢を理由で引退することは、彼の政治生命の中の最高の業績かもしれない。願わくは菅さんの後釜が世襲でないことを願う。

 テレビの画面は、非情である。高感度カメラは今の精度の良い大画面にドアップな姿を否が応でも送ってくる。バイデン・アメリカ大統領のトボトボ歩き。オバマ元大統領のごま塩頭。顔のシミだろうがシワだろうがお構いなし。あまりの4Kの解析度に圧倒され、やがて哀愁さえ感じる。俳優が映画やドラマで演じる時は、化粧や特殊メイクで年齢をつくる。そこへ俳優の演技力でリアルさを出す。以前北林谷栄という老女を演じれば右に出るモノがいないと言われた女優がいた。老化がただの演技ですめばいいのだが、現実はそうはいかない。誰もが歳を取る。

 10月10日は私たち夫婦の結婚記念日である。今年で結婚して33年になる。バツイチで二人の子持ちだった私と妻は結婚した。結婚する時、妻が「あなたは他の人が経験することができない人生をひとりでいくつも経験したのだから、残った人生は私にください」と言った。その時は意味が良く理解できなかった。やっと喜寿老(77歳)になって少しわかるようになった気がする。その妻も来年仕事を辞める。そこから二人の新しい生活が始まる。年金生活となる。13年間妻の海外赴任でいろいろな苦労を二人で乗り切って来た。あの経験があるから、これから始まる新生活も何とかなると期待している。結婚する前もした後も働きずくめだった妻。定年退職することをまだ受け入れられないでいる。仕事を辞めることは、人生に於いて大きな節目となる。私は妻の海外赴任をきっかけに仕事を辞めた。辛い。寂しい。気持ちのよりどころがなくなる。

 やめた後、妻にはしばらくのんびりして欲しい。「退職したら、何かしたいことがある?」と妻に尋ねた。「ドローンの操縦を習いたい」と意外な答えが返って来た。ドローンと妻。接点がない。車も免許があっても30年以上運転したことがない妻がドローン。それもいいだろう。何でもやりたいことをやったらいい。私は80歳で免許を返納する。だから車の運転を教習所で習い直してもらいたい。私は一気にお爺さんになったが、妻にはだんだんにお婆さんになって欲しい。「お前百までわしゃ九十九まで」の気持ちで新しい生活を始めたい。

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