団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

タカタのエアバッグ・リコール

2014年12月17日 | Weblog

  エアバッグを製造しているタカタがリコール問題で槍玉にされている。またアメリカの日本企業叩きかと私は懸念している。訴訟社会であるアメリカはまるで神の権化となって人間に完全無欠であることを要求しているかに思える。危険な工程や製品は外国企業にやらせて自分たちはそれを裁いて巨額な賠償保障させる。

 ベトナム人で政府留学生として早稲田大学の理工学部で学び、理工学部の大学院も卒業した友人がいる。以前私はブログに彼のことを書いた。彼は日本の企業に就職したが、結局南ベトナムへ帰国して南ベトナム政府に勤めた。北ベトナムの進攻により捕えられ収容所に入れられた。命からがら逃げだしてボート難民となってマレーシアのビドン島の国連難民キャンプにたどり着いた。そこから日本への亡命を志願したが、当時日本は難民を受け入れることをしなかった。彼は私の友人の援助でカナダに渡った。

 彼をカナダに訪ねた時、彼が勤める工場を案内しながら日本語で、こんな話をしてくれた。自動車部品の工場で不良品が送り返されてくると従業員は「不良品修理のほうが普段の製造する仕事より楽だ」と喜んだ。どんなに彼一人が品質の向上に努めても常に不良品比率は20%を割らなかった。日本の企業に勤めて彼は品質管理の厳しさを学んでいた。何とかその経験を活かそうとカナダの工場で努力したが、従業員は彼のことを煙たがった。結局彼はその会社を辞めた。

 今回アメリカで問題になっているエアバッグはタカタのメキシコの工場で生産されている。それを知った時カナダでベトナム人の友人が案内してくれた工場のことを思い出した。日本人の職人のプロ意識を違う文化を持つ外国人の労働者に期待するのが如何に難しいことか。ましてや火薬を内包する装置である。武器を造るのではなく人の命を守るための火薬である。タカタに監督責任があるにせよ日本のガラパゴス企業倫理は海外で通用しないのは当然である。自動車メーカーの熾烈な生産台数と販売台数の競争。多くの部品メーカーから調達した部品をベルトコンベアで組み立てて車を作るのがはたして自動車メーカーと言えるだろうか。アメリカ訴訟社会の責任回避の旨味を大企業が真似ているかのようである。

 エアバッグは命を守る装置である。しかし火薬が衝突時の衝撃で点火爆発するという非常にデリケートで扱いにくい。高い技術と細心の安全対策が不可欠である。私自身も幸いにして未だにエアバッグが作動したのを経験したことがない。2度大きな事故に遭遇した。50年前カナダで学校の先輩が運転するフォードのファルコンの後部座席での事故、14年前チュニジアで雇った運転手が運転するフォードのKaの助手席での事故。ファルコンにもKaにもエアバッグは付いていなかった。カナダでは死者も出た。チュニジアで私はろっ骨を折った。車はファルコンもKaも2台とも大破した。信頼に足る装置であるなら、両方の事故でエアバッグがあったらと悔やまれる。

 エアバッグは余程の衝撃を受けなくては作動しない。作動すると言うことは事故がただ事でない証拠である。事故で死ぬかもしれぬ危険を秒単位で火薬を使って回避する装置である。病院で手術を受ける時、患者は手術によって病気が治る希望と命を失うかもしれない危険の選択を迫られ病院側の責任を追及しないと言う誓約書にサインを要求される。自動車メーカーはこぞってエアバッグを標準装備するが、購入時オプションにするか病院がするように誓約書を交わすのも手である。それともエアバッグは国家が装着を法で義務付けているだろうか。もしそうならば国家に責任はないのだろうか。いずれにせよ危険要素をはらむのだから、細心の注意をもって製造されなければならない。日本にはJIS(日本工業規格)をはじめとして多くの規制や検査機構が存在する。政府官僚の天下り先である。安全基準などを管理監督する側の見解が聞こえてこない。美味しい汁だけを吸って一切責任を取らない。国際競争にさらされる日本企業を保護育成するのも国家の役目である。日本は企業ブランドから国家ブランドへの転換を迫られている気がしてならない。工場をむやみやたらと世界中に散らばらせるのではなくて、国内生産に戻す。生産数や量が減っても日本で造られたものだから、日本の職人が作ったものだからという信頼信用こそ日本がゆるぎない技術大国であるための必須条件となる。輸出立国を目指すなら、アメリカが法を盾にとる戦法の向こうを張って、技術と職人精神で完全無欠な製品を作るくらいの気概を持つべきだ。大量生産大量消費の時代の終わりは見えている。今回もこれまで築いてきたきたメイド・イン・ジャパンの信頼は大きく損なわれた。それでもへこたれずに日本の物づくりの伝統がこれからもっともっと活かされることを願う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする