地下鉄大江戸線に乗ろうと新宿駅の中の長い長いエスカレーターでまるで地底探検に出かけるかのように下がっていた。ここが東京かと思われるほど閑散としていた。2回乗り継ぎ3回目のエスカレーターに入った。「まだ下がる。どこまで潜るの」とごちる。エスカレーターは上下2本が並行している。幅が狭く人一人分で横を急ぐ人の通過はできない。はるか下からマスクをした白いふわふわ毛皮コートの女性がまるで芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』のカンダータのように地の底からゆっくり上がって来る。私もマスクをしている。女性は左手をベルトに置いている。私も左手でベルトをつかんでいた。すれ違う。目が合う。手と手の間隔は25センチ。彼女の目に私はどう映っているのだろうか、知りたいと思った。大都会東京での他人同士のすれ違いはおそらく一生に一回だけの出逢いであろう。人間という文字の並びに“人の間”を感じる。こうして私の知らない人、人生で全く関わる事のない人々とのすれ違いに摂理と無常を感じる。彼女は地上へ。私は地底へ。
「アッ」と声があがった。私は振り向いた。エスカレーターとエスカレーターの間、つまりベルトとベルトの間には25センチくらいの幅がある。雨樋のように深さは5センチほどでステンレス製である。ガラスのように綺麗に輝いている。そこを彼女の携帯電話が滑っている。イヤフォンの線だろうか1メートルぐらいの線がピーンと張りつめて携帯電話を止めた。「良かった」と私は思った。「ビューン」と小さい音を立てて携帯電話が再び助走体制に入った。傾斜は30度以上あるに違いない。ぐんぐんスピードが上がる。このまま下までの4,50メートルを落下すれば携帯電話は木端微塵に砕け散る。なにしろ物の落下には引力が関わる。宇宙の力と闘うのである。
私は運動神経に問題がある。反射神経は鈍い。65歳を過ぎてから体と脳が不和関係にある。「アッ~ァ」と女性の声が上から雹のように落ちて来た。私の脳に遅い反応が起きた。冬眠中というか職場放棄しているホルモンの仕業に違いない。ホルモンが動くと反応に速度がつくらしい。緊急事態で神経回路の接続が「カチッ」とつながった。私の右手がボブスレイのように滑り落ちて来た携帯電話をしっかりとつかみ取った。「ナイスキャッチ」とどこかから声がかかると思ったが誰もいない。ホルモンが「見上げろ」と命じた。はるか上のもうすぐてっぺんに到着しそうな彼女がにっこりとマスクの上の目だけで微笑んだ。
携帯電話は私と同じアップルのi-phone5だった。ピンクの皮ケースに収まっていた。彼女が下りのエスカレーターを長い脚で2段飛ばしに下りて来た。私に追いついた。「ドゥモ アリガト」と私と同じモンゴライド系の女性が言った。エスカレーターはまだ下に到達していなかった。私は「お互い様です」と言った。彼女が解ったかどうかは知らない。私は海外生活でどれほど現地の人々にお世話になったかしれない。彼女には私のそこまでの気持は伝わらなかったと思う。私は恩返しできたような気持になった。彼女は嬉しそうだった。まだ下に到達していなかった。間がもてない。どれだけ長いエスカレーターなのだ。やっとそっこに到着。彼女は再び地上へUターン。携帯電話は胸にいだかれていた。
私の生涯で一番のファインプレーと呼べるナイスキャッチだった。