団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ミカン狩り

2014年12月31日 | Weblog

  29日月曜日東海道本線根府川駅に妻と降り立った。友人のN君夫婦に誘われ同行した。N君の高校の同級生のO君が駅まで車で迎えに来てくれた。

 私はこの2週間風邪で体調が優れず寝込んでいた。N君も風邪をひいていた。根府川駅自体が急こう配の斜面にある。関東大震災では駅に停車していた列車が地滑りで海に落ちたそうだ。根府川駅に降りたのは初めてだった。

 ミカン畑はずいぶん高い所にあった。昨日の悪天候が嘘のように晴れ渡っていた。車をO君の義兄の家にとめて、歩いた。O君は2年前に退職して義兄からミカン畑の一部を借り受けた。義兄はずっとミカン農家を続けてきたがミカンの値段が下がるばかりで経営が成り立たなくなりミカンの生産から撤退した。退職したO君は東京から車で通ってミカン畑を維持している。彼の夢はミカン畑に山小屋を建てて農繁期に泊まり込んでミカンを栽培することだ。まだ実現しないのは、イノシシが出るので危険だと義兄が反対したからである。

 ミカン畑にはO君の奥さんが待っていた。O君はとにかく飄々としている。笑顔がいい。身から自然に湧き出る相手への気遣いができる男である。私が理想とする気配り、手配り、目配りを生まれた時から身に着けていたのではと感心させられる。ミカンの木には棘があって手や頭を怪我してはいけないとゴム引きの手袋、農作業用の帽子、地面が濡れているからと長靴まで用意した周到さである。時期的にもう遅いと言いながら明らかにこの日のために収穫を遅らせていたミカンの木々が十本近くあった。

 たくさんのミカンが採れた。O君は自分で時間をかけて作ったであろうバーベキュー炉で火を起こそうとしていた。昨日の雨で薪は濡れていた。ものすごく苦労して小一時間かけてやっと炉に炭火ができた。私は手を出さなかった。出せなかった。なぜならO君のやり方を全面支持したかったからである。不器用でもいい。やぼったくてもいい。O君の歓迎の気持、O君の夢の退職生活を祝福したかった。

 まずO君はスルメを焼いた。待っ黒焦げだった。次にフランスパンを焼いて奥さんがバターを大きく切って乗せた。旨かった。サツマイモもアルミフォイルに巻いて焼いてくれた。最初に手渡されたイモはアルミの中で炭化していた。火力が凄い。畑から大根を抜いた。その大根を貴重な水で洗い、荒くざく切りしてくれた。ハイキング用のテーブル、ハイキング用の食器、プラスティックの黄色いミカン出荷用の箱をひっくり返した椅子。どれだけの時間と想いが注がれたことか。目の前に相模湾が広がり太平洋まで見渡せる。雲がない青い空、柑橘系の香水のような風。

 根府川駅から帰路についた。電車は帰省客ですし詰めだった。妻が担いだリュックは周りの乗客の迷惑顔に取り囲まれた。車窓から光る海が見えた。綺麗を超えた景色であった。こんな風に幸せな思いで2014年が終わってゆく。10キロ以上あるリュックに入れたミカンの重みは、まさにこの1年にいただいた自然からの恩恵、多くの人々から受けた気遣いを思い起こさせた。


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