団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

残酷、韓国旅客船沈没事故

2014年04月21日 | Weblog

  こんな残酷な事故があるだろうか。いや事件と言ってもよい。家族や関係者が救出を待ち望み待機する珍島から事故現場は目の前である。距離が近すぎる。爆発したわけではない。墜落したのでもない。衝突でもない。時間だけがどんどん過ぎる。見ていられない。私でさえこうなのだから、事故現場を目の前にする家族にしてみたらその悲しみはいかばかりか。

  セウォル号(6825トン)が4月16日に沈没して今現在(4月21日午前5時)117時間が過ぎようとしている。いまだに244名の安否不明者が船内に残されている。私はこの事故のニュースを観ていて怒りを禁じえなかった。船長、3等航海士、操舵士の3人が遺棄致死の疑いと業務過失致死罪で逮捕されたという。そんなことしている場合ではないだろう。今は原因の追究や犯人さがしの場合でないだろう。一分一秒を争う事態である。一人でも多くの乗客を救うことを最優先するべきだろう。歯がゆい。じれったい。首相や大統領が乗客家族や関係者の前に顔を出す時間があるなら他にやることがあるだろう。韓国大統領として国民を救うために世界に救出する方法をなぜ教えてと請えないのか。謝ったり言い訳するのは後でよい。土下座してどうする。土下座するなら救出法を教えてくれと誰にでもいいから頭を下げて教えを請え。何より一人でも多くの乗客を救え。救ってほしい。そのためなら、なりふり構わず時間と戦え。船内に残った乗客は船内放送で残るように指示された。信じて残った。その従順な行動に報いてやれ。

  水は恐怖である。その上、船のように中が細かく区切られた密封状態の構造は、閉所恐怖症でない人だって恐れおののく。水責め。隔離。暗黒。拷問である。飛行機事故、列車事故、自動車事故、火事、台風、地震、津波、爆発事故。一瞬で命を失くすなら私は運命に従う。だがいたぶられるように命を奪われるなら、私は耐えられない。私は臆病で弱く小心である。意識が普通にある中で、酸素が自分の呼吸によって使い果たされながら、迫る死を受け入れることなぞできない。ましてや愛する人々が私の身を案じてすぐ近くに来て私の救出を祈っていてくれたなら、尚更である。気が狂うであろう。泣き叫ぶ親、岸壁で静かに手を合わせて祈る親。私はその人々に自分を重ねる。もしや、自分の子供が、、、と。

  国家間の政治外交での争いは殿上人たちが勝手にやっていればよい。縛りがない自由な民間人は素直に人間としての良心に耳を傾ける。今回の乗客たちに、特に修学旅行の高校生たちに私の心が叫ぶ。「生きてくれ。生き抜け。君の若さで生き残れ」

  沈んだ船に潜り、懸命に救出活動をする500名を超えるダイバーたちがいる。すでに5日が過ぎた。疲れも限界に達しているだろう。体育館で心配のあまり身もだえしつつ待つ家族や関係者の体力も精神力も尽き果てる。

  世界はいかにして敵を攻め殺すかの戦争武器開発にしのぎを削る。海に浮かび2時間かけて沈む船から乗客を救い出すことはできない。潜水艦もイージス艦も乗客ひとり救うことができない。ミサイルや核で何万人何十万人も一瞬で殺せるのに、水深37メートルの海に沈んだ船から244名の安否不明な乗客を救うことができない。

  私はこの事故の原因を今は知りたくない。何故沈没した船から4日も5日もかけてもひとりの命も救えないのか。その原因を知りたい。今はただ生存者が一刻も早く海中の地獄から救出されることを祈るのみ。ゴメンナサイ。


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