「シャクナゲが見頃になりました。サンドイッチだけの簡単なランチですが一緒に花見しませんか」のメールに誘われて12日土曜日に友人宅へ行った。妻と歩いて行った。陽の当たる坂道の上に建つ一際目立つ真っ赤な花を咲かせる大きな樹木が見えた。
数年前の冬に招かれた時「今度このシャクナゲが咲いたら、花見をしましょう」と友人夫妻に言ってもらえた。楽しみにしていた。ところがそれからまもなく奥さんに癌が見つかった。大変な闘病生活を送った。奥さんが少し歩けるようになった。月に数回天気の良い日に夫婦で散歩していた。
そして今度は旦那さんに癌が見つかった。すでに以前胃癌で手術を受けている。東京の大学病院で新しい癌の手術を受けた。
二人が門まで迎えに出てきて待っていてくれた。道路から7,8メートル高いところに建坪50坪ぐらいの2階建ての家がある。南東部分の100坪くらいが庭と家庭菜園になっている。花々が咲き乱れていた。地面を征服しようというかのような芝桜。赤、白、黄色のチューリップ。10メートルばかりのコンクリートの小道が英語のアルファベットの“J”の字のようにカーブして玄関に続く。庭の北東部分の一画に高さ3メートルを超すシャクナゲの木がこんもり茂っていた。(写真参照 妻の後ろ姿)青い空を背景に光沢のある濃い緑色の葉を従えて、鮮紅色の花が「私が一番綺麗でしょう」と競うように咲いていた。坂の下から見た時の花木とは違うようだった。
案内された食堂のガラス戸からもシャクナゲが見えた。テーブルの席も私たちが外を良く見えるようにと気遣ってくれた。私以外の3人は酒豪である。赤ワインで乾杯。近所の美味しいと評判の店から取り寄せたというサンドイッチ。奥さんの手料理が並ぶ。飲んでは見、食べては見、話してはシャクナゲをじっとある時はチラっと見た。どう見ようが美しい。酒に酔い、シャクナゲに酔い、友の気遣いに酔った。普段はグラス1杯で眠くなる私も4,5杯グラスを重ねた。ワインは3本4本と空になる。旦那さんと私の妻だけがまだ最初と同じペースを保つ。私は睡魔と闘いながら薄目を開けてシャクナゲを見る。妻の酔いもいよいよ最終ラインに近づいてきた。3時半を過ぎていた。私はタクシーを呼ぼうとした。妻は激しく止めた。妻のケチの度合いは、酔いと共に上昇する。歩いていく。歩けると言い張る。千鳥足で昼間から町中に「私は昼間から酔っぱらっています」と宣伝したいのか。私は世間体を重んじる。妻は軽視する。
友人夫妻は、庭でレモンをもいだり、ニラを束ねたり、ハーブを採ったりビニール袋いっぱいにして渡してくれた。フラフラあっちへ行ったり、急に立ち止まったり、揺れ動く妻を制御しながら坂道を下り始めた。友人夫婦はいつまでも二人並んで見送ってくれていた。
帰宅して、夜、寝る前にお礼のメールを送った。妻は4時過ぎに帰宅してすぐベッドに入った。ぐっすり寝ていた。幸せそうだった。日頃の不眠症が嘘のようだ。アルコールの力か。
次の朝、返信メールがあった。「おはようございます。また退院したらお会いしましょう。喜んでいただいて良かったです。私たちも感謝しています」 旦那さんは三度めの癌手術を今週末に受ける。鮮紅シャクナゲは、二人の生き様の炎と覚悟、そのものの色である。