団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

老化の初期現象

2014年04月25日 | Weblog

  歳をとると、目で見て脳が判断するのに時間がかかる。先日、車を運転していた時のことである。脇道から小型トラックが侵入の機会をうかがっていた。私の後ろに車がずっとつながっていた。私は速度を落としトラックを入れさせた。トラックの運転手はハザードランプをパカパカさせて感謝の信号を送った。

  それからものの5分も経たないうちに歩道がトラックの先に見えた。50~60歳の男性が一人立っていた。中肉中背、165センチくらいか。手は挙げられていない。反対車線には近づいてくる車両はなかった。私の車線は時速40キロ以上で走る車が途切れることなく続いていた。私はトラックとの車間を10メートルくらい取っていた。突然歩道の男性がダッシュしてトラックの直前を横断しようと走り出した。ニューヨーク・ヤンキースのイチローの盗塁並の見事なスタートだった。私の位置から見れば、身投げかもと思える光景だった。血だらけ・・・。幅6,7メートルの道路である。全力で走れば数秒で渡り切れる。トラックに一旦隠れた男性の姿はそのまま。出てこない。私は一瞬幻覚!それとも幽霊だったのか、と思った。トラックが急ブレーキをかけ、右側の反対車線に大きく逃げた。私もそれに釣られてハンドルを右に切った。すでに道路を横断して渡り切っているはずの男性の姿が見えない。左側を見ると、道路中央に男性が腹ばいになって倒れていた。轢かれてはいなかった。トラックと接触もしていなかった。

  脚がもつれて倒れたらしい。私は車を止めようとしたが私の後ろの車が迫っていた。サイドミラーで倒れた男性が立ち上がって体のあちこちを点検しているのが確認できた。

 もし前のトラックが右にハンドルを切らなかったら、男性は轢かれていただろう。さらに恐ろしいと思ったことは、もし私が数キロ先の合流地点であのトラックを先に侵入させなかったら、私が男性を轢いたかもしれない。男性が手を挙げていれば、私は車を止めて、横断を見守ったかもしれないが、後続車の状況で判断せざるをえない。追突で一番多いのが、横断歩道での急停車で、歩行者を巻き込む可能性が高い。いずれにせよ私はタイミングという偶然性にぞっとした。巡り合わせと云うのか、運不運と云えばいいのか。恐ろしい。

 男性はまだ自分の老化を頭では理解していないのだろう。中年から初老に達したばかりの私自身がそうだった。最近やっと老化を受け入れられる。それでも失敗する。ブログにも書いたが階段から転げ落ちそうになって手を怪我した時も、自分では足裏を上げているつもりでも実際は上がっていなかった。おそらく靴底の厚みを脳が計算に入れていないに違いない。

  道路にカエルのように四つん這いで倒れ込んだ男性は、若かりし頃は足の速い運動神経抜群の人だったのかもしれない。右から車が来ていないことを確認して、左から来るトラックの進む速度、自分とトラックとの距離、自分の走る速度を一瞬にして計算して脳が“可能”の判断を下したのだろう。そこまでは良かった。イチローのように俊敏に飛び出したが脚がもつれた。あの痛そうな顔から想像するに体のあちこちを強打したのだろう。ともかくトラックに轢かれなかっただけよかった。

 運転は注意深くしているつもりだが、時々年寄りの無茶な横断に出くわす。信号や横断歩道がない場所での横断が多い。右見て左見て手を挙げてならまだしも、片側だけ見て私の車のほうを見ずに一歩を踏み出す人もいる。驚くのが斜めに横断することだ。斜めだと横断する距離は長くなる。足が遅いのにわざわざ長い距離をとる。

 自分は年寄りだから車は自分を優しく渡らせるのが当然と車道に入り込む。いつでもどこでも平然と横断する車がなかった時代の人のように車を無視する年寄りもいる。自分の身は自分で守らねばならない。それにはまず交通規則を遵守するしかない。自ら危険に飛び込むことだけは避けなければならない。

  老化はまず脚に来る。脚を鍛えるために散歩を続けたい。遠回りしてでも安全を最優先する。歩道を歩く。横断歩道を渡る。歩道橋を使う。面倒くさい時間がかかることが身を守る。散歩に出れば、車と歩行者の立場それぞれを学べる。車の怖さを知り、事故を防ぐ知恵も湧く。(参考写真:現場付近 実際には私は反対車線を走行していた。帰路撮った写真である。 横断歩道は前方のワゴン車の先にある)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする