団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

「ウンメェ~」新タマ新ジャガ

2014年04月17日 | Weblog

  店に新タマネギと新ジャガイモが並ぶ。“新”という字が付かなくてもタマネギもジャガイモも好きだ。“新”とくればもっと好きだ。私のジャガイモ好きは母の天ぷらが始まりだった。天ぷらを揚げる母のそばに立ち、揚げたてのジャガイモの天ぷらを「しょうがない子だね」と言われながら渡してくれるのを待つ。天ぷらなんて滅多に食べられなかった。つまみ食いである。「あふあふ」と大騒ぎして食べた熱いジャガイモの天ぷらは美味かった。

  タマネギは私の子供の頃の記憶にあまりない。食卓で見たことはあまりない。美味いというより珍しかったのだろう。誕生日にしか作ってもらえなかった大大好きなカレーに入っていた。初めて食べたカツ丼の卵をうっすらとまとった豚ロースのカツの下にタレで茶色く染まってシンナリ気味のタマネギが隠れていた。カツ丼は高嶺の花だった。タマネギはそのカツ丼になくてはならない引き立て役だ。私にとって憧れの高級野菜となった。

  高校2年生でカナダの全寮制の高校へ移った。カナダなら厚くでかいビーフステーキを毎日食べられると勝手に思っていた。寮の食堂は来る日も来る日もパンとジャガイモの炭水化物のオンパレード。パンも嫌いではないがジャガイモには敵わない。ジャガイモがあればステーキがなくてもいい。特に昼食によく出たマッシュポテトは美味かった。雇われ学生がオタマで掬ったマッシュポテトを皿に叩きつけるように載せる。皿を捧げ持って次のグレービーソース(肉が入っていないエキスだけの肉汁)係の前に立つ。係はグレービーが入ったオタマでマッシュポテトの塊をグリグリして窪みを作る。火山から溢れだす溶岩のようにグレービーを開け入れる。見ているだけで涎が出る。満面の笑みを浮かべてテーブルに着く。食前の祈りもそこそこに食べ始める。マッシュポテトの山からグレービーを流れ出さないようにフォークを駆使して食べるのがまた楽しい。

  子供の頃、砂場で山や池や堤防を作りバケツで水を崩さないように入れる。終いには結局崩れ、私の砂の建造物は崩壊してしまう。現実なら恐ろしい災害であるが、子供は残酷にも破壊を喜ぶ。そんな幼い頃に戻ってマッシュポテトに舌鼓を打った。周りの生徒は皆、肉の出ない食事に不平不満だったが、私は大満足だった。

  カナダのフライドポテトも好きだった。そしてタマネギを輪切りにしてタマネギの層をバラバラにして輪っかにして天ぷらのように粉で揚げるオニオンリングに出会った。熱々の衣の中で半分溶けかかったタマネギの味は格別である。

  最初の結婚は10年で終わった。その後の13年間はタマネギだジャガイモだのを楽しむこともなく、借金返済と二人の子供への仕送りに明け暮れた。縁あって再婚できた。妻の仕事で12年間海外赴任に同行した。主夫に転業。ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアに暮らした。タマネギもジャガイモもどこの国にもあった。その国その国に美味しいタマネギやジャガイモの食べ方があった。

  妻の母親に結婚する前に「うちの娘は料理も何もできない」と言われた。妻は「ポテトサラダと大根サラダはできるよ」と言った。ポテトと聞いて嬉しかった。昨夜、妻がポテトサラダを作ってくれた。味噌汁の実は新タマネギ。私は「ウンメェ~」と思わず唸った。


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