団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

分捕り

2012年11月28日 | Weblog

 国家の領土も個人の土地所有も、もとは分捕りであったと思われる。人類が定住して、農業で食料を確保できるようになる前、狩猟をしながら広大な自然の中を転々としていた原始古代にも、おそらく人間も動物と同じく生活のため子孫を継承するためのある意味での縄張りを持ったに違いない。人間の歴史は縄張りの分捕り合戦の繰り返しである。

 1997年から2000年までの3年間旧ユーゴスラビアの首都ベオグラードに住んだ。旧ユーゴスラビアは内戦を経て、すでにスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツゴビナが分離独立していた。私たちがベオグラードに住んでいたのは、ちょうどコソボ紛争が悪化してNATO軍がベオグラードなど今のセルビアの主要都市や軍事施設を空爆をした時と重なる。コソボはもともとセルビアの一部であった。そこへ欧州で最も貧しいアルバニアから難民のように国境を超えアルバニア人が移り住んできた。東ヨーロッパの国々にはロマ人(以前ジプシーと呼ばれていた)が多く住んでいる。社会主義だったこともあって、人種問題に寛容というか人間は平等という理想を掲げていた。一定の理解が成りたっていた。コソボのセルビア人もアルバニアから逃げ込んだ人々をロマ人と同じにしか受け止めていなかった。やがてアルバニア系の人口がセルビア人の人口を上回るようになった。軒先を貸して母屋を奪われたのである。やっと危機を認知したセルビア人がコソボを取り戻そうとした。それが民族浄化とか虐待として世論、特に欧米諸国で問題視された。NATOとアメリカ軍の後ろ盾でコソボは独立国家となった。

 国際法も一国の憲法も国境と領土問題に決着をつけることはできない。分捕るか分捕られるかのどちらかである。世界の警察を標榜するアメリカ合衆国は、もともとはインディアンが住む土地だった。原住民であるインディアンは、国家という形態を持たず、ただ部族という単位だけで縄張りを持って移動して暮らしていた。もちろん文字も確立されておらず、西洋諸国のように条文化された憲法も土地の権利書もなかった。野蛮だから、法律がないからの理由で先住民としての優先的権利はすべて無視され武力で制圧された。南米の先住民も同じ道をたどった。インカ帝国は国家であったにも関わらず、スペインの力による分捕りであった。現在でもインディアンの土地奪回の裁判はことごとく棄却されている。この裁判でインディアン側が勝訴すれば、世界の境界線は、総崩れになるであろう。

 日本が抱える領土問題、北方領土、竹島、尖閣も分捕りの様相をあらわにしている。日本は島国である。地続きの国境では日々緊張が張り詰めるが、海に守られるように他国から分離して浮かぶ島々の住民は、海に守られていると、いたって国境に無用心でスキだらけである。中国は第18回中国共産党大会で胡錦濤国家主席が「海洋権益を断固守る」と強調した。

  日本では教育の成果で金持ち喧嘩せずではないが、学校での成績とどの学校を卒業しどの試験にどういう順位で合格したかで階級を登りつめた超エリートの数ばかりが、国家の中枢の中で増大した。叱られたことがない、肉弾戦の喧嘩をしたことがない、飢えたことがない、お金に困ったことがない、差別されたことがない。ずっと自分が成績上位でいることができた。歯向かう奴がいなかった。いつの間にか「断固として」が外国に対して言えない行動できない国になってしまった。一方で国民の税金と次世代次々世代が納めるであろう税金まで、悪知恵の限りを絞って先取りして、分捕っているのである。嘘を重ね詐欺のような身勝手な分捕りが大手をふるって横行している。修復不能の惨状に思えてしかたがない。人間の中に潜む悪が善を圧倒している。

 衆議院議員選挙という票の分捕り合戦がもうすぐ始まる。正義が不義に分捕られないよう、有権者が目覚め、定め、一票の不義への抵抗を果たしてくれることを切に願う。


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