団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

結婚の誓い

2012年11月26日 | Weblog

『新郎__、あなたは
新婦__が
病めるときも、健やかなるときも
愛を持って、生涯
支えあう事を誓いますか?

新婦__、あなたは
新郎__が
病めるときも、健やかなるときも
愛を持って、生涯
支えあう事を誓いますか?』

  一回目の結婚は上の誓いから始まったが10年もたずに破綻した。『生涯』『愛』『誓う』という文言が、それ以来トラウマになり重圧を感じた。再婚して20年を迎えた。思えば歳の差婚で、「病めるときも、健やかな時も」の条項に違反が多い。私ばかり大病して妻に一方的に苦労をかけ、ささえてもらってきた。

  日曜日の朝、妻の様子がいつもと違っていた。妻は自分で血圧計を出して最悪の手際で計った。「60しかない」と言った。普段、私の血圧を計るついでに、妻も血圧を計る。私と同じでだいたい80-110台である。私は11年前の心臓手術の際、手術室で麻酔をかける直前、血圧が40まで下がったことがある。ほとんど意識が途切れる寸前だった。私は医学的な知識を持たない。妻は医者である。医者が病気で素人が脇にいる状態に、私は本当に困った。戸惑い、言葉にも行動にも制約がかかる。顔色が土色というか血の気がないような感じだった。小心者の私はオロオロするばかり。

  「手と足が冷たく寒い」と言い出した。最近私は老化現象か足が冷える。それでもかつては妻の湯タンポとして役にたっていた時期もあった。私はベッドに入り体を投げ出した。妻は手と足を私の体に密着させた。さすが元湯タンポ、まもなく妻は顔にうっすら血の気が戻ってきた。途中湯タンポは、新聞を取りに行き、ベッドの中で湯タンポとして静かに新聞を読んでいる振りをしていた。読めないのである。心中穏やかならず。20年間妻はほとんど病気という病気をしたことがない。「健康だけが私の取得」とよく言う。その妻が寒いと言って、体をケイレンさせるように震える姿を見ても私はどうしていいのかわからない。「救急車を呼ぶ?」「大丈夫」「車を運転するから、病院へ行こう」「大丈夫。脱水症状だから。水を飲んだから、もうしばらく休んでいれば治るから。温めて」

 前の日の土曜日、たくさんの友人を招いた。12時から4時まで妻は、好きな酒に口をつけなかった。酒に飲まれてしまう方なので、酔うと接待どころの話でなくなる。とにかく立派に裏方に徹して、無事客が満足して帰って行った。もともと積極的に人と関わるのが苦手なので相当無理をしたに違いない。私もご苦労さんの気持で一緒に会の成功を祝って、5時頃から飲み始めた。人間、何事も極端に我慢してはいけない。自然体が一番。極度の緊張から解放された妻は、酔いつぶれ最後にベッドに倒れこんで寝てしまった。私はひとりで後片付けを終らせた。それから書斎で今月30日が応募締め切りの書きモノを推敲した。寝たのは午前2時近かった。 

 私は自分で好きなことをして毎日ほとんどひとり家にこもって生活している。妻は毎日、勤務医として、遠距離通勤して多くの患者に向かい合って、患者の健康に関する心配や恐怖の負担を軽くするために奮闘している。生命を預かる重責を感じている。不眠症は医者になってから常に抱えてきた大きな問題だった。それを救ってくれたのが酒である。酒が入ると少し眠ることができる。私は少量の酒を飲むだけですぐ酔い、眠くなってしまう。妻は、適度に飲んでいると問題ないのだが、悪酔いすると日頃の鬱憤をだれかれになくぶつけ始める。そんな時、腹がたち、怒り、愚痴る。『病めるときも、健やかなるときも』は『酔ったときも、素面なときも』でなければいけない、と頭では思う。私にだって欠点はたくさんある。完全な理想的人間なんているわけがない。酒は適度に飲めば百薬の長、度がすぎれば毒になる。家で飲んでいれば、私たち二人きりなので、問題は起こらない。日頃、外で飲むことをできるだけしないようにしている。その分、妻を理解して寛容な客を家に招く。

 だんだん二人とも歳を取ってきた。介護の話題も多くなった。どちらかが病気になれば、もう片方が支えるということは、頭では理解できている積もりだ。心準備もできていたつもりだ。しかし日曜日の朝のようなことが起こると、途端に私は怖気づいてしまう。今まで妻が病気で今回のような状態になったことがなかった。私は、結婚式で2回も誓っても、まだ覚悟もなく実践もできないでいる。情けない。せめて“生涯”湯タンポとしてもう少し役に立てれればと願うばかりである。


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