団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

近隣諸国

2012年11月02日 | Weblog

  中国近代史の歴史学者 岡本隆司さんが何年も前に「日本の不幸は中国のそばにあることだ」と大学の講義で言ったという話を何かで読んだ。当時は多くの親中国派の人々から顰蹙をかったそうだ。

 私はあえて「今の日本のツキのなさはロシア、中国、韓国、北朝鮮があまりにもすぐそこにあることだ」と言いたい。さらに日本は極東と呼ばれる東の果てに位置する。極東のことを英語ではFar East(東の最果て)と言う。英語の東は未開とか未知の地という意味あいも含んでいる。いまでこそ地球上どこへ行くにもジェット旅客機でひとっ飛びだけれど、地球の歴史の長い期間、日本は地の果てと思われていた。どん詰まりの日本の周りを、まるで日本をグイグイ追い詰めるがごとく取り囲む国の中に日本を真の友好国とする国はない。周辺諸国だけでない。いったい世界中に日本を友好国家と称えてくれる国家があるだろうか。共産主義だからキリスト教だからイスラム教だから仏教だからという他国からの同類であるが故の支援にも無縁な日本は孤高の国家なのである。徳川治世の鎖国が必然であったかのように思えるから不思議だ。

 友達なんか要らない、と言えばそれまでである。友達という人間の関係や親子関係と云えども良好な関係だけではない。国家関係だって良好な関係だけを継続した国家なぞ、ないに違いない。宗教、言語、肌の色、政治信条、人種などの共通性を兼ね備えていてさえ、国と国の関係は一筋縄ではない。近年の愛国反日教育の成果は、想像以上に中国と韓国の国民感情をつなぎまとめている。国中が思想、宗教で結束すれば大きな力となる。日本では戦後、個人の自由、言論の自由、宗教の自由を優先するがゆえに、国家意識が薄い。宗教でいえば、仏教、神道、キリスト教、新興宗教、どの宗教も他宗教を制覇して統一したことがない。いったい日本はどうしたら愛国反日でうねりのような底知れぬパワーに対抗することができるのか。

 認めようが認めまいが、近年の中国と韓国の目覚しい発展は「憎き日本に追いつけ追い越せ」の想いが、国家に国民のエネルギーと化した結果であると私は思う。一方、自由を満喫する日本はバラバラな個別の願望の成就に突き進んだ。東日本大震災の後、日本人は「絆」で結ばれたかのように見える。それさえも中国韓国の愛国反日の「ざまあ見ろ」パワーの前では、迫力不足の感が否めない。

 日本人はタコツボ型の人種であると思えて仕方がない。ノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大学の山中教授は29年間、それこそタコツボに入り込んだように基礎的研究に明け暮れた。日本のノーベル賞受賞者の多くが地道な基礎研究の末に受賞した。日本の強みがここにある。どんなに恵まれない環境に置かれても黙々と自分の持ち場を守りきる。日本人の劣化だモラルの低下だと騒がれるが、主流の日本人はちっとも昔と変わらない。世界や近隣諸国の多くの人々は、国家権力にねじ伏せられ統制される状況よりも、心では個人の自由が尊重される日本型の社会に達することを望んでいるはずだ。一見自由でバラバラで各自の社会的立場と住処をタコツボとしているようでもあるが、これが強みとなっていることもある。悲観的にならず長所短所をわきまえ、極東の国に暮らす自覚を持って、将来ツキのなさをツイテいると言える日が来ることを信じたい。


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