先月30日に亡くなった藤本義一さんは、2年前に「これまで執筆した原稿は全部でどれくらい?」の質問に「1.6トンかな」と答えた。先月31日をもって東京都知事を辞職した石原慎太郎さんは「ちょっと長すぎた。長い、かなりいい小説を書いた後の解放感と満足感。・・・」と答えた。二人の作家の返答にモノ書く人の気持が込められている。
藤本義一さんはずっと手書きでワープロやパソコンを使うことがなかった。石原慎太郎さんも確かめてはいないが、何となく手書き派のように思える。いずれにせよ書くという作業は想像以上に根気がいるものだ。本を出版するには新書なら最低200枚の原稿が必要だそうだ。長編小説となると原稿用紙2000枚3000枚それ以上となる作品もある。原稿用紙を自分の前に置いてみると、10枚でも書くことがいかに大変なことかよくわかる。
私はモノ書く人々を尊敬する。かつて城山三郎が自分の高校生の息子が受験勉強をする机の前に「椅子にいかにじっと居られるかが勝負である」と書き出して貼っていたと書いていた。城山はじっと座って読んだり書いたり勉強し続けることがどれほど難儀なことかを、背中で息子に教えていたのだろう。それにしても息子もたいしたものである。その息子さん、かつてテレビ東京の朝の番組『モーニングサテライト』にある証券会社のニューヨーク支社の経済分析担当で時々出演していた。きっと椅子にじっとしていることができて、無事受験を勝ち抜かれ、出世したのだろう。
私が自分の過去を振り返ってみると、いかにじっとできない者だったかよくわかる。好奇心の固まりのような性格は、常にあちこち移動して「あっち行ってチュンチュン、こっち来てチュンチュン」しなければ気が済まない。かつてキリスト教のアメリカ人宣教師にキリストを自身の救い主として認めることを告白するよう強く求められた。彼は優柔不断な態度をとる私を「あなたはいつも気持があちこちしている。悪魔のいうことに気を取られるからだ」と糾弾された。英語で“あちこち”を“here and there”と云う。これは私の本性を言い得て妙だと感心したものだ。65歳を過ぎても、まだじっと座っていることができないでいる。
勉強ができるようになりたければ、じっと座っていられる人になるようにならなければいけない。私が学校の成績が悪かったのは、ひとえにじっと座っていられる生徒でなかったからに違いない。もし私が忍耐強く何時間でも二宮金次郎のように集中力を持って目標に向かう学徒であったなら、学業でそれなりの成果をあげることができたであろう。負け惜しみだが、それでも私は私なりに長い時間かけて自己改革に取り組んできた。
学生だった頃、三日坊主で書き続けることができなかった日記を、再婚してから20年間、病気以外の毎日、書き続けている。ブログも執拗に書き続けている。小説はある懸賞に6年連続で応募し、ことごとく没になっている。それでもめげずに今年も11月30日の締め切り目指して書いている。本は2冊出版できた。電子書籍普及の波に飲み込まれ、後押しされて、月1冊のペースで電子化して公開してもらっている。私の性癖を見抜いていたであろう担任だったどの教師もが、その事実を知れば、信じられないに違いない。じっと座っていられることを難なくできる人々には小さなことでも、何でも中途半端にしてきた私には大きな事件である。
宿題、ピアノ、日記、最初の結婚、仕事、フランス語などなど中退中毒かと悩んだくらい多くの中途半端が私の過去に山となって積みあがっている。それでも私は私の人生を歩み続けてきた。厚顔無恥も役に立つ。今日も書こうというまっとうな思いと、いかにして書くことから逃げようかとする悪だくみのはざ間で揺れ、日記に「いまだじっと座っていられない。残念。明日こそ」の定番反省文が増えるのか。