巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

"Mask" Melon(マスクメロン)とは、何ぞや?

2005-05-23 22:52:53 | 英語
先日、親戚からマスクメロンをもらった。

ちょうどよく熟したところで、週末に食べた。涙がでるほどおいしかった。いやこんなおいしいメロンは生まれてはじめてだった。さすが元果物専門店の目利きではある。しかし、家族のうち1名が食べごろのタイミングで旅行に行ってしまったため、この極上のメロンにありつけなかった。

それを哀れに思った別の家族が、スーパーで別の網目メロンを買ってきた。そのシールには「MASK MELON」の文字があった。

melon_1

家族一同大爆笑。実は、親戚からマスクメロンをもらった時点で、わたしがマスクメロンのつづりと、その意味を話していたからだ。(ふくしまゆみは、家庭においてもしばしばウンチクを語る。)

melon_2マスクメロンは、普通は "musk melon" とつづる。"musk" とはムスク(麝香)のことだ。「麝香のように良い香り」という意味らしい。しかし"mask melon" では「仮面メロン」になってしまう。

「いや、値札には『マスクメロン』ではなく、『アールスメロン』と書いてあるから、間違いではないかもしれない」「アールスメロンの英語名が "mask melon" なのだろう」と思って調べたら、「アールスメロン」は通称「マスクメロン」の品種名であるとのこと。

これではますますいけない。本物であるにもかかわらず、「仮面メロン」と銘打ってあっては、「まがい物っぽさ」が大爆発で、みずからグレードを落としてしまっている。

さてその昔、某果物店(わたしの親戚の店のことではない)のお使い物用の包装紙には、「Fresh Fruits」の文字のつもりで「Fresh Farts」("fart" の意味は各自で調べられたし)と印刷されたものがあったそうだ。某民放のラジオ英語講座の外国人講師がそれを見つけて、その果物店でせっせと果物を買っては包装紙で包んでもらっては、仲間うちで大受けしていたとか。

スペルにはくれぐれも気をつけよう。印刷に出す前に、もういちど辞書を引いたほうが良い。


「集合住宅でペットを飼う」ことについての、アレルギー持ちからの一考察

2005-05-20 22:38:07 | 日記・エッセイ・コラム
集合住宅でペットを飼うことについては、条件付きで賛成だ。最初から「ペット可」として、賃貸あるいは分譲された集合住宅では、飼っても良いと思う。

しかし、そうではない集合住宅について、「実際にペットを飼っている人たちがいるから」と言う理由で、本来は「ペット不可」なのに黙認したり、「ペット可」を追認することには反対だ。

「住人の中に動物嫌いの人がいるだろうから」というのもひとつの理由だが、それよりも動物を好きか嫌いかに関係なく動物に対してアレルギーを持っていたり、アレルギーを起こしやすい体質の人間にとって、ペットが周りにいる環境は死に至る健康上の問題となりうるからだ。

こういうアレルギー体質の人たちは、「ペット不可」だということも念頭において住居を選んでいるのであって、そこを「飼っている人が出てきたから」という理由で、後付けで崩されてはたまらないだろう。動物のフケや排泄物などをアレルゲンとした感作が成立して喘息の発作でも起こったら、命にかかわる場合もあるのだから。

昔むかし、友人から「弟が喘息になった。検査の結果、医者に『飼っているイヌが喘息の原因になっている』と言われて、困っている。」と相談されたことがある。ペット不可のマンションに、親子3人で住んでいる友人は社会人。弟さんは未成年なので、弟さんのひとり立ちは無理だった。

彼女はわたしに「イヌは家族の一員。だからなにがあろうと、このままイヌを飼い続けるべきだ。」と言ってほしかったらしい。

しかし、喘息の発作がいかにつらいものであるかを身をもって知っている(窒息死に至ることもある!)立場としては、「弟さんの健康のために、イヌを誰かかわいがってくれる人に預けたほうが良い。それにペット不可のマンションで、イヌを飼うのはよくない。」と、答えるしかなかった。

「そんなのイヤだ。誰かに預けるぐらいなら、わたしはイヌを連れて家を出る!」と、ボロボロと泣きながら、彼女はわたしに叫んだ。わたしは友人に「それなら一人でも暮らしていけるあなたが、イヌを連れて家を出たほうが良い。」と答えた。彼女が家を出て行くとしたら、行く先はどこかの集合住宅になるだろう。しかし当時、「ペット可」の集合住宅は皆無に近かった。そんなことは知ってはいたが、それでもこう答えるしかなかった。

わたしの答えに激怒した彼女はわたしに絶交を宣言し、以来彼女とは20年近く会っていない。

わたしは無類の動物好きだ。でも、典型的なアレルギー体質なので、アレルゲンになりうる動物との接触はなるべく避けねばならない。だからもし今、また誰かに同じことを相談されたとしたら、再び同じアドバイスをすると思う。

(本記事はOCNブログ人のトラ場 Vol.15「集合住宅でペットを飼う」に対するトラックバック記事です。


オーブントースター

2005-05-19 18:18:55 | ガジェット/モノ
先日、10年以上使用したオーブントースターが壊れてしまった。朝食をきちんととるのが主義のわたしとしては、一大事である。??ちなみにわたしのいつもの朝食は、パンに、プレーンヨーグルトに果物2種(そのうち1種類は必ずバナナ)に、大量のお茶 and/orコーヒーに、ポポンSにビタミンCだ。(え? 「最後のふたつは食事じゃない」って?)

さっそく新しいオーブントースターを買わねばなるまいよ。

こんなときは、まず価格.comで各オーブントースターの機能と評判と値段をリサーチ…

…のはずだけれど、このサイトはただいま例のハッキンング騒ぎで停止中。そこで、ネットで複数のサイトを見ながら、それなりの見当をつける。

その昔、オーブントースターといえば、「新しく一人暮らしを始めるなら用意したほうが便利」なものの筆頭だった。電子レンジは単機能レンジでも数万円する時代があり、とてもではないが、何かと物入りの一人暮らしの若者に買えるものではなかった。市販の揚げ物の温めなおしなどにそれなりに使えて、ただのポップアップ・トースターよりはパン料理の応用範囲が広くなるオーブントースターは、一人暮らしのクッキングの強い味方だった。

ちなみに、わが家にはじめてオーブントースターが来たときは感動した。30年ぐらい前の話だ。パンの上に具材を載せて焼けるのだから。そこでそのときに「ピザトースト」なるものを生まれてはじめて作ってみた。

しかしそのピザトーストはまがい物だった。材料がそろわなかったからだ。当時、その辺のスーパーにピザソースなんて売っていなかったので、トマトケチャップで代用。そしてピザ用のチーズ(モツァレラとゴーダのミックスが基本)なんていうものも売っていなかったので、いわゆる「とろけるチーズ」を使用。それに若干のピーマンの薄切りと、清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったサラミの薄切りをのせて焼けばでき上がり。それでもあの時は感激したなぁ。あんなにおいしいもの生まれてはじめてと思ったものだ。

さて、昔話もこのぐらいにして、今回わたしがオーブントースターに求めたポイントは以下の通りだ。
  • 色々な形のパンが焼ける

  • 外形の奥行きが28cm以内

  • 餅がおいしく焼ける

  • 温度調節がある手程度は可能

  • お手入れがしやすい

  • 予算は税込みで5,000円以内


ET-ST80最終的に、象印ET-ST80(=写真)に候補を絞って、昨日の夕方に近所の家電量販店へ行った。定価は8,400円だが、ここでの店頭価格は税込4,580円。ネットでは3,000円台で売っているところもあるが、送料を入れるとやはり5000円近くになるので、まぁ、妥当な買い物だろう。

それにしても、今回調べてわかったことは、オーブントースターという単純なものでも、それなりに進化してきているということだ。新しい製品は扉がはずして洗えるようになっているし、内部の網も餅焼きを考えた作りになっている。温度調節機能についても、昔とは比べものにならない。

昨晩、「明日の朝一に、新しいオーブントースターを最初に使うわたし」をイメージしながら、さっそく所定の位置にセット。ところが夜、わたしに先立ってオーブントースターを使う者が現れた。夜遅く、トースターで笹かまを焼いて食べている。ああ、最初にそのトースターを使うのは、わたしのはずだったのに…

しかし、新しいオーブントースターで焼いたパンのおいしいこと。そしてお昼に焼いて食べた餅のおいしいこと。さすが遠赤外線ヒーター。いや、前のトースターのコンディションが、悪すぎただけかもしれないが。


年をとった証拠

2005-05-17 23:37:35 | 日記・エッセイ・コラム
つい最近、また近視が進んでしまった。

コンタクトレンズの検査のたびに眼科で視力を測るのだが、そこで「さらに近視が進んでいますね。コンタクトの度を上げたほうがいいですね。」と言われた。

このところ、周囲の同世代の人間や、さらには下の世代の人間までが、「最近、近くのものが見えにくくなった」とぼやき始めているのを聞いているので、こう答えた。

「うーん。でも年齢を考えると、そろそろ遠くを見るより、近くをみる心配をしなければならないかもしれませんね。」

その答えを聞いて眼科検査技師は、わたしのカルテの生年月日を確認して尋ねた。

「最近、近くのものが見えにくくなったということはないですか?」

そういうことは今のところはないので、「ありません」と答えた。

検査技師は言った。「じゃあ、度を上げておきますね。いやぁ、まだいけますよ。」

なにが「まだいける」なのかわからないが、近視が進んでうれしいような気分になったのは、生まれてはじめてだ。こういう気分になること自体が、年をとったという証拠なのだが。


ノラネコとネコ好きとネコ嫌い

2005-05-16 22:43:18 | ノラネコ
以前「ノラネコと人間のいびつな関係」のなかで、地域のノラネコ問題を取り上げたことがあった。実は最近、その中に登場する通称「ネコおじさん」と話をする機会があった。

さて、わが家の前は大きな公園になっているが、公園の反対側にはかつて文化住宅形式の都営住宅があった。これを立て替えるため、1990年代前半にいったん住民が全員退去した。

ネコおじさんの話によれば、もともとノラネコがほとんどいない地域にノラネコが増えたのは、このときに都営住宅で飼っていたネコたちを、飼い主たちが退去に際してそのまま置いていったためらしい。残されたネコたちのかわいそうな様子をみてエサを上げる人が出たため、さらにネコは増えていったのだろう。たしかに都営住宅の住民の退去の時期と、この周辺でノラネコが増え始めた時期は、ほぼ一致する。

しかし、増えていくネコを快く思っていない人間ももちろん存在する。時には強硬手段に訴えるものもいるらしい。

おじさんの話によれば、数年前に公園をシマとするノラネコが、一夜にして8匹死んだことがあったとのこと。「その前の晩までまったく元気だったのに、朝に公園に来てみたら死んでいた。」という。夜中の公園でおじさんが「おまえらなんか、全員首切ってやる! 惨殺してやるよ! 一家惨殺だよ!」叫んでいたのは、おそらくこの事件がおこった直後だったと推測する。

ネコの大量死の話ははじめてきく話で、わたしにもショックだった。しかし1匹という単位でなら、ネコが変な死に方をしているのを見たことがある。30分前には何もなかった庭の真ん中や道の真ん中で、ネコが眠るように横たわって死んでいがことが過去に3回あった。(母は当初は、誰かが嫌がらせのために、わが家の庭に死んだネコを投げ入れたのだと思ったのだそうだ。)

ネコおじさんが公園から周囲の住民の様子を伺っているのには、つまりは「ネコに危害を加える人間は誰か」を見定めようとしているのだろう。ちなみにわが家では以前、父がノラネコに思い切り石を投げつけるという行動をとることがあったらしく、警戒されていたようだ。

また、「この地域ならネコが生きられる」ということで、ここへネコを置いていき、エサをあげに通ってくる人もいるらしい。

一方で、メスネコを獣医に連れて行って不妊手術を受けさせている人(あるいは人たち)がいる。複数のメスがいつのまにか不妊手術を受けており、かくいうゴキリョウ(おじさんは別の名前をつけている)も2~3日見かけないと思ったら、いつの間にか手術を受けた状態で戻っていた。

ノラネコをひきとって正式な「うちのネコ」としてきちんと飼っている家も、ご近所には存在する。その家を仮にAさんとする。どおりでAさんの家の庭には、いつも同じネコがでかい顔をして座っているわけである。(いやしかし、うちの玄関にもいつもネコがいる。飼っているわけではないのに。)

正直なところ、この近辺に住む住民とネコたちとの関係は、非常に微妙だ。わたしには共生の名案はない。現状ではネコ好きもネコ嫌いも「誰もが不満を抱えたまま、かろうじてガマンしている」という状態のようだ。

そんな中、「公園内での動物へのエサやり禁止の掲示」で取り上げたベンチの2枚の看板のうち、「ねこ等の動物を虐待し、または、捨てた者は、法律により罰せられます。」のほうはいつの間にかなくなってしまった。もともとこちらの看板は、A4の紙に印刷したものをパウチして、パンチで穴を開けてビニールでくくりつけただけという、簡素なつくりだったこともあるが…