いまから20年以上前、デニーズでアルバイトをしていたことがある。
そのころファミリーレストランは、日本人にとってはまだ新しいものだった。日本のデニーズはIY(イトーヨーカドー)グループが経営しているものの、アメリカのDenny's Resutaurantのシステムやメニューを大々的に取り入れて、今までにないレストランというイメージがあった。たしかファミレスの「コーヒーのおかわりが自由」というシステムは、デニーズが広めて、ファミレスのスタンダードにしたものだったと思う。
さて、今となっては笑えるが、当時のデニーズには、「メニューも食べ方もアメリカ式を守る」という金科玉条があった。
例えば、「トマトジュースやグレープフルーツジュースには、ストローをつけてはいけない」ことになっていた。それは、「ゴクゴク飲んでほしいから」であり、「ストローを使わないのがアメリカ式」だからだった。フレッシュジュースを注文したほぼ100%のお客様からストローがないと言われたが、気を利かせて最初からストローをつけることは、規則に反する行為だった。おかげで「ストローがついてないんだけど」と、お客様が不機嫌そうに言ってくるたびに、「申し訳ございませんが、これがアメリカ式でして…」と言い訳をしながら、ストローを取りに行くことになった。
料理に合わせて出す調味料類も、「アメリカ式」を守るあまり融通が利かないものが多かった。
モーニングの「卵を2個をお好みの焼き方で」食べるやつには、「ケチャップ類を持っていくこと」が決まりだった。なんでも、「目玉焼きは、黄身にケチャップ類をからめて黄身のソースを作り、そのソースを白身につけて食べるものだから」との説明を受けたが、目玉焼きを選んだお客様のほとんどが、醤油をご所望だった。
そこで、醤油を用意してあることはあるのだが、醤油注しに入っているものではなく、キッコーマンの海外向けボトル(キッコーマンの海外向けサイトを開くと、最初のページに出てくるようなやつ)を使用していた。これでは、「目玉焼きの黄身をちょっとだけ破って、微妙な加減で醤油をぽたぽた落として、ちょうどいい塩加減にする」などという細かい作業ができず、あまり評判がよろしくなかった。
「ラーメン」だの「まぐろ山かけ丼」だのがメニューにある現在のデニーズからは、隔世の感がある。
当時のデニーズの、最大限にアメリカ流を取り入れようとする努力は、よく言えば無邪気でほほえましかったが、今考えると気恥ずかしく、アメリカに対するコンプレックスの最たるもののひとつだったと思う。あのころアメリカ文化は、まだ日本人みんなの憧れだったのだ。
そのころファミリーレストランは、日本人にとってはまだ新しいものだった。日本のデニーズはIY(イトーヨーカドー)グループが経営しているものの、アメリカのDenny's Resutaurantのシステムやメニューを大々的に取り入れて、今までにないレストランというイメージがあった。たしかファミレスの「コーヒーのおかわりが自由」というシステムは、デニーズが広めて、ファミレスのスタンダードにしたものだったと思う。
さて、今となっては笑えるが、当時のデニーズには、「メニューも食べ方もアメリカ式を守る」という金科玉条があった。
例えば、「トマトジュースやグレープフルーツジュースには、ストローをつけてはいけない」ことになっていた。それは、「ゴクゴク飲んでほしいから」であり、「ストローを使わないのがアメリカ式」だからだった。フレッシュジュースを注文したほぼ100%のお客様からストローがないと言われたが、気を利かせて最初からストローをつけることは、規則に反する行為だった。おかげで「ストローがついてないんだけど」と、お客様が不機嫌そうに言ってくるたびに、「申し訳ございませんが、これがアメリカ式でして…」と言い訳をしながら、ストローを取りに行くことになった。
料理に合わせて出す調味料類も、「アメリカ式」を守るあまり融通が利かないものが多かった。
モーニングの「卵を2個をお好みの焼き方で」食べるやつには、「ケチャップ類を持っていくこと」が決まりだった。なんでも、「目玉焼きは、黄身にケチャップ類をからめて黄身のソースを作り、そのソースを白身につけて食べるものだから」との説明を受けたが、目玉焼きを選んだお客様のほとんどが、醤油をご所望だった。
そこで、醤油を用意してあることはあるのだが、醤油注しに入っているものではなく、キッコーマンの海外向けボトル(キッコーマンの海外向けサイトを開くと、最初のページに出てくるようなやつ)を使用していた。これでは、「目玉焼きの黄身をちょっとだけ破って、微妙な加減で醤油をぽたぽた落として、ちょうどいい塩加減にする」などという細かい作業ができず、あまり評判がよろしくなかった。
「ラーメン」だの「まぐろ山かけ丼」だのがメニューにある現在のデニーズからは、隔世の感がある。
当時のデニーズの、最大限にアメリカ流を取り入れようとする努力は、よく言えば無邪気でほほえましかったが、今考えると気恥ずかしく、アメリカに対するコンプレックスの最たるもののひとつだったと思う。あのころアメリカ文化は、まだ日本人みんなの憧れだったのだ。