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写真展「東京ポートレイト」

2011年09月25日 | 美術(11年)
           (「舞踏家、吉本大輔」)

 東京都写真美術館で開催されている鬼海弘雄氏の写真展「東京ポートレイト」を見てきました(~10月2日)。

 同展のHPによれば、「30年以上にわたって浅草の人々を撮り続けた肖像や、都市を独自の視点で写し出したシリーズにより、近年、国際的にも大きな注目を浴びている鬼海の初めての大規模な回顧展」で、「2本のシリーズから精選したモノクロ作品約200点を一堂に展示」しているとのこと(注1)。

 といっても、下記のような町のポートレイトは20点であり、その他はすべて人物像です。



 この写真は、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』を彷彿とさせますが、場所は戦前の「玉の井私娼街」ではなく、1989年の「豊島区池袋」。戦争中の「玉の井」に比べたら随分と整ってはいるでしょうが、20年前の東京にもこうしたところがまだあったのだと驚かされます。

 他の人物のポートレイトについても、20年~30年前の浅草には、とても今の新宿や渋谷ではお目にかかれないこうした人達が、実際にまだ歩いていたのだ、と思うと感慨深いものがあります(注2)。


(「眼の鋭い老人」)

 この写真展が面白いのは、写真を通して様々の愉快な人々に出会えるだけでなく(注3)、各々の写真に付けられているキャプションがユニークで(注4)、両者が合わさって被写体の人物が今にも動き出す感じがします。
 そうしたところから、写真展を見始めた頃は、これもノスタルジアを狙ったものなのかな、ある意味で「幽霊」写真展ではないのかな、などとと思っていました。
 特に、このところ、『東京公園』とか『ゴーストライター』といった映画を見るたびに、登場人物は誰も皆「幽霊(ゴースト)」ではないのか、と思わされることもあって、この写真展もそうした観点から捉えられるのでは、と思っていました。
 ですが、ズーッと写真を見ていく内に、実はこれらの人達の方が本当に生きているのであって、3.11以降の重苦しい気分から抜けきれずに写真を見ている我々の方がむしろ「幽霊」なのかもしれないな、と思うようになってしまいました。


(注1)鬼海氏の今回の写真を見て、「20世紀前半のドイツを完璧にフォローする《時代の肖像》を大胆に、繊細に、精力的に撮り続けた」とされるアウグスト・ザンダーを思い出しました〔伊藤俊治著『写真都市』(冬樹社、1984年)P.176〕。


(「Village Schoolteacher」)

 ただ、写真展のHPには、鬼海氏は、「さまざまな職業を転々とする中、ダイアン・アーバスの作品との出会いが大きな転機をもたら」した、とあります。


(「Child with Toy Hand Grenade」)

 上記伊藤氏の著書には、アーバスは、「常に分類できない人、測り難い人を被写体とした。それがまさに自己同一性を持つ「唯一者」であり、彼女の唯一無二の欲望に奇跡的なまでにぴったりと呼応する特別なイメージであり、自らを映す鏡であったからこそ、アーバスはそれを撮ったのだ」と述べられています(P.290)。
 鬼海弘雄氏の写真集『東京ポートレイト』(株式会社クレヴィス)に掲載されている山形美術館学芸課長・岡部信幸氏のエッセイに、「鬼海は写真に写った人々を「自分自身の他者」」と述べているとありますが、あるいはそんな点でアーバスと通じるのかもしれません。

(注2)あるいは、「浅草」という土地柄によるのかもしれません。
 上記注の岡部氏のエッセイでは、引き続いて、「鬼海にとって、浅草は、個々の人間からより普遍的な人間性を写真で表現することを可能にする「特殊な場所」となる。鬼海は、浅草という限定した場所で、そこに吸い寄せられて往来する人を眼差すことによって、写真を超えた「世界のへそ」につながることを求めている」と述べられているところです。
 少なくとも、東京の西部で長年暮らす者にとって、浅草は、行くたびに異界を感じてしまう「特殊な場所」であることは間違いありません。

(注3)そんなところから、荒木経惟氏が最近精力的に展開している「日本人ノ顔」プロジェクト―「全国47都道府県すべての地域に暮らす人びとを撮影し、総計数万人の日本人の肖像を記録しようとする」試みとされます―の写真とも通じるところがあるのかな、と最初は思いましたが、鬼海氏の写真は、あくまでも「浅草」という場所、そして写真家自身の内面に深く拘ったものという点で、むしろ荒木氏の写真の対極に位置するのではないか、と思っています。


(「広島の顔」)

(注4)HPに掲載されているものの他には、例えば、「ヒールの高いサンダルを履く人」、「何年かぶりで会った物静かな労務者」、「当分、晴天が続くという婦人」など。


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