『LOOPER/ルーパー』を渋谷東急で見ました。
(1)評判のSF物ということで映画館に足を運びました。
物語の主人公・ジョー(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)は、30年後の「未来」(2074年)からタイムマシンで送り込まれてくる人物を銃で殺す作業をする「ルーパー」の一人。
2074年においては、殺人が不可能の世界となっているために、その時代の悪の組織を取り仕切っているレインメーカーは、消すべき敵を30年前の世界に送り込んでルーパーに殺してもらうというわけです。
ある時、ジョーは、自分が処理すべき相手が「30年後の自分(オールド・ジョー)」(ブルース・ウィリス)であることが分かります。そのためヤング・ジョーはうまく銃を撃てず、オールド・ジョーは逃げ去ってしまいます。
そうなると、掟によりヤング・ジョー自身が殺されてしまいます。
そこで彼は、必死になってオールド・ジョーを探すのですが、オールド・ジョーが30年前の世界にやってきたのには理由がありました。
さてどんなわけなのでしょうか(注1)?
そして、はたしてヤング・ジョーはオールド・ジョーを消し去ることができるでしょうか?
タイムトラベル物は、どんなに工夫しても原理的に問題を持ってしまうと考えられますが(未来の者が過去に現れて過去の者とコミュニケーションを持てば、その時点でそれは過去ではなくなってしまいます。そしてコミュニケーションを持たないのであれば、物語に仕立てる意味がなくなってしまいます)、そんなところに余りこだわらずに本作を見れば、なかなか楽しめる作品ではないかと思いました。
主演のジョゼフ・ゴードン=レヴィットは、『ハーフ・デイズ』に出演していましたが、本作では、30年後の自分であるブルース・ウィリスに外観を合わせるべく随分とメーキャップ等をしています(注2)。
また、同じルーパーでジョーの友人のセス役を、『ルビー・スパークス』のポール・ダノが演じています(注3)。
さらに、物語の鍵を握る女・サラ(注4)に、『砂漠でサーモン・フッシング』に出演したエミリー・ブラントが扮しています。
本作の出演者は皆、その持ち味をいかんなく発揮していると思いました。
(2)タイトルが「ルーパー(looper)」となっているため、「ループ(loop)」とどのような関係があるのかと気になります(注5)。
おそらくは、こんなことではないでしょうか。「現在」の「ルーパー」は、30年後の「未来」から送られてくる“未来の自分”をたちどころに始末しなくてはなりませんが、そうする「ルーパー」は、その時点から30年間は必ず生きているわけです。そうして30年経過すると、またもやその“未来の自分”が30年前の過去に送られて、そこには“過去の自分”が必ず存在して、その自分に射殺されるものの、銃を放つ自分はまた30年生きて、云々ということになるのでしょう。
この繰り返しを指して「ループ(loop)」といい、それに荷担するジョーたちを「ルーパー(looper)」というのでしょう。
とすればこの物語は、ちょうど最近刊行された浅羽通明氏の『時間ループ物語論』(洋泉社、2012.11)の対象範囲に入ってくるのではないかと考えられます(注6)。
同書は、早稲田大学教育学部国文科で同氏が行った講義の一部であり、「時間ループという特異な現象、これを扱った物語を題材として、日本の現代を生きる私たちが抱いている価値観、人生観の一断面へ迫ってみ」るという狙いのもとに、議論が進められています(P.6)。
ここでは、クマネズミが興味を持った少々の事柄について、同書と本作との関連性を調べてみましょう(分厚い本でもあり、随分とおざなりなものになってしまいますが)。
例えば、同書においては、時間ループ物語には「時間ループ現象の苦しみを主に描くタイプと、時間ループ現象の利点を描くタイプとがあるよう」だと述べられています(P.20)(注7)。
ただ、本作におけるヤング・ジョーは、その作業に疑問を持つこともなく淡々とルーパーとしての仕事をこなしていて、むしろ、得られる報酬をため込んでフランスに移住する夢を実現しようと頑張っている感じです。
こうなるのも、ループに巻き込まれている当事者たちの意識に差があるからではと思われます。
本作のジョーは、「ルーパー」との自覚はあるものの、時間ループの中に巻き込まれているという意識は持っていないようです。
他方、同書で取り上げられる作品において当事者たちは、自分たちが時間ループの中に巻き込まれているとの意識を次第に持つに至ります(注8)。それで、「多くの場合、主人公は時間ループを抜け出そうとじたばた奮闘」することになります(同書P.19)(注9)。
とはいえ、以上の比較は、本作においてヤング・ジョーが独りでいる間のことであり、オールド・ジョーが登場しヤング・ジョーとコンタクトをとるようになってくると変更せざるをえないでしょうが、そしてそれは大層興味深いことと思われますが、長くなり過ぎてしまいますのでそれはまたのちの機会といたしましょう(注10)。
(3)渡まち子氏は、「今の自分と未来の自分が出会う前代未聞のSFタイムトラベルの秀作「LOOPER/ルーパー」。最大の見所は無気力な主人公の心の成長だった」として75点をつけています。
また、前田有一氏も「そこそこ頭を使うものの、それほど難解でもない。正月明けにみるにはほどほどの、やや知的な大人SF」として80点をつけています。
(注1)オールド・ジョーが結婚した女(サマー・チン)は、彼が掟に従ってレインメーカーの手下に捕えられる際、流れ弾に当たって死んでしまいます。彼は彼女を深く愛していたために、タイムマシンで過去に遡り、レインメーカーを抹殺することで彼女の死を取り消そうとします。
(注2)いくらメイクをしても元々の顔形がかなり違うのですから、そんなことまでしなくてもという感じです(違和感だけが残ります)。
なお、ブルース・ウィリスについては、最近では『RED/レッド』や『トラブル・イン・ハリウッド』で見たくらいです。
(注3)セスは、30年後の自分を殺す羽目になった時に酷く取り乱してしまい、エイブ(ジェフ・ダニエルズ: 30年後の「未来」からレインメーカに送り込まれた者で、ルーパーを支配下に置いています)の追手から逃れるべくジョーに匿ってもらおうとしますが、『ルビー・スパークス』でルビーに手を焼くカルヴィンを思い出しました。
(注4)サラは、レインメーカーと同じ年月日に同じ産院にいた三人の新生児のうちの一人・シドを育てていたことから(シドは、サラの姉の方が本当の母親だと言い張りますが)、オールド・ジョーにつけ狙われることになります。
(注5)なお、looperはloopの派成語でしょうが、鳩山元総理に付けられたあだ名loopyも同じ派成語のようです!
(注6)本書全体については、このサイト記事が大変興味深く紹介しています。
(注7)同書では、前者の例として、北村薫『ターン』とかR・R・スミス『倦怠の檻』等々が挙げられ、後者の例として、アニメ『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』などが挙げられています。
(注8)たとえば、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年)においては、まず主人公・諸星あたるの担任教師・「温泉マーク」が、「学園祭の前日」が毎日繰り返されているのではという大層おかしな感じに囚われます。
(注9)ただし、ここには問題があります。同書が指摘するように、「意識と記憶が連続しているとすると、人間だったら、何か意志的な行動を試みて次のループをこれまでとは違うものに変えようとするでしょう」、「でも、それができるとなると、もう厳密には時間ループとは言えないんじゃないか」、「逆に、意識と記憶の連続がなく、それも一日前とかに還元されてしまうとなると、当人たちはまったくループに気づく可能性がなくなる。そもそも時間ループという怪現象が意識されることもないでしょうし、苦しみもつらさもありえないことになりましょう」(P.34)。
(注10)本作においては、オールド・ジョーが登場し、それをヤング・ジョーが追いかけます。そして、ヤング・ジョーは、オールド・ジョーを見つけ出し、掟に従って射殺しようとしますが、そこで彼を射殺するとこのループ(シドが成長してレインメーカーとなって、そして……)がまた繰り返されると悟って、銃を自分自身に向けて放ちます。
ここで注目されるのが、シドがレインメーカーとなるループを断ち切ろうとして、ヤング・ジョーがとる行動です。これは、彼のサラとシドに対する深い愛情によると考えられるのであれば、同書が、恋愛を「時間ループ」を終わらせる要因として捉えていることにあるいは通じているのかもしれません〔例えば、「『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は、ラムの一方的な独善的恋愛ユートピア提示でできあがった時間ループ小世界が、あたるの応答(「いちばん好きなのはラムだ」)により相思相愛と確認することで終わる物語」だとされます:P.95〕。
そして、以後のサラとシドにとって、同書でいう「直線的時間」(「毎日のくりかえし、毎週、毎月、季節のめぐり……」のような「円環的時間」ではなく、「人が生まれ育ち老いて死ぬプロセス」のような「不可逆」の時間:同書P.268~)が進行することになるのでしょうか?
★★★☆☆
象のロケット:LOOPER/ルーパー
(1)評判のSF物ということで映画館に足を運びました。
物語の主人公・ジョー(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)は、30年後の「未来」(2074年)からタイムマシンで送り込まれてくる人物を銃で殺す作業をする「ルーパー」の一人。
2074年においては、殺人が不可能の世界となっているために、その時代の悪の組織を取り仕切っているレインメーカーは、消すべき敵を30年前の世界に送り込んでルーパーに殺してもらうというわけです。
ある時、ジョーは、自分が処理すべき相手が「30年後の自分(オールド・ジョー)」(ブルース・ウィリス)であることが分かります。そのためヤング・ジョーはうまく銃を撃てず、オールド・ジョーは逃げ去ってしまいます。
そうなると、掟によりヤング・ジョー自身が殺されてしまいます。
そこで彼は、必死になってオールド・ジョーを探すのですが、オールド・ジョーが30年前の世界にやってきたのには理由がありました。
さてどんなわけなのでしょうか(注1)?
そして、はたしてヤング・ジョーはオールド・ジョーを消し去ることができるでしょうか?
タイムトラベル物は、どんなに工夫しても原理的に問題を持ってしまうと考えられますが(未来の者が過去に現れて過去の者とコミュニケーションを持てば、その時点でそれは過去ではなくなってしまいます。そしてコミュニケーションを持たないのであれば、物語に仕立てる意味がなくなってしまいます)、そんなところに余りこだわらずに本作を見れば、なかなか楽しめる作品ではないかと思いました。
主演のジョゼフ・ゴードン=レヴィットは、『ハーフ・デイズ』に出演していましたが、本作では、30年後の自分であるブルース・ウィリスに外観を合わせるべく随分とメーキャップ等をしています(注2)。
また、同じルーパーでジョーの友人のセス役を、『ルビー・スパークス』のポール・ダノが演じています(注3)。
さらに、物語の鍵を握る女・サラ(注4)に、『砂漠でサーモン・フッシング』に出演したエミリー・ブラントが扮しています。
本作の出演者は皆、その持ち味をいかんなく発揮していると思いました。
(2)タイトルが「ルーパー(looper)」となっているため、「ループ(loop)」とどのような関係があるのかと気になります(注5)。
おそらくは、こんなことではないでしょうか。「現在」の「ルーパー」は、30年後の「未来」から送られてくる“未来の自分”をたちどころに始末しなくてはなりませんが、そうする「ルーパー」は、その時点から30年間は必ず生きているわけです。そうして30年経過すると、またもやその“未来の自分”が30年前の過去に送られて、そこには“過去の自分”が必ず存在して、その自分に射殺されるものの、銃を放つ自分はまた30年生きて、云々ということになるのでしょう。
この繰り返しを指して「ループ(loop)」といい、それに荷担するジョーたちを「ルーパー(looper)」というのでしょう。
とすればこの物語は、ちょうど最近刊行された浅羽通明氏の『時間ループ物語論』(洋泉社、2012.11)の対象範囲に入ってくるのではないかと考えられます(注6)。
同書は、早稲田大学教育学部国文科で同氏が行った講義の一部であり、「時間ループという特異な現象、これを扱った物語を題材として、日本の現代を生きる私たちが抱いている価値観、人生観の一断面へ迫ってみ」るという狙いのもとに、議論が進められています(P.6)。
ここでは、クマネズミが興味を持った少々の事柄について、同書と本作との関連性を調べてみましょう(分厚い本でもあり、随分とおざなりなものになってしまいますが)。
例えば、同書においては、時間ループ物語には「時間ループ現象の苦しみを主に描くタイプと、時間ループ現象の利点を描くタイプとがあるよう」だと述べられています(P.20)(注7)。
ただ、本作におけるヤング・ジョーは、その作業に疑問を持つこともなく淡々とルーパーとしての仕事をこなしていて、むしろ、得られる報酬をため込んでフランスに移住する夢を実現しようと頑張っている感じです。
こうなるのも、ループに巻き込まれている当事者たちの意識に差があるからではと思われます。
本作のジョーは、「ルーパー」との自覚はあるものの、時間ループの中に巻き込まれているという意識は持っていないようです。
他方、同書で取り上げられる作品において当事者たちは、自分たちが時間ループの中に巻き込まれているとの意識を次第に持つに至ります(注8)。それで、「多くの場合、主人公は時間ループを抜け出そうとじたばた奮闘」することになります(同書P.19)(注9)。
とはいえ、以上の比較は、本作においてヤング・ジョーが独りでいる間のことであり、オールド・ジョーが登場しヤング・ジョーとコンタクトをとるようになってくると変更せざるをえないでしょうが、そしてそれは大層興味深いことと思われますが、長くなり過ぎてしまいますのでそれはまたのちの機会といたしましょう(注10)。
(3)渡まち子氏は、「今の自分と未来の自分が出会う前代未聞のSFタイムトラベルの秀作「LOOPER/ルーパー」。最大の見所は無気力な主人公の心の成長だった」として75点をつけています。
また、前田有一氏も「そこそこ頭を使うものの、それほど難解でもない。正月明けにみるにはほどほどの、やや知的な大人SF」として80点をつけています。
(注1)オールド・ジョーが結婚した女(サマー・チン)は、彼が掟に従ってレインメーカーの手下に捕えられる際、流れ弾に当たって死んでしまいます。彼は彼女を深く愛していたために、タイムマシンで過去に遡り、レインメーカーを抹殺することで彼女の死を取り消そうとします。
(注2)いくらメイクをしても元々の顔形がかなり違うのですから、そんなことまでしなくてもという感じです(違和感だけが残ります)。
なお、ブルース・ウィリスについては、最近では『RED/レッド』や『トラブル・イン・ハリウッド』で見たくらいです。
(注3)セスは、30年後の自分を殺す羽目になった時に酷く取り乱してしまい、エイブ(ジェフ・ダニエルズ: 30年後の「未来」からレインメーカに送り込まれた者で、ルーパーを支配下に置いています)の追手から逃れるべくジョーに匿ってもらおうとしますが、『ルビー・スパークス』でルビーに手を焼くカルヴィンを思い出しました。
(注4)サラは、レインメーカーと同じ年月日に同じ産院にいた三人の新生児のうちの一人・シドを育てていたことから(シドは、サラの姉の方が本当の母親だと言い張りますが)、オールド・ジョーにつけ狙われることになります。
(注5)なお、looperはloopの派成語でしょうが、鳩山元総理に付けられたあだ名loopyも同じ派成語のようです!
(注6)本書全体については、このサイト記事が大変興味深く紹介しています。
(注7)同書では、前者の例として、北村薫『ターン』とかR・R・スミス『倦怠の檻』等々が挙げられ、後者の例として、アニメ『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』などが挙げられています。
(注8)たとえば、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年)においては、まず主人公・諸星あたるの担任教師・「温泉マーク」が、「学園祭の前日」が毎日繰り返されているのではという大層おかしな感じに囚われます。
(注9)ただし、ここには問題があります。同書が指摘するように、「意識と記憶が連続しているとすると、人間だったら、何か意志的な行動を試みて次のループをこれまでとは違うものに変えようとするでしょう」、「でも、それができるとなると、もう厳密には時間ループとは言えないんじゃないか」、「逆に、意識と記憶の連続がなく、それも一日前とかに還元されてしまうとなると、当人たちはまったくループに気づく可能性がなくなる。そもそも時間ループという怪現象が意識されることもないでしょうし、苦しみもつらさもありえないことになりましょう」(P.34)。
(注10)本作においては、オールド・ジョーが登場し、それをヤング・ジョーが追いかけます。そして、ヤング・ジョーは、オールド・ジョーを見つけ出し、掟に従って射殺しようとしますが、そこで彼を射殺するとこのループ(シドが成長してレインメーカーとなって、そして……)がまた繰り返されると悟って、銃を自分自身に向けて放ちます。
ここで注目されるのが、シドがレインメーカーとなるループを断ち切ろうとして、ヤング・ジョーがとる行動です。これは、彼のサラとシドに対する深い愛情によると考えられるのであれば、同書が、恋愛を「時間ループ」を終わらせる要因として捉えていることにあるいは通じているのかもしれません〔例えば、「『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は、ラムの一方的な独善的恋愛ユートピア提示でできあがった時間ループ小世界が、あたるの応答(「いちばん好きなのはラムだ」)により相思相愛と確認することで終わる物語」だとされます:P.95〕。
そして、以後のサラとシドにとって、同書でいう「直線的時間」(「毎日のくりかえし、毎週、毎月、季節のめぐり……」のような「円環的時間」ではなく、「人が生まれ育ち老いて死ぬプロセス」のような「不可逆」の時間:同書P.268~)が進行することになるのでしょうか?
★★★☆☆
象のロケット:LOOPER/ルーパー
タイムトラベルものは好きですが、台詞にもあったようにパラドックスには“触れない”ことが華でしょう。
とはいえ、いくつか疑問点が…
まず2074年ではタイムマシンは完成しているが使用禁止で悪の組織だけが非合法に使っているようだが、誰がどのような理由で送られる人間を選ぶのか。つまり不都合な相手を“殺す”ことができないから過去に送って殺させる。この映画では30年前の決められた時空間に突然現れ瞬時に殺される。過去の殺し屋に、いつ誰を送るかを誰がどのような手段で連絡するのか。つまり誰かは自在に時間移動できないと指示できないはずだが30年前にタイムマシンはあったのか。タイムトラベルが危険だから使用禁止になったという説明があったからあったかもしれないが映画ではなさそうだし、あれば話がややこしくなるが…
次にオールド・ジョーは自分の意志で(送られる何かをして)過去に戻る。その目的は妻が“殺された”から30年前に戻って将来ボスになる子供を殺し、妻が死なないようにする。あれっ?当然2074年でも人間は不死身じゃないから“殺人”じゃなく自殺や事故死はある。つまり妻は“殺された”のではなく“流れ弾”による事故死(?)として処理されるのか(そうは見えなかったが)。そもそも殺人が不可能なら武器など存在しないはずだが。
それはそれとして、ボスが子供のうちに死ねば(一応)30年後の妻は死ななくて済むだろうが、違う時間軸を進むのだからヤング・ジョーは“絶対”中国ではなく“フランス”に行くはずで妻と出会う可能性は限りなくゼロに近い。そして30年前の現在にタイムマシンが存在しなければ妻が生きている未来に戻ることはできないからオールドジョーは、再び別の30年を生きて(何歳になってる?)中国に行ったとしても若い妻は相手にもしてくれないだろう。つまりオールド・ジョーの目論見が理解できない。
あと多くの場所で、例えば渡まち子氏は「“同じ時に同じ者が同時に存在してはならない”というタイムトラベルのセオリーをあっさりと破ってみせるのが刺激的”」と同一人物が同一時空間に存在することが暗黙のルールのように書いているが『バック・トゥー・ザ・フューチャー』を筆頭にいくらでもあったはずだが…
もしオールド・ジョーがジョン・マクレインのように強ければ(マーティ・マクフライがドクがテロリストに殺される10分前に行って助けようとしたように)タイムマシンを奪って妻が殺される少し前に戻れば助けられるはずだが。
ちなみに書いた『BTTF』の場面でマーティは逃げる“自分”を眺めています。そして『BTTF2』以降では同時に存在しない、つまり顔を合わせないために隠れて同時に存在します。
この観点から見ての最高傑作は『ビルとテッドの地獄旅行』です。明日から来た自分と対面して驚く自分に“明日になれば分かる”と言うのです。
タイムトラベル物で突っ込みを入れると本当に際限がなくなりますね!
30年後の世界では殺人が行われていないとされながらも、ご指摘のように、オールド・ジョーの妻は銃で殺されますし、オールド・セスもレインメーカーの部下に殺されたりします。
また、シドを殺して未来を変えようとするオールド・ジョーは、おっしゃるように、タイムマシンがないとしたらいったいこの先どうするのでしょうか(ヤング・ジョーと一緒の生活?)?
なお、「過去の殺し屋に、いつ誰を送るかを誰がどのような手段で連絡するのか」とありますが、「未来」にいるレインメーカーが、「過去」に派遣したエイブと何らかの方法で連絡を取るのではないかと思われます。
その頃(2074年?2044年?)には、完璧な自動翻訳機はまだ出来ていないにせよ(ジョーは一生懸命フランス語を勉強しています)、時空を越えた通信手段くらいはおそらく開発されているのでしょう!
『ビルとテッドの地獄旅行』は未見ですので、早速TSUTAYAに行って探してみます。
思いながら観に行きましたので、銀と金&余生の設定、上手いな~と思いました。
過去を変えようと未来からやってきたオールドジョンには、
大切な人との記憶の消滅や遂には自分自身のあったはずの人生も失うペナルティが。。。
そう考えると過去と未来がクロスするのは禁じ手なのかも?と思いました。
なにはともあれ、面白かったので、良かったです♪。
シドを殺しても現代から消える保証はありませんけど、ヤング・ジョーがサラを殺さなかったからと言ってシドが良い子になる保証はないのと一緒かも。
ところで、クマネズミさんの記事を読んでいて「火の鳥」の「八百比丘尼」を思い出しました。
あれはまさしく時間ループの中に閉じ込められる話でした。
粉川哲夫氏の文章を見ると殺人が“不可能”なのは瞬時に死体を関知される(つまり犯人が分かる?)から。だからタイムマシンを使って異次元に送る(完全に消滅)ことで抹殺する。つまりその世界では“殺人”は存在しなかった。
であれば、やはり殺人道具としての銃器は存在しないはずだが、まったく殺意がなくても間違いやはずみでで結果的に殺してしまうこともありうるし人間が不死でない限り“殺人の存在しない世界”などあり得ないだろう。
亡霊なども含め同一人物が同一空間に複数登場すること自体は珍しくないが、その2人が協力したり敵対したりして活躍する映画はあまり記憶にないから、そのアイディアは面白いと言える。
ちなみに生物が“不老不死”ではなく“死すべき存在”になったのは多細胞になり分裂して増えることから“子孫を作って死ぬ”存在になったそうです。
さらに関係ないがニュースなどを見ると変死体が発見され容疑者が逮捕されるとき普通は殺人容疑ではなく死体遺棄容疑になっている。犯人が別人であれ殺人が行われたことが確かなら“容疑”なのだから殺人でいいと思うのだが、あるいは単純に再逮捕によって拘留期間を延ばすためなのかもしれないが。
タイムトラベル物ですからいろいろの問題点が出てきて
しまいますが、クマネズミもお話自体はなかなか面白い
なと思いました。
確かに、シドを殺せばレインメーカーは存在しなくなるのですから、オールド・ジョーも「30年前の過去」に来なかったことになり、現代から消えてしまうのでしょうが、レインメーカーが存在しないということは何を意味するのかを考えると頭が混乱してきます。というのも、オールド・ジョーが最愛の妻を見出すのも、ルーパーとしての蓄えによって中国に行ったからでしょうし、そのルーパーの仕事はレインメーカーによって作り出されているのですから!
なお、『火の鳥』の「八百比丘尼」についての貴重な情報をありがとうございます。昔読んだだけで忘れてしまったのでWikipediaで調べてみると、八百比丘尼は、「無限に繰り返す時間の中に閉じ込められ、永遠に若い頃の自分に殺され続けるという宿命を負わされる」ようですね。
さらにいえば、「「未来編」は物語の始まりである「黎明編」に続くため作品自体が無限に繰り返すような作りになっている」とのことですから、『火の鳥』全体が時間ループ物語といえるのかもしれません!
確かに、本作の同一人物の「2人が協力したり敵対
したりして活躍する」というアイディアはすごく面白い
と思いました。
なお、2074年において「殺人が“不可能”なのは瞬
時に死体を関知されるから」というのであれば、殺し
た死体を直ちに「30年前の過去」に送り込んで処理
してもらえばいいのではないかとも考えられますが?
まあそれはともかく、逆に、生物であっても単細胞で
あれば「寿命(老化)による死という概念が無い」そう
ですね。
いずれにしろ同じ時間が繰り返されるという意味ではループといえるかも。