遅ればせながら『夫婦フーフー日記』を新宿ピカデリーで見ました。
(1)佐々木蔵之介と永作博美が出演しているというので映画館に行ったものです。
本作(注1)の冒頭では、ヨメのユーコ(永作博美)が大きなハンバーガーを食べています。
そして、ダンナのコウタ(佐々木蔵之介)が、「清水です。私達は、共通の友人を通して知り合いました」と話し始めます。
ユーコは、書店で働いており、本が大好きで、「おすすめ新刊コーナー」をセッティングしたりします。
コウタは、音楽系の雑誌の編集者で、ロックバンドのインタビューなどをしていますが、実際は作家を目指しています。
次いで画面は、飲み屋で皆がわいわいがやがや騒ぐシーン。
その中で、例えば、ユーコは、コウタに向かって「新人賞に落選したからと言って何だ。とにかく書け。書かなければ、一生、作家になんかなれないよ」と励ましたり、オザケンを巡ってユーコとコウタの意見が一致したりします。
そればかりか、酔いつぶれたユーコを、コウタはオブっておぶって連れて帰り布団に寝かしたこともあります。
でも、ダンナの話によれば、「色恋の関係になったことは、一度もなかった」とのこと。
ダンナが、またしゃべります。「あいつが故郷の福島に帰ってからも、いくどとなく電話した。そして、あいつがある時、「あたし、お見合いするかもしれない」と言った時、決断した。プロポーズするために高速バスに乗り込んだ」。
バスの中で、コウタがプロポーズの言葉を紙に書いていると、バスが急に停まったような感じとなり、突然画面は暗転します(注2)。
そして、冒頭の場面となって、ヨメがハンバーガーを食べています。
ダンナが、「あの時から1年9ヶ月が過ぎました。1ヶ月前、ヨメは直腸がんで亡くなりました。一人息子を残して亡くなったのです」と話して、タイトルクレジット。
さあ、これからどんなお話を映画で見ることができるのでしょう、………?
17年間友だち関係だった二人が結婚し、子供もできたと思ったら1年半くらい(493日間)で妻の方が直腸がんで亡くなってしまうのですが、その間の夫婦の生活ぶりを、夫の目には蘇っている妻と一緒に眺め直すという設定になっています。着想は面白いとはいえ、それ以上のものでもそれ以下のものでもなく、この同じ設定が何度も繰り返されるために、コメディタッチではあるものの、全体として単調な感じとなっています(注3)。
(2)本作の原作は『がんフーフー日記』(小学館:未読)ですが、同書は、ライターの清水浩司氏(「ダンナ」)とその妻(「ヨメ」、元書店員)が「川崎フーフ」の筆名で綴った闘病ブログ「がんフーフー日記」を書籍化したものです(注4)。
その映画化にあたっては、大きな工夫が凝らされています(注5)。
確かに、結婚直後に妊娠が判明しながら、同時にヨメの直腸にがんが見つかったら、夫婦にとっては、まさに驚天動地の出来事でしょう。でも、それだけで映画にするには、今一インパクトに欠けます。そこで、亡くなったヨメがこの世に蘇りダンナだけに見えるというフィクションを加えることによって、作品を盛り上げようとしているのでしょう。
こうした工夫は、例えば昨年末に見た『想いのこし』のように、いろいろ前例はあります。
でも、それはあくまでも枠組みのことであり、スクリーンに描き出されるダンナとヨメの物語自体にインパクトのあるストーリー性がないのであれば、やはり全体として平板なものになってしまうように思います。
ただ、元のお話にそうした題材がないわけではないようにも思われます。
例えば、二人の子供の「ぺ~」の誕生ということもあるでしょう(注6)。
とはいえ、この場面はもっと盛り上げが可能な気がするものの、映画では、あまり説明抜きにいきなり帝王切開のために手術室に入るヨメが映し出され、そして保育器内の赤ん坊の姿ということになってしまいます。
また、結婚式の場面。区役所に婚姻届を提出することで済ませていた二人に(注7)、周りの人たちがサプライズとして結婚式をプレゼントするというものです(注8)。
ですが、ギテー(高橋周平)がうっかり口を滑らせてしまったことで、サプライズ効果は削がれてしまいます。まあ、別にそんなことがなくとも、連れて行かれた場所とか、用意された衣装などから、すぐに二人に気付かれてしまうことでしょう。とすると、この場面も、確かに病気が進行して座ったままのヨメが登場するなど感動的ではあるとはいえ、よくある入籍後の結婚式の域を出ないように思われます。
さらには、ヨメの死も挙げられるでしょう(注9)。
でも、ダンナは、退職する仕事の引き継ぎのために上京していて、慌てて福島に戻るものの、肝心なヨメの死に目には間に合いません。
こうした盛り上がりの見られそうな場面がいともアッサリと描かれている上に、それらの場面をダンナと蘇っているヨメとが客観的に眺めて論評を加えるだけですから、全体として平板な感じが否めなくなってしまいます。
これに対して、先に挙げた『想いのこし』では、死んだ母親役の広末涼子がポールダンスを披露するとか、そればかりか本田ガジロウ(岡田将生)というキャラクターを設け、死んでしまった4人が、彼を通じて「想いのこし」たことを実現してもらう、というストーリーにして、作品にインパクトを与えようとしています。
本作は、ノンフィクションの原作があり、それに亡くなったヨメが蘇るというフィクションを付け加えたものですから、突飛なストーリー展開にする訳にもいかないのでしょう(注10)。
でも、悲しいお話である原作を、コメディタッチの映画に仕上げているのですから、もう一工夫あればな、と残念な気がしたところです。
(3)渡まち子氏は、「切なくも可笑しい夫婦の物語は、“死”を終わりではなく、再生の第一歩として描くことでポジティブな後味を残してくれた」として60点をつけています。
(注1)監督は、『婚前特急』の前田弘二。
脚本は、『予告犯』の林民夫(前田監督も)。
(注2)後で、死んでいるヨメがダンナに、「実は死んでいるのは私じゃなくてあんたなの」と言うシーンがあり、その際この場面を思い出すと、観客は、あるいはそうなのかもしれない(さらには、もしかしたら、本作では、“生きていると思っている者は、実は死んでいるのだ”などといった“深遠な”思想が語られているかもしれない)と思ってしまいます。でも、これは監督の単なるジョークではないかと思われます。
(注3)出演者の内、最近では、佐々木蔵之介と永作博美は『ソロモンの偽証(後篇・裁判)』、杉本哲太(本作では、ダンナのよき相談相手とのことですが、実際のところはダンナとの関係がよくわかりません)は『2つ目の窓』、ヨメの親友役の佐藤仁美は『ちょんまげぷりん』で、それぞれ見ました。
(注4)Wikipediaの『がんフーフー日記』の項によります。
なお、原作本は、ブログの文章をそのまま書籍化したものではなく、例えば、同ブログのこのエントリによれば、「書籍では、彼女の残したメールや日記から、その文章を大幅に追加し」、その結果「文章がヨメ側・ダンナ側の2視点になったことで、フーフ間の愛情・ズレ・確執・葛藤なども同時にあらわになってます」とのこと。
(注5)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事において、前田監督が、「林民夫さんが第1稿で書かれた脚本は、原作と違って、“亡くなったヨメと一緒に過去を振り返る”というフィクションが加えられてい」た、と述べています。
(注6)「川崎フーフ」の闘病ブログ「がんフーフー日記」の2009年9月28日付エントリが出産を取り扱っています。
(注7)「がんフーフー日記」の最初のエントリによれば、二人が入籍したのは2009年3月のこと。
(注8)「がんフーフー日記」の2010年5月6日付エントリが、5月3日に行われた草上結婚式を取り扱っています。
(注9)「がんフーフー日記」の2010年7月9日付エントリがヨメの死を取り扱っています。
(注10)例えば、ダンナがヨメの死に目に会えなかったことは、「がんフーフー日記」のこのエントリに述べられています。
★★★☆☆☆
象のロケット:夫婦フーフー日記
(1)佐々木蔵之介と永作博美が出演しているというので映画館に行ったものです。
本作(注1)の冒頭では、ヨメのユーコ(永作博美)が大きなハンバーガーを食べています。
そして、ダンナのコウタ(佐々木蔵之介)が、「清水です。私達は、共通の友人を通して知り合いました」と話し始めます。
ユーコは、書店で働いており、本が大好きで、「おすすめ新刊コーナー」をセッティングしたりします。
コウタは、音楽系の雑誌の編集者で、ロックバンドのインタビューなどをしていますが、実際は作家を目指しています。
次いで画面は、飲み屋で皆がわいわいがやがや騒ぐシーン。
その中で、例えば、ユーコは、コウタに向かって「新人賞に落選したからと言って何だ。とにかく書け。書かなければ、一生、作家になんかなれないよ」と励ましたり、オザケンを巡ってユーコとコウタの意見が一致したりします。
そればかりか、酔いつぶれたユーコを、コウタはオブっておぶって連れて帰り布団に寝かしたこともあります。
でも、ダンナの話によれば、「色恋の関係になったことは、一度もなかった」とのこと。
ダンナが、またしゃべります。「あいつが故郷の福島に帰ってからも、いくどとなく電話した。そして、あいつがある時、「あたし、お見合いするかもしれない」と言った時、決断した。プロポーズするために高速バスに乗り込んだ」。
バスの中で、コウタがプロポーズの言葉を紙に書いていると、バスが急に停まったような感じとなり、突然画面は暗転します(注2)。
そして、冒頭の場面となって、ヨメがハンバーガーを食べています。
ダンナが、「あの時から1年9ヶ月が過ぎました。1ヶ月前、ヨメは直腸がんで亡くなりました。一人息子を残して亡くなったのです」と話して、タイトルクレジット。
さあ、これからどんなお話を映画で見ることができるのでしょう、………?
17年間友だち関係だった二人が結婚し、子供もできたと思ったら1年半くらい(493日間)で妻の方が直腸がんで亡くなってしまうのですが、その間の夫婦の生活ぶりを、夫の目には蘇っている妻と一緒に眺め直すという設定になっています。着想は面白いとはいえ、それ以上のものでもそれ以下のものでもなく、この同じ設定が何度も繰り返されるために、コメディタッチではあるものの、全体として単調な感じとなっています(注3)。
(2)本作の原作は『がんフーフー日記』(小学館:未読)ですが、同書は、ライターの清水浩司氏(「ダンナ」)とその妻(「ヨメ」、元書店員)が「川崎フーフ」の筆名で綴った闘病ブログ「がんフーフー日記」を書籍化したものです(注4)。
その映画化にあたっては、大きな工夫が凝らされています(注5)。
確かに、結婚直後に妊娠が判明しながら、同時にヨメの直腸にがんが見つかったら、夫婦にとっては、まさに驚天動地の出来事でしょう。でも、それだけで映画にするには、今一インパクトに欠けます。そこで、亡くなったヨメがこの世に蘇りダンナだけに見えるというフィクションを加えることによって、作品を盛り上げようとしているのでしょう。
こうした工夫は、例えば昨年末に見た『想いのこし』のように、いろいろ前例はあります。
でも、それはあくまでも枠組みのことであり、スクリーンに描き出されるダンナとヨメの物語自体にインパクトのあるストーリー性がないのであれば、やはり全体として平板なものになってしまうように思います。
ただ、元のお話にそうした題材がないわけではないようにも思われます。
例えば、二人の子供の「ぺ~」の誕生ということもあるでしょう(注6)。
とはいえ、この場面はもっと盛り上げが可能な気がするものの、映画では、あまり説明抜きにいきなり帝王切開のために手術室に入るヨメが映し出され、そして保育器内の赤ん坊の姿ということになってしまいます。
また、結婚式の場面。区役所に婚姻届を提出することで済ませていた二人に(注7)、周りの人たちがサプライズとして結婚式をプレゼントするというものです(注8)。
ですが、ギテー(高橋周平)がうっかり口を滑らせてしまったことで、サプライズ効果は削がれてしまいます。まあ、別にそんなことがなくとも、連れて行かれた場所とか、用意された衣装などから、すぐに二人に気付かれてしまうことでしょう。とすると、この場面も、確かに病気が進行して座ったままのヨメが登場するなど感動的ではあるとはいえ、よくある入籍後の結婚式の域を出ないように思われます。
さらには、ヨメの死も挙げられるでしょう(注9)。
でも、ダンナは、退職する仕事の引き継ぎのために上京していて、慌てて福島に戻るものの、肝心なヨメの死に目には間に合いません。
こうした盛り上がりの見られそうな場面がいともアッサリと描かれている上に、それらの場面をダンナと蘇っているヨメとが客観的に眺めて論評を加えるだけですから、全体として平板な感じが否めなくなってしまいます。
これに対して、先に挙げた『想いのこし』では、死んだ母親役の広末涼子がポールダンスを披露するとか、そればかりか本田ガジロウ(岡田将生)というキャラクターを設け、死んでしまった4人が、彼を通じて「想いのこし」たことを実現してもらう、というストーリーにして、作品にインパクトを与えようとしています。
本作は、ノンフィクションの原作があり、それに亡くなったヨメが蘇るというフィクションを付け加えたものですから、突飛なストーリー展開にする訳にもいかないのでしょう(注10)。
でも、悲しいお話である原作を、コメディタッチの映画に仕上げているのですから、もう一工夫あればな、と残念な気がしたところです。
(3)渡まち子氏は、「切なくも可笑しい夫婦の物語は、“死”を終わりではなく、再生の第一歩として描くことでポジティブな後味を残してくれた」として60点をつけています。
(注1)監督は、『婚前特急』の前田弘二。
脚本は、『予告犯』の林民夫(前田監督も)。
(注2)後で、死んでいるヨメがダンナに、「実は死んでいるのは私じゃなくてあんたなの」と言うシーンがあり、その際この場面を思い出すと、観客は、あるいはそうなのかもしれない(さらには、もしかしたら、本作では、“生きていると思っている者は、実は死んでいるのだ”などといった“深遠な”思想が語られているかもしれない)と思ってしまいます。でも、これは監督の単なるジョークではないかと思われます。
(注3)出演者の内、最近では、佐々木蔵之介と永作博美は『ソロモンの偽証(後篇・裁判)』、杉本哲太(本作では、ダンナのよき相談相手とのことですが、実際のところはダンナとの関係がよくわかりません)は『2つ目の窓』、ヨメの親友役の佐藤仁美は『ちょんまげぷりん』で、それぞれ見ました。
(注4)Wikipediaの『がんフーフー日記』の項によります。
なお、原作本は、ブログの文章をそのまま書籍化したものではなく、例えば、同ブログのこのエントリによれば、「書籍では、彼女の残したメールや日記から、その文章を大幅に追加し」、その結果「文章がヨメ側・ダンナ側の2視点になったことで、フーフ間の愛情・ズレ・確執・葛藤なども同時にあらわになってます」とのこと。
(注5)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事において、前田監督が、「林民夫さんが第1稿で書かれた脚本は、原作と違って、“亡くなったヨメと一緒に過去を振り返る”というフィクションが加えられてい」た、と述べています。
(注6)「川崎フーフ」の闘病ブログ「がんフーフー日記」の2009年9月28日付エントリが出産を取り扱っています。
(注7)「がんフーフー日記」の最初のエントリによれば、二人が入籍したのは2009年3月のこと。
(注8)「がんフーフー日記」の2010年5月6日付エントリが、5月3日に行われた草上結婚式を取り扱っています。
(注9)「がんフーフー日記」の2010年7月9日付エントリがヨメの死を取り扱っています。
(注10)例えば、ダンナがヨメの死に目に会えなかったことは、「がんフーフー日記」のこのエントリに述べられています。
★★★☆☆☆
象のロケット:夫婦フーフー日記