映画的・絵画的・音楽的

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レイルウェイ 運命の旅路

2014年05月07日 | 洋画(14年)
 『レイルウェイ 運命の旅路』を渋谷のシネパレスで見ました。

(1)真田広之が出演する洋画というので映画館に行ってきました。

 本作(注1)は、第二次世界大戦中に建設されたタイとミャンマーとを結ぶ「泰麺鉄道」を巡る実話に基づいた作品です。

 時代は1983年。
 主人公は初老で鉄道愛好家のローマクスコリン・ファース)。
 列車で相席となった美貌の女性パトリシアニコール・キッドマン)に一目惚れし(注2)、とうとう結婚に至ります。



 でも、ローマクスには、パトリシアに打ち明けていない心の闇があり、夜になると酷くうなされたりします(注3)。
 パトリシアはこんな夫の姿を見て、夫の戦友・フィンレイステラン・スカースガード)の元を訪れて真相を聞き出そうとしますが、十分に答えてはくれません(注4)。
 そんなとき、当のフィンレイがローマクスのところにやってきて、新聞記事を見せます。



 先の戦争でローマクスやフィンレイは、通信を担当する英軍将校としてシンガポールにおり、シンガポールが陥落(1942年)した際には日本軍の捕虜になりましたが、その記事によれば、捕虜収容所で遭遇した日本人通訳の永瀬(注5:映画の現在時点では真田広之)が生存していて、タイにいるというのです。



 その事を知って、ローマクスは酷く動揺します(注6)。
 さあ、ローマクスはどのように対応するでしょうか、ローマクスの心の闇とは何なのでしょうか、ローマクスと永瀬との関係はどんなものだったのでしょうか、またパトリシアは………?

 本作は、戦勝国の立場に立って、泰緬鉄道建設の過酷な状況とか日本軍の捕虜収容所の悲惨な有り様ばかりが描かれるのではと危惧していたものの、確かにそうしたシーンはあるとはいえ、映画全体が憎しみを超えて赦し(注7)へというテーマに従って制作されているためか(注8)、後味は悪くありませんでした。でも、逆に言えば、実話に基づくとはいえ、映画は美談に上手くまとめられてしまっているのでは、という感じがしないでもありませんでした。

 コリン・ファースやニコール・キッドマンらの俳優陣はそれぞれの役柄を巧みにこなしているところ、その中にあって真田広之も風格のある演技を披露していて少しも引けを取りません(注9)。

(2)本作からは、『戦場にかける橋』(1957年)と『ビルマの竪琴』(注10)と類似する点があるような印象を受けます。そして本作は、新しい視点に立ちながら、この2つの映画を合わせて一つの作品としたように見えるのではと思いました。

 いうまでもなく、前者の『戦場にかける橋』は、フィクションながら、専ら泰緬鉄道建設(特に「クウェー川鉄橋」の建設)を描いています。
 本作でも、やはり、レールを敷設すべく岩山を切り開く作業に従事する沢山の捕虜の姿が描かれています。
 ただ、『戦場にかける橋』が、鉄橋の建設工事とその爆破工作を中心的に描いているのに対して、本作の主人公・ローマクス(戦時中はジェレミー・アーヴァインが演じています)は、英軍内で信号技師であったために、捕虜になってからも建設機械の保守の方に従事していて、厳しい肉体労働は課せられていないのです。それで、鉄道建設自体は、本作ではそれほど明示的に描かれておりません。

 それに代わって本作ではむしろ、捕虜収容所内におけるローマクスの過酷な体験が描かれます。
 というのも、ローマクスと仲間は、隠し持ってきた部品を集めて受信機(ラジオ)を作って、連合国側のラジオニュースを密かに聞いて、最新の戦況を知るのです(注11)。
 しかしながら、そのラジオの存在を日本軍側に知られてしまい、ローマクスは自分が作ったと名乗り出ます(注12)。
 それでローマクスは、憲兵による激しい拷問を受けるハメになり(注13)、その際に通訳の永瀬(戦時中は石田淡朗が演じています)と遭遇するのです。

 その永瀬が、戦後に生き永らえてタイにいるわけですが、なぜかというと、永瀬は、戦後、泰緬鉄道の建設のために実にたくさんの犠牲者が出たことを知り(注14)、そうした犠牲者の鎮魂のために何回もその地(捕虜収容所が設けられていたカンチャナブリー)を訪れているのです(注15)。
 この点で、映画における永瀬の行動は、『ビルマの竪琴』における水島上等兵とかなり類似するといえるでしょう。

 尤も、水島上等兵はビルマの地にとどまって日本に帰還しなかったのに対し、永瀬は一度日本に帰還して、日本を拠点にしてこの地を訪れているのです。

 それに、水島上等兵の場合は、苛烈なビルマ戦線で没した日本兵の慰霊が目的でしょうが、永瀬の場合は、むしろ泰緬鉄道建設で命を落としたイギリス兵などの鎮魂といえるでしょう(注16)。
 ただ永瀬について、泰緬鉄道建設で犠牲となったイギリス兵らの慰霊という点を強調するのであれば、映画は、夥しい犠牲者を出した鉄道建設自体の方にもう少し焦点を当てる必要があるのではという気がしました(注17)。

 それはともかく、そんな永瀬をタイまで行って見つけ出したローマクスが永瀬に対してとる行動が、本作のクライマックスといえるでしょう。

(3)渡まち子氏は、「第二次世界大戦を背景に英国人将校の壮絶な体験と献身的な妻の愛をつづるヒューマン・ドラマ「レイルウェイ 運命の旅路」。後日談を映像化せず淡々と語ったのはクレバーな演出だった」として65点をつけています。



(注1)原題は「The Railway Man」です。
 なお、エリック・ローマクス氏による同タイトルの原作が(そして翻訳が角川文庫版で)あります(未読です)。
 ちなみに、本年1月に劉暁明駐英大使と林景一駐英大使とが英紙「デイリー・テレグラフ」上で、安部総理の靖国神社参拝を巡って論争した際に、劉大使が本作に言及し(「It tells the tragic story of a British PoW tortured by the Japanese in the Second World War. The film is not only about the atrocities committed by his Japanese captors, but also how one of them is harrowed by his own past」)、林大使の反論においても、本作の原作に対する言及が見られます(「As in the case of the Japan-UK relationship, exemplified in the meeting between Eric Lomax and Takashi Nagase described in the book The Railway Man, the only way to heal the wounds of the past is through the pursuit of reconciliation. But, critically, it takes two for this to be achieved」)。
 ただ、本作(あるいはその原作)を巡る両者の議論は、それぞれ盾の半面だけを捉えていて全体を見ていないのではないかという気がします(何より、実話に基づいているとはいえ、本作がフィクションの作品であることを踏まえる必要があると思います)。

(注2)ローマクスは、パトリシアとの話の中で、「ハイランド地方の西海岸が美しい」とか「ランカスターは絞首刑の街だ」などと言って薀蓄を披露しますが、ちらっと「『逢びき』はカーンフォース駅で撮影された」とも喋ります(同映画の中では「ミルフォード駅」とされているものの、実際は空襲を避けるためにランカシャー州のカーンフォース駅で撮影されました)。『戦場にかける橋』を制作したのは、『逢びき』(1945年)のデヴィッド・リーン監督ですし、またその映画と同じように、ローマクスとパトリシアは愛し合うようになるのです!

(注3)本作の冒頭では、いきなりその場面が映し出されます。
 なお、この他ローマクスは、パトリシアが彼の部屋の模様替えをすると、二度と触らないでくれと言って元に戻してしまいますし、支払いの請求に来た者をナイフで脅かすなどといった奇矯な振る舞いをします。

(注4)戦地での過酷な体験を部外者に話しても通じないので、戦友たちは「沈黙の掟」を守っているとのこと。さらに、フィンレイは、「余りにも辛い経験だったから、そのことを愛する人には言えないのだ」と語ります。

(注5)映画における「永瀬」のモデルは、実在した永瀬隆
 なお、驚いたことに、『エンド・オブ・オール・ウォーズ』(2001年:未見)にも永瀬隆をモデルとするナガセ・タカシが登場するようです。
 また、同氏には、『「戦場にかける橋」のウソと真実』 (岩波ブックレットNo.69、1986.8.)などの著書があるようですが未読です。

(注6)フィンレイは、ローマクスが永瀬に対して復讐することを期待しますが(「我々は生きて復讐すると誓った」と言ったり、ある行動をとってローマクスの背中を押したりします)、ローマクスは躊躇します(「1年前なら、やつを追い詰め、許しを請わせ、悲鳴を挙げさせただろう。だが今は夫だ。彼女は私の全てだ。もう我々は兵士ではないのだ」)。

(注7)この視点は、最近見た『あなたを抱きしめる日まで』において、主人公のフィロミナが、理不尽な振る舞いをした修道院の尼僧に対して「赦す」と言ったシーンにも見いだされるのかもしれません(尤も、ローマクスは、永瀬の戦後の行動をよく理解し感動したがためにそう言ったのであって、フィロミナが尼僧より高い境地に到達してそう言った様に見えるのとは異なっているのかもしれません)。

(注8)むろん、それは本作から読み取れる様々なテーマの一つに過ぎず、フィクションとしての本作は、むしろローマクスとパトリシアの深い愛の物語とも見ることができるのではと思いました。
 特に、パトリシアは、フィンレイに「私は20年間看護婦をしていた。だから、原因がわかれば対処できる」と言って、ローマクスに関することを打ち明けてほしいと懇願しますし、フィンレイが「ローマクスがどうしようとするか見守ってほしい」と言うと、彼女は「彼が何をしようとずっとそばにいる。今より悪いことなどなにもないから」と応じ、現に、ローマクスがタイから戻ると、彼女は静かに彼を迎えます。

 なんだか、これも最近見た『ワンチャンス』におけるポールとジュルジュとの関係に雰囲気が似ているような気がしたところです(折角、パトリシアをニコール・キッドマンが演じているのですから、もうすこし役割を増やしてみたらどうかな、と思いました)。

(注9)最近では、主演のコリン・ファースは『英国王のスピーチ』、ニコール・キッドマンは『ペーパーボーイ』、真田広之は『最終目的地』、ジェレミー・アーヴァインは『戦火の馬』、ステラン・スカースガードは『メランコリア』で、それぞれ見ています。

(注10)『ビルマの竪琴』は、新潮文庫版の原作を読んだことがありますし、1985年版の映画(中井貴一主演)も見たことがあります。

(注11)ローマクスは、「北アフリカでドイツを打ち破った」とか「スターリングラードでヒトラーが敗れた」などと、ラジオで知った最新の情報を鉄道建設工事に従事する英軍将校に耳打ちして、彼らの士気の衰えを防ごうとします。

(注12)実は、最初にフィンレイが日本軍の兵士に殴られるのですが、余りに酷い暴力を見て、ローマクスは、自分が作ったと名乗り出たのです。

(注13)日本の憲兵の方では、ローマクスらが作った機械は単なる受信機ではなく送信もできるのだろう、そして日本軍の情報を抗日運動家グループや中国の黒幕に流していたのだろう、として激しくローマクスを尋問します。

(注14)戦後、永瀬は犠牲者の遺体の捜索と埋葬に従事したのですが、「あれほど沢山の人が死んだとは想像もつかなかった」とローマクスに言います。

(注15)戦後、永瀬がローマクスとカンチャナブリーで出会ったのは、映画によれば57回目の巡礼の旅の時でした。

(注16)とはいえ、永瀬がカンチャナブリーで拠点にしているのは、日本軍の捕虜収容所を転用した戦争博物館ですが、本作を見ると、そこには日本軍が使用した拷問用具などが陳列されているだけでなく、壁に日本軍兵士の写真が何枚も展示されています。これは、おそらく収容所の幹部らであり、戦後B級戦犯として処刑された人たちではないかと推測されます。仮にそうであれば、永瀬は、そうした人たちの慰霊の意味を込めて、この地に何度も巡礼の旅を行っているのではとも考えられるところです。

(注17)映画で永瀬は、日本人観光客相手に仏像の説明をしたりしていますから、実際のところカンチャナブリーで永瀬は何をしているのかなという思いに囚われてもしまいます。



★★★☆☆☆



象のロケット:レイルウェイ 運命の旅路