
『英国王のスピーチ』を、吉祥寺バウスシアターで見てきました。
(1)この映画に関しては、それがアカデミー賞を獲得しようがしまいが、予告編の時から見てみたいと思っていましたから、実際にアカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞、それに主演男優賞の4冠を獲得したことによって、なお一層弾みをつけられました。
とはいえ、休日の映画館に出向くと、大変な人だかりとなっていて、見やすい席を確保するのも厳しい事態になっていましたが!
さて、この映画のようにうまく作られていると、“面白かった”としか言いようがなく、さらに何か述べようとしても、すでにあちこちのブログで言われてしまっていることばかりという状況で、逆に捻くれて、ジョージ(のちに国王ジョージ6世:コリン・ファース)の吃音を、言語聴覚士のライオネル(ジェフリー・ラッシュ)は「治せます」と言いながら、実際にはスピーチの度に付き添っていたようですから、結局のところは治せなかったのではないかとか、ラストにおけるジョージのスピーチに対して、勇気ある行動だなどと皆が賞賛しているものの、たかが側近が作成した原稿を読み上げただけのことではないか、「勇気」とは何を言っているのか、などと言ってみたくもなってしまいます。

ジョージ6世役のコリン・ファース

ライオネル役のジェフリー・ラッシュ(注1)
でもそんなことをしたら、却ってクマネズミの品性が疑われてしまうだけで、得策でないことは明らかです(尤も、藤原正彦氏の『国家の品性』と同じく、そんなもの何処にあるのと言われれば、身も蓋もありませんが!)。
ここでは大人しく旗を畳んで、世界の7つの海を制していたイギリスという国の人間に、南半球の周辺国であるオーストラリアからやってきた者が対峙し、それも一方は国王という正統中の正統であるのに対して(といっても、正統な国王である兄が退位したことで王位に就いたのですから、正統の中での異端といえるでしょう)、もう一方は無資格者との構図、にもかかわらず、後者によって前者の治療が行われるわけで、そこには甚だしい地位の逆転があるためそれだけでも面白いのに、さらに吃音治療の光景が何とも言えないおかしさを持っており、逆にラストのスピーチは尊敬に値する見事な内容でした、と言うにとどめておきましょう。
登場する俳優陣も、普段あまりお目にかからない俳優ばかりなので、下記の渡まち子氏の評に委ねることといたしましょう。
(2)と言っても、それだけでは詰りませんから、映画『わが教え子、ヒトラー』(2008年)に触れてみましょう。というのも、『英国王のスピーチ』の中で、国王一家が、ヒトラーの演説する映像を見て感心してしまう場面があるからです。

この映画は、映画『善き人のためのソナタ』(『ツーリスト』でも触れました)で一躍注目された独俳優ウルリッヒ・ミューエ(残念なことに、2007年に54歳で亡くなりました)が、ヒトラーにスピーチを教える先生役を演じています。
あれほど演説の名手だったヒトラーがどうしてそんな手助けが必要になったのかと不思議な感じになりますが、この映画の想定では、ヒトラーは相次ぐ敗戦で心身を病んでいたとされ(1944年末)、その自信を回復させ国民を鼓舞する演説をさせるために、ゲッペルスが、収容所にいたユダヤ人俳優グリュンバウム(ウルリッヒ・ミューエ)を呼び出して、ヒトラーを指導するように命じます(グリュンバウムは、昔ヒトラーに発声法を指導したことがあったとされます)。
果たしてその成果やいかに、というわけですが、仮にこれが事実であれば、連合国の指導者の一人と、枢軸国のトップの一人とが、同じようにスピーチの指導を受けていたということになって、大変興味深いことです(たぶん、後者はファンタジーでしょう)(注2)。
とはいえ、ジョージ6世の場合は、ラジオ放送で演説をしただけですが、ヒトラーの場合は大群衆の前で(あるいはカメラの前で)演説をしていましたから、状況はかなり違っていたとも言えます。
ジョージ6世については、映画によれば、ライオネルがマイクのすぐ近くで国王の指導に当たることができたのに対して、ヒトラーに関しては、グリュンバウムは、最後には演台の中に隠れることまでしなくてはなりませんでしたから(注3)。
(3)渡まち子氏は、「俳優たちのアンサンブルが絶妙なのは言うまでもない。生真面目なコリン・ファースと、飄々としたジェフリー・ラッシュの演技合戦は、品格とユーモアが同居する秀逸なものだ。妻エリザベスを演じるヘレナ・ボナム=カーターも、いつものトンガッた雰囲気とは異なり、ぐっとエレガントで魅力的である」、「華麗な恋愛や派手なアクションなど何一つないこの映画こそ、人と人との信頼関係が、最高の形でスクリーンに結実した傑作だ」などとして90点もの高得点を付けています。
また、前田有一氏も、「英国俳優界の芸達者勢揃いの、見ごたえある歴史ドラマ。この手のジャンルにありがちな退屈さや、歴史知識不足の観客が受けがちな疎外感を感じることはまったくない。非常にわかりやすく、華やかなこの時代の王室メンバーの魅力を感じさせてくれるとともに、主役二人の身分を超えた名タッグぶりに通快感を味わえる、万人向けの一品である」として75点をつけています。
ただ、前田氏が引き続いて、この映画が「なぜ今アメリカ人に愛され、アカデミー賞までとってしまったのか」と問題提起し、「現在中東情勢が急速に悪化し、独裁者たちが民衆を武力制圧する事態にまで発展している。いうまでもなくアメリカは、覇権国家としての運命をかけ、この難題に対処してゆかねばならない。そんな時代に『英国王のスピーチ』がアカデミー賞を受賞する。じつにタイムリーというか、意味深ではないか。イギリスの王と首相は、果たしてどういう運命をたどったか」と、「本質」をとらえた回答をご自身で与えていますが、映画に何を読み取ろうとも評者の勝手とはいえ、そこまで言うのは、贔屓の贔屓倒しにならないでしょうか?
(注1)ジェフリー・ラッシュが手塚治虫の『どろろ』に登場する「金小僧」に酷似するとコメントしていただいたブロガーさんに敬意を表し、その画像をここに掲載いたします。

(注2)このサイトの記事によれば、ヒトラーも幼少期には吃音だったとのことです。ちなみに、そこで取り上げられている著書『私はヒトラーの秘書だった』等に基づいて作られたのが映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(2005年)。
(注3)尤も、そのために、グリュンバウムは、自分が話したいことを国民に語ることができたわけです。ただし、その結果、……。
★★★☆☆
象のロケット:英国王のスピーチ
(1)この映画に関しては、それがアカデミー賞を獲得しようがしまいが、予告編の時から見てみたいと思っていましたから、実際にアカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞、それに主演男優賞の4冠を獲得したことによって、なお一層弾みをつけられました。
とはいえ、休日の映画館に出向くと、大変な人だかりとなっていて、見やすい席を確保するのも厳しい事態になっていましたが!
さて、この映画のようにうまく作られていると、“面白かった”としか言いようがなく、さらに何か述べようとしても、すでにあちこちのブログで言われてしまっていることばかりという状況で、逆に捻くれて、ジョージ(のちに国王ジョージ6世:コリン・ファース)の吃音を、言語聴覚士のライオネル(ジェフリー・ラッシュ)は「治せます」と言いながら、実際にはスピーチの度に付き添っていたようですから、結局のところは治せなかったのではないかとか、ラストにおけるジョージのスピーチに対して、勇気ある行動だなどと皆が賞賛しているものの、たかが側近が作成した原稿を読み上げただけのことではないか、「勇気」とは何を言っているのか、などと言ってみたくもなってしまいます。

ジョージ6世役のコリン・ファース

ライオネル役のジェフリー・ラッシュ(注1)
でもそんなことをしたら、却ってクマネズミの品性が疑われてしまうだけで、得策でないことは明らかです(尤も、藤原正彦氏の『国家の品性』と同じく、そんなもの何処にあるのと言われれば、身も蓋もありませんが!)。
ここでは大人しく旗を畳んで、世界の7つの海を制していたイギリスという国の人間に、南半球の周辺国であるオーストラリアからやってきた者が対峙し、それも一方は国王という正統中の正統であるのに対して(といっても、正統な国王である兄が退位したことで王位に就いたのですから、正統の中での異端といえるでしょう)、もう一方は無資格者との構図、にもかかわらず、後者によって前者の治療が行われるわけで、そこには甚だしい地位の逆転があるためそれだけでも面白いのに、さらに吃音治療の光景が何とも言えないおかしさを持っており、逆にラストのスピーチは尊敬に値する見事な内容でした、と言うにとどめておきましょう。
登場する俳優陣も、普段あまりお目にかからない俳優ばかりなので、下記の渡まち子氏の評に委ねることといたしましょう。
(2)と言っても、それだけでは詰りませんから、映画『わが教え子、ヒトラー』(2008年)に触れてみましょう。というのも、『英国王のスピーチ』の中で、国王一家が、ヒトラーの演説する映像を見て感心してしまう場面があるからです。

この映画は、映画『善き人のためのソナタ』(『ツーリスト』でも触れました)で一躍注目された独俳優ウルリッヒ・ミューエ(残念なことに、2007年に54歳で亡くなりました)が、ヒトラーにスピーチを教える先生役を演じています。
あれほど演説の名手だったヒトラーがどうしてそんな手助けが必要になったのかと不思議な感じになりますが、この映画の想定では、ヒトラーは相次ぐ敗戦で心身を病んでいたとされ(1944年末)、その自信を回復させ国民を鼓舞する演説をさせるために、ゲッペルスが、収容所にいたユダヤ人俳優グリュンバウム(ウルリッヒ・ミューエ)を呼び出して、ヒトラーを指導するように命じます(グリュンバウムは、昔ヒトラーに発声法を指導したことがあったとされます)。
果たしてその成果やいかに、というわけですが、仮にこれが事実であれば、連合国の指導者の一人と、枢軸国のトップの一人とが、同じようにスピーチの指導を受けていたということになって、大変興味深いことです(たぶん、後者はファンタジーでしょう)(注2)。
とはいえ、ジョージ6世の場合は、ラジオ放送で演説をしただけですが、ヒトラーの場合は大群衆の前で(あるいはカメラの前で)演説をしていましたから、状況はかなり違っていたとも言えます。
ジョージ6世については、映画によれば、ライオネルがマイクのすぐ近くで国王の指導に当たることができたのに対して、ヒトラーに関しては、グリュンバウムは、最後には演台の中に隠れることまでしなくてはなりませんでしたから(注3)。
(3)渡まち子氏は、「俳優たちのアンサンブルが絶妙なのは言うまでもない。生真面目なコリン・ファースと、飄々としたジェフリー・ラッシュの演技合戦は、品格とユーモアが同居する秀逸なものだ。妻エリザベスを演じるヘレナ・ボナム=カーターも、いつものトンガッた雰囲気とは異なり、ぐっとエレガントで魅力的である」、「華麗な恋愛や派手なアクションなど何一つないこの映画こそ、人と人との信頼関係が、最高の形でスクリーンに結実した傑作だ」などとして90点もの高得点を付けています。
また、前田有一氏も、「英国俳優界の芸達者勢揃いの、見ごたえある歴史ドラマ。この手のジャンルにありがちな退屈さや、歴史知識不足の観客が受けがちな疎外感を感じることはまったくない。非常にわかりやすく、華やかなこの時代の王室メンバーの魅力を感じさせてくれるとともに、主役二人の身分を超えた名タッグぶりに通快感を味わえる、万人向けの一品である」として75点をつけています。
ただ、前田氏が引き続いて、この映画が「なぜ今アメリカ人に愛され、アカデミー賞までとってしまったのか」と問題提起し、「現在中東情勢が急速に悪化し、独裁者たちが民衆を武力制圧する事態にまで発展している。いうまでもなくアメリカは、覇権国家としての運命をかけ、この難題に対処してゆかねばならない。そんな時代に『英国王のスピーチ』がアカデミー賞を受賞する。じつにタイムリーというか、意味深ではないか。イギリスの王と首相は、果たしてどういう運命をたどったか」と、「本質」をとらえた回答をご自身で与えていますが、映画に何を読み取ろうとも評者の勝手とはいえ、そこまで言うのは、贔屓の贔屓倒しにならないでしょうか?
(注1)ジェフリー・ラッシュが手塚治虫の『どろろ』に登場する「金小僧」に酷似するとコメントしていただいたブロガーさんに敬意を表し、その画像をここに掲載いたします。

(注2)このサイトの記事によれば、ヒトラーも幼少期には吃音だったとのことです。ちなみに、そこで取り上げられている著書『私はヒトラーの秘書だった』等に基づいて作られたのが映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(2005年)。
(注3)尤も、そのために、グリュンバウムは、自分が話したいことを国民に語ることができたわけです。ただし、その結果、……。
★★★☆☆
象のロケット:英国王のスピーチ

















この映画への評価を中東情勢に重ね合わせるというのは、
あまりにも深読みすぎるのではないでしょうか。
TBありがとうございました。返しておきます。
いつも貴殿の映画批評拝見しております。
「英国王のスピーチ」、僕も世評より若干厳しめの評価を下しました。
コリン・ファースもジェフリー・ラッシュも申し分のない演技をしてはいるんですが、どうにも収まりが良過ぎて、逆に印象に残らないと云うか…何と云うか…。
一方、いつもはキワ者役の多かったヘレナ・ボナム・カーターが英国王妃の気品を漂わしていたのが良かったです。
僕もひねくれ者ですね(笑)
俳優たちの素晴らしい演技が
印象に残りました。
「わが教え子、ヒトラー」と比べても
面白いですね
作品であることは感じました。
夫婦で見ることをお勧めしたいです。
ムチャクチャどうでもいい事を書きます。
記事の3枚目の写真のジェフリー・ラッシュは手塚治虫の『どろろ』に出てくる金小僧にそっくりです。
金小僧は、ネットで調べると、小判型の頭をした怪異な精霊のようですが、金の埋まっている場所を教えてくれるいいヤツのようですね!
ライオネルも山師のような感じながら、ジョージ6世にとってはいいヤツだったのでしょう!
それにしても、「ふじき78」さんの物凄い連想力にはとても追いつけません!
顔が小判形で……小判みたいでしょ、ジェフリー・ラッシュの顔。