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人類資金

2013年11月09日 | 邦画(13年)
 『人類資金』を渋谷のシネパレスで見ました。

(1)『許されざる者』で活躍したばかりの佐藤浩市が主演だというので、映画館に行ってみました(注1)。

 本作の冒頭では、1945年のこととして、映画『日輪の遺産』で描かれたのとほぼ類似する財宝(注2)が、東京湾に沈められます(注3)。
 ついで、時は2014年に。
 主人公の真舟佐藤浩市)が、正体不明の森山未來)に廃ビルに連れて行かれます。



 すると、“M”と呼ばれる香取慎吾本庄岸部一徳)とが現れ、東京湾に沈められた10兆円もの「M資金」をすべて盗み出してほしいという依頼がなされます(報酬は50億円だとして)。というのも、その「M資金」を管理する「財団」が日本にあるものの(注4)、資金の本来の趣旨を外れてマネーゲームに邁進してしまっているからだというのです。
 香取たちは一体何のためにそんなことをするのでしょう、そしてその盗み出しは果たして成功するのでしょうか、………?

 本作は、終戦間際から現代まで取り扱うタイムスパンは長く、また舞台も日本だけでなく、ロシアのハバロフスクからニューヨークの国連本部などとグローバルで、邦画にしてはスケールがかなり大きくなっているものの、如何せんそれらを背景にして語られる物語は面白みに欠け(注5)、出演する俳優陣は多彩でそれなりに頑張っているとはいえ(注6)、イマイチの感が残ります。

(2)本作は、「M資金」を巡る詐欺事件を描いているものとばかり思って映画館に出かけたのですが、そして映画の最初の方では、主人公の佐藤浩市が、詐欺話を仕掛けているところが映し出されますが、そんな詐欺話はすぐに終わってしまい(注7)、実際には、「M資金」なるものが実在するとしてストーリーの大部分が組み立てられているので、とても意外な感じがします。

 いうまでもなくそんなことは元々ありえないのですから(注8)、勿論この映画の物語自体もありえないものであり、そうだとしたら、この映画で望ましいとされていること(注9)自体も、いくら石が国連総会で立派な演説をするにしても、ありえないこととなってしまうのではないでしょうか?



 とはいえ、本作は、「M資金」なるものが実在すると仮定した上で物語が組み立てられているわけなのですから、そう正面から突き放すこともないでしょう。
 ただ、そうだとしたら、「M資金」を終戦間際に東京湾に沈める話を冒頭に持ってくるのではなしに、それが引き上げられて、どこかの金庫に格納される場面をまずもって描き出す必要があるのではないでしょうか(注10)?
 あるいは、沈められているままだとしても、それが海底に置かれている状況を映像で映し出すくらいはすべきではないでしょうか(注11)?

 それはともかく、本作によれば、なんだか「M資金」の金の延べ棒は「日本投資政策銀行」あたりに保管されているようなのです(注12)。そのため、同銀行は「M資金」に保証を与えており、その結果、それを担保とする融資願い(「財団」あるいはその傘下のヘッジファンドが行うもの)は、世界のどの金融機関においても無審査でただちに受理される、などとされています(注13)。
 とすれば、本作の世界では、「M資金」の実在がすでに全世界の周知の事実となっているわけでしょう。ただ、そうであれば、本作の冒頭で真舟たちが詐欺話をすることなど起こりえないのではないでしょうか(相手の無知につけ込んで騙すわけですから)?
 それに元々、政府関係機関らしき「日本投資政策銀行」が、投機目的のヘッジファンドを傘下に置く「財団」なるものに対して、いくら原資を保管しているからといって、その融資に無制限の保証を与えることなど考えられないのではないでしょうか?

 それもさておくとして、本作では、真舟らが、ハバロフスクに駐在する鵠沼オダギリジョー)を使って10兆円を盗み取る計画を実行しますが、公式サイトの「STORY」では「一つのミスから綻びが生じてしまう」とされています。
 ですが、500億円の融資願いが200通、200の銀行に対して提出され、その資金が口座に次々と入金されたことは真舟らが確認しており、真舟も50億円の報酬を受け取っているのですから(注14)、身分がバレることなどがあったにしても、計画自体は成功したというべきではないのでしょうか(注15)?

 クマネズミの理解力不足によるところが大きいのでしょうが、以上で挙げた他にもよくわからないことが次から次へと本作では起こるために(注16)、見終わっても、釈然としない気分のまま放り出される感じになります。

(3)渡まち子氏は、「ストーリーは、現代の金融資本主義の危うさや虚構の繁栄、真の豊かさなどを人間の良心に訴える形で語っていくものだが、何しろ、セリフのほとんど説明調なのでどうにもテンションが上がらない。クライマックス、森山未來が、長台詞の演説を熱演するのだが、これがまたテンポを削ぐ形になってしまうのがやるせない。これでは映画を見ているというより資料を読んでいるような気持ちになってしまう」として55点をつけています。
 また、前田有一氏は、「スケールの大きな話に海外ロケによる映像、アクションシーンをダンサーならではの華麗な身のこなしでこなした森山未來など、ところどころ光る部分はあれど、詰めが余りにも甘い。邦画としては異例と言っていいほど意欲的な挑戦だったが、これが限界というなら残念きわまりない」として40点しかつけていません。
 さらに、柳下毅一郎氏は、「なんにせよ、最後演説したら悪人が改心してみんな納得するという脚本を書いてしまった脚本家は、自分のやってることが幸福の科学の映画と同じレベルなんだというのを思い出してほしいものである」と述べています。



(注1)以下におけるストーリーの具体的な箇所は、大部分、雑誌『シナリオ』11月号掲載のシナリオによっています。
 なお、本作は、原作者の福井晴敏氏と阪本順治監督とが共同で脚本を書いています。

(注2)戦争中にフィリピンから日本に移送された金塊。『日輪の遺産』では200兆円とされていたのに対し、本作では10兆円(なお、同映画についての拙ブログの「注2」及び「注7」を参照)。

(注3)『日輪の遺産』では、金塊は、多摩の弾薬庫の奥に秘密裏に隠されます。

(注4)「財団」の初代理事長は笹倉雅実(金塊を東京湾に沈めた憲兵の大尉)、現在はその子供の笹倉暢彦仲代達矢)が理事長(“M”とされる香取慎吾は、さらにその子供の笹倉暢人)。
 ただ実際には、ニューヨークにある投資銀行が実権を握っていて、その総帥がハロルドヴィンセント・ギャロ)。

(注5)当初は、越中島で金塊を海に沈めるシーンがあったり、真舟と石とが財団の旧ビルから地下道を通って地下鉄のトンネル内に走り抜けたりするシーンがあったりして、これはと思わせますが、その後の物語のメインの方は、本文の(3)で触れる渡まち子氏がいうように、その「セリフのほとんど説明調」で単調であり、さらには、観月ありさが出演しているにもかかわらずラブ・ロマンス的な面が殆どなく(下記の「注6」を参照)、また真舟や石らを追う者が遠藤ユ・ジテ)一人というのでは、派手なアクションシーンも期待できず、どうにもこうにも仕様がありません。

(注6)特に、笹倉暢彦(仲代達矢)と笹倉暢人(香取慎吾)とをつなげる役割を果たす役柄の観月ありさは、アクションシーンもなんとかこなしているものの、その役の必要性が今ひとつ腑に落ちず、添え物的な感じしかしませんでした。



 彼女が扮する高遠美由紀は、防衛省情報局に所属し、笹倉暢彦が運営する「財団」を守る役目があるようです(従って、間接的にハロルドにも使われていることにもなります)。ですが、笹倉一族の係累であり、笹倉暢人と以前いい関係があったこともあり、真舟や石と一緒の行動をとることになってしまいます。
 これでは、彼女の存在意味が薄れてしまうのは当然ではないでしょうか?

(注7)学士会館の喫茶ラウンジで、真舟と酒田寺島進)が、ある会社の幹部に「M資金」の話を持ちだしているところに刑事の北村石橋蓮司)が現れ、御用となってしまいます。

(注8)Wikipediaの「M資金」の項には、「降伏直前に旧軍が東京湾の越中島海底に隠匿していた、大量の貴金属地金(内訳は金1,200本・プラチナ300本・銀5000トン)が1946年4月6日に米軍によって発見された事件」と記載されていますが、事実なのでしょうか?事実としたらその根拠は何なのでしょうか?
 仮に事実としても、例えば金地金1,200本くらいではせいぜい60億円くらいでしょうから、映画でいう「10兆円」には程遠いものがあります。
 なお、劇場用パンフレットに掲載されている「M資金」に関する記事においても、この事件のことが記載されていますが、そこでは「ほぼ事実といえよう」と述べられていますが、根拠が示されていません。

(注9)開発途上国の子供にPDAを配布すること。
 でも、開発途上国出身者の石が、主人公・真舟に対し、「携帯の契約件数は、とっくに50億を超えているにもかかわらず、世界の7割の人が、いまだに電話もかけたことがない」と嘆く場面があり、これが途上国へ「M資金」を使ってPDAを贈与するという話の背景となっていますが、これこそは先進国目線で開発途上国を捉えている見方の典型ではないかという気がします。なにも、電話をかけられないなら人間じゃないということでは全くないのですから!経済規模が小さなところでは、電話をかける必要性などあまりないのではないでしょうか?
 なお、スマホではなくあえてPDAにした理由として、本庄は真舟に対し、「PDAのほうが頑丈。スマホじゃ、乾燥地帯やスコールの中ですぐに壊れてしまう」などと説明します。ただ、現在では、スマホやタブレットの流れの中に飲み込まれてしまって、単独のPDAなるものは簡単に手に入るのでしょうか?

(注10)笹倉暢人は、真舟に依頼する際に、「昭和20年8月15日、あの海に沈められた金塊すべてを盗んでほしい」と言っています。まだ海底に沈んだままであるように語っていて、すでに引き上げられてどこかの金庫に秘匿されているものではなさそうなのですが。

(注11)憲兵の笹倉大尉は、岸壁に運ばれてきた大量の金の延べ棒の中から一本を取り出して海に中に投げ入れますが、その際に「これは見せ金だ。誰かが見つければ、ここに金塊があったことの証明になる」と言います。そうであるなら、投げ入れられた金の延べ棒はその後発見されているに違いありませんから、少なくともそのことを映画の中で描き出すべきではないでしょうか?
 なお、このサイトの冒頭の記事によれば、阪本順治監督は『週刊新潮』において、「戦後、米軍が越中島海底から金・銀・プラチナなど大量の貴金属を発見するという実際にあった事件などを引用し、本作にも金塊を土運船に引き上げるシーンを入れています。最近偶然に知り合ったスキューバ用具の関係者から「越中島海底にまだ土運船が沈んでいる」という話を聞きました」と述べていますが、少なくとも、本作においては「金塊を土運船に引き上げるシーン」など描かれてはおりません!

(注12)笹倉暢人は、真舟に対し、「日銀や投資政策銀行に保管されている莫大な原資」と語っています。
 なお、「日本投資政策銀行」とは、実在の「日本政策投資銀行」(財務省所管の特殊会社で、政策金融機関)から連想された架空の銀行でしょう。

(注13)真舟が、ハバロフスクに駐在する鵠沼に対し、そのように語ります。

(注14)その資金を使って、イギリスの小さな石油会社の株の買い占めを行うことになります。

(注15)ただ、成功したとすると、「財団」の資金は底をついてしまったわけで、身動きが取れなくなってしまったとも考えられるところ、その理事長の笹倉暢彦は、息子の笹倉暢人のために、その資金を大きく動かしているようなのです(上記「注14」の株価の釣り上げに加勢しているようです)。
 尤も、10兆円を傘下のヘッジファンドを通じて市場で運用することにより、財団が運用可能な資金量はもっとずっと増えているのかもしれませんが(ただ、その場合には、笹倉暢人らが財団から盗み取ろうとする金額を10兆円に限定する意味がなくなってしまうのではないでしょうか?)。

(注16)一番わからないのは、「M資金」が、「日本のもの作り、人や企業を育て国益とするための投資ファンド」だったはずのところが、今や「カネでカネを買う投機ファンド」となってしまい本来の目的から外れたものになっているとして、「M資金」を自分たちで奪い取って、その資金を使って、PDAを開発途上国の子供たちに配布することによって、現在の市場の「ルール」を変換してしまおうと、笹倉暢人らが考えている点です。
 現在だって先進各国は、拙いやり方にせよ、様々の援助を開発途上国に対して行っているのであり、PDAの配布といってもその援助方法の一つに過ぎないのではないでしょうか(本作においては、これは単なる「援助」ではなく「投資」だとされていますが、これまでの政府の援助にしても単なる援助ではないはずです)?
 また、金融市場の投機ですが、仮に「財団」の10兆円が市場から引き上げられるとしても、残余の莫大な資金(例えば、膨大なオイル・マネーもあることですし、あのジョージ・ソロスは20兆円以上の資金を動かすことができたのではないでしょうか)で同じことはまた繰り返されるのではないでしょうか?



★★☆☆☆



象のロケット:人類資金