『父の秘密』を渋谷のユーロスペースで見ました。
(1)カンヌ映画祭で評価された映画だと聞いて、映画館に行ってきました。
母親を交通事故で失った高校生アレ(テッサ・イア)は、高級リゾート地のプエルト・ヴァラルタを引き払って、父・ロベルトとともにメキシコ・シティにやってきます。
そして、新しい学校で知り合ったクラスメイトたちと(注1)、週末に別荘に遊びに行くことに。
ところが、飲んだ酒の勢いで男子生徒とセックスをしてしまい、その際撮られた動画が学校中にばらまかれてしまいます。
そこから、彼女に対するいじめがとても酷いものになっていきます(注2)。
でも、妻を交通事故で亡くして不安定な父に(注3)、アレはそのことを打ち明けられません(注4)。
そんな時に、アレは皆と一緒に臨海学校に行かなくてはいけなくなりますが、そこで事件が起きます。
一体どんな事件であり、それに対してロベルトはどのような態度をとるのでしょうか、………?
ほとんど見たことがないメキシコ映画であり、またストーリーも深刻なものですが、アレを演じる若い女優のテッサ・イアが魅力的であり、感銘を受けました。
(2)映画の冒頭は、プエルト・ヴァラルタにある車の修理工場のシーンで、修理工から説明を受けた男(映画をしばらく見ているとアレの父・ロベルトだとわかります)が、書類にサインをした上で修理済みの車に乗り込みます。修理工場を出ると大きな道路を走らせますが、ある信号で車を止めエンジンを切ったと思ったら、男はドアを開け、車をそのまま置いて歩き去ってしまうのです。
男は、交通事故で壊れた車を修理したものの、それにまつわる忌まわしい記憶(その男の妻がその交通事故で亡くなったのです)に耐えがたくなって、車を飛び出したようなのです。
言ってみれば、こんなことが「父の秘密」、父が娘にはっきりと言わないこと、なのでしょう(注5)。
すべては、アレと父がメキシコ・シティに来る前に起きたことです。
あとでアレは、鍵のついた車が見つかったとの連絡をプエルト・ヴァラルタにいる伯母から受け(注6)、父に何かあったに違いないと感じて、プエルト・ヴァラルタに戻ろうとしますが、結局は行きませんでした。
とはいえ、本作においてはむしろ、アレ自身が学校で受けている激しいいじめの方が、ずっと大きな「娘の秘密」、娘が父にはっきりと言わないこと、になってしまっています(注7)。
そして、それが明らかになった時に、ロベルトはある激しい行動をとってしまいます。
こんなところからすると、「父の秘密」という邦題は余り適当ではないような感じがします(注8)。
それはともかく、本作を見たのとちょうど同じ頃、TSUTAYAの新作の棚に『シークレット・オブ・マイ・マザー』(2011年、フランス映画:日本未公開)のDVDが置いてありましたので、借りてきて見てみました。
この映画の主人公は、パリで暮らすマーティン、小さい頃両親が離婚し、父と一緒に住んでいます。ちょうど恋人との関係がギクシャクしだした頃、ロスに住む母が亡くなったとの連絡を受け、遺産手続き(アパートメントの処分)のにために渡米します。
マーティンは、母が自分のことを嫌っていたと思い込んでいますが(そのため、離別後一度も会ってはいません)、母はどうやらローラという女性と親密な関係があったらしいことがわかってきます。
それで、彼女が住んでいるらしい国境近くのメキシコのティフアナまで出かけます。ですが、探し出したローラはストリップクラブのダンサーなのです。
いったい母とローラとの関係はどんなものだったのでしょうか、………?
という具合に、こちらの作品はまさに“母の秘密”と題してもふさわしい内容です(注9)。
それでこの映画は本作とは余り共通点がなさそうにも思えるところ、親と子のコミュニケーションの断絶という観点から見れば、通じるところがあるのではと思いました。
なにしろ、本作では、アナと父・ロベルトは、毎日いっしょに暮らしているにもかかわらず、お互い肝心なことは何もいわないのですし、この映画でも、マーティンと母親との関係は切れていますし、一緒に暮らす父との関係も親密なものとはいえません。
ただ、大きな違いもあります。コミュニケーションの断絶が、この映画では大きな事件を引き起こすわけではないものの、本作の場合はとても恐ろしい事態を招くことになるのですから。
(3)映画評論家の高橋諭治氏は、「交通事故で妻を亡くした中年シェフ、ロベルトと高校生の娘アレハンドラ。彼らが新天地に引っ越すところから始まるこのメキシコ映画は、ファンタジーが紛れ込む隙間もない現実的なドラマであり、観る者にただならぬ緊張を強いる作品」であり、「この映画には決して説明されない喪失や孤独の痛み、 そして“すれ違う優しさ”があちこちに息づいている」と述べています。
(注1)アレは、クラスメイトに対し、父の仕事の関係でメキシコ・シティに来たのであり、母は元のプエルト・ヴァラルタにいると言って、その死を隠します。
(注2)例えば、アレの誕生日のお祝いだとして、教室で皆から、酷くマズイもので作られたケーキを無理やり口に突っ込まれたりします。
(注3)ロベルトはシーフード料理が得意な料理人ながら、新しく職を得たレストランに落ち着かず(調理助手の能力が低すぎたこともあり)、すぐに辞めてしまったりします。アレはそのレストランに行って、助手から父の辞めた理由を聞き出したりしています。
(注4)さらには、新しい学校の先生から、前の学校でアレがマリファナを吸っていたことが、呼び出された父に告げられたこともあり(アレは、3ヶ月ほど前、2、3回友達と吸ったと父に告白します)。
(注5)ラストでロベルトが犯す行為が秘密のことだとも考えられますが、あのやり方ではことはすぐに露見し、ロベルトに嫌疑がかかってしまうのも時間の問題ではないでしょうか?
(注6)プエルト・ヴァラルタからメキシコ・シティヘ行く車の中で、父は娘に「前の車は売り払った」と説明していました。
さらに、鍵のついた車が見つかったとの話を父にしたところ、父は何も説明しませんでした。
(注7)なにしろ、クラスの女生徒に髪の毛を切られた際、どうして髪を短くしたのかと父に尋ねられても、アレは何も話さないくらいなのですから。
(注8)原題は「Después de Lucia」(英題「After Lucia」)で、交通事故で亡くなったアレの母親・ルシア(Lucia)の亡き後といった意味があり、それはそれなりにわかります。
なお、劇場用パンフレットの「Introduction」では、「Lucia」に「光」の意味があることから、この原題は「光の不在の世界」をも表しているとされています。
(注9)実際には、『シークレット・オブ・マイ・マザー』で描かれているものが「秘密」といえるほどのことなのかという感じがし、また母がマーティンを手放した理由も明示的に描かれているわけでもないとはいえ、マーティンが、ラストのほうで、父やローラといわれる女性、さらには自分の恋人のことを考え直したりする姿を見ると、その心の成長ぶりが巧みに描かれているのではと思いました。
★★★★☆
象のロケット:父の秘密
(1)カンヌ映画祭で評価された映画だと聞いて、映画館に行ってきました。
母親を交通事故で失った高校生アレ(テッサ・イア)は、高級リゾート地のプエルト・ヴァラルタを引き払って、父・ロベルトとともにメキシコ・シティにやってきます。
そして、新しい学校で知り合ったクラスメイトたちと(注1)、週末に別荘に遊びに行くことに。
ところが、飲んだ酒の勢いで男子生徒とセックスをしてしまい、その際撮られた動画が学校中にばらまかれてしまいます。
そこから、彼女に対するいじめがとても酷いものになっていきます(注2)。
でも、妻を交通事故で亡くして不安定な父に(注3)、アレはそのことを打ち明けられません(注4)。
そんな時に、アレは皆と一緒に臨海学校に行かなくてはいけなくなりますが、そこで事件が起きます。
一体どんな事件であり、それに対してロベルトはどのような態度をとるのでしょうか、………?
ほとんど見たことがないメキシコ映画であり、またストーリーも深刻なものですが、アレを演じる若い女優のテッサ・イアが魅力的であり、感銘を受けました。
(2)映画の冒頭は、プエルト・ヴァラルタにある車の修理工場のシーンで、修理工から説明を受けた男(映画をしばらく見ているとアレの父・ロベルトだとわかります)が、書類にサインをした上で修理済みの車に乗り込みます。修理工場を出ると大きな道路を走らせますが、ある信号で車を止めエンジンを切ったと思ったら、男はドアを開け、車をそのまま置いて歩き去ってしまうのです。
男は、交通事故で壊れた車を修理したものの、それにまつわる忌まわしい記憶(その男の妻がその交通事故で亡くなったのです)に耐えがたくなって、車を飛び出したようなのです。
言ってみれば、こんなことが「父の秘密」、父が娘にはっきりと言わないこと、なのでしょう(注5)。
すべては、アレと父がメキシコ・シティに来る前に起きたことです。
あとでアレは、鍵のついた車が見つかったとの連絡をプエルト・ヴァラルタにいる伯母から受け(注6)、父に何かあったに違いないと感じて、プエルト・ヴァラルタに戻ろうとしますが、結局は行きませんでした。
とはいえ、本作においてはむしろ、アレ自身が学校で受けている激しいいじめの方が、ずっと大きな「娘の秘密」、娘が父にはっきりと言わないこと、になってしまっています(注7)。
そして、それが明らかになった時に、ロベルトはある激しい行動をとってしまいます。
こんなところからすると、「父の秘密」という邦題は余り適当ではないような感じがします(注8)。
それはともかく、本作を見たのとちょうど同じ頃、TSUTAYAの新作の棚に『シークレット・オブ・マイ・マザー』(2011年、フランス映画:日本未公開)のDVDが置いてありましたので、借りてきて見てみました。
この映画の主人公は、パリで暮らすマーティン、小さい頃両親が離婚し、父と一緒に住んでいます。ちょうど恋人との関係がギクシャクしだした頃、ロスに住む母が亡くなったとの連絡を受け、遺産手続き(アパートメントの処分)のにために渡米します。
マーティンは、母が自分のことを嫌っていたと思い込んでいますが(そのため、離別後一度も会ってはいません)、母はどうやらローラという女性と親密な関係があったらしいことがわかってきます。
それで、彼女が住んでいるらしい国境近くのメキシコのティフアナまで出かけます。ですが、探し出したローラはストリップクラブのダンサーなのです。
いったい母とローラとの関係はどんなものだったのでしょうか、………?
という具合に、こちらの作品はまさに“母の秘密”と題してもふさわしい内容です(注9)。
それでこの映画は本作とは余り共通点がなさそうにも思えるところ、親と子のコミュニケーションの断絶という観点から見れば、通じるところがあるのではと思いました。
なにしろ、本作では、アナと父・ロベルトは、毎日いっしょに暮らしているにもかかわらず、お互い肝心なことは何もいわないのですし、この映画でも、マーティンと母親との関係は切れていますし、一緒に暮らす父との関係も親密なものとはいえません。
ただ、大きな違いもあります。コミュニケーションの断絶が、この映画では大きな事件を引き起こすわけではないものの、本作の場合はとても恐ろしい事態を招くことになるのですから。
(3)映画評論家の高橋諭治氏は、「交通事故で妻を亡くした中年シェフ、ロベルトと高校生の娘アレハンドラ。彼らが新天地に引っ越すところから始まるこのメキシコ映画は、ファンタジーが紛れ込む隙間もない現実的なドラマであり、観る者にただならぬ緊張を強いる作品」であり、「この映画には決して説明されない喪失や孤独の痛み、 そして“すれ違う優しさ”があちこちに息づいている」と述べています。
(注1)アレは、クラスメイトに対し、父の仕事の関係でメキシコ・シティに来たのであり、母は元のプエルト・ヴァラルタにいると言って、その死を隠します。
(注2)例えば、アレの誕生日のお祝いだとして、教室で皆から、酷くマズイもので作られたケーキを無理やり口に突っ込まれたりします。
(注3)ロベルトはシーフード料理が得意な料理人ながら、新しく職を得たレストランに落ち着かず(調理助手の能力が低すぎたこともあり)、すぐに辞めてしまったりします。アレはそのレストランに行って、助手から父の辞めた理由を聞き出したりしています。
(注4)さらには、新しい学校の先生から、前の学校でアレがマリファナを吸っていたことが、呼び出された父に告げられたこともあり(アレは、3ヶ月ほど前、2、3回友達と吸ったと父に告白します)。
(注5)ラストでロベルトが犯す行為が秘密のことだとも考えられますが、あのやり方ではことはすぐに露見し、ロベルトに嫌疑がかかってしまうのも時間の問題ではないでしょうか?
(注6)プエルト・ヴァラルタからメキシコ・シティヘ行く車の中で、父は娘に「前の車は売り払った」と説明していました。
さらに、鍵のついた車が見つかったとの話を父にしたところ、父は何も説明しませんでした。
(注7)なにしろ、クラスの女生徒に髪の毛を切られた際、どうして髪を短くしたのかと父に尋ねられても、アレは何も話さないくらいなのですから。
(注8)原題は「Después de Lucia」(英題「After Lucia」)で、交通事故で亡くなったアレの母親・ルシア(Lucia)の亡き後といった意味があり、それはそれなりにわかります。
なお、劇場用パンフレットの「Introduction」では、「Lucia」に「光」の意味があることから、この原題は「光の不在の世界」をも表しているとされています。
(注9)実際には、『シークレット・オブ・マイ・マザー』で描かれているものが「秘密」といえるほどのことなのかという感じがし、また母がマーティンを手放した理由も明示的に描かれているわけでもないとはいえ、マーティンが、ラストのほうで、父やローラといわれる女性、さらには自分の恋人のことを考え直したりする姿を見ると、その心の成長ぶりが巧みに描かれているのではと思いました。
★★★★☆
象のロケット:父の秘密