映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

パッション

2013年11月05日 | 洋画(13年)
 『パッション』を吉祥寺バウスシアターで見ました。

(1)あまり事前の情報を持たずに見たのですが、なかなか良く出来たサスペンス映画で、拾い物でした。

 世界的な広告代理店のベルリン支社のトップであるクリスティーンレイチェル・マクアダムス)が主人公。



 彼女は、なんとか機会を捉えてニューヨーク本社に戻ろうとしています。
 部下のイザベルノオミ・ラパス)が発案して、クライアントの受けが良かったプロモーション・ビデオを、厚顔にも自分が創りだしたものだと本社幹部に説明し、本社の復帰の約束を確保します。

 これにイザベルは大きなショックを受けますが、独断で、そのビデオを世界中に公表してしまいます。すると、大きな反響が巻き上がり、本社サイドではイザベルの評価が高まり、クリスティーンに代わってイザベルを本社に呼び寄せようとします。



 ここから、クリスティーンの反撃が始まります。それにイザベルの部下のダニカロリーネ・ヘルフルト)も関係してきて、さて話はどんなことになるのでしょうか、………?

 2010年に公開されたフランス映画『ラブ・クライム 偽りの愛に溺れて』(2010年:アラン・コルノー監督、日本では未公開)のリメイク版とのことながら、ストーリーがなかなかおもしろくできている上に、ブライアン・デ・パルマ監督が様々の工夫をこらしており、著名な二人の女優のぶつかり合いが見もので、最後まで飽きさせません(注1)。

(2)オリジナルとなった『ラブ・クライム 偽りの愛に溺れて』がTSUTAYAに置いてあったので、すぐ前に見た『危険なプロット』に出演していたクリスティン・スコット・トーマスが出ていることもあり、借りてきて見てみました。



 映画の冒頭など、両作はかなり類似しているように思われます。
 すなわち、豪華なクリスティーヌの自宅で、彼女が仕事の話を交えながらいろいろイザベルと話をしていると(イザベルの歓心を得るべく、身にまとっていたスカーフを譲ったりします)、男(オリジナルではフィリップ、本作ではダーク)が現れ、二人が親密な雰囲気を醸しだすために、イザベルが早々に退散するというわけです。
 この簡潔な場面に、後に展開する様々な要素がつめ込まれています。

 とはいえ、相違する点もいろいろあり、例えば、次のようなものが挙げられます。
・オリジナルがパリを舞台にしていて、会話も大部分がフランス語であるのに対して、本作は、ベルリンが舞台で、会話は英語であること(注2)。
・オリジナルでは、クリスティーンらが勤める会社は農産品などを扱う商社のような感じですが、本作では広告代理店。
・オリジナルは、クリスティーン(クリスティン・スコット・トーマス)とイザベル(リュディヴィーヌ・サニエ)には歳の差がかなりあるように見えますが(注3)、本作においてはほぼ同一年齢のように見えること。
・オリジナルでは、イザベルの部下はダニエルという男性であるのに対して、本作ではダニという女性。
・オリジナルでは、イザベルが映画館に行って「最後の砂浜」という映画を見たことになっているのに対し、本作では劇場に行ってバレエ「牧神の午後」を観劇したとされていること。

 でも、一番大きな相違点は、オリジナルでは、映画の半分くらいのところで、真犯人が明かされ、さらには、真犯人が行ういろいろな工作も(注4)、映画の途中で明らかにされてしまいますが、本作ではラスト近くにならないと真相が明かされないことだと思われます(注5)。
 こうすることにより、様々なことが最後に一度に観客にぶつけられるために、消化不良を起こしかねない恐れがあるものの、本作のサスペンス的な盛り上がりは随分と強化されることになります。
 他方、オリジナルの方では、いったいなぜ真犯人はそんないろいろな工作をするのか、真犯人の表情などを見ながら、観客はあちこちと考えを巡らす余裕があるとはいえ(注6)、全体的に平板に流れるきらいがあります。

 それに、クリスティーヌの双子の姉・クラリッサの話は、オリジナルでは全く出てきません(注7)。
 この話は、本作においてはリアルなものなのか、クリスティーヌのつくり話なのか判然としません(注8)。
 でも、いずれにしても、双対的・鏡像的な関係がいくつも本作では描かれている感じがするところです。すなわち、クリスティーナとイザベルとの関係とかイザベルとダニとの関係(注9)、それに劇場のバレエです(注10)。
 ここらあたりは、どうやら本作を制作したブライアン・デ・パルマ監督のアイデアによるものといえそうです。

 そう思って思い返すと、本作のはじめの方では、新しいスマホ「オムニフォン」をPRするビデオ映像が流されますが、そこには、女性たちが、パンツの腰のポケットにスマホを入れて通りを歩きながら、その腰を見て嬉しがる男たちの写真を撮る様子とか、その画像が映し出されるシーンがあります。
 まるで鏡に写っているような姿が、映像としてスクリーンに映しだされるのです。
 そして、本作の最後の方で真犯人に示されるのも、その犯行を明らかにしている映像であり、それを見ている真犯人の姿です。

 本作は、映像の持つ鏡像的な関係を映像で示そうとしている作品といえるのかもしれません。もしかしたら、映画を見ている観客も、映像の向こうからあるいはカメラで撮影されているかもしれません。ちょうど、バレエ「牧神の午後」を鑑賞しているイザベルの顔の大写しが、スプリット・スクリーンながら映し出されるように。

(3)渡まち子氏は、「女たちの間に火花散る殺意と官能を描くサスペンス・スリラー「パッション」。完全犯罪にはほど遠いが女の権力闘争ものとして楽しめる」として50点をつけています。
 また相木悟氏は、「デ・パルマが、他のヒッチコック継承者と比べ、他の追随を許さない理由は、テクニック云々より倒錯した“変態性”を受け継いでいるがゆえであろう。しかし最近は、そうした面をスタイリッシュに気取ってみせているような気がしないではない。本作も然り。老匠に求めるのは酷かもしれないが、今一度無様にさらけだした渾身作をみてみたいものである」と述べています。



(注1)レイチェル・マクアダムスは、『ミッドナイト・イン・パリ』や『恋とニュースのつくり方』などで見ましたし、ノオミ・ラパスは『ミレニアム』で見ました。

(注2)イザベルの出張先も、オリジナルの場合カイロですが、本作ではロンドンです。

(注3)女優の年齢差は約20年。

(注4)真犯人は、自分が犯人だとまず認定されるような工作をするのです(本作では描かれませんが、オリジナルでは、ダイイング・メッセージがありますし、ナイフの購入店でも強い印象を残す行為をします)。その上、詳細に調査すれば、自分のアリバイが証明されるような工作も同時に行います。

(注5)このサイトに掲載されているデ・パルマ監督のインタビュー記事において、同監督は、「常に驚きがあるように脚本を書き換え、誰が殺人犯なのかわからないように多くの容疑者を登場させた」と述べています。

(注6)例えば、真犯人は、はじめに自分に嫌疑がかかってからそれを晴らしたほうが、逆の場合よりも、自分が真犯人だとされる確率が小さくなると考えたのかもしれません。

(注7)オリジナルでは、むしろイザベルの姉(地方で普通に暮らしています)が登場します。

(注8)クリスティーヌの愛人・ダークポール・アンダーソン)によって否定されますが、ラストの方のクリスティーヌの葬儀の場面ではクリスティーヌに似た女性が登場したりするのです。
 なお、上記「注5」で触れているデ・パルマ監督のインタビュー記事において、同監督は、「クリスティーンは自分のセックスの相手に、自分の顔に似た仮面をつけさせる。それによって彼女は、常に自分自身と愛の営みを交わしていることになる。仮面は彼女の謎めいた双子の姉妹なんだ。その姉妹が本当に存在していようといまいとね」とも述べているところです。

(注9)オリジナルでは、クリスティーヌとフィリップ、イザベルとフィリップとの性的関係は描き出されるものの、イザベルとダニエルとは、本作のイザベルとダニとの関係のようには描かれず、単なる上司と部下との関係に過ぎません。
 それに、本作では、クリスティーヌとイザベルとの関係も妖しいものとして描かれるところ、上記「注5」で触れているデ・パルマ監督のインタビュー記事において、同監督は、「オリジナル版のアラン・コルノー監督は、キャラクター間の性的な惹かれ合いについて避けて通っていた。だがレイチェル・マクアダムスとノオミ・ラパスは、それをストレートに演じたんだ」と述べています。

(注10)劇場で上演されているバレエについて、上記「注5」で触れているデ・パルマ監督のインタビュー記事において、同監督は、「バレエの舞台には3方向に壁があり、ダンサーはスタジオの鏡の壁を覗き込んでいるかのように観客と対峙する。それによって、彼らにカメラをまっすぐ見てもらうことができ、4番目の壁のルールを破り、そのシーンに奇妙な雰囲気を醸し出すことができた」と述べています。



★★★★☆



象のロケット:パッション