(3)それぞれの作品について
B.『演劇2』では、専ら、平田オリザ氏と外部の世界との交流が描かれています。
イ)映画では、平田氏と政界との繋がりがまず描き出されます。
映画の撮影時期は2009年9月に民主党が政権を取る前で(注1)、その後政治の表舞台で活躍することになる面々と平田氏とが「こまばアゴラ劇場」の中で談笑する様子が映し出されます(注2)。こうした関係があったが故に、平田氏は、民主党が政権に就き鳩山氏が総理になると内閣参与に就任し、その所信表明演説などの原稿の作成に関与したものと思われます(注3)。
こんな政界との繋がりは、平田氏の政治的信条に基づくものでしょうが、基本的には、その演劇活動をスムースなものにしたいと考えてのことなのでしょう(注4)。
ロ)国との関係では、平田氏は「拠点助成金」を強調します。
この助成金は、劇団ではなく劇場に対して文化庁から交付されるもの。平田氏は、年に6,000万円から8,000万円が支給され、これがないと潰れるしかないと言いながら(注5)、それを申請する書類の内容をチェックしたりしています(3年に一度見直しが行われるとのこと)。
助成金申請がその後どうなったのか詳しいことは分かりませんが、ネットで調べてみると、文化庁の「地域の芸術拠点形成事業」が2010年度で打ち切りとなったところ、2011年度から本格的に始められた「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」として「こまばアゴラ劇場」は、全国で12だけの「重点支援施設」に採択されたものの、それまでの「拠点助成」の約三分の一に減額されてしまったようです(注6)。
政界との太いパイプがあったにもかかわらず、平田氏は「事業仕分け」の流れに抗しきれなかったというべきなのでしょうか?
ハ)地方との関係では、鳥取市鹿野町で2008年に始められた「鳥の演劇祭」(注7)に、平田氏は青年団を引き連れて参加し(注8)、鳥取市の竹内市長や鳥取県の平井知事と親しく会話する姿も映し出されます。
なお、この演劇祭は昨年9月に第5回目が開催されたようですから、その後も順調のようです(注9)。今後、演出家・鈴木忠志氏が主宰する劇団SCOTが中心になって開催される世界演劇祭「利賀フェスティバル」のような広がりのあるものになっていくのでしょうか(注10)?それとも、山形国際ドキュメンタリー映画祭(想田和弘監督は『選挙』を出品したことがあります)のようなものになるのでしょうか?
ニ)さらに、鳥取県倉吉市の中学校の国語のモデル授業で、平田氏は演劇を教えます。
教室を10人程度ずついくつかの班に分け、それぞれの班に演劇の台本を作成させ、なおかつ教室の前で演じてもらいます(注11)。
テーマとして「転校生の紹介」が与えられますが、さすが現代の中学生、突拍子もない台本を作成したり、なかなか面白い演技を披露したりします(注12)。
平田氏は、演劇の面白さを生徒たちに理解してもらおうと努め、最後の講評では、それぞれの班の出来栄えを評価しつつ、自分の演劇論を展開することを忘れません。
ホ)映画ではロボット演劇のことが取り上げられます。
2体のロボットと2人の役者による20分の戯曲が、入念にコンピュータ調整が行われ、劇団員をも交えて稽古がなされた上で、上演されます(注13)。
これは青年団だけでできるわけでなく、大阪大学や大阪の企業との緊密な連携が必要であり、特に事前のプログラムの作成や数値のインプットには思いがけない苦労があったようです。
上演後、ロボットと一緒に演じる役者が「自分がロボットと違うのはどこなんだと考えてしまう」と言う一方で、平田氏は、「ロボットに内面性がないにもかかわらず、舞台のロボットには感情があったように見えたのではないか」と評価し、さらにまた映画『ロボジー』についてのエントリの(3)で触れた大阪大学のロボット工学者・石黒浩氏と、一層進化したロボットを使っての演劇について話し合います(注14)。
ヘ)『演劇2』では、平田氏の国際的な活躍ぶりも見逃されてはおらず、フランスのジュヌビリエ国立演劇センターでは、フランス語版の『砂と兵隊』が上演されました。
興味深いのは、芝居の最後に暗転があってカーテンコールがあるというのではなく、「これで終了です」といった趣旨のことが書かれたものが、舞台上部に映し出されます。
舞台では役者が観客とは無関係に繰り返し的な演技している中を、観客は三々五々退場していきます。拍手をしようと残っている観客に対して、平田氏は、「早く帰ってくれないか」などと言う始末。
こうしたところにも、同氏の演劇観が現れているものと思われます。
(4)二つの作品全体については、評論家の内田樹氏が、劇場用パンフレットにレビューを掲載しています。
例えば、「この映画の「成功」(と言ってよいと思う)の理由は二つある。一つは「観察映画」という独特のドキュメンタリーの方法を貫いた想田和弘監督のクリエーターとしての破格であり、もう一つは素材に選ばれた平田オリザという世界的な戯曲家・演出家その人の破格である。この二つの「破格」が出会うことで「ケミストリー」が生み出された。二人がそれぞれのしかたで発信している、微細な歪音がぶつかりあい、周波数を増幅し、倍音をつくり出し、ある種の「音楽」を作り出している。私はそんな印象を受けた」云々と述べています(注15)。
内田氏の論評は、「平田オリザさんが舞台で造形しようとしているのは、「いかなる既存の過激さの表象にも回収されない種類の過激さ」ではないかと私は思う」というように瞠目すべき指摘がなされているものの、全体としてレトリックに過ぎているような感じも受けてしまいます。
(注1)撮影期間は、「2008年7月下旬から9月半ば」と「11月と12月」、それに「2009年2月と3月」、その後4年ほど編集に時間をかけて、昨年の後半に公開されました〔想田和弘著『演劇vs.映画』(岩波書店、2012.10)によります〕。
(注2)民主党の議員は、劇場で上演された平田オリザ作・演出の『冒険王』を観劇してから懇談をしているようです。玄葉光一郎氏が「『冒険王』の舞台がどうしてイスタンブールなの?」と聞くと、平田氏が「実際に、あの都市にあのような日本人宿があったことと、そこが東西の接点だということから」と答えたりします(このシーンが挿入されていることによって、『冒険王』の全体像を知らない者には、貴重な情報が与えられることになります)。
なお、前原誠司氏は、平田氏に生まれた年(昭和37年)を聞いて「自分と同じだ」と言い、さらに「その年は、上祐など犯罪者が多いんだよ」などと話します。
(注3)当時の内閣官房副長官だった松井幸治氏との共著『総理の原稿―新しい政治の言葉を模索した266日』(岩波書店、2011)が出版されています。
(注4)上記「注1」で取り上げた『演劇vs.映画』における想田氏との対談の中で、平田氏は、「(政治に関わらない方がいいって言う)声があることはわかっていますが、あまり気にしないようにしています。政治と適度な距離を持つことは大事ですけど」などと述べています(P.154)。
(注5)劇団員年代別ミーティングの際、平田氏は、「今年は、助成金が1,000万円減らされて大変だ」、「最終的には、劇場の敷地を打って得られるお金でこれまでの借金を返済しなければならないかもしれない」などと述べたりしています。
(注6)この記事を参照(「こまばアゴラ劇場」HPの中の「これまでのお知らせ」に掲載)。
(注7)同演劇祭の中心である「鳥の劇団」については、この記事を参照。
(注8)2008年の演劇祭では平田氏の作・演出による『ヤルタ会談』が上演され、鳥取市長も観劇しています。
(注9)昨年のプログラムによれば、青年団も『銀河鉄道の夜』(作・演出が平田オリザ)で参加しています。
(注10)映画の中で、平田氏は、韓国の密陽市で開催される演劇祭が、この「鳥の演劇祭」によく似ていると言っていたように思います(同演劇祭については、例えばこの記事を参照)。
(注11)平田オリザ著『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書、2012,10)の第2章では、富良野市立布部小学校における授業例が記載されています。
そこでは、文部科学省の「コミュニケーション推進事業」が取り上げられているところ(たとえば、この記事で概略を確認できます)、その後その予算(特に自民党政権になってからの平成25年度予算案における扱い)がどのような扱いになっているのかはわかりません。
(注12)ある班では、転校生が火星人だったりします!
(注13)演じられる戯曲『働く私』は、働くために作られたにもかかわらず働く気力がなくなっているニートのロボットを巡るお話のようです。
平田氏は、劇団員に対するのと同じように、ロボットの喋り方や動き方に一つ一つ細かいダメ出しをしていきます。
(注14)方向性についてのヒントは、上記「注11」で触れた平田オリザ著『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』において、「無駄な動きを永遠に継続できるロボット」(P.75)、ロボットに「ランダムな動きを取り入れること」(P.76)とされている点に見られるのではないでしょうか?
(注15)内田氏のレビューは、同氏のブログでも、映画の公式HPでも読むことができます。
なお、本作についてのレビューとしては、例えば、この記事も大変参考になると思います。
★★★★☆
B.『演劇2』では、専ら、平田オリザ氏と外部の世界との交流が描かれています。
イ)映画では、平田氏と政界との繋がりがまず描き出されます。
映画の撮影時期は2009年9月に民主党が政権を取る前で(注1)、その後政治の表舞台で活躍することになる面々と平田氏とが「こまばアゴラ劇場」の中で談笑する様子が映し出されます(注2)。こうした関係があったが故に、平田氏は、民主党が政権に就き鳩山氏が総理になると内閣参与に就任し、その所信表明演説などの原稿の作成に関与したものと思われます(注3)。
こんな政界との繋がりは、平田氏の政治的信条に基づくものでしょうが、基本的には、その演劇活動をスムースなものにしたいと考えてのことなのでしょう(注4)。
ロ)国との関係では、平田氏は「拠点助成金」を強調します。
この助成金は、劇団ではなく劇場に対して文化庁から交付されるもの。平田氏は、年に6,000万円から8,000万円が支給され、これがないと潰れるしかないと言いながら(注5)、それを申請する書類の内容をチェックしたりしています(3年に一度見直しが行われるとのこと)。
助成金申請がその後どうなったのか詳しいことは分かりませんが、ネットで調べてみると、文化庁の「地域の芸術拠点形成事業」が2010年度で打ち切りとなったところ、2011年度から本格的に始められた「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」として「こまばアゴラ劇場」は、全国で12だけの「重点支援施設」に採択されたものの、それまでの「拠点助成」の約三分の一に減額されてしまったようです(注6)。
政界との太いパイプがあったにもかかわらず、平田氏は「事業仕分け」の流れに抗しきれなかったというべきなのでしょうか?
ハ)地方との関係では、鳥取市鹿野町で2008年に始められた「鳥の演劇祭」(注7)に、平田氏は青年団を引き連れて参加し(注8)、鳥取市の竹内市長や鳥取県の平井知事と親しく会話する姿も映し出されます。
なお、この演劇祭は昨年9月に第5回目が開催されたようですから、その後も順調のようです(注9)。今後、演出家・鈴木忠志氏が主宰する劇団SCOTが中心になって開催される世界演劇祭「利賀フェスティバル」のような広がりのあるものになっていくのでしょうか(注10)?それとも、山形国際ドキュメンタリー映画祭(想田和弘監督は『選挙』を出品したことがあります)のようなものになるのでしょうか?
ニ)さらに、鳥取県倉吉市の中学校の国語のモデル授業で、平田氏は演劇を教えます。
教室を10人程度ずついくつかの班に分け、それぞれの班に演劇の台本を作成させ、なおかつ教室の前で演じてもらいます(注11)。
テーマとして「転校生の紹介」が与えられますが、さすが現代の中学生、突拍子もない台本を作成したり、なかなか面白い演技を披露したりします(注12)。
平田氏は、演劇の面白さを生徒たちに理解してもらおうと努め、最後の講評では、それぞれの班の出来栄えを評価しつつ、自分の演劇論を展開することを忘れません。
ホ)映画ではロボット演劇のことが取り上げられます。
2体のロボットと2人の役者による20分の戯曲が、入念にコンピュータ調整が行われ、劇団員をも交えて稽古がなされた上で、上演されます(注13)。
これは青年団だけでできるわけでなく、大阪大学や大阪の企業との緊密な連携が必要であり、特に事前のプログラムの作成や数値のインプットには思いがけない苦労があったようです。
上演後、ロボットと一緒に演じる役者が「自分がロボットと違うのはどこなんだと考えてしまう」と言う一方で、平田氏は、「ロボットに内面性がないにもかかわらず、舞台のロボットには感情があったように見えたのではないか」と評価し、さらにまた映画『ロボジー』についてのエントリの(3)で触れた大阪大学のロボット工学者・石黒浩氏と、一層進化したロボットを使っての演劇について話し合います(注14)。
ヘ)『演劇2』では、平田氏の国際的な活躍ぶりも見逃されてはおらず、フランスのジュヌビリエ国立演劇センターでは、フランス語版の『砂と兵隊』が上演されました。
興味深いのは、芝居の最後に暗転があってカーテンコールがあるというのではなく、「これで終了です」といった趣旨のことが書かれたものが、舞台上部に映し出されます。
舞台では役者が観客とは無関係に繰り返し的な演技している中を、観客は三々五々退場していきます。拍手をしようと残っている観客に対して、平田氏は、「早く帰ってくれないか」などと言う始末。
こうしたところにも、同氏の演劇観が現れているものと思われます。
(4)二つの作品全体については、評論家の内田樹氏が、劇場用パンフレットにレビューを掲載しています。
例えば、「この映画の「成功」(と言ってよいと思う)の理由は二つある。一つは「観察映画」という独特のドキュメンタリーの方法を貫いた想田和弘監督のクリエーターとしての破格であり、もう一つは素材に選ばれた平田オリザという世界的な戯曲家・演出家その人の破格である。この二つの「破格」が出会うことで「ケミストリー」が生み出された。二人がそれぞれのしかたで発信している、微細な歪音がぶつかりあい、周波数を増幅し、倍音をつくり出し、ある種の「音楽」を作り出している。私はそんな印象を受けた」云々と述べています(注15)。
内田氏の論評は、「平田オリザさんが舞台で造形しようとしているのは、「いかなる既存の過激さの表象にも回収されない種類の過激さ」ではないかと私は思う」というように瞠目すべき指摘がなされているものの、全体としてレトリックに過ぎているような感じも受けてしまいます。
(注1)撮影期間は、「2008年7月下旬から9月半ば」と「11月と12月」、それに「2009年2月と3月」、その後4年ほど編集に時間をかけて、昨年の後半に公開されました〔想田和弘著『演劇vs.映画』(岩波書店、2012.10)によります〕。
(注2)民主党の議員は、劇場で上演された平田オリザ作・演出の『冒険王』を観劇してから懇談をしているようです。玄葉光一郎氏が「『冒険王』の舞台がどうしてイスタンブールなの?」と聞くと、平田氏が「実際に、あの都市にあのような日本人宿があったことと、そこが東西の接点だということから」と答えたりします(このシーンが挿入されていることによって、『冒険王』の全体像を知らない者には、貴重な情報が与えられることになります)。
なお、前原誠司氏は、平田氏に生まれた年(昭和37年)を聞いて「自分と同じだ」と言い、さらに「その年は、上祐など犯罪者が多いんだよ」などと話します。
(注3)当時の内閣官房副長官だった松井幸治氏との共著『総理の原稿―新しい政治の言葉を模索した266日』(岩波書店、2011)が出版されています。
(注4)上記「注1」で取り上げた『演劇vs.映画』における想田氏との対談の中で、平田氏は、「(政治に関わらない方がいいって言う)声があることはわかっていますが、あまり気にしないようにしています。政治と適度な距離を持つことは大事ですけど」などと述べています(P.154)。
(注5)劇団員年代別ミーティングの際、平田氏は、「今年は、助成金が1,000万円減らされて大変だ」、「最終的には、劇場の敷地を打って得られるお金でこれまでの借金を返済しなければならないかもしれない」などと述べたりしています。
(注6)この記事を参照(「こまばアゴラ劇場」HPの中の「これまでのお知らせ」に掲載)。
(注7)同演劇祭の中心である「鳥の劇団」については、この記事を参照。
(注8)2008年の演劇祭では平田氏の作・演出による『ヤルタ会談』が上演され、鳥取市長も観劇しています。
(注9)昨年のプログラムによれば、青年団も『銀河鉄道の夜』(作・演出が平田オリザ)で参加しています。
(注10)映画の中で、平田氏は、韓国の密陽市で開催される演劇祭が、この「鳥の演劇祭」によく似ていると言っていたように思います(同演劇祭については、例えばこの記事を参照)。
(注11)平田オリザ著『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書、2012,10)の第2章では、富良野市立布部小学校における授業例が記載されています。
そこでは、文部科学省の「コミュニケーション推進事業」が取り上げられているところ(たとえば、この記事で概略を確認できます)、その後その予算(特に自民党政権になってからの平成25年度予算案における扱い)がどのような扱いになっているのかはわかりません。
(注12)ある班では、転校生が火星人だったりします!
(注13)演じられる戯曲『働く私』は、働くために作られたにもかかわらず働く気力がなくなっているニートのロボットを巡るお話のようです。
平田氏は、劇団員に対するのと同じように、ロボットの喋り方や動き方に一つ一つ細かいダメ出しをしていきます。
(注14)方向性についてのヒントは、上記「注11」で触れた平田オリザ著『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』において、「無駄な動きを永遠に継続できるロボット」(P.75)、ロボットに「ランダムな動きを取り入れること」(P.76)とされている点に見られるのではないでしょうか?
(注15)内田氏のレビューは、同氏のブログでも、映画の公式HPでも読むことができます。
なお、本作についてのレビューとしては、例えば、この記事も大変参考になると思います。
★★★★☆