『東京家族』を渋谷シネパレスで見ました。
(1)本作については、最近の山田洋次監督の作品はあまり評価できない上に(注1)、小津安二郎の『東京物語』(1953年)をリメイクしている作品と聞いて、二の足を踏んでいたのですが、あちこちで評判を耳にするものですから、重い腰を上げて映画館に出かけてみました。
でもやはり、頷けませんでした。
単に、『東京物語』の表面的なシチュエーションを現代的なものに置き換えているだけで、内容的には余り現代のものになっていないのではないかという感じがします。
瀬戸内海の島から老夫婦が東京にやってきて、2人の息子や1人の娘に出会うところ、老夫婦が携帯電話を所持していたり、都内見物をしている時にバスから見える景色の中にスカイツリーがあったり、横浜のインタコンチのホテルに泊まったりするのですが、そんなことは別に大したことではないと思われます(単に風俗が変わっただけのことでしょう)。
一番違和感を覚えるのは、家族問題に焦点を当てるとしながらも、登場するどの家族にも目新しい問題が何も起きていないことです〔挙句は、一人暮らしの次男に恋人がいることが分かったりするのです!〕。
むろん、『東京物語』で描かれている老夫婦と息子や娘とのやや冷たい関係は、本作でもそのままです。でもそれだけでは現時点でリメイクする意味など余りないのでは、と思えてしまいます(注2)。
(2)とはいうものの、そこは名だたる山田監督、様々な工夫を凝らしています。
例えば、映画の冒頭を見てみましょう。
小津監督の『東京物語』では(注3)、まず、尾道で、登校する子供たちの姿などに引き続いて、寺院(浄土寺)の前を通過する列車が映し出された後、家の中で父(笠智衆)と母(東山千榮子)が旅支度をしています。
次女(香川京子)が勤めに出た後、隣の主婦(高橋豊子)が窓から顔を出し挨拶し、場面は東京の平山医院に移り、長男(山村聰)の妻(三宅邦子)が2階の掃除をしていると、迎えに行った長男が両親を連れて到着し、長女(杉村春子)も一緒にやってきますし、遅れて次男の妻(原節子)も顔を見せます。
他方、山田監督の『東京家族』では、いきなり平山医院の場面となり、長男(西村雅彦)の妻(夏川結衣)が部屋の掃除をしています。そこに、長女(中嶋朋子)がやってきて、品川に迎えに行った次男(妻夫木聡)からの連絡の有無を尋ねます。
そこへ次男から、両親(橋爪功と吉行和子)が見つからない旨の連絡が入るものの、居場所を聞くと品川駅ではなく間違って東京駅にいるとのこと。長女は、「全く役に立たないんだから」と怒ります。
場面は品川駅に変わり、携帯電話で次男が見つからない旨を連絡して、両親はタクシーを使って長男の家に行くことに。
両親が長男の家に着いてから暫くして次男も長男の家にやってきます。
こうしてみると、『東京物語』の方は、時間的な流れに沿って淡々とゆったり物語が進行しますが、『東京家族』では、冒頭の短い間に、家族を構成する各々の人物の感じを素早くスピーディに観客に把握できるよう、大層巧みに構成されているように思われます。
描き出されている時間のスピードアップは、母親の死にもうかがえます。
『東京物語』の方は、大阪に立ち寄ってから尾道に帰り着いた後で亡くなりますが、『東京家族』では、東京滞在中にそれこそアッという間に亡くなってしまうのです(注4)。
こうした慌ただしい感じは、両作の間に横たわる半世紀以上の期間に生じた社会現象のスピードアップに、あるいは対応していると言えるかもしれません。
ただ、それは、東京と瀬戸内とを結ぶ鉄道として夜行列車(注5)が走っていた時代から新幹線の今へというような物理的な面のみならず(注6)、例えば昨今の急激な少子高齢化といった面でもうかがえるところでしょう。
ですが、そういう方面になると、本作は余り切り込んではいない感じがします。
例えば、まず老夫婦が泊まることになる長男の家には、『東京物語』と同じように2人の子供がいたりするところ(注7)、昨今では少子化で4人以上の家族の割合は減少してきているようです(注8)。
また、『東京家族』における老夫婦の3人の子供は、それぞれ結婚しているか、結婚が見込まれていますが(注9)、未婚者が増えてきているのが現状ではないでしょうか(注10)?
さらに、母親が突然に亡くなってしまいますから、本作には今のところ介護問題が生じていませんが、認知症の親の介護をどうするかに悩む家が増えているのが現状ではないでしょうか?
こんなあれやこれやから、本作が余り現代的とはいえない感じがするな、と思ってしまいます(注11)。
とはいえ、出演する俳優陣は、『東京物語』の優れた俳優陣と比較するのは酷ながら、皆それぞれの持ち味をうまく出していると思いました。
特に、妻夫木聡は、『東京物語』では登場しない役柄ながら、このところの好調ぶりを維持していて、なかなかいいなと思いましたし、その相手役の紀子を演じる蒼井優も、まぶしさを感じました(注12)。
(3)渡まち子氏は、「名作「東京物語」を現代に置き換えた家族ドラマ「東京家族」。小津の愛した“紀子”が希望を象徴する」として70点を付けています。
(注1)尤も、最近では『おとうと』を見たくらいで、とても大きなことは言えませんが。
(注2)上記「注1」の『おとうと』に関するエントリで、「この作品は、日本の家族を描き続けてきた山田洋次監督の集大成的なものとされますが、その家族が今や大きく変質しつつある、という方を見ないで、旧来の枠組みの中で家族を描き出そうとしているのでは」と申し上げましたが、これは本作にも少なからず当てはまるのではないでしょうか?
(注3)『東京物語』の内容については、この記事が参考になります。
(注4)さらにいえば、『東京家族』において、父親の周吉は同郷の友人の沼田(小林稔侍)と居酒屋で飲み明かした際、そのメートルの上がり方の早さには驚きます。挙げ句の果ては、周吉は、「この国はどこかで間違ってしまったんだ。もうやり直しはきかないのか。このままではいけない」なとと気炎を上げる始末です。
他方、『東京物語』における周吉は、次第に長男のことを沼田に愚痴り出しますが、「まァ ええと思わにゃいかんじゃろ」と言って納得もしている感じで、『東京家族』のような怒りには到達しません。
(注5)『東京物語』の頃は、この記事によれば、東京-尾道に約16時間かかったとのこと。
(注6)『東京家族』における老夫婦の住む「瀬戸内海の小島」がどこなのか映画では明示されていませんが、仮にロケ地の「大崎上島」ならば、広島空港のスグ南側に位置しますから、常識的には飛行機を利用するのではと思われます。
ちなみに、三原から東京までは新幹線で約5時間ですが、飛行機ならば、フライト時間はおよそ80分間です。
(注7)中学生と小学生の男の子という年齢構成まで同じです。ただ、『東京家族』の場合は、弁当を持って塾通いという現代的な様子が描かれているところ、「閉じこもり」とか「いじめ」といった問題までは踏み込んではいません。
(注8)この記事における表4-2「世帯人員別一般世帯数の推移」。
(注9)次男の昌次は、母親に、紀子にプロポーズしたことを打ち明けます。
なお、昌次は、『東京物語』では戦死したとして描かれなかったキャラクターながら、本作においては、舞台美術に携わる若者といった役柄とされています。
ですが、定職に就いているとは言えず、飛び込みの仕事を請け負っているにすぎないように見え(要すれば、フリーターかニートと言うところでしょうか)、その点を父親も心配しているようです。
さらに昌次は、3.11の被災地救済のボランティアに出向いた際に紀子と出会ったことになっていたりして、今的な要素が取り込まれているように見られますが、そうしたことが彼の言動と深いところで結びついているようには余り受け止められませんでした。
(注10)この記事のグラフを見ると、『東京物語』の頃よりも、現在、婚姻率はかなり低下しており、逆に離婚率は倍くらいに増加しています(同居20年以上の離婚の件数になると、著しい増加が見られます)。
(注11)『東京物語』を現代的な視点から捉え直す上であるいは参考となるのは、『演劇1、演劇2』についてのエントリで専ら取り上げた平田オリザ氏の戯曲『東京ノート』ではないでしょうか?
平田氏の著者『演劇入門』(講談社現代新書、1998年)では、「『東京ノート』は、小津安二郎監督の名作『東京物語』からモチーフをとっている」(P.112)などと述べられています。
そして、「『東京物語』のなかで、私がいちばん好きなシーンは、原節子演ずる紀子が、笠智衆と東山千榮子演ずる義理の両親を、はとバスに乗せて案内するシーンだった」として、「そこで私の妄想が膨らみはじめる。美術館を舞台にしてみたらどうだろう。美術好きの姉とその姉の状況に合わせて美術館に集う兄妹たちという設定が、すぐに頭に浮かんだ」と述べています(P.116)。
実際に『東京ノート』では、『東京物語』のシチュエーションが、田舎で父親の面倒をみている長女(美術が好きです)が上京し、美術館で一緒に食事をしようと兄妹たちが集まってくるというように置き換えられています〔特に、次男の妻は、次男から「他に好きな女の人がいる」と言われて、離婚を考えているようです(ハヤカワ演劇文庫『平田オリザⅠ 東京ノート』P.116)〕。
勿論、戯曲と映画とではかなりの違いがあるでしょう。戯曲の場合は、プロットや設定も、映画とは異なり、相当簡略なものにして、観客の想像力に委ねなくてはならなくなると考えられます(平田氏の上記の著書のP.65など)。
それでも、小津監督の『東京物語』をリメイクするというのであれば、映画の場合であっても、一度このくらいまで物語を解体した上で現代的なものを創り上げていくことが必要なのではと思われるところです。
(注12)蒼井優は、上記の『おとうと』でも魅力的でしたが、ぜひ、世のオジサマ族から息子の嫁にしたい女優といわれてしまうような存在にならないでもらいたいものです。
★★★☆☆
象のロケット:東京家族
(1)本作については、最近の山田洋次監督の作品はあまり評価できない上に(注1)、小津安二郎の『東京物語』(1953年)をリメイクしている作品と聞いて、二の足を踏んでいたのですが、あちこちで評判を耳にするものですから、重い腰を上げて映画館に出かけてみました。
でもやはり、頷けませんでした。
単に、『東京物語』の表面的なシチュエーションを現代的なものに置き換えているだけで、内容的には余り現代のものになっていないのではないかという感じがします。
瀬戸内海の島から老夫婦が東京にやってきて、2人の息子や1人の娘に出会うところ、老夫婦が携帯電話を所持していたり、都内見物をしている時にバスから見える景色の中にスカイツリーがあったり、横浜のインタコンチのホテルに泊まったりするのですが、そんなことは別に大したことではないと思われます(単に風俗が変わっただけのことでしょう)。
一番違和感を覚えるのは、家族問題に焦点を当てるとしながらも、登場するどの家族にも目新しい問題が何も起きていないことです〔挙句は、一人暮らしの次男に恋人がいることが分かったりするのです!〕。
むろん、『東京物語』で描かれている老夫婦と息子や娘とのやや冷たい関係は、本作でもそのままです。でもそれだけでは現時点でリメイクする意味など余りないのでは、と思えてしまいます(注2)。
(2)とはいうものの、そこは名だたる山田監督、様々な工夫を凝らしています。
例えば、映画の冒頭を見てみましょう。
小津監督の『東京物語』では(注3)、まず、尾道で、登校する子供たちの姿などに引き続いて、寺院(浄土寺)の前を通過する列車が映し出された後、家の中で父(笠智衆)と母(東山千榮子)が旅支度をしています。
次女(香川京子)が勤めに出た後、隣の主婦(高橋豊子)が窓から顔を出し挨拶し、場面は東京の平山医院に移り、長男(山村聰)の妻(三宅邦子)が2階の掃除をしていると、迎えに行った長男が両親を連れて到着し、長女(杉村春子)も一緒にやってきますし、遅れて次男の妻(原節子)も顔を見せます。
他方、山田監督の『東京家族』では、いきなり平山医院の場面となり、長男(西村雅彦)の妻(夏川結衣)が部屋の掃除をしています。そこに、長女(中嶋朋子)がやってきて、品川に迎えに行った次男(妻夫木聡)からの連絡の有無を尋ねます。
そこへ次男から、両親(橋爪功と吉行和子)が見つからない旨の連絡が入るものの、居場所を聞くと品川駅ではなく間違って東京駅にいるとのこと。長女は、「全く役に立たないんだから」と怒ります。
場面は品川駅に変わり、携帯電話で次男が見つからない旨を連絡して、両親はタクシーを使って長男の家に行くことに。
両親が長男の家に着いてから暫くして次男も長男の家にやってきます。
こうしてみると、『東京物語』の方は、時間的な流れに沿って淡々とゆったり物語が進行しますが、『東京家族』では、冒頭の短い間に、家族を構成する各々の人物の感じを素早くスピーディに観客に把握できるよう、大層巧みに構成されているように思われます。
描き出されている時間のスピードアップは、母親の死にもうかがえます。
『東京物語』の方は、大阪に立ち寄ってから尾道に帰り着いた後で亡くなりますが、『東京家族』では、東京滞在中にそれこそアッという間に亡くなってしまうのです(注4)。
こうした慌ただしい感じは、両作の間に横たわる半世紀以上の期間に生じた社会現象のスピードアップに、あるいは対応していると言えるかもしれません。
ただ、それは、東京と瀬戸内とを結ぶ鉄道として夜行列車(注5)が走っていた時代から新幹線の今へというような物理的な面のみならず(注6)、例えば昨今の急激な少子高齢化といった面でもうかがえるところでしょう。
ですが、そういう方面になると、本作は余り切り込んではいない感じがします。
例えば、まず老夫婦が泊まることになる長男の家には、『東京物語』と同じように2人の子供がいたりするところ(注7)、昨今では少子化で4人以上の家族の割合は減少してきているようです(注8)。
また、『東京家族』における老夫婦の3人の子供は、それぞれ結婚しているか、結婚が見込まれていますが(注9)、未婚者が増えてきているのが現状ではないでしょうか(注10)?
さらに、母親が突然に亡くなってしまいますから、本作には今のところ介護問題が生じていませんが、認知症の親の介護をどうするかに悩む家が増えているのが現状ではないでしょうか?
こんなあれやこれやから、本作が余り現代的とはいえない感じがするな、と思ってしまいます(注11)。
とはいえ、出演する俳優陣は、『東京物語』の優れた俳優陣と比較するのは酷ながら、皆それぞれの持ち味をうまく出していると思いました。
特に、妻夫木聡は、『東京物語』では登場しない役柄ながら、このところの好調ぶりを維持していて、なかなかいいなと思いましたし、その相手役の紀子を演じる蒼井優も、まぶしさを感じました(注12)。
(3)渡まち子氏は、「名作「東京物語」を現代に置き換えた家族ドラマ「東京家族」。小津の愛した“紀子”が希望を象徴する」として70点を付けています。
(注1)尤も、最近では『おとうと』を見たくらいで、とても大きなことは言えませんが。
(注2)上記「注1」の『おとうと』に関するエントリで、「この作品は、日本の家族を描き続けてきた山田洋次監督の集大成的なものとされますが、その家族が今や大きく変質しつつある、という方を見ないで、旧来の枠組みの中で家族を描き出そうとしているのでは」と申し上げましたが、これは本作にも少なからず当てはまるのではないでしょうか?
(注3)『東京物語』の内容については、この記事が参考になります。
(注4)さらにいえば、『東京家族』において、父親の周吉は同郷の友人の沼田(小林稔侍)と居酒屋で飲み明かした際、そのメートルの上がり方の早さには驚きます。挙げ句の果ては、周吉は、「この国はどこかで間違ってしまったんだ。もうやり直しはきかないのか。このままではいけない」なとと気炎を上げる始末です。
他方、『東京物語』における周吉は、次第に長男のことを沼田に愚痴り出しますが、「まァ ええと思わにゃいかんじゃろ」と言って納得もしている感じで、『東京家族』のような怒りには到達しません。
(注5)『東京物語』の頃は、この記事によれば、東京-尾道に約16時間かかったとのこと。
(注6)『東京家族』における老夫婦の住む「瀬戸内海の小島」がどこなのか映画では明示されていませんが、仮にロケ地の「大崎上島」ならば、広島空港のスグ南側に位置しますから、常識的には飛行機を利用するのではと思われます。
ちなみに、三原から東京までは新幹線で約5時間ですが、飛行機ならば、フライト時間はおよそ80分間です。
(注7)中学生と小学生の男の子という年齢構成まで同じです。ただ、『東京家族』の場合は、弁当を持って塾通いという現代的な様子が描かれているところ、「閉じこもり」とか「いじめ」といった問題までは踏み込んではいません。
(注8)この記事における表4-2「世帯人員別一般世帯数の推移」。
(注9)次男の昌次は、母親に、紀子にプロポーズしたことを打ち明けます。
なお、昌次は、『東京物語』では戦死したとして描かれなかったキャラクターながら、本作においては、舞台美術に携わる若者といった役柄とされています。
ですが、定職に就いているとは言えず、飛び込みの仕事を請け負っているにすぎないように見え(要すれば、フリーターかニートと言うところでしょうか)、その点を父親も心配しているようです。
さらに昌次は、3.11の被災地救済のボランティアに出向いた際に紀子と出会ったことになっていたりして、今的な要素が取り込まれているように見られますが、そうしたことが彼の言動と深いところで結びついているようには余り受け止められませんでした。
(注10)この記事のグラフを見ると、『東京物語』の頃よりも、現在、婚姻率はかなり低下しており、逆に離婚率は倍くらいに増加しています(同居20年以上の離婚の件数になると、著しい増加が見られます)。
(注11)『東京物語』を現代的な視点から捉え直す上であるいは参考となるのは、『演劇1、演劇2』についてのエントリで専ら取り上げた平田オリザ氏の戯曲『東京ノート』ではないでしょうか?
平田氏の著者『演劇入門』(講談社現代新書、1998年)では、「『東京ノート』は、小津安二郎監督の名作『東京物語』からモチーフをとっている」(P.112)などと述べられています。
そして、「『東京物語』のなかで、私がいちばん好きなシーンは、原節子演ずる紀子が、笠智衆と東山千榮子演ずる義理の両親を、はとバスに乗せて案内するシーンだった」として、「そこで私の妄想が膨らみはじめる。美術館を舞台にしてみたらどうだろう。美術好きの姉とその姉の状況に合わせて美術館に集う兄妹たちという設定が、すぐに頭に浮かんだ」と述べています(P.116)。
実際に『東京ノート』では、『東京物語』のシチュエーションが、田舎で父親の面倒をみている長女(美術が好きです)が上京し、美術館で一緒に食事をしようと兄妹たちが集まってくるというように置き換えられています〔特に、次男の妻は、次男から「他に好きな女の人がいる」と言われて、離婚を考えているようです(ハヤカワ演劇文庫『平田オリザⅠ 東京ノート』P.116)〕。
勿論、戯曲と映画とではかなりの違いがあるでしょう。戯曲の場合は、プロットや設定も、映画とは異なり、相当簡略なものにして、観客の想像力に委ねなくてはならなくなると考えられます(平田氏の上記の著書のP.65など)。
それでも、小津監督の『東京物語』をリメイクするというのであれば、映画の場合であっても、一度このくらいまで物語を解体した上で現代的なものを創り上げていくことが必要なのではと思われるところです。
(注12)蒼井優は、上記の『おとうと』でも魅力的でしたが、ぜひ、世のオジサマ族から息子の嫁にしたい女優といわれてしまうような存在にならないでもらいたいものです。
★★★☆☆
象のロケット:東京家族