孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

UAE  イエメンから撤退 アメリカの「対イラン封じ込め」に綻び イエメン内戦の様相も変化

2019-09-03 23:22:33 | 中東情勢

(アラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビで、アブダビ首長国のムハンマド・ビン・ザイド・ナハヤン皇太子(MBZ 右)に出迎えられるサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子(MBS 左)。サウジ王室提供(2018年11月22日提供)【2018年11月23日 AFP】)

 

【「蛇の頭の上でダンスを踊ることに等しい」イエメン統治】

中東イエメンの統治が非常に難しいことを、サレハ元大統領は「蛇の頭の上でダンスを踊ることに等しい」と例え、それができるのは自分だけだと豪語していました。

 

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軍を骨抜きにしておくこと、北部部族と一定の関係を維持すること、中部イエメンのテクノクラートを掌握すること、旧南イエメンの不満分子を間接的に抑えること、東部ハドラマウトの人々をつなぎ止めておくこと、そして流れ込んできたアルカーイダ系の人々が国内で悪事をはたらかないようになだめておくこと。さらにサウジとはけんかしない程度に関係を維持し、必要なときにはお金をもらうこと。

 

これらをサレハはそれぞれの仲介的な役割を担う人を使いながらやってきたのです。サレハ自身の言葉によれば、イエメンを統治することは「蛇の頭の上でダンスを踊ることに等しい」のです。【2011年6月 佐藤 寛氏 IDE-JETRO】

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実際、サレハ元大統領失脚後のイエメンの内戦状態を見れば、彼の言葉はあながちウソでもなかったとも思われます。

 

上記のいくつかの不安定要素のうち、「北部部族」というのが、現在イランの支援をうける形で、サウジ・UAEが支援する暫定政府との内戦を戦っている「フーシ派」と呼ばれる勢力です。

 

****「フーシ派」と称されるシーア派の一派ザイド派の武装組織****

フーシはイエメンで35~45%の人口を占めるシーア派の一派ザイド派の武装組織で、組織の指導者がフーシ家出身であるため、「フーシ派」とも俗称されるが、フーシ派という宗派があるわけではない。

 

ザイド派はイエメンを9世紀ごろから支配してきた。1918年にオスマントルコ帝国が第1次世界大戦で敗北したのに乗じて北部で独立したイエメン王国はザイド派の王国だった。

 

そのイエメン王国は、62年に軍がクーデターを起こして打倒された。その後、70年に軍事政権が樹立されるまで北イエメンは内戦状態になった。【9月3日 川上泰徳氏 論座】

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なお、ソ連が支援する軍主導の共和派に対抗して、当時のサウジアラビアは「フーシ派」の王政を、親米パーレビ王政のイランとともに支援していました。

 

また、上記不安定要素のなかの「旧南イエメンの不満分子」というのが、ここのところUAEの支援を受ける形で、重要港湾都市アデンをめぐる争いで表に出てきている南部分離独立派です。

 

****南部分離独立派****

南イエメンは反英闘争を行っていた左派解放闘争勢力が1967年に南イエメン人民共和国(後にイエメン人民民主共和国)として独立し、マルクス・レーニン主義を掲げるイエメン社会党の単独支配体制となった。

 

ところが、ソ連崩壊によって、イエメンは1990年に南北が統一された。

 

軍出身の北イエメンのサレハ大統領が統一イエメンの大統領に、南イエメンのイエメン社会党のビード書記長が副大統領になり、統一議会選挙も実施された。

 

しかし、北部主導の統合に南部勢力の不満が強く、94年にビード氏が分離独立を宣言し、南北内戦が始まった。内戦は2カ月でアデンを陥落させたサレハ側の勝利で終わった。【同上】

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なお、南部分離独立派とUAEとのつながりは、上記の90年代からのもののようです。

 

このような「フーシ派」や「旧南イエメンの不満分子」を抑えて、あるいは懐柔して、イエメン統治をおこなっていたのが強権支配者サレハであり、サレハなきイエメンは再び混乱・内戦に・・・という状況です。

 

現在のイエメンにおける混乱・対立の構図は、こうした過去の歴史を引き継いだものですが、“現在の内戦が60年代と異なるのは、イランが反米でシーア派勢力を主導したために、対立の構図が「王政派対共和派」から「シーア派対スンニ派」になったことである”【同上】とのこと。

 

【UAE イエメンから撤退】

「シーア派イラン対スンニ派サウジ」の代理戦争と評される「フーシ派対暫定政府」の戦いは相変わらずですが(単なる代理戦争ではなく、過去の歴史を引き継ぐものであることは上述のとおり)、これまでサウジと協調してイラン包囲網を形成してきたアラブ首長国連邦(UAE)がイエメンから、あるいは暫定政府支援から手を引き始めたという変化が起きています。

 

****UAE撤退でも解決が見えないイエメン戦争****

2015年に始まったイエメン戦争は今の世界で最悪の人道危機といってよい様相を呈している。人口の3分の2以上に当たる2400万人が援助を必要とし、これまでの死者数は数万人に上ると見込まれる。その多くは一般市民である。

 

イエメン戦争の大まかな構図は、サウジ、アラブ首長国連邦(UAE)が主導して支援するハーディ政権と、イランが支援するホーシー派の間での戦いである。

 

よく言われる通り、イランとサウジとの代理戦争である。ところが、7月8日、UAEは、イエメン全土で部隊の配置転換、規模縮小を進めていることを発表した。「軍事第一」から「和平第一」への転換だという。撤退と言ってよい。

 

UAEは、サウジアラビアなど同盟国を苛立たせる恐れがあるとして、その撤退を公式に説明していない。しかし、UAEは少なくとも5000人の部隊をイエメンに派遣し、政府軍と民兵を訓練して来たが、撤退させる意向である。

 

UAEは2018年の主戦場であったホデイダ(紅海に面する港)で、人員、攻撃ヘリコプター、重砲の配備を大幅に削減したと言われている。2018年12月、ホデイダで国連仲介の停戦が発効したが、それが撤退の理由になった。

 

サウジは主として空爆をしているが、地上軍でないと土地を確保し得ない。地上軍たるUAE軍と政府軍は、一地域でホーシ―派を追い詰め、殲滅する能力はあるが、全土を制圧する能力はない。

 

他方、ホーシ―派はイランの支援を受け、サウジの空港にミサイル攻撃をし、無人機でサウジのパイプラインを攻撃したりしているが、これまた、全土を制圧する能力はない。

 

要するに、この紛争には軍事的解決はなく、唯一の道は停戦、和平交渉なのである。それが実現するように努力すべきであろう。

 

米国では、この戦争でサウジアラビア支援をやめるべしとの圧力が高まった。特に2018年、サウジによる反体制派ジャーナリストのカショギ殺害の後、圧力は強まり、サウジアラビアの実際の権力者、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子(MBS)への不満が高まった。

 

4月に米議会は、アメリカの関与を抑制するよう政権に求める超党派の決議を採択した。トランプ大統領は拒否権を行使したが、下院は現在、サウジアラビアへの弾薬提供を阻止する新たな取り組みを始めている。

 

戦争に対するアメリカの嫌悪感の高まりは、UAEがサウジ主導の介入から距離を置く更なるインセンティブになった。同時に、米国とイランの間の緊張の高まりは、事態がさらにエスカレートした場合に備え、UAEに軍隊を国に戻しておくようにさせる一因になったと思われる。

 

UAEの部隊が撤退したことは、停戦、和平交渉のきっかけになり得る。イエメン政府とホーシ―派はともに戦いに疲弊しており、停戦を選好する可能性はある。ただ、この戦争はサウジとイランの代理戦争になっている面が大きいので、イエメン人同士が合意したからといって、必ずしもそれで戦争が終結するわけではない。

 

サウジの実力者ムハンマド・ビン・サルマン皇太子(MBS)が、自分が大きく関与した戦争をやめ、停戦を選択するかどうか考えてみると、そう簡単ではないように思われる。

 

他方、イラン側は、UAE部隊の撤退はサウジ主導連合の弱さを示すと考え、攻勢を強化することも考えられる。これに加え、米イランの対立が厳しくなっている。イランはホーシー派を使ってサウジ攻撃をする可能性を、米・サウジとイラン対立の構図の中で保持したいと考えることが十分にありうる。

 

UAEの撤退でイエメン戦争の終結の光が出てきたとすれば、大いに歓迎できるが、停戦、和平の話し合いが進展するためには、超えられなければならない障害は多いと思われる。【8月5日 WEDGE】

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【二人の「ムハンマド皇太子」】

UAEを主導するのは、UAEの実効支配者であるアブダビ首長国のムハンマド皇太子です。

 

“ムハンマド皇太子”と言えば、近年ではサウジの実力者であるムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)が前面に出ていますが、アブダビ皇太子のムハンマド・ビン・ザイド(通称MBZ)はMBSの二回り年長で、アラブ世界きっての切れ者として知られている人物です。

 

強引な手法が目立ち、カショギ氏殺害事件に見られるように、残忍で、やることが杜撰なMBSとは異なり(MBSが主導するのイエメン空爆も多大な民間人犠牲者を出しながら、決定的な成果を出していません)、教養・資質ともに評価が高い人物です。

 

サウジのMBSは独裁者好きのトランプ大統領とはウマが合うようですが、その強引さ・残忍さ・杜撰さで、トランプ政権内部ではアブダビのMBZの方が評価が高いとも。【「選択」9月号より】

 

サウジの唯我独尊的なMBSも、MBZとは緊密な中で、MBZには一目も二目も置いていると言われています。

 

【南部分離独立派と暫定政府軍のアデン攻防】

そのアブダビのMBZはイエメンから撤退するだけでなく、支援する南部分離独立派勢力が、サウジの支援する暫定政府から重要港湾都市アデンを奪い取ったということで、イエメンの内戦は新たな様相を見せています。

 

“ 8月10日、南部の分離独立を求める「南部暫定評議会(STC)」がアデンの暫定政府軍の軍事拠点や大統領府を占拠した。サウジに滞在するハディ暫定大統領は「クーデター」と呼んで非難した。南部暫定評議会の蜂起の後、サウジとUAEが仲介に乗り出したとされたが、28日には政権軍がアデン奪還作戦に出て、それに対して、UAE空軍が政権軍を空爆して、撃退した。”【9月3日 川上泰徳氏 論座】

 

さすがにUAEは表向き、空爆は暫定政府軍ではなく「テロ組織」を対象としたものだとしてはいますが・・・

 

****イエメン内戦、UAEがアデン空爆を認める 標的は「テロ組織」****

アラブ首長国連邦は29日、イエメンの暫定政権が首都を置くアデンで空爆を実施したことを認め、「テロリストの民兵組織」が標的だったと発表した。

 

イエメン暫定政権は同日、UAEがアデンで暫定政権軍を狙って空爆を行ったとツイッターで非難していた。

 

UAEは、イスラム教シーア派系反政府組織フーシ派と戦うイエメン暫定政権を支援するサウジアラビア主導の連合軍の主要メンバー。

 

UAE外務省が29日夜に行った発表によると、「テロリストの民兵組織」がサウジ連合軍への攻撃を準備しているとの現地情報が確認されたとして、同組織を標的に「精密かつ直接的な空爆」を28、29両日に実施したという。

 

同省は、この空爆は「テロ組織とつながりのある武装グループ」からの攻撃を受けての「自己防衛」だったと主張している。 【8月30日 AFP】

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アデンをめぐる攻防は、暫定政府軍と「南部暫定評議会(STC)」が、“取ったり、取られたり”を繰り返しています。

 

****イエメン情勢****

イエメン情勢について、断片的ながら、次の通り

南イエメンについては、昨日シャブワ県の第2の都市azan を分離主義者が奪還したと伝えしましたが、再び政府軍が再奪還した模様です。

アラビア語メディアによると、分離主義者が14台の車両で、町に侵入し、政府軍と激しい戦闘になり、多数の死傷者が出たが、それから数時間後に、政府軍の大規模な増援部隊が到着し、分離主義勢力を駆逐した由

 

また現地情勢鎮静化のために、サウディ・UAE委員会も到着した由
更にサウディ軍部隊も到着した由(その規模は不明)

(南イエメンでは一時UAEの支援の下に、分離主義勢力が優勢になっていたが、その後はコロコロと情勢が変わり、取ったり取られたりの情勢になっているが、その背景は不明。サウディのUAEに対する圧力でもあるのか?)(後略)【9月3日 「中東の窓」】

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【アブダビのMBZが描くアラビア版「真珠の首飾り」構想 イラン接近で包囲網に綻び】

そもそもUAE、アブダビのMBZがイエメンに介入した思惑については、以下のようにも。

 

****綻び始めた「対イラン封じ込め」 サウジとUAEの同盟に「亀裂」****

(中略)

(イエメン介入については)UAEには差し迫った軍事脅威はなかった。むしろ、もっと大きな野心があった。

 

ペルシヤ湾、オマーン湾、アラビア海から東アフリカヘと続く海の道の、主要港湾を押さえることだ。千枚一夜物語のシンドバッドの冒険を連想させるような、かなり夢想的な海洋帝国構想である。

 

中国が一帯一路で描く、インド洋から太平洋にかけての「真珠の首飾り」構想の、アラビア版だ。

 

UAEはイエメン内戦でもっぱら、ソコトラ島やフダイダ港、モカ港など海運拠点の攻略に力を入れた。ハデイ暫定大統領はあくまで統一国家として、フーシ派掃討を目指していたから、暫定大統領とアブダビ皇太子は当初から折り合いが悪かった。

 

UAEが支援していた「南部暫定評議会」は、その名の通り、南部拠点の分離独立派である。アデン港は、UAE版「首飾り」のひと際大きな宝石になるはずで、一度手中にすれば、軍事的に再奪還さ且ない限り、分離派がアデンを死守するだろう。(後略)【「選択」9月号】

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UAEがイエメンから撤退を始めたのも、イランとの緊張を緩和して、更にUAEの金融センターであるドバイにイランマネーを再び呼び込みたいとの思惑があってのこととされていますが、それに加えて上記記事では、上記のアラビア版「真珠の首飾り」構想に関して、UAEとしては“そこそこの戦果を得た”との判断があってのこととも指摘されています。

 

ただ、イエメン内戦が膠着したままでサウジとしての何の戦果もなく、しかも虎の子のアデンまで南部分離独立派・UAEに取られたとあっては、サウジのMBSの立場はありませんので、サウジ側がおいそれとそうした事態を容認するとも思えませんが・・・。

 

サウジのMBSとUAEのMBZの間で、なんらかの話がなされるのでしょう。現地勢力がそれを聞き入れるのかどうかは知りませんが。

 

港湾都市アデンの支配がどうなるかは別として、UAEが対イラン包囲網から手を引くとなると、アメリカの「対イラン封じ込め」にとってはまさに「綻び」ともなります。

 

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