(18日のカチンスキ大統領の国葬に参列したメドベージェフ露大統領(奥)、手前はウクライナ・ヤヌコビッチ大統領、中央はリトアニア・グリバウスカイテ大統領 アイスランド火山による航空機トラブルで出席を取りやめた国も多い中で、東欧・旧ソ連諸国からの列席が目立ちます。もちろん地理的な近さで陸路での出席が可能なためでしょうが、ポーランドへの親近感・つながりの深さもあるのでは。
強烈な愛国主義でドイツやロシアなどと摩擦を起こして国民からの批判もあったカチンスキ大統領を、旧王族や国家的英雄が眠る南部クラクフのバベル城に埋葬するという政府の決定には、国内でも異論があったようです。ただ、“悲劇の死”は人を“英雄”します。“flickr”より By plasmastik
http://www.flickr.com/photos/plasmastik/4531390182/)
【カチン虐殺に重なる悲劇】
70年前に悲劇の舞台となった「カチンの森」が、今月10日、新たな惨事の舞台となりました。追悼式に向かうカチンスキ大統領らを乗せたポーランド政府専用機が、ロシア西部スモレンスクの森に墜落。ロシアによる救助活動が行われましたが、一人の生存者も見つかりませんでした。
第二次大戦中に当時のソ連・スターリン政権の決定で戦争捕虜ら2万人以上のポーランド人が銃殺され埋められた事件は「カチンの森事件」と総称されていますが、埋葬現場は5カ所あり、43年にナチス・ドイツ軍が初めて大量の遺体を発見した「カチンの森」には、このうち4421人が埋葬されています。
ロシア側は事故に先立つ7日、プーチン首相が70年に合わせロシア首脳として初めて事件の舞台を訪れ、ポーランドのトゥスク首相を招いて追悼式典を行い、ポーランドとの歴史的対立を乗り越えようと「和解」を呼び掛けたばかりでした。【4月10日 毎日より】
ロシアと折り合いの悪いせいか、カチンスキ大統領はこの式典には招待されませんでしたが、ロシアはポーランド国家元首を受け入れ、ポーランド側は別日程の10日に大統領主催の式典を行うことにしていました。
今回の惨事は、ポーランド大統領を含む政府要人が多数死亡するという事故そのものの衝撃以外に、この事故がロシアとポーランドの関係にどのような影響をもたらすか、ひいてはロシア・欧州各国間の今後の関係にどのように影響するか・・・という政治的観点から注目されていました。
帝政ロシアなどによる18世紀のポーランド分割に続き、ソ連は1939年にナチス・ドイツとともにポーランドに侵攻、第二次大戦後も半世紀近く支配下に置いた歴史的経緯、更には「カチンの森」やワルシャワ蜂起見殺しなどの“事件”を含めて、ポーランドにはロシアに対する不信感が根強くあり、死亡したカチンスキ大統領はそうした反ロシア感情を代表する対ロシア強硬派の政治家でした。
対ロシア最前線に立つポーランドとロシアの関係は、欧州全体の対ロシア関係(ロシアからすれば欧州戦略)に影響します。
“EU加盟各国の対露関係はそれぞれ異なるが、仮にロシアとポーランドの2国間関係が改善すれば、それはロシアとEU間の全般的なムードの改善をもたらす可能性が高い。しかし、それは同時に、墜落事故の影響でポーランドが再びロシアに不信感を持つようになってしまえば、EUの東西緊張はまだまだ続くことになる可能性もあるということでもある。”【4月12日 AFP】
「この事故は陰惨さを象徴している。ポーランドでは、ロシアと関係することがらはすべて悲惨で悪いものだという考えが再び持ち上がるかもしれない」「たとえ事故原因がパイロットのミスによるものだと判明したとしても、KGB(旧ソ連国家保安委員会)がカチンスキ氏を殺したと言う人はいなくならないだろう」「ポーランド人の意識にある『ロシアフォビア(ロシア恐怖症)』はますます強化されるだけだろう」・・・というような懸念もありました。
【和解の芽をつみたくないロシアの配慮】
しかし、今のところは、ポーランドとの歴史的対立を乗り越え「和解」を求めるロシア側の対応が功を奏して、むしろポーランド側の心を開く展開になっているようです。
メドベージェフ大統領は事故直後の10日、プーチン首相をトップとする墜落原因調査の政府委員会設置を命じ、首相は早期の事故原因究明とともに、モスクワに到着する遺族への対応に万全を期すよう指示。
ロシア外務省は、墜落事故発生から数時間以内に、ロシア当局による墜落事故の調査や身元確認に加わるポーランド側の要員に対してビザ(査証)をただちに発行すると発表。
ロシア側は原因究明から遺族受け入れまで、細かい配慮を行ってポーランド政府に全面的に協力する姿勢を示しました。
こうしたロシア側の事故後の対応には、ようやく訪れたポーランドとの関係改善の芽をつんではならない、という思惑が色濃くにじんでいると報じられています。
****ポーランド大統領機墜落 和解寸前…ロシア苦悩****
◇服喪の日◇
モスクワ市内のポーランド大使館や西部サンクトペテルブルクの同国総領事館には、事故の犠牲者を悼むロシア人らが多数訪れ、手向けられた花やキャンドルが増え続けている。
ロシア政府が遺族受け入れのために用意したモスクワ市内のホテルには、ポーランドから100人以上の関係者が到着した。両国の専門家は遺体の身元確認を合同で進めており、ポーランドのコパチ保健相は「ロシア側の専門家は熱心に作業を進めている。ロシア政府に感謝したい」と述べた。両国は事故原因の究明も合同で行う見通しだ。
事故が起きた10日、プーチン首相は現場に飛んでポーランドのトゥスク首相と抱き合って犠牲者を悼んだほか、メドベージェフ大統領も黒いネクタイ姿で国営テレビに出演、弔意を示した。ポーランド国民への連帯を示す服喪の日の12日、ロシアのメディアは広告中止などの対応を取った。
◇「歴史の清算」一変◇
こうした迅速な動きは、ロシア政府が事故をいかに重く受け止めているかを象徴するものといえる。第二次大戦初期にソ連秘密警察がポーランド兵を大量虐殺した「カチンの森事件」から70年となるのを機に、首相に続いてカチンスキ大統領を受け入れて「歴史の清算」を果たすはずだったのが、事故により事態が一変してしまったからだ。
◇欧州戦略に影響も◇
ロシアとポーランドは過去、幾度となく戦火を交えるなど対立と融和を繰り返した。最近では、オバマ米政権のミサイル防衛(MD)見直しに伴ってポーランドへの迎撃ミサイル配備計画も白紙となるなど、ロシアとポーランドの政治的関係が変わる可能性も出ていた。
欧州でも屈指の対露強硬姿勢で知られるポーランドとの関係は、ロシアの欧州戦略全体を左右しかねない重要な意味がある。ロシアは事故後の対策に万全を期すことで、関係改善の流れを継続したい意向だ。
ただ、70年を経て再び訪れた「カチンの悲劇」がポーランドの人々の脳裏に長く刻まれることも間違いなく、将来にわたってロシアとポーランドの関係に影を落とすことも確実だ。【4月13日 産経】
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【ロシアへの好意的な雰囲気】
こうしたロシア側の“配慮”を、ポーランド側は概ね好感を持って受け止めているようです。
ポーランド南部のクラクフで18日行われたカチンスキ大統領の国葬には、アイスランドの火山噴火の影響により、オバマ米大統領やチャールズ英皇太子、サルコジ仏大統領、メルケル独首相らが欠席することになりましたが、ロシアのメドベージェフ大統領は航空機でクラクフに到着、ウクライナ、チェコ、エストニア、ラトビアの首脳らとともに追悼ミサに姿をみせました。
****ポーランド:ロシアに好意的ムード 大統領国葬****
ポーランドの古都クラクフで18日行われたカチンスキ大統領夫妻の国葬では、アイスランド火山噴火の影響で多くの外国首脳らが欠席する中、メドベージェフ・ロシア大統領の存在がひときわ目を引いた。カチンスキ氏らが犠牲となったロシア西部のポーランド政府専用機墜落事故で、ロシア政府は原因調査や遺族支援などに尽くしており、ポーランド全体でロシアへの好意的な雰囲気が強まっている。
メドベージェフ大統領はモスクワから専用機で空路クラクフ入り。カチンスキ夫妻のひつぎが安置された教会の入り口にバラの花束をささげた。
「ロシアの真摯(しんし)な対応に驚いている」「見方が変わった」--。カチンスキ氏の弔問に訪れたポーランド人の多くは、かつてポーランドで圧政を敷いたロシアについて、こう語った。コモロフスキ大統領代行も17日の追悼式典で「ロシア市民の自然発生的な深い思いやりに感謝している」と述べた。
ロシアは事故直前、第二次大戦中に旧ソ連の秘密警察がポーランド軍兵士らを虐殺した「カチンの森事件」70年に合わせ、プーチン首相がポーランドのトゥスク首相を現地に招いて追悼式を行い、両国関係の改善に動いていた。
ただ、両国間に今も横たわる歴史観や政治風土の違いを乗り越え、真の和解に至るかどうかについては「もう少し冷静に推移を見守る必要がある」(地元ジャーナリスト)との見方が出ている。【4月19日 毎日】
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今回の惨事が、禍転じて・・・となるかどうかは、今後のロシアの対応にかかっています。
ロシアがポーランドに示したのと似たような配慮・気遣いを、中国当局は、中国青海省の玉樹チベット族自治州玉樹県で14日発生した地震において、大多数を占めるチベット系住民被災者に対して示しています。
そのあたりの話はまた別の機会に。
おすぎとピーコ