孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ナイジェリア  ボコ・ハラム、自爆テロに子供を多用 チボク拉致事件から2年、もどらぬ少女たち

2016-04-14 22:52:16 | アフリカ

(2年前チボクで拉致された娘の生存を示すビデオを見つめる母親 【4月14日 CNN】)

増加する子供を使った自爆テロ
ナイジェリアを中心に西アフリカで活動する「ボコ・ハラム」については、前回取り上げたのが2015年11月19日ブログ“ナイジェリア「ボコ・ハラム」 支配地域は縮小したものの、テロは周辺国にも拡散"(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20151119)ですが、現在も前回ブログタイトルのような状況が続いています。

ナイジェリア政府軍の反撃で支配地の多くを失ったボコ・ハラムは、その後も自爆攻撃を繰り返し、多くの市民が巻き添えになって死傷しています。また、その自爆テロの多くは少年・少女によって行われています。

“ボコ・ハラムは一般市民に被害を与えるため、泣いたり、痛みがあるふりをしたり、叫んだりして注意を引き、善意の人たちが集まったところで服の下に隠していた爆弾を爆発させるという手法を取るようになっている。”【20015年12月22日 AFP】というのも卑劣ですが、人々が警戒しない少女、しかも拉致した少女に爆弾を巻き付けて本人も知らないまま自爆テロを行わせるなどは、およそ人間の所業とは思えないものがあります。

****自爆少女たちは爆弾と知らずに吹き飛ばされていた****
・・・レイラ・ゼルーギ国連事務総長特別代表(児童と武力紛争担当)は、子供たちが強制的に自爆攻撃に駆り出されている現状を記者会見で訴えた。

子供たちの多くは「自分の体が吹き飛ぶことになるとは知らずに」、爆弾ベルトを巻かれ、人込みに立たされる。

治安当局によると、ボコ・ハラムの自爆テロは遠隔操作で起爆するケースが多く、「本人の意志による爆発ではないことは明らか」と、ゼルーギは指摘する。(後略)【2015年12月17日 Newsweek】
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上記記事によれば、ボコ・ハラムは7歳の少女に自爆テロをさせたこともあるとか。
残念なことに、最近こうした子供、特に少女を使った自爆テロが増加しています。

****自爆テロの5分の1が子供、少女は性奴隷かテロ実行役に****
ユニセフ(国連児童基金)による最新の報告書によれば、ナイジェリアのイスラム過激派ボコ・ハラムが実行した自爆テロは、実行役の5分の1が子供で、しかも大半が少女だったという。

2015年には44人の子供が、ナイジェリアと近隣のカメルーン、ニジェール、チャドで自爆テロを行ったと報告書は記す。2014年は4件だった。子供の自爆犯の75%が少女だ。

ナイジェリア北東部のチボクにある学校から、276人もの少女がボコ・ハラムに拉致されたのはちょうど2年前。救出作戦は失敗し、そのうち何人かは自爆テロ犯に仕立て上げられたと信じられている。

「はっきりさせたいのは、この子供たちは被害者であって、加害者ではないということだ」とユニセフの西・中央アフリカ地域ディレクター、マニュエル・フォンテーヌは12日に発表した声明で述べている。「子供たちを騙して、おぞましい殺人を強行させているのは、ナイジェリアと近隣国で起こっている暴力の最も恐ろしい一面だ」

先月にもカメルーン北部で、爆発物を身に付けた若い少女が逮捕されている。少女はチボクの学校出身だと供述したが、後にそうでないことが明らかになった。また、1月にはナイジェリアのマイドゥグリにある市場で10歳の少女が自爆テロを実行し、16人以上が亡くなった。

2014年1月から2016年2月の間に、子供の関与する自爆テロは最多のカメルーンで21件、ナイジェリアの17件、チャドの2件だ。2015年にカメルーンでは、自爆テロ事件の半数が子供によるもので、ナイジェリアでは7件に1件が子供の犯行だった。

脱走できてもテロリストとして迫害を受ける
ユニセフによれば、子供を執拗に自爆テロに使うことで、「ボコ・ハラムによる性暴力に耐えて監禁生活を生き抜いても、最悪の結果が待っているという恐怖感を少女たちに与えている」。

その上、たとえボコ・ハラムの監禁から脱走できても、帰り着いた故郷でテロリストかもしれないと疑われ、汚名を着せられて差別されることも少なくない。

「子供による"自爆"攻撃が珍しくなくなったことで、子供たちを安全上の脅威と考えるコミュニティーが出てきた」と、フォンテーヌは言う。「子供を疑えば破滅的な結果が待っている。娘に母親、姉や妹を追放してしまって、コミュニティーの再建などできるだろうか」

6年に及ぶボコ・ハラムの攻撃により、ナイジェリアで死者は2万人、難民・国内避難民は推定230万人にも上る。100万人以上が子供だ。2000近い学校が略奪被害や教師の殺害、国内避難民の収容のために閉鎖されている。

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによれば、2014年以降、ボコ・ハラムによって拉致された子供は推定2000人に達するという。少年は戦闘員に、少女は性的奴隷にされているとみられるが、今や少女は自爆テロ要員でもあるのだ。【4月13日 Newsweek】
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チボク拉致少女の「生存照明」ビデオ
“ボコ・ハラムによって拉致された子供は推定2000人に達する”というなかでも、多くの人々の記憶に残っているのは、2014年4月、ナイジェリア北東部の村チボクの学校がボコ・ハラムに襲われて200人以上の女子生徒が誘拐され、しかも「全員を奴隷として売り飛ばす」とのメッセージが出された事件です。

ナイジェリアのブハリ大統領は昨年末のインタビューで「ボコ・ハラムに信用できるリーダーがいれば、解放に向けて交渉する用意がある」と述べ、救出に全力を挙げる姿勢をアピールしましたが、事件から2年経過した今も少女たちは解放されていません。

今も安否がわからない少女たちですが、少なくとも15人について「生存証明」とする動画がボコ・ハラムから送られていることが明らかになっています。

****ボコ・ハラム、拉致した女子生徒の「生存証明」動画を送付****
ナイジェリアのイスラム過激派組織ボコ・ハラムが、同国北東部チボクの学校から2年前に集団拉致した276人の女子生徒のうち、15人の「生存証明」とする動画を送付していたことが分かった。米CNNテレビが13日、報じた。

2014年4月14日に拉致された少女らのうち、57人は直後に脱走に成功したが、219人が依然として行方不明になっている。

CNNによれば、ボコ・ハラムが送った動画には、黒いヒジャブ(イスラム教徒の女性が頭髪を覆うスカーフ)を着用した少女らが自分の名前と、チボクから拉致されたこと、撮影日は2015年12月25日であることを述べる様子が写っている。動画の撮影場所は特定されていない。

動画を見た被害少女の母親3人のうち、2人は自分の娘が写っていることを確認したが、3人目の母親はわが子が写っていなかったために泣き崩れた。

ただ3人はいずれも、動画に写っている少女ら全員の身元を確認。拉致事件が起きた日に自宅にいた同級生1人も、動画に友人が写っていることを確認したという。

今回の動画は、ボコ・ハラムが2014年5月に拉致被害少女らの動画を公開して以来、少なくとも一部の女子生徒が今も生存していることを初めて具体的に示すものとなった。

前回の動画では、約100人の女子生徒らがヒジャブを着用し、イスラム教の聖典コーランの一節を唱える様子が捉えられ、ボコ・ハラムの指導者であるアブバカル・シェカウ容疑者が、少女らはイスラム教に改宗したと宣言していた。

AFPが少女解放に向けた交渉を仲介する人物から入手した情報によると、今年1月、ボコ・ハラムはナイジェリア政府に接触し、「捕虜交換」についての協議を要請していた。

ボコ・ハラムはさらに、黒いヒジャブをかぶった少女らの写真5枚を送付。親たちによって、写真に写っているのがチボクから拉致された少女であることが確認された。

政府はこれを受け、少女らの生存を示すより具体的な証拠を動画で送るよう、ボコ・ハラムに要求していた。【4月14日 AFP】
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政府にも軍にも見捨てられた住民
1日も早い救出を願うばかりですが、現実問題としてはチボク以外でも多くの少女たちが拉致されており、前出記事にあるように“2014年以降、ボコ・ハラムによって拉致された子供は推定2000人に達する”という状況です。

そうしたチボク以外の事件のひとつが2014年11月24日にも起きたものの、チボクの女子生徒拉致事件で面目をつぶされ、手いっぱいだった政府・当局はこの事件情報を無視したとも報じられています。

****ボコ・ハラム、2014年に再び子ども300人拉致 住民証言****
ナイジェリア北東部の辺境部にある町で2014年11月、イスラム過激派組織「ボコ・ハラム」が数百人の子どもたちを拉致する事件が起きたものの、事件に関する情報を当局が無視していたことが分かった。地元住民が30日、AFPの取材に明らかにした。住民らは政府の反応を恐れ、声を上げられなかったという。

取材に応じたダマサク町の当局者や首長、長老、住民の証言は全員、2014年11月24日に少年少女300人と女性を含む500人が同町で拉致されたと語った。これは同年4月に北東部チボク地区でボコ・ハラムに集団拉致された女子生徒276人を上回る数だ。

だが、昨年3月、当時のグッドラック・ジョナサン政権はダマサクでの拉致事件の情報を否定。また地元上院議員や情報当局高官も、この情報を疑問視していた。

匿名で取材に応じた地元当局者の男性は、自分の7歳の子どもも拉致されたが、「私たちは、政府の怒りを招くのを恐れ、拉致事件について沈黙を続けた。政府はチボクの女子生徒拉致事件で面目をつぶされ、手いっぱいだった」「親たちは全員、怖くて声を上げられなかった」と語った。

脱走できた地元住民たちがナイジェリア上下両院の議員らに伝えたが、「彼らは黙殺し、私たちを無視した」という。「政府はこのニュースを広めたくなかったのだ」。男性は、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)が今月29日に事件に関する報告書を発表したことで、初めて声を上げることを決めたと説明した。

同じく匿名で取材に応じた地元首長は「彼ら(ボコ・ハラム)は私立学校やイスラム神学校から、最年少で5歳の子どもたちを連れ去った」「町にも入ってきて、母親から子どもたちを力ずくで奪った。5~16歳だった私のおい16人も拉致された」と語った。

首長によると、数百人がダマサクとニジェール南東ディファを隔てる川を渡って逃げたが、多数が溺れ死んだ。後に現場に戻り、「200人以上の遺体」を集団墓地に埋めたという。ダマサクの長老もまた、最初の攻撃で200人以上が殺害されたと話している。

複数の目撃者の証言をもとにまとめられたHRWの報告書によると、人質になった人々は当初、小学校で拘束されていた。学校は後に、軍事基地となったとされる。男性らは別の場所で拘束され、路上に散乱した遺体を川に遺棄したり、地面に埋めたりする作業を強要された。数百人の遺体を見たとの証言もある。

3月9日にダマサクを解放したチャドとニジェールの軍隊は、町のはずれの橋の下にある集団墓地で約100人の遺体を発見していた。中には、斬首されたり、撃たれた痕跡のある遺体もあった。【3月31日 AFP】
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もじ上記報道のとおりであれば、事件を無視した政府当局もボコ・ハラムと同罪です。
一応、ブハリ大統領の名誉のために断っておくと、事件は前任者のグッドラック・ジョナサン前大統領の任期中のものです。

ちなみに、チボクの事件のときも、政府軍は事前にボコ・ハラムの襲撃の情報をえていたにもかかわらず行動しなかったとも報じられています。(軍はこれを否定していますが)

****ナイジェリア軍、女子生徒拉致の情報を事前に察知か****
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは9日、ナイジェリアの政府軍が、イスラム過激派「ボコ・ハラム」が女子生徒ら200人以上を拉致した学校への襲撃について事前に情報を得ていたにもかかわらず、5時間近くも行動を起こさなかったと発表した。軍は、この情報を否定している。

アムネスティ・インターナショナルによると、4月14日の午後7時以降、軍司令官たちにはボルノ州のチボクへの襲撃が差し迫っているとの情報が複数回伝えられていた。

2人の軍高官は、兵士たちは自分たちより装備の優れた武装集団に立ち向かうことに躊躇(ちゅうちょ)するので、攻撃を食い止めるのに十分な部隊を配備することができなかったと述べたとされる。

結果的に、最大200人のボコ・ハラム戦闘員が、町に駐留している少数の警察官と兵士との戦闘の末、午後11時45分ごろに276人の女子生徒を拉致する事態となった。

アムネスティ・インターナショナルのアフリカ担当者のNetsanet Belay氏は、この事態は「民間人保護の義務に対するナイジェリア政府の目に余る怠慢だ」と述べ、未だに住民は攻撃に対して無防備のままだと付け加えた。【2014年5月10日 AFP】
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政府にも、軍にも見捨てられた・・・・とも言える、なんともやりきれない話ですが、「見捨てた」のはボコ・ハラムを糾弾するだけで、地元住民・関係者のために何もしてやれない国際社会も同じかも。

唯一の学校が破壊されたままになっているチボクの住民は以下のようにも。

****見捨てられたようだ****
4月14日、女子生徒の集団拉致事件から丸2年を迎えれば、ボルノ州南部のこの田舎町に再び注目が集まるだろう。それまでほとんど知られていなかったチボクは今や、ボコ・ハラムとの激しい戦いの代名詞になっている。

拉致された女子生徒の親たちは14日、学校に集まり、子どもたちの無事を祈る計画だ。だが、父親のうち16人、母親のうち2人はそこに来ることはない。ボコ・ハラムの襲撃などで死亡してしまったからだ。

インターネット上では拉致を糾弾し、行動を起こすことを約束する声が世界的に上がったが、チボクの多くの人たちは見捨てられたように感じているという。

「(私たちは)何もしてもらっていない」と語る小学校教諭のヌケキさん。「ボコ・ハラム(現地語で『西洋の教育は罪』を意味する)はまさに、欧米の教育を排除するという自分たちの目標を達成した」とヌケキさんは述べた。
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飢えからの集団投降も
なお、ボコ・ハラムについては、以下のような報道からすると、相当に追い詰められているようにも見えます。

****イスラム過激派ボコ・ハラムから76人が飢えで投降*****
ナイジェリアのイスラム過激派ボコ・ハラムから、飢えたメンバーがナイジェリア政府軍に投降したことがわかった。

先月末、北部ボルノ州の町グウォーザで女性や子どもを含むボコ・ハラムのメンバー76人が政府軍に投降してきた、と今週AP通信が伝えた。メンバーはガリガリに痩せ衰え、食べ物を求めた、と報じている。

投降したメンバーは現在、政府軍の本部があるマイドゥグリで拘束されている。ここはボコ・ハラムが2009年に武装闘争を開始した都市でもある。

ボコ・ハラムは昨年3月にISIS(自称「イスラム国」、別名ISIL)に忠誠を誓ったが、民間の自警団の話によると、他のメンバーも投稿を望んでいるという。(後略)【3月4日 Newsweek】
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