(スリランカ最大の聖地カタラガマで行われるプージャー 耳を聾するばかりに激しく打ち鳴らされる鐘、その熱狂が十五年以上たった今も忘れられません。
“flickr ”より By DennisSylvesterHurd
http://www.flickr.com/photos/dennissylvesterhurd/258317383/)
【LTTE 敗北宣言】
インド亜大陸から零れ落ちた一滴の涙のような島、スリランカ。
北海道より小さい島です。
多くの仏教遺跡、南国を感じさせるビーチ・・・観光客も多く、私も2回訪れたことがあります。
今、手元にスリランカの観光案内ガイドブックがありますが、三百ページを越えるその本の中で、ジャフナを中心とする北部、トリンコマリーを中心とする東部についての紹介は合計4ページのみです。
全土の3分の1近い北部・東部は、ながくタミル人反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)が支配する地域で、スリランカにありながら、いわゆる“スリランカ”ではない・・・そんな地域でした。
そうした分断状態が今大きく変わろうとしています。
スリランカ政府とLTTEの内戦が、膨大な犠牲を伴いながら、LTTEの組織的壊滅、プラバカラン議長の死亡という形で、一応の“決着”をみました。
****スリランカ反政府勢力、LTTEが敗北宣言*****
2009年05月17日 22:14 発信地:コロンボ/スリランカ
スリランカの反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」は17日、ウェブサイト上に声明を発表し、タミル人の独立国家樹立を求めた37年間の戦いの敗北を認めた。
数十年に及んだ政府に対するLTTEの武装闘争では、交戦や自爆攻撃、爆撃、暗殺などにより7万人を超える死者を出した。
敗北宣言直前、わずかに残ったLTTEの戦闘員らは、政府軍によってジャングルに追い込まれ、包囲された。
声明はLTTEの国際関係担当官の名前で、LTTE系ウェブサイト「タミルネット」に発表され、「われわれの戦いは苦い結末を迎えた。最後に残された選択は、われわれの民族を殺す口実を敵から奪うことだ。そして武器を置くことにした。後悔されるのは失われた命と、さらに抵抗して持ちこたえられなかった点だけだ」と記されている。
わずか2年前には、LTTEの支配地域は島国であるスリランカ全土の三分の一近くにも及び、独自の裁判所や学校、行政サービスを保持する実質的な自治国家ともいえる状態にあった。
しかし、マヒンダ・ラジャパクサ大統領が政権に就くと、政府は大規模な軍事攻撃を開始。LTTEを最初は東部から、さらに北部から追放し、残留したゲリラ部隊を最後は沿岸部に追い込み捕捉した。【5月17日 AFP】
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【プラバカラン議長 死亡】
一方、ヨルダンを訪問中のラジャパクサ大統領は16日、「LTTEは完全に壊滅された。政府軍は全土を掌握した」「テロを制圧した指導者としてスリランカへ帰る」と事実上の勝利宣言を行っています。
最大都市コロンボでは、住民らが国旗を手に街頭に出て事実上の内戦終結を祝う光景がみられているそうです。
これまで何回となく死亡説が流れ、「100回死んだ男」の異名を持つLTTE最高指導者のプラバカラン議長(54)は18日、政府軍の砲撃で死亡しました。
LTTEは72年、多数派シンハラ人主導政府からの分離独立を掲げる、北東部のタミル人らによって結成されました。飛行機や小型潜水艦、重火器も所有するLTTEをスリランカ政府は「世界最強のテロ組織」と呼びました。
また、自爆テロを闘争戦術として世界で始めて実行した“過激な”組織としても知られています。
支配下のタミル人社会に事実上の徴兵制度を敷き、少年兵の強制徴用も問題となっていました。
政府とLTTEは80年代後半から停戦と戦闘を繰り返しましたが、05年に対LTTE強硬派のラジャパクサ大統領が就任するとLTTEも戦闘強化。昨年1月に停戦は破棄され、今回の“LTTE制圧”に至ります。
シンハラ系スリランカ政府に対するタミル人の抵抗がLTTEのような過激な形をとったのは、スリランカ政府が進めたシンハラ語の公用語政策・仏教国教化政策や、進学や就職でのタミル人への差別があったとも言われています。
政府軍との戦う組織として生まれたLTTEは、和平には馴染まなかったようです。
“元LTTE支援者によると、02年に実現した無期限停戦の後、LTTEは変容していったという。プラバカラン氏ら上層部は、タミル人社会の民主化を進めようとした有力者を次々と暗殺。和平機運の広がりに武装組織としての存続を危ぶんだためと言われる。
政府軍が昨年秋に攻撃を強めたのも、タミル社会のLTTEへの不満の広がりと無関係ではない。政府側に拘束されたメンバーたちは、同氏の居場所を正確に伝えたという。”【5月18日 毎日】
和平を望む多くのタミル人の心を無視して、武装闘争に固執したその路線が、結局民心の離反を招き、政府による攻勢に繋がったようです。
【内戦の犠牲】
政府軍とLTTEの内戦による死者は7万人以上、海外脱出者や国内避難民は計100万人以上とされます。
“特に、今年1月以降、LTTEが住民を「人間の盾」に抵抗を続けてきたことから、多数の住民が双方の攻撃によって犠牲になってきた。国連は1月から5月上旬までに約7000人が死亡、約1万7000人が負傷したとみている。懸念を強めた国際社会は相次いで特使などを派遣したが、スリランカ政府は「停戦はLTTEの兵力増強につながる」「国民が人質に取られている」として停戦に応じてこなかった。
国連安全保障理事会は今月13日、スリランカ情勢に「重大な懸念」を示す報道向け声明を発表。クリントン米国務長官も、国際通貨基金(IMF)によるスリランカへの緊急融資について「(戦闘が続く)この時期に行うべきではない」と凍結を主張するなど、圧力をかけようとしたが、国際社会は結局、住民の犠牲拡大を防げなかった。”【5月18日 産経】
LTTEは壊滅しても、スリランカに生活する多くのタミル人が存在する事実には何ら変わりはありません。
これまでのシンハラ人主導の社会システムへの不満に加え、今回のLTTE制圧で、大勢のタミル人住民による「人間の盾」にもかかわらず、政府軍が攻撃の手を緩めず、多くの民間人犠牲者を出したことも、タミル人の心に傷跡を残したのではないかと思われます。
【すべての人に開かれた聖地 カタラガマ】
全ての者が指摘するように、今後、スリランカ政府の“統合”に向けた真摯な取組みが求められています。
ラジャパクサ大統領は16日、ヨルダンでLTTE制圧を宣言した際、「スリランカに平和と発展の機会が訪れた」と述べ、内戦で破壊された北部と東部のタミル人が多く住む地域の復興を優先する考えを強調しています。
政府は将来、憲法を改正してタミル人地域への権限移譲を進めるなどして民族間の融和を図る方針とも。【5月17日 読売】
最大支援国としての日本の役割・責任も重いものがあります。
かつてスリランカを旅行した際、タミル人が多く居住する地域を車で通過するときのシンハラ人の緊張した顔、タミル人を「あの人たちはスリランカ人じゃないから」と切り捨てるシンハラ人女性・・・そうした場面を思い出すだけで、両者の間の溝と不信感は深いものがあることは物見遊山の観光客にもわかります。
ただ、シンハラ人にしてもタミル人にしても、もともとは南インドからの移住者の子孫であり、明確な“人種的差異”はないとも言われています。
スリランカ南端のカタラガマは、すべての人に、どんな望みもかなえてくれるカタラガマ神信仰の聖地です。
このスリランカ最大の聖地には仏教のパゴダ、ヒンドゥー教の寺院、イスラム教のモスクが同じ敷地内につくられ、宗教を越えた“聖地”建設が行われています。(独立後建設された巨大な仏塔が、この国の現実政治の実態を窺わせてくれますが)
スリランカが再度、このすべての人・宗教に開かれたカタラガマの精神を取り戻し、“平和と発展”が実現されることを願います。
そのときは、東部も北部もガイドブックに詳しく紹介されていることと思います。
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