孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ベトナム  日本にも共通した“ゆるい文化” ソンミ村大虐殺事件から50年

2018-03-17 22:46:23 | 東南アジア

(慰霊碑にハスの花を手向ける人たち=16日、旧ソンミ村、鈴木暁子撮影【3月17日 朝日】)

米原子力空母のダナン入港 地元住民と交流
南シナ海のスプラトリー諸島(南沙諸島)、パラセル諸島(西沙諸島)の領有権を中国と争うベトナムですが、同じく中国の海洋進出を警戒するアメリカの原子力航空母艦がベトナム戦争終結以来初めて入港しました。

中国牽制という共通の思惑があってのことで、昨年8月には発表されていた予定の行動です。

ただ、ベトナム戦争当時、米軍が拠点とした最重要港湾ダナンに米空母が入港・・・というのは、感慨深いものがあります。

****空母、ベトナムに歴史的訪問****
ダナンと聞けば、すぐにベトナム戦争を思い出す。アメリカと北ベトナムとの戦いはダナンに始まり、ダナンに終わったともいえるからだ。(中略)

アメリカが介入してのベトナム戦争は1965年3月8日、米軍海兵隊がダナンに上陸したときが公式の始まりだった。その後のベトナム駐留の米軍にとってダナンは最大の基地だった。(中略)

ダナンは南シナ海に面した港湾都市である。そこを拠点として米軍は北ベトナム軍と激しく戦った。8年にも及ぶものすごい戦いだった。だが米軍は南ベトナムを守り切るという目的を達せずに撤退した。

そんな戦いの場だったダナンにこの3月5日、アメリカ海軍の原子力航空母艦カールビンソンが入港した。歴史も変われば変わるものである。

(中略)しかもベトナム側から熱い歓迎を受けたのだ。かつての敵同士が固い握手を交わしたのだった。

現地からの報道によると、カールビンソンの乗組員約6000人はみな港に降りて、地元の住民たちとも交流した。米軍将兵はダナンの養老院や孤児院を訪れ、慰問をした。ベトナム人の子供たちとサッカーにも興じた。ニンニクの皮をだれが一番、速くむくかというコンテストにも加わった。

同時にベトナム市民たちが空母カールビンソンの艦内を訪れ、見学したという。

ベトナム駐在のアメリカ大使、ダニエル・クリテンブリック氏は現地で記者会見して次のように語った。

「この空母訪問はアメリカ、ベトナム両国が近年、果たしてきた二国間関係の劇的な前進を誇示しています。両国は平和と繁栄、そしてこの地域の諸国が依存する商業や航行の自由を保つという願望を共有しています」

この言明のなかの「航行の自由」という言葉こそがカギだった。アメリカとベトナムというかつての敵同士を接近させた要因の一つは南シナ海での「航行の自由」の確保なのである。より具体的に述べるならば、この「航行の自由」を脅かす中国への共同の対処なのだ。

中国が南シナ海でベトナムなどと領有権を争うスプラトリー諸島、パラセル諸島のほとんどを一方的に軍事占領し、「航行の自由」を脅かしているのである。

アメリカもベトナムも中国のその侵略的な行動を強く非難してきた。トランプ大統領が昨年11月、このダナンを訪れた際、ベトナムのチャン・ダイ・クアン国家主席と会談して、中国の海洋での膨張を非難し、共同で抑止の行動をとることを合意していた。

今回の空母カールビンソンのダナン寄港はその具体策の一つだった。ベトナム戦争での敵同士をいまや味方同士にしたのは中国の危険な拡張行動に反対する共通の連帯だったのである。【3月10日 古森義久氏 Japan IN-depth】
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日本とベトナムに共通した“ゆるさ”】
ベトナムに関しては、以前、“日本とベトナムが兄弟のようによく似ている”という興味深い記事を目にしました。
両国ともに歴史的に中国の影響が強く、漢字文化、儒教、大乗仏教などを中国から取り入れた、その結果“ゆるい文化”が・・・という話です。

****日本とベトナムが兄弟のようによく似ている理由****
ベトナムは東南アジアの国。「ベトナム戦争」「ホーチミン」「社会主義」、普通の日本人が思いつくのはそれぐらい。それほど関係のない国だと思っている。しかし、実はベトナムは日本とは兄弟と言ってもよいくらいよく似ている国である。
 
そもそもベトナムを東南アジアの国と考えること事体が間違っている。ベトナムはその歴史において、朝鮮半島や日本と同様に中国の強い影響下にあった。その結果、インド文化の影響が大きい東南アジアと考えるよりも、東アジアの国とした方が理解しやすい。
 
実際にベトナムは日本や朝鮮半島と同様に漢字文化圏である。首都ハノイは「河内」、ホーチミンは「胡志明」、漢字による表記がある。

現在はフランス人宣教師が考案したローマ字による表記が用いられているが、漢字は第2次世界大戦前までごく普通に使われていた。チューノムと呼ばれる漢字を変形した文字も作られている。日本が“かな”を作ったのと同じ感覚だ。

静かに根付いている仏教
日本もベトナムも宗教や道徳の根底に大乗仏教と儒教がある。それを“ゆるく”受容した点において両国は似ている。
 
ベトナムは日本や朝鮮半島と同様に大乗仏教を中国から輸入した。タイやミャンマーも仏教国であるが、彼らは上座部仏教徒であり大乗仏教とは異なる。(中略)

唯物論を奉じる共産党は仏教を弾圧していない。その結果、ベトナムには仏教寺院が多数存在して参詣する人も多い。お葬式だけでなく結婚式も仏式で行う人が多い。

ただ、仏式で結婚式を挙げた人も、熱心な仏教徒ではない。日常生活では忘れている。その辺りの感覚は日本人にそっくりである。

政敵を完全には追い詰めない
そして、ベトナムは日本や朝鮮半島と同様に、中国から儒教を輸入した。その結果として、年長者を敬う感覚が存在する。
 
だが、儒教を輸入しても、それは朝鮮半島の人々とは少々異なる。朝鮮半島の人々の行動様式は強く儒教的である。儒教では善悪を峻別する。“悪は悪”“善は善”である。その感覚の延長で敗者を徹底的に痛めつける。(中略)

一方、日本は儒教の影響を受けたが、それを全面的に受け入れることはなかった。むしろ、誰でも「南無阿弥陀仏」と唱えれば浄土に行けるという“大乗的”な考えを好んだ。(中略)

まさにその“ゆるい”文化がベトナムにも存在する。先日、汚職のためにディン・ラ・タンが逮捕されたが、タンは汚職を摘発されてホーチミン市長を更迭された後も1年以上にわたって政府の別の要職に留まっていた。なかなか逮捕されないのだ。(中略)

政敵を完全に追い詰めないのがベトナム流である。この辺り、タクシン元首相やインラック前首相が亡命を強いられたタイや、ロヒンギャと仏教徒の間で深刻な対立が続くミャンマーとは異なる。

日本人とは異なる中国に対する感情
以上のようにベトナムと日本はよく似ている。ただ、ベトナムは中国と陸続きであり何度も侵略を受けたことから、中国に対する感情が日本人とは異なる。
 
ベトナムは中国の強い影響下にあったために、今でも中国との関係に敏感にならざるを得ない。日本でも首相や外務大臣が中国に対してちょっとでも下手に出ると、「右寄りの人々」から朝貢外交との非難が飛ぶ。

それは中国を強く意識していることの裏返しなのだが、ベトナムにもそのような感情が強く存在する。はっきり言って、ベトナム人は中国が大嫌いである。

「安倍首相は中国が嫌いなようだが、首相が変われば田中首相の頃のように中国と仲よくするのではないか」 ベトナム人は現在日本が中国に強硬な態度で接していることを好ましいく思いながらも、心のどこかで日本の変節を心配している。(後略)【2017年12月13日 川島 博之氏 JB Press】
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歴代大統領が逮捕・徹底糾弾される韓国と、田中角栄が逮捕されながらも人気・評価を保つ日本との違いでしょうか。

韓国の“善悪を峻別する文化”から見れば、日本・ベトナムのような“ゆるさ”は“不誠実”とも思われるのでしょう。

“勤勉”という点でも、ベトナムはカンボジア・タイよりは日本に近いものがあります。その結果、経済的にはカンボジアなどを圧倒することになりますので、カンボジア人はベトナム人が大嫌いです。

そのベトナムが同じ社会主義国にありながらも“中国大嫌い”というのは事実ですが(歴史的に常に圧力を受けてきましたので)、陸続きで、これまでも戦火を交えた経験があるだけに、中国との付き合い方は“現実的”でもあります。

今回の米空母入港のように中国を牽制する一方で、中国と決定的に対立し、戦火の危険が及ぶようなことにならないように常に“調整”を行っています。その意味では、なかなかしたたかな外交術とも言えます。

ソンミ村大虐殺事件から50年 広島・長崎のような平和公園構想も
一方、ベトナム戦争、アメリカとベトナムの関係という点では、“3月16日”というのは、ソンミ村大虐殺事件から50年という節目の日でもありました。

****ご存知ですか? 3月16日はソンミ村大虐殺事件が起こった日です****
いまから50年前のきょう、1968年3月16日、ベトナム戦争のさなかにあった当時の南ベトナムのクァンガイ省ソンミ村ミライ地区で、米陸軍バーガー機動部隊のウィリアム・カリー中尉(当時24歳)率いる小隊が、無抵抗の村民500人以上を虐殺した。

ソンミ事件と呼ばれるこのできごとは当初、軍内の秘密とされたものの、翌69年3月、ベトナム帰還兵の一人が何人かの政治家に手紙を送って調査を要請したことからあかるみとなり、同年11月17日付の『ニューヨーク・タイムズ』が詳細を報じた。

その後、カリー中尉は逮捕され、1971年に軍法会議で終身重労働刑の宣告を受けるが、当時の米大統領ニクソンの命令で即時釈放される。カリーは軍法会議で「上官の命令に従ったまで」と繰り返し証言するも、有罪とされたのは彼一人だけだった。

米国は1960年代前半より、南ベトナムのサイゴン政権を支援する形でベトナム戦争への介入を深めていった。65年には北ベトナムへの爆撃(北爆)を開始するとともに、米国とサイゴン政権に抵抗する南ベトナム解放民族戦線と激戦を繰り広げる。

68年1月30日には、南ベトナム全土で、解放戦線や北ベトナム軍が猛烈な攻勢に出た(テト攻勢)。これは軍事的には失敗だったが、米国を心理的に揺さぶる。

民衆の蜂起を恐れた米軍は必死の反撃に出て、米軍基地の安全を確保するため周辺を徹底的に掃討した。虐殺の現場となったソンミ村もチュライ米軍基地のほど近くにあり、カリー率いる小隊は解放戦線のゲリラを探し出して殲滅するため出動した。

しかし、ミライ地区で殺されたのは、子供や女性、僧侶など無抵抗の人たちばかりだった。
 
テト攻勢が米国に与えた衝撃は大きく、ソンミ事件から半月後の68年3月31日には、ジョンソン大統領がこの年の大統領選への不出馬を表明、北爆の一時停止を発表し和平交渉を呼びかけた。

翌年、ソンミ事件が報じられると、米国内では戦争への批判が強まることになる。【3月16日 近藤 正高氏 文春オンライン】
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無抵抗の村民500人以上を虐殺するというソンミ村大虐殺事件は“戦争の狂気”を象徴する事件ですが、現地では元米兵らも参加して追悼式典が行われたそうです。

ベトナム戦争の残した多大な犠牲を乗り越えて、現在ではアメリカとの関係を改善し、“カールビンソンの乗組員約6000人はみな港に降りて、地元の住民たちとも交流した。米軍将兵はダナンの養老院や孤児院を訪れ、慰問をした。ベトナム人の子供たちとサッカーにも興じた。・・・・”というのは、ベトナムの“ゆるさ”のあらわれでしょうか?
それとも、“したたかさ”の方でしょうか?

****ソンミ村504人虐殺50年、平和公園構想も ベトナム****
ベトナム戦争中の1968年、ベトナム中部の旧ソンミ(現ティンケ)村で、多くの子どもを含む無抵抗の住民504人が米軍に殺害された「ソンミ村虐殺事件」から50年となった16日、現場跡地の記念碑前で追悼式典が開かれた。
 
50年前の同事件は、米軍部隊が南ベトナム解放民族戦線のゲリラに対抗するとの理由でソンミ村にヘリコプターで降り立ち、村民504人を殺害したとされる。ベトナム反戦運動が拡大するきっかけになった。
 
現場跡地で開かれた式典には遺族や元米兵らが参加。事件で姉など親類8人を亡くし、遺体の下に隠れて生きのびた当時5歳のドー・タン・ズンさん(55)は取材に、「今でも血のにおいがよみがえる時がある。でも、憎み続けるのではなく、二度と起きないよう願いながら前に進みたい」と話した。
 
式典では、原爆被害を受けた広島・長崎の取り組みを参考に、跡地周辺に平和公園をつくる構想も発表された。構想づくりを率いた財団代表のチュオン・ゴック・トゥイさんは、「平和の尊さを若者に伝え、世界に発信する場にしたい」とし、建設費約16億円を寄付などで集めるという。【3月17日 朝日】
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“憎み続けるのではなく、二度と起きないよう願いながら前に進みたい”“広島・長崎の取り組みを参考に・・・”といったあたりも、日本人のメンタリティーに近いものがあるのかも。(もちろん、憎しみが消えたとかいうものでは全くないでしょうが。)

それはともかく、いかなる名目があったにせよ戦争というのはそれ自体が“狂気”であり、「ソンミ村虐殺事件」のような人道に反する犯罪がつねに起こりうる・・・ということは深く心に銘記すべきことでしょう。(当のアメリカは、とっくに忘れ去ってしまっているようですが)

韓国のベトナム戦争関与 自国の歴史に向き合う難しさ
ベトナム戦争に関連した、最近目にした記事をもう1件 ベトナム戦争の清算が済んでいるのか、いないのか・・・・韓国の話題です。

****韓国軍の民間人虐殺を謝罪せよ!ベトナム訪問の文大統領に請願相次ぐ****
2018年3月15日、韓国・中央日報によると、22日に予定されている文在寅(ムン・ジェイン)大統領のベトナム訪問を前に、韓国大統領府が公式サイトで運営する国民請願掲示板に「ベトナム戦争での韓国軍によるベトナム民間人虐殺に対する公式謝罪」を求める内容が書き込まれた。

同サイトでは、30日以内に20万人を上回る署名が集まった請願には政府関係部門が必ず何らかの回答をすることになっている。

記事によると、あるネットユーザーは15日、「ベトナム戦争で多くの罪を犯した韓国はベトナムに謝罪し、被害者たちに賠償しよう」と題する請願で、「ベトナム戦争での戦争犯罪を速やかに調査し、それを基に賠償と謝罪が行われなければならない」と主張した。

また、「日本は自国の過去の過ちを安易に考え、傍観している」とした上で、「韓国も過去の過ちにまともに対応していないのに、日本だけに過ちを悔い改めるよう求めることは正当でない」と指摘したという。

さらに前日の14日には、別のネットユーザーが文大統領に向けて「ベトナム訪問で韓国軍の民間人虐殺を謝罪し、国レベルで被害者への対策を立ててほしい」と求める請願を寄せていた。

同ユーザーは「日本の蛮行や慰安婦問題への謝罪を願う韓国が先に自国の外国に対する過ちを潔く謝罪すれば、韓国の格が上がる」とし、「それが国際社会における日本と韓国の差になる」と強調したという。

その他にも「ベトナム訪問時、ベトナム国民に公式に謝罪してほしい」との題名で、「ベトナムには“韓国軍憎悪碑”が設置されている。慰安婦問題で日本に公式謝罪を求める国として、正面から被害者と向き合わなければならない」と主張する請願も寄せられているそうだ。しかし、これらの請願に集まった署名はまだ少数とのこと。

この報道に寄せられた韓国ネットユーザーの意見は真っ二つに分かれている。

謝罪賛成派は「公式謝罪しなければ、日本と同じになってしまう」「美しい国に向かうためには必要なこと」「日本に堂々と謝罪を要求するため、まずは韓国が謝罪するべき」などと主張している。

一方、反対派の意見としては「韓国軍が虐殺した事実はなく、むしろ支援活動を活発に行っていた。それなのになぜ韓国軍に悪いイメージを付けようとする?」「ベトナム戦争参戦勇士を侮辱することになる」「韓国は日本と違い、ベトナムを侵略していない。民間人に扮したベトナム軍が先にベトナム人と韓国軍を殺した」「朝鮮戦争で犠牲になった北朝鮮軍にも謝罪することになるけど?」といった内容が見られた。【3月169日 Record china】
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ベトナム戦争当時、韓国軍兵士によっていろいろな行為が行われたのは事実であり、韓国からの対日批判に対し「韓国だってベトナム戦争当時・・・・」という話がよく出ます。

そういった他国の非をあげつらうような話はともかくとして、記事最後の“反対意見”を見ていると、自国の歴史に冷静に向き合うのは、韓国にしても、日本にしても、なかなか難しいことであるということがわかります。

特に“善悪を峻別する文化”の場合、いったん非を認めれば徹底して追求される・・・ということもありますので、日本のように“まあ、それはそれとして・・・”というふうにはいかないのかも。
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