
(キール南部スーダン自治政府大統領(左)とバシル・中央政府大統領(右) 今後のスーダン情勢安定は両者の協力に大きく依存しています。 “flickr”より By Pan-African News Wire File Photos
http://www.flickr.com/photos/53911892@N00/5325614175/ )
【アフリカで54番目の国家が誕生】
スーダン南部の分離独立を問う住民投票では、独立支持票が99%近くに達し、スーダン南部が7月にも新国家となることが確定しています。
圧倒的多数で独立が支持されるであろうことは予想されていましたが、一部に独立による混乱を嫌う考えもあろうかとも思っていたのですが、ほぼ100%近い支持という結果でした。
南部住民の現状への不満、将来への希望を表した数字でしょう。
投票前に懸念されていたバシル大統領の対応も、「南部の人々の選択を尊重する」という投票結果受入れ表明で、今のところ問題もないようです。
****南部分離独立「尊重」 スーダン大統領、受諾表明*****
スーダンのバシル大統領は7日、南部の分離独立の是非を問う住民投票の結果が正式発表されるのを前に同国の首都ハルツームで演説、「南部の人々の選択を尊重する」と述べ、結果を受諾すると改めて表明した。「独立賛成」は99%前後に達する見通し。
今後は南部自治政府が独立準備を進め、順調にいけば7月9日に独立を宣言、アフリカで54番目の国家が誕生する。南部の中心都市ジュバでは7日、早くも独立を祝う式典が行われた。
ただ、南北間ではなお国境の画定や石油収入の配分など未解決の懸案が残っている。長年の内戦を終結に導いた包括和平合意(CPA)に従い、南部住民投票と同時に行われる予定だった中部の油田地帯アビエの帰属先を問う住民投票も、延期されたまま実施のめどが立っていない。
バシル氏は演説で、アビエ住民投票の有権者に、アビエを生活圏とするアラブ系遊牧民ミッセリアを含めるべきだと強調。黒人系定住民に限定すべきだと主張する南部との溝は埋まっていない。
アビエではミッセリアと定住民などとの間でしばしば衝突が発生、フランス通信(AFP)によると、1月には37人が死亡した。【2月8日 産経】
*******************************
領土を分割したうえに石油権益を失うことになる、しかもダルフール紛争での悪評が高い中央政府、バシル大統領が、南部分離独立を容認する姿勢を見せている背景には、アメリカのテロ支援国家指定解除など、南部だけでなくスーダン全体を視野に入れた分離独立支持に向けた強力な後押しがあるようです。
*****スーダン:南部独立確定 米大統領、テロ支援国家を解除へ*****
オバマ米大統領は7日、スーダン南部の独立が住民投票で決定したことを祝福する声明を出し、独立予定の今年7月に「独立主権国家として公式に承認する」と表明した。またクリントン国務長官も同日、スーダンのテロ支援国家指定解除への手続きに入るとの声明を発表した。
大統領は南部独立への支援継続を改めて表明する共に、「歴史的な希望の瞬間を持続的な進展につなげる」ため、05年の南北包括和平合意の完全履行や、西部ダルフール紛争の終結を求めた。
住民投票へのプロセスを主導してきた米国は北部の中央政府に対し、投票結果の受け入れの見返りとして、テロ支援国家指定解除の手続きに入ることを伝えていた。クリントン長官は声明で、解除への所定の基準に加え、包括合意の完全履行が満たされることを条件に挙げた。【2月8日 毎日】
******************************
経済制裁で苦しむ中央政府・バシル大統領としては、独立の流れ不可避と見て、この際“流れに乗る”形で実益をとった方が得策と判断したようです。
もちろん、産経記事にある帰属未決着のアビエイ地区の問題がありますし、石油施設を保有する北部との石油利権分配の問題もあり、地域の経済的・政治的な安定に向かうかどうかは不透明な要素も残されています。
何よりも、インフラも未整備で国際援助に頼ってきた南部スーダンが、今後、“独立国家”としての統治能力を示せるかどうかが一番のポイントになります。
今回の投票で決着したと言うよりは、やっとスタートラインに立ったと言うべきでしょう。
【多様な勢力を包含する南部の不安定】
その南部スーダン内部の不安定さを示すようなニュースもいくつか報じられています。
****スーダン南部で民兵が反乱、50人死亡****
スーダン南部の上ナイル州で、重火器の引き渡し拒否する民兵による反乱があり、これまでに戦闘で50人以上が死亡した。関係者が6日、語った。
最初に戦闘が起きた上ナイル州の州都マラカルでは3日から4日にかけて20人が死亡した。その後、油田のある地方部のPaloichとMelutにも戦闘が広がった。(中略)
■政府軍指揮下の南部民兵組織が反乱
戦闘の発端となったのは、ガブリエル・タング司令官の部隊が、所有する重火器の引き渡しを拒否したことだった。タング司令官は、1983年から2005年までのスーダン内戦で、北部を支持する民兵組織を指揮した人物だ。
スーダン南部では、2005年の包括和平合意に基づいてスーダン人民解放軍(SPLA)が治安維持にあたっているほか、タング司令官の民兵らと北部政府軍による合同統合部隊(JIU)も展開している。
だが、北部政府軍と民兵組織とは実際には統合されておらず、別々の部隊として行動していた。1月の住民投票の結果を受けて南部が独立に向けて進むなか、北部政府軍は軍装備を北部へ戻し始めている。一方で、南部出身のタング司令官の民兵組織は、兵器を手放さずに、部隊の配置転換に激しい抵抗をみせているという。
上ナイル州の情報相はマラカルは平静を取り戻し、戦闘が再発しないようSPLAが展開していると述べた。マラカルなどの衝突危険地域に配備されたJIU部隊は、2005年の包括和平合意による暫定的な取り決めが期限切れとなる7月には撤退する予定になっている。【2月7日 AFP】
****************************
****南部で衝突、105人死亡=軍と反政府勢力―スーダン****
スーダンからの報道によると、同国南部ジョングレイ州で反政府勢力と南部自治政府軍が衝突、11日までに計105人が死亡した。うち39人は民間人という。南部軍スポークスマンが同日明らかにした。
衝突は9日夜から10日朝にかけて、同州ファンガク郡で発生。昨年の同州知事選で落選した後、反政府側に寝返った南部軍元将軍とその支持者らが、南部軍や警察組織に対し攻撃を仕掛けたもよう。将軍派と南部軍は先月停戦協定を結んでいた。
スーダン南部では1月、独立を問う住民投票が行われ、圧倒的賛成多数で独立を支持する最終結果が7日に判明したばかり。南部軍内では、南部地域の情勢不安定化をもくろむ北部中央政府が将軍派を支援しているとの見方も出たが、北部政府は否定している。【2月11日 時事】
*****************************
こうした衝突は、“南部スーダン”といっても決して一枚岩ではなく、いろんな勢力、いろんな部族を抱えている複雑な事情を窺わせます。
今後こうした類の衝突の頻発も懸念されますが、更に、南部独立を支えてきたスーダン人民解放軍(SPLA)自体の武装解除、国軍への再編成も課題となります。紛争に明け暮れてきた地域事情からすると困難も予想されます。
【ダルフール問題置き去りへの懸念】
一方、スーダンが抱えるもう一つの紛争地帯ダルフールの今後にも懸念があります。
アメリカは南部スーダン独立支援のため、スーダンのテロ支援国家指定解除に向けた手続きに着手していますが、スーダンで活動する支援団体は、ダルフール問題が国際的な議題から脱落してしまっていると警告を発しています。
****スーダン、南部独立で対米関係改善へ、ダルフール問題は置き去りか?****
■ダルフール紛争、2か月前から激化
西部ダルフール地方で2003年、アラブ系の中央政府に対抗して、非アラブ系住民が反政府組織を結成したことを発端とするダルフール紛争。国連(UN)によると、この紛争による死者は少なくとも30万人にのぼっている。
紛争は現在も続いており、しかも政府軍と反政府軍との戦闘は前年12月から激化している。国連の推定では、この2か月間で新たに4万3000人以上が難民になった。(中略)
北部を拠点とする野党の党首たちは、南部が独立すれば、ダルフール地方や反体制派の多い北部の複数地域で、分離独立運動が激しさを増すのではないかと危惧している。(中略)
■ダルフール和平への長い道のり
米政府高官らは、米国はダルフール問題のことを忘れていないと口をそろえる。住民投票の結果を受けたバラク・オバマ大統領は声明を出し、南部の住民を祝福した上で、ダルフール紛争の完全終結を訴えた。
だが、政府軍と反政府武装組織の和平交渉は前年12月以来、暗礁に乗り上げている。このときカタールで行われた和平協議で、政府側は「進展がない」ことを理由に代表団を途中で引き上げさせた。
また、主要反政府組織「正義と平等運動(JEM)」は前月、交渉の席に着く用意はあるが、それは紛争の根本原因である非アラブ系住民の政治的疎外や難民などの諸問題が討議される場合に限ると表明した。
こうしたなかスーダンのAli Karti外相は8日、スーダンと米国が「ダルフール和平の実現に向けて両国が協力し合う」旨の協定を締結したことを明らかにした。米国のスコット・グレイション・スーダン担当特使も、国際NGOや国連・アフリカ連合ダルフール合同活動(UNAMID)の活動を容易にするため中央政府が努力していると賞賛した。
しかし支援団体側は最近、ダルフール地方で治安悪化や政府軍の妨害によって活動が制限されているとして抗議している。【2月10日 AFP】
*****************************
南部独立のダルフール情勢への影響も懸念されます。
ダルフールでは政府と反政府勢力の和平協議が難航する中、「(南部スーダンの)住民投票に刺激された反政府勢力が独立を主張し始めるのではないか」との見方があります。
一方、南部自治政府を主導するスーダン人民解放運動(SPLM)がダルフールの反政府勢力を支援している可能性が高いとも指摘との指摘もあります。
“「今後、北部と石油収入の配分などをめぐる協議を行うSPLMは、ダルフールというカードを手放さないだろう」と、南北関係がこじれた場合の紛争のさらなる長期化を警告している。”【1月18日 産経より】
【国民国家としてのアイデンティティ】
問題をあげればきりがないスーダン情勢ですが、南部独立への地道な取り組みに関する話題も。
****スーダン南部、過去を保存して未来の基礎に 公文書をデジタル化****
虫に食われ、黄色く変色した書類が、うだるほど暑い巨大テントに腰の高さまでドサッと積まれている。この手つかずの紙の山が、もうすぐ誕生するはずの世界で最も新しい国家の歴史を作るのだ。
キリスト教徒の多いスーダン南部は前月行われた住民投票で、アラブ系イスラム教徒が多い北部からの分離独立を約99%の支持で決定、7月9日の独立宣言を目指して進めている準備の一環が「過去の保存」だ。
「大変な仕事ですが、手遅れになる前にこの書類を保存することが重要なんです」と公文書保管人のユセフ・フルヘンシオ・オニアラ氏は語る。オニアラ氏はスーダン南部自治政府が任命した「レスキュー隊」のリーダーとして全公文書のデジタル化に取り組んでいる。(中略)
しかし歴史家にとってこの雑然とした束は、長きにわたり揺れ続けたスーダン南部の過去を明らかにする宝の山だ。「ここにある書類を整理し、目録を作る私たちの仕事はスーダン南部の歴史にとって最優先課題です」とオニアラ氏は語る。新たに国境を画定するための交渉が基としているのは英国とエジプトの共同統治下にあった時代の地図だが、司書たちは南北スーダンの境界確定交渉に関連しそうな書類はどんなものでも注意深くより分けている。境界付近には膨大な利益が見込める油田が存在するからだ。(中略)
■新たな国の記憶
ここにある19世紀初期から1980年代までの公文書は推計2万点。文書の年代は英・エジプトによる共同統治時代から独立後間もない時期、そして最近の内戦が始まる時期にまで及ぶ。スーダン南部の文化遺産相は「遺産を保存することは、歴史を保存することだ。将来の世代が研究資料として、そして自分たちのルーツや国の歴史をたどることができる資料として利用できるようにしたい」
作業中のテントは2007年に、こうした公文書を保管する目的で設置された。しかしオニアラ氏は、「雨露はしのげますが、日が射すと暑くなりすぎて長時間この場所にはいられません」と眉毛の汗をぬぐいながら話してくれた。「なるべく早くデジタル化できるよう作業を進めています」(オニアラ氏)
スーダン南部は、いつの日か公文書館を設立したいと考えている。それは単なる歴史文書の保管場所を意味するだけではない。ここに至るまでに犠牲になった者たちの血の記録でもあり、その記録の上に、アフリカで最も若い国は自らのアイデンティティを築いていくことになる。
デジタル化を支援している米研究機関でリフト・バレー・インスティテュート(Rift Valley Institute)の所長で、米バード大学(Bard College)の人類学者ジョン・ライル(John Ryle)教授はこう言う。「スーダン南部のほぼ全ての住民が共有することは数少ないが、抑圧され、搾取された体験はそのひとつだ。それがここに記録されている。だからこそ極めて重要なのだ」
この地に新しく生まれる国は、世界の開発途上地域の中で最も開発が遅れ、病院や学校、道路などが極めて不足した国として誕生するだろう。しかし、国家建設は単なる建設事業ではないと、ライル氏は忠告する。「国造りは道路やインフラを作ることではない。いくつもの異質な民族的アイデンティティから、国民国家としてのアイデンティティを創出する作業だ」(後略)【2月14日 AFP】
*******************************