銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

プリンストン大学の食堂・・・・・(まるで、家庭なのです)

2009-10-21 10:34:55 | Weblog
 私は実はICUというところを出ていて、そここそ、郊外型キャンパスのはしりです。で、食堂は林の中にありました。今度改築をされるそうですが、ともかく、太陽光のさす、一階です。盛り付けはきれいだけれど、量が少なかった。学食というのは、当時では、千円以内に抑えないといけなくて(あれ、今もほとんど、値段が変わらないであろうか?)、600円前後にするためには、材料をよくすれば量が少なくなるわけです。

 その後、勤務先での東大で、毎日学食でお昼を食べたのですが、生協の経営でビルの半地下にあった記憶があります。ボリュームは満点ですが、当時の私は一皿もりの料理には慣れていなかったのです。今では、ぜんぜん平気です。何でも食べられますが、若いときには、さっぱりした、日本料理系できちんと別皿にもられていないと、食欲がわかなかった方で、一皿にまとめられた豚のしょうが焼きや、ハンバーグの類は苦手な方でした。

 昔の実家の料理、つまり、和風割烹みたいな、純粋な日本料理ばかり食べていた父は、パーキンソン氏病になりました。だから、今の私は手羽先でも、トン足でも、もつ(豚の腸かな?)でも、何でも食べます。ただ、いまだに、ミルク系統は苦手で、アイスクリームとか、ケーキの形になっていないと、よく下痢をしますが、・・・・・

 もうひとつ、学食が苦手なのは、誰と食べるかが大問題だし、それから、隣の人と席が近すぎることも、苦手のひとつでした。でも、お弁当の人ではないから、学生時代も、職場でも、学食でお昼を食べていたのです。

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 今はまったく変わりました。一人食も平気です。たくましくなりました。ただ忙しいので、渋谷ならここ、新宿ならここ、池袋ならここ、銀座ならここ、というように、行く店を決めてあります。少しでも神経や時間を節約したいからです。チェーン・レストランでもよいのです。ただ、便利で、おいしくて安くて、地の利がよいことが一番です。

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 さて、そのように人生経験をつんで、しかも観察の人となった私が、プリンストン大学の食堂(ひとつではないはずですが、メインらしいところです)へ入って第一番に驚いたのは、一種の家庭であるかのごときに、すべてをしつらえてあることでした。

 平屋建てです。私の母校の当時もそうでしたが、部屋は、大部屋で、ずらっとテーブルが見渡せるしつらえです。

 それに比べると、プリンストン大学の食堂は、スキップフロアーになっていて、一部屋ずつは、それほど、大きめには感じられないのです。しかもテーブルがすべて、家庭のテーブルの形にしつらえてあります。長いテーブルではないのです。四人がけ、または、6人がけの形です。いすは木製で、飾り彫りがあるようなもの。

 しかもテーブル同士の間が、相当離れています。4メートルぐらいは離れています。また、床材は木です。しかも都電や、一時期のバスのように、油が塗ってはありません。白木(といっても茶色になっていますが)で、においはしませんし、靴に当たる感覚がとてもやさしいのです。日本の食堂って、たいていはリノリュームか、人口大理石で、床ができていますでしょう。それに比べると圧倒的な素朴さです。

 全体が、・・・本物とは違うが、・・・童話アリスの世界にあるような家(擬・家庭)を感じさせます。または学生が住んでいた実家を髣髴とさせるようなしつらえ・・・・・

 そこで二人連れ、三人連れ、または、四・五連れで、談笑しながら食事をしている人たちを見ていると、・・・・・華美ではないが、実質的には、豊かなんだなあ・・・・・と感じさせられました。

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 よく、「京都大学からは、ノーベル賞がでるが、東大からは如何して出ないか」という議論がなされます。その理由として、「京都は街が小さいので、学者同士がよく一緒に呑めるからだ」という話・・・・・を聞いたことがあります。

 つまり、『自由な会話は、大切だ』ということです。プリンストン大学の食堂は、非常に余裕が在る感じです。絶対に追い出されることは無いだろう。どんなに、長居しても(あ、そうはいっても、一時間程度で皆さん、話を終わらせるとは思いますが)追い立てられることは無い。これは、学者にとっては天国であろうと、感じました。

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 私は自分自身、「引きこもりが好きだ」と広言していますが、実は最近、非常によい会話に恵まれます。一期一会ですが、大きな学びと喜びを、瞬間的に与えられるような会話に恵まれています。

 別に学者ではないので、誰かとの会話から、発想が湧き出るということも無いのですが、こうして、毎日ブログを更新するようなエネルギーは、そういう接触から与えられる向きもあるのです。だから、人と人の会話が、まるで、家庭で行われているような演出は、非常によく考えられた、学生や職員向けの、よい発想だと感じました。誰の設計かはしらないものの、人間の善の方向を延ばす設計でした。

 ただね。土地が広い。圧倒的に広い。それこそ、郊外型キャンパスの典型だからなりたつ、食堂の形ででもあったでしょう。・・・・では、今日は別に政治的な、または強いメッセージは、何も無かったですが、お許しを。2009年10月18日、雨宮舜(川崎 千恵子)
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