銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ゴッホも意外と人間くさかった

2009-10-22 11:58:49 | Weblog
 私たちはゴッホのことを思い浮かべると、つい、天才だと考え、聖人のようにみなしがちです。特にひまわりの絵がオークションで、何億、または、何十億、という価格で落札されたと、聞いたりすると、天上の人であることを実感をさせられてしまいます。

 また、多数の書簡が残っていますので、そこからも純粋無比であることが理解されます。で、ファンが多いのです。

 比較をすると、ゴーギャンには、それほど、熱烈なファンがいません。~~~~~~~~~~~

 これは家族、親族との感情的な密度が違うからだと私は思います。ゴッホには自分が形成した家族はありません。しかし、親族、特に弟の、テオがゴッホを深く、信頼して愛してくれました。女性との愛には恵まれなかったけれど、兄弟、特にテオとの間の愛に恵まれました。

 テオは30代の若さで亡くなった兄のすぐ後を追って亡くなりましたが、すでに、よい家族を形成していて、残さた妻は、夫の希望やら、仕事を引き継ぎ、まず、ゴッホの書簡集を出版します。そこから、ゴッホの評価が高まっていきます。

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 ところが一方のゴーギャンは、株式仲買人、<<<それは、ブルジョワ資本主義の時代では、最先端の恵まれた職業ではなかっただろうか?>>>>として、収入のある時代に、妻との間に五人の子供をもうけています。しかし、その家族を捨てて、画家になってしまったために、子供たちが、「私はゴーギャンの子供であります」とか、「孫であります」といってテレビや、ドキュメンタリーの世界へ登場したり、著作を著すことも無く、遺作品収蔵の美術館を開くこともなさそうです。寡聞にして、聞いたことがありません。

 この間、ゴーギャンに関する立派な番組が、NHKで放映をされましたが、ゴーギャンは、タヒチでもパリでも、処遇が悪くて、その事を悲しみつつ、亡くなった模様です。美術系の天才は音楽や美術に比較して、悲しみの中に死ぬケースが多いが、残った作品を通じて、圧倒的な存在感を示すものです。そこが救いですが。

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 今日、これから、述べますことは、ゴッホにとって、救いになる話かゴーギャンにとって、救いになる話かは、ちょっと、断定するのが難しいのですが、ここ最近の研究で、思いがけない事実が出てきて、

 それをNHKが去年か、おととしの段階で、放映しました。まず、ミステリーよろしく、キャンバスの研究から入っていきます。日本でも最近ではキャンバスをロールといって、木枠に張らない巻いたた形で、専門家は買うのですが、ゴッホたちもそうして、思いがけないことに、幅の真中を上下に切って、半分ずつ使った模様です。

 工業製品で無かった時代には、キャンバス地にムラがあったのかもしれません。だから、最初の五メートルと後ろの五メートルには品質に差が在るなどということがあり、だから、半分に切った細い、10メートルをお互いに持っていたのです。単に保管に便利だったからかもしれませんが、裏の刻印等で、それが、判明しました。

 超がつくほどの仲良しとして、二人の関係は始まりました。

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 ところが、株式仲買人としての経験がある、ゴーギャンは、純粋すぎるゴッホとの関係が重荷に成ってきたと思います。それは、私たちだって容易に推察をすることができます。しかし、決定的な瞬間は、ゴーギャンから放たれた、たった、一言の「僕の絵は売れたよ」だったみたいです。

 ゴーギャンは、いままでビジネスの世界にいた人ですから、ゴッホに比べれば会話の能力は上でしょう。
 だから、ゴーギャンにしてみたら、こんなせりふは、へでもない日常的なものだと思います。その上、ゴーギャンにとって、ゴッホはすでに、うっとうしくなっていたと推察されますし。二人の住まいが狭くて隣通しだったことも、普通の神経を持っていたら、疲れる上に、画家どうしですから余計疲れがたまる神経戦があったのです。

 ゴッホは、あれだけの手紙を書くところから見て、口が重い人です。自分が感じたことを、冗談任せでさらっと表現することができない人間です。だから、まず、ゴッホのほうに不満がたまったのでしょう。ゴーギャンに「ああいいたい、こういいたい」と、思いながら年上のゴーギャンに対する遠慮から、口に出せないでいた不満がたくさんあったでしょう。

 二人は画家としては、理論上も、大変な仲良しでしたが、起きた寝たの気配さえ聞こえてしまう狭いとなりどおしの部屋に住む、生活者同士では、乗り越えられない日常生活のいろいろが、積み重なっていたのです。

 そのいらいらをさらに過剰にさせたのが、クリエーター同士がどうしても、抱いてしまう嫉妬心の問題でした。

 今日ゴッホも意外と人間くさかったというのは、彼の『耳そぎ落とし事件』は上の「僕の絵は売れたよ」の一言で、絶望したゴッホが、潜在意識の中で、不満がたまりたまっていたゴーギャンを殺そうと、ナイフを持って出たのが真相だった模様です。

 それほど、ゴーギャンにとっては些細なせりふ(しかもそれ以前にゴーギャンの方にも不満があったろう)が、若くて下の立場に在るゴッホを決定的に追い詰めてしまったのでした。

 ここで、クリエーターは誰もが自分の作品の質を知っていると、以前申したことが役に立ちます。社会的な身分やら、年の上下、会話能力、などの、日常生活のすべてに劣っていても、ゴッホは、自分の絵のほうが、上だと確信をしていたでしょう。それは他者には言いません。だけど、深い確信を自らのうちへ持っている。

 それを否定されたと思って、ゴッホはたまりにたまったものが噴射してしまい、ナイフを持って、夢遊病者のように、<<<一足先に、カフェに向かって飲みに出た>>>ゴーギャンの後を追ったのでした。

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 しかし、牧師の息子といわれるゴッホです。ふと、気がつけば、自分が、今、どんなに恐ろしいことをやろうとしていたかを、自覚してしまいます。

<<<恐ろしい自分>>>、それに対してはすばやく、罰を加えなければ成りません。それが、自分の耳をそぎ落とすことだった模様です。

どうしてその場所が、耳であったかは、わかりません。もっと深い恥を知れば、自殺になるけれど、捨て台詞ひとつ浴びたことで、自殺するのもあまりにもばかばかしいですよね。そこらあたり、混迷のさなかにあったゴッホにも、瞬間的な納得があって、腹や、胸、首などを刺すことは無かったのでしょう。

 私はこの話を聞いて、やっと、ゴッホのこともよくわかりました。・・・・・ゴッホも、意外に人間くさいところがあったのだ。・・・・・・と、思いほっとしています。

 だって、ゴッホの怒りは、大きく言えば、嫉妬心の問題に入るからです。範疇として言えば、そうなります。だからそれを示したゴッホは、人間そのものの姿でありました。共同生活の相手として選んだ大切なひと、ゴーギャンに対してさえ、抑えきれない原初の、嫉妬心があったのです

 では、今日はこれで。
           2009年10月22日  雨宮 舜(川崎 千恵子)
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