銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

映画『靖国』内における小泉さん・・・・私と中国6

2009-02-10 21:53:54 | Weblog
 私が暗い場内の椅子に座って映画館で見たときに、もっとも意外な事が二つあって、それは、この映画は期せずして、<<<靖国アレルギーを解く方向へ向かっている>>>ことと、これも期せずしてでしょうが、<<<小泉さんへのオマージュになっている>>>ということでした。

 私は昨日、09-2-9にグーグルの検索を利用して、この映画の予習をする前までは、一年弱の間、それこそ、芸術作品足りえるポイントだし、また、創作の意外な醍醐味だとさえ思いました。特に本人(監督)のあずかり知らぬところで現れる、天の配慮とも言うべきものだと感じていました。

 あまつさえ、・・・・・<<<もしかすると、この監督は、大量のビデオフィルムの取捨選択と言う編集作業の際、映画祭での受賞を狙って、客観性も加味しようと考えたので、

 どぎつさを薄めるために、小泉さんの靖国参拝への弁明的な会見を、省略しないで入れている。そして、もしかしたら、彼(監督)自身、小泉さんの立派さを理解したのではないかとさえ、思いました。

 上映中止騒動後の記者会見で必死に主張をした「これは、中立の立場の映画であり、純粋に作品の独立性を持っている映画である。だから、・・・・・云々」と言う言葉を信じ、結構取材中に、彼本人も靖国に対する先入観を改めたのではないかしら? >>>・・・・・とさえ、ナイーブ(それは、私自身のことですが)にも思いました。

 しかし、昨日、二つ嫌な事を発見し、胡散臭い、そして、うろんな、ところが大いにある映画だと、思い直しました。それにもかかわらず、冒頭に述べた二つのポイントで、この映画は存在意義があり、前日述べた、大東亜戦争に関する古文書(アーカイブ)と言う意味も加味すれば、三つの大いなる意義のある映画だから、『上映中止は論外だ』と思っている、信念は全く変りません。

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 ところで、そのダブル逆効果ですが、どうして生まれたかと言うと、これも、隠し撮りのお陰なのです。本当に面白いことに、小泉さんに隠して撮った映像が、逆に彼の心情(真情)を観客に伝え抜いています。

 この映画の真の製作意図は、反日、反小泉のメッセージを、日本や、海外の国に住む大衆に広めることにあるでしょう。しかも、その製作費用のうち750万円もの額を、日本の文化庁から貰っているとは、皮肉を通り越して、すさまじいまでの、日本国、および日本国民へ対する侮辱です。

 そして、発表のタイミングとその順序も相当に怪しいです。先ず、サンダンス映画祭へ日本公開五ヶ月前に出品されています。その次に、ベルリン映画祭へも日本公開前に出品をされています。これは、既成事実の積み上げでもあり、反日性も充分にあるのですから、ずるい遣り方といえるでしょう。

 しかも今、公式サイトを明けましたが、未だに、刀鍛冶の作業場が、靖国神社の境内の中にあると言う嘘が、記載をされております。すごくずるいですね。新しく、今日からこのブログをお読みになる方があるかもしれないので、もう一回正しい事を言えば、その工房は高知県にあるのです。

 私も最初は靖国神社内にあるのだと思っていましたが、それだったら、<<<<随分散らかっている作業場だから>>>、『よく神社側から、存在を許されているなあ。神社って、清潔を旨とするところなのに』、と、映画館内で、そのことは既に、不思議に思い、後で、それが、高知県にあるのなら、90歳を越えた刀鍛冶の人が、あえて、気取らないで、撮影をさせたのだと、真実を理解できます。

 それに、時間的に、たった、二日で撮ったのなら、片付けている暇などなかったでしょうね。

 はっきり言って、汚い工房です。でも刀匠としての、その方の言葉はコメンテーターである皆さんが褒めておられるように、しっかりとしていて、日本の老人のもっともよい部分を、明示していて、それが救いになっております。

 そう言ういくつかある、ずるさの一つとして、小泉さんの記者会見の映像も、彼に使用意図等を、説明していない隠し撮りのようなのです。それは、画面を見るとよく判ります。

 普通は記者会見場と言うのは、前に、新聞記者が机つきの椅子に座っています。その後ろに高い三脚に立てたカメラを構えたテレビ局、および新聞の写真部が、大勢控えています。だから、首相の記者会見は、カメラ目線となり、ほとんど、カメラと同じ高さ(それは、記者会見の壇が、少し高い位置に設定もされているので、可能なこと)で、観客に訴えるということになります。
 
 それですと、ありきたりで、当たり前です。ところが、この監督のカメラは、新聞記者席の間に割り込み(多分、通路だと思うのですが)、しゃがみこんでカメラを構えています。

 こういう撮影姿勢を取ったのは、監督が先入観を持っていた証左になります。・・・・・すなわち『小泉さんは悪い人だ。その実像を迫力を込めて捉えよう』と言う姿勢。そのためには、そうとう近くによるべきだと、彼が考えたから、こんなに、低い位置から撮影していて、しかも、小泉さんは、記者たちの肩やら、胴体やら、頭の間から、小さく顔や、上半身をのぞかせるという形なのです。

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 それで、結果として、小泉さんの視線、目線、は、観客からずれています。それが、思いがけない効果を生んでいるのです。彼は、決して声高に主張をしません。とつとつと、弁明します。「一日本人として、思想、心情の自由は、守られるべきだと思います」と。ここが、この映画の白眉です。そうです。閣僚とか政治家が、ある一神社に参拝するのをこれほど、疎外される国家が、他にあるでしょうか?

 A級戦犯合祀の問題。それは、また、後で触れます。しかし、小泉さんの声高ではない話し声を聞いていると、全く肯定できます。『そのとおりだ』と、普通の日本人なら考えるでしょう。

 私自身、右翼でも左翼でもない、そして、政治評論家でもない、極く普通の主婦です。アートではお金は稼げません。だから、身分としては専業主婦です。そして、アーチストとしても、現代アートはほとんど、みなさん、どなたも、社会的には無名の存在です。また、本の著者としても、それらの本は、お金を取らず、知人に上げるだけですから、社会には、ほとんど、影響を与えず、したがって、私は本当に、無名の普通の人なのです。

 しかし、グーグルの検索を引いても、どこにも、その<<<小泉さんへの共感を鑑賞者が持ったこと>>>について、言及したものがありません。おかしいですね。

 私は、芸術作品の鑑賞については、(映画評論家ではないが)結構、ベテランのつもりです。そして、クライマックスがどこに生じているかも、ちゃんと判断が出来るつもりです。この映画はドラマではないから、クライマックスが一箇所に集中しているわけではありません。だけど、特別に人の心を打つ画面が、何箇所かにあって、その一つが、この小泉さんの会見の場面です。

 国会議員が、試写会を催して、その後で、この上映を禁止する旨を申し出た人もいると聞いています。が、その名前は公表をされていません。それもずるいですね。それから、右翼が反対といわれていますが、街宣車が、渋谷でこの映画の件で、動いているのを見たことがありません。

 この映画は、小泉さんの靖国参拝に危機感を持つグループの意図の下に、『彼は、突出した悪者である』と規定をするべく、制作されたと思いますが、思いがけずな、ダブル逆効果が生まれていて、『小泉さん、よくぞ、普通の日本人の心情を代弁してくださって』と、感じられるのです。そこが、非常に感動を呼ぶ場面の一つです。

 もし、グーグルにブログの断片でもよいが、これについて触れているものがあれば、私は、ここまで断言をしなかったと思いますが、この映画に寄せられたコメント集を見ても、一切、そういうことに触れた記事が無いので、私は私の勘(または、直感)を信じて、このアイデア(または、感想)をここに、曝します。では、
     2009年2月10日    川崎 千恵子(雨宮 舜)
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