銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

簡易宿泊所で、焼死した様な老人が、30年後の日本では、同世代の40%を占める予測がある・【絶歌】-3

2015-06-23 05:04:29 | 政治

 この一文は、朝から夜まで、12時間ぐらい、総タイトルを『木内万宇氏が、NHKnews に登場したので、満足して、私はblog を24時間休んだのだった』としておりました。しかし、夜10時に、二回目の総タイトルへと変更をします。外出先で見聞したことが、その総タイトルへ反映をされております。それは、『プレミアム商品券とは、なんと下品で幼稚な、政治決断だろう』でした。だが、夜の10時にさらに三回目のもの『年収300万円以下の独身者は、恋人をほしがらないそうだ。悲しい日本社会よ』へと変更をしております。そして、さらに一時間後に、上のものへと変更しています。

副題1、『絶歌シリーズを書くことで、私が目指している証明したい真実とは?』

 私が今取り組んでいる問題は、後注1で、始まったシリーズです。何を書いているかと言うと、

 ・・・・・【絶歌】は、井上ひさしが、ゴーストライターとして作り上げた本である。どうして、彼がそういうことをするかと言うと、酒鬼薔薇聖斗は、実際には、あの恐ろしい小学生連続殺人を犯してはおらず、あれは、CIAの殺人集団がやったのであると、昔から、私は、みなしていたが、それを、覆すために、酒鬼薔薇聖斗は、かくもおぞましい人間なのであると、言う証明を、一般日本人に対して行った方がいいと、考えた鎌倉エージェントたちが、この本をこの時点で作り上げた。それを確実に早く行うのには、ゴーストライターが居た方が可能性が高くなるが、こういう秘密は、最深部の秘密なので、重要な人物(=CIAのエージェントでもあり、すでに、フリーメーソンの会委員にもなっていると、私が推察している井上ひさし)が書いたのだろう。それが、ここで、証明もされた。

 もう一つ、大変重要なことが、この本の出版で、証明をされた。この本が、この時点で出版をされたことによって、北久里浜の大マンション【ルネ北久里浜】は、元横須賀市の水道山を、*1)益山重夫(元海軍参謀・・・・・これは、戦時中なら大エリート)、智恵子夫妻、*2)、益山夫人の実弟、仲野通巳吉(地籍変更届を出した名義人となっている)、*3)、益山氏の友人・瀬島龍三(戦時中は陸軍参謀として大エリートだった。戦後シベリア抑留をされたが、そこで、何らかの取引があり、したがって、彼は戦後最大のエージェント=アメリカ等、国際的軍産共同体のスパイとなっている)杉本横須賀市副市長・正子夫人(当時は、横須賀市の土木課長だった。私は正子夫人に電話で、この事案の一歳を知らせているのに看過した。元からグルだったと思われる。その事案が、法務局に提出される数年前から豪邸を手に入れている)の、4者の、連合軍によって、一種の詐欺(地籍変更届)を利用して、ただで、私有化されたものだけれど、それを、完遂するために、水道山へは、一般の人は、入れない措置が長い間取られていた。

 酒鬼薔薇聖斗の事件が、1997年に起こされたのだけれど、その後、あの横須賀の水道山は、山部分を削り取られて平地へと、造成をされたのだと思われる。それを、安全に、完遂するために、あの事件が起こされた。と言うのも事件を恐れて、人があそこへは入れない気分になったからだ。・・・・・

   と言うことです。それは、後注1の文章内に書いてあります。

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副題2、『長時間外出をしないといけなかったが、私の方は安心していた。それは、2009年ごろとはずいぶん異なった、心理状態だ』

 上の副題1まで(だいたい1900字)を書いて、そこまでで、午前7時半だったと思います。それから、申し訳ございませんが、水やりを始めました。200鉢ぐらいあるので、それだけで一時間です。しかし、こういうブログを書いているからこそ、その種のシンプル極まりない仕事が、自分に役に立つのでした。簡単に見える作業をしている間、想念を自由に飛ばせますし、別に無駄ではないのです。そして、余裕の反映として、本日も株主総会に行ったのでした。これは、おととしも言ったことがある、同じ会場の二回目でした。でも、おととしはそれなりに、余裕がなかったので、遅く行ってしまい会場を見ることがなかったのですが、本日は見ることができました。そして、これは、驚いたのですが、第一会場と言うのは、大体、シンプルなのですが、人数が増えて、第二会場に行ってくださいと言われると、第二会場の方が豪華なインテリアなのです。これは、第一会場は、もともと、株主総会用に設定されている事務的なホールを用意されているのですが、第二会場は、結婚式などに使う宴会場を充てるからでしょう。

 で、前回は、会場の中に入れなかったのに、今回は入れたので、満足しております。そのあとで普段なら月曜日に行う画廊巡りをいたしました。 

 総タイトルに、木内万宇氏と名前を入れているので、彼が詰めている、ギャラリーアーチストスペースを、本日内に訪問をしておきたかったのですが、さすがに、ブログを放ったらかしにしているので、疲労しすぎないのを、めざして、早めに帰りました。

 ただね。東京に向かう途次で、非常にやさしくて上品な、中国人のお若いお嬢さんに出会って、20分程度お話をしたのも楽しい事でした。日本人もそうですが、中国人もお若い人は、NHKの報道などとはまるで、違っていて、日本人を、嫌っていないそうですよ。デモとか、焼き討ちと言うのは、本当に少数の現象らしいです。

 私の心は、相当に開放をされて、自由になっています。それは、やはり、間髪を入れずという形で、例の毒々しさに満ちた、【絶歌】の真実を語ることができたことです。【絶歌】もまだ、買っていないし、その出版の裏側を取材したという今秋発売の週刊文春も買ってはおりません。私は、自分の直観だけで、このシリーズを書いていて、それをまた、誇りをもって『うれしい。やはり思ったとおりだ』と考えております。

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副題3、『ワンコインランチと、2000円ランチでは、その内容は正比例をしていないのだった』

 で、株主総会を終わった後で、余裕があるからこそ、辺りを、観察する余裕も出て、焼き肉レストランの、非常においしいところを見つけて、ランチだから結構お安かった(2000円だったのに、豪華なデザートまでついていた)し、堪能したのでした。しかし、私は、この30年間、常に身内からお金の使い方については、批判を受けて居ります。自分が働いていないうえに、使うばっかりだ。使いすぎていると。

 しかし、本日だけは、そういう批判が当たっているかもしれないと、思い至りました。と言うのも、六本木で、素晴らしい立地条件で、お昼を食べる際に、2000円出すと、突然に、最大限に、豪華な食事ができるのでした。しかし、700円以内に抑え様とすると、それが、場末(と言うか、郊外)ではない限り、おいしい内容のものは食べられないのです。それで、もしかすると、自分は、極端に恵まれてきたのかもしれないとは思い至りました。

 しかしね。ベーカーさんと、ICUで出会ってしまい、私が特別に頭がよかったために、かれが、CIAであることが、潜在意識の中で分かってしまったのですね。それで、彼から、一回、殺されそうになっています。彼は、後ろから渾身の力で、私の首を絞めたのですが、対抗方向から7人ぐらいの学生が歩いてきたのと、二人が一緒に転んで、彼の腕の方が長かったので、彼のひじの方が先に道路にぶつかり、よく起きる痙攣(または、電流による、失力)が腕に起きて、私が彼の腕を振り払うことができたので、私を殺すことに、失敗をしています。その件を書く為に、後注1で、旧中島飛行機の滑走路について、述べ始めたのでした。それは、ICU本館が、ヴぉリーズの設計なのに、旧中島飛行機の研究所だったために、ヴぉリーズの年譜に出てこないという文章まで、書いただけで、重要なところまで、達していないのですが、結局ベイカーさんの恐ろしさを書こうとしたのでした。

 それ以降、ありとあらゆる場所で、彼は、私のチャンスを奪ってきたと思われます。そして、友達の方(または、知人の方)に、良縁のお見合いを設定したり、良い就職口を世話したり、良いことが起きる様に、起きる様に、設定をして来られました。それは、50年間続いており、これが、そのケースですとか、あれがそのケースですと、いつか暇なときには、すべて書こうと思っております。で、今、人生の最後にあたって、それを語っても、さもしくないと思います。死を目の前にしているから、神もお許しになるでしょう。

 で、チャンスを次から次へとつぶされたので、収入がありません。

 でも、私は、必死に自分ができることはやって来ていますし、ここにきて突然に韓国が軟化したのも、私が、【絶歌】の真実を書いたからですから、そこに満足をしております。で、お金が親からの遺産と言う形で、手に入ったのも、それも神様の配剤だと思っているので、それで、いいのだと思っております。働かないでもすんできたので、一種の高等遊民ですが、それで、いいと思っております。

 だが、私が2000円のランチを食べられるのも毎日の事ではありません。本の時たま六本木を訪ねたから、食べただけです。で、2008年ごろまでは、本を5冊(五種類と言うことで、クラフト的に五冊作ったわけではなくて、工業生産的に印刷し、製本をしていたのです。本とは、3000部ぐらいまでが、一番高い費用が掛かるものなのです。それを超える部数を作ると、急激に単価が安くなるのですが。

 それにお金がかかったり、個展もしていて、それにお金がかかっていたころには、極端に倹約もしていましたよ。だから、ワンコインランチの味わいも知っています。それでね、今は、本を作っておらず、母からの遺産も入ったので、余裕があるわけですが、ワンコインランチと、2000円ランチを比較すると、その味わいは、4倍以上の価値があるのです。

 と言うことは、金持ちと言うのは、幾何級数的に、ぜいたくなことができるということです。単純なライン(一次曲線)で、登っていくのではなくて、二次曲線で、お金持ちは、良質な、しかも、おいしいものを、美しい環境で食べることができるのでした。

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 ここで、矛盾する言葉ですが、それを絶対に言っておかないとならないのは、お金があるだけで、人間が、幸せになれるわけでもないのですよ。それは、ありとあらゆる小説などに描かれていますが、私自身、電車の中や、その他で、大勢の人から、本音の話を打ち明けられます。たぶん、すでに、一種の宗教家のレベルに達していて、それが、分かる人にはわかるからでしょう。で、普段は付き合っていない人から、その人の悩みを打ち分けられるのですが、みなさん、本当に大きな悩みを抱えています。だから、お金があることが最上の幸せを招くとは限らないのですが、・・・・・

:::::::::::::で、ここで、元に戻ります。

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副題4、『プレミアム商品券とは、なんと下品なシステムだろう。こういうのも、原発を許容し、被災者に対して、甘すぎるバラマキをしている件と、連動をしていると思われる』

 ところで、私は金曜日に、・・・・・【絶歌】は、井上ひさし作である・・・・・と、副題1にまとめた様に、書いたわけですが、そのあとで、ずっと、外出が続いていました。親戚の集まりが、日曜日にあって、月曜日には、3つの会社の株主総会があって、金曜日に、その私説を出した後で、ずっと、テレビニュースを点検することができなかったのです。

 で、早送りをしながら、日曜日に土曜日のニュースを点検しました。すると、木曜日と金曜日と続いた【絶歌】のニュースは出てきませんでした。次に日曜日に早送りでNHKニュースを点検しました。そこでも、出てきませんでした。また、月曜日の、ニュースは、月曜日の、夜に点検しましたが出てきませんでした。

 しかし、最初は、それを重要だとも思わなかったので、記録さえ取らなかったのですが、プレミアム商品券について、相当な長時間を割いてニュースとして取り上げました。それが、土曜日から、月曜日の間のどの日だったかを忘れていたので、今グーグルの検索であけると、6月22日、に、NHKは、WEB NEWS として22にちの朝8時に、それを上げているみたいです。と言うことは、21日にそれを、放映をしたのだと思います。

 でも、どうしてそういうニュースを今報道するのだろうとは不思議に思いました。で、グーグル検索で、プレミアム商品券を引いてみると、なんと、この19日から、21日にかけて、全国の色々な自治体で、堰を切った如くに、発売をされたことを知りました。

 でも、なんといやらしい制度だろうと思いましたね。その商品券とは、買うと、1万円で、1万2千円の商品券がもらえるので、相当に得なんだそうです。だけど、それって、税金で補われているそうです。地方創生のお金だそうです。税金ってサラリーマンの場合、誰からも取られるものです。相当に大金にあたります。どんな人からも徴収をされます。それを、お金持ちに還元するのです。

 NHKニュースの中で、得意気に、18万円買いましたと言っている主婦らしい女性が登場しました。その人は生活費以外に、簡単に支払えるお金を18万円持っているというわけです。だけど、一方で、ワンコインで、お昼を済ませているサラリーマンもいっぱいいるのですよ。

 何か、非常に恐ろしい劣化現象が、この日本に起きていると思います。政治がものすごいレベルで、下劣化しています。悲しいですね。第二次大戦の敗戦によって、四民平等化が、進み、大量の中産階級ができたのでした。それが、もともと識字率の高かった日本人に、さらに、余裕の心を与え、中国からの旅行者が、「民度が違う」と、言ってくれているこの社会ができているのです。だけど、ただ、ただ、見かけ上のお金持ちを優遇する策を、垂れ流し続ける今の内閣って、何だろう。東京でさえ、それが発売をされるとはなぜだろう。

 私は、本日は珍しく、早い時間に、銀座や京橋を回ったので、初めて、イデミスギノで、お茶をしました。私の目の前に座っている上品な青年は、のみものを頼まないまま、ケーキを三つ味わい尽くしていました。写真も撮りながら。で、もしかすると、私が着席する以前にも、同じことをやり続けていたのかもしれないので、パティシェ見習いか、地方のケーキ屋さんの息子だと思われます。だが、白髪の三人の主婦がお茶していたのを見ると、銀座や、京橋の、上等なカフェで、お茶をしている、現代日本で、もっとも、豊かな世代の、楽しみ方を、実感しました。

 そういう人をさらに豊かにさせるプレミアム商品券です。一方で、どこかの民放のニュースで聞いた様な気がするのですが・・・・・

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副題5、『年収300万円以下の人は、恋人をほしくないのだそうだ。結婚もしたくないそうだ』

 それは、若い人の中で、70%の人に恋人が現在いないそうだというアンケート結果の発表でした。草食系男子とか、いろいろ言われている中で、結婚が早婚か、晩婚かに、二極化しているケースが多くて、早婚以外の人には、恋人がいないのです。早婚とは中学頃からませていて、フェロモンいっぱいで、吸引力があるので、早婚になる人たちで、それは、また、離婚にもつながりやすく、子連れで、別の男性と、結びつき、特にその男性が無職だったりして、ヒモ化し、連れ子を虐待するケースなどであり、決して、幸せでもないのです。

 で、そういう人の方が少数派であり、それ以外の普通の人(特別のフェロモンが横溢してはいない人)たちは、大学を出たりでなかったりしても、ともかく就職をするわけです。そして、年収がいくらかと言うと、今、300万円以下の人が、40%を超え、それが、1000万人を数えているそうです。そして、そういう人たちは恋人をほしがらないそうですし、結婚もまたしたくないそうです。と言うか、婚活にも乗り出さないと言うそうです。

 それは、女性の方が、高収入の男性を狙うので、自分は選ばれないだろうと、控えめになって、悲観をしているのだと、推察できます。とても悲しい現象です。そして、内閣府は、そういう現象を白書として、出しているのにもかかわらず、政府として、反対の手では、50過ぎで、お金を十分持っている人をさらに富ませるために、プレミアム商品券用に地方に税金をばらまいたり、して・・・・・

 この国に、マクロに、モノを見ることのできる政治家はいないのでしょうか?

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副題6、『川崎の簡易宿泊施設が火事になり、数人の老人が死んだ。

 この間、川崎市の簡易宿泊所で火事が起こりました。まだ、原因が特定をされておりません。ただ、放火だと推察していいいと思います。普段火の気がない玄関が出火場所だそうですから。

 *1)、宿泊者どうしが、憎みあったりいがみ有ったりして、いて、そこに居られなくて、出て行った人間が、残っている方を殺したくて、放火した?

 *2)、宿泊者の中で、お金を払えなくなってホームレスになった人が大家を恨んで放火した?

 *3)、餓死者が、連続して起きたころの様に、日本社会に騒動を起こしたいCIAがやっている?

 *4)、規制ばかり強い日本で、取り残されている貧乏な人に、社会の目を向けさせるために、怒りを持つ、改革者が、放火した?

 *5)、昔、山下公園(=横浜にある海べりの美しい公園)で、南区の低地に住む少年たちがいたずらの為に、ホームレスの老人を、ごみ箱(金網でできた丸い形のもの)に入れてひっぱりまわして、その老人が死んでしまった事件の様に、最も弱い立場の人が苦しむのを見たい人間がやった。

 燃え盛る炎の中を逃げ惑う人の姿を見たくて、ただ、いたずら心で、それをやった? または、自分の不幸な境遇のうっぷん晴らしのために、それをやった?

 *6)、その他、私の想像もつかない原因と理由で、放火がなされた?

 の、六つが考えられるのですが、私は何となく、第五の原因だった様な気がするのです。わかりませんよ。だけど、そんな気がします。で、こんな不幸なことはないのですが・・・・・・

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副題7、『その火事で、生き残った人の話を聞いたが、原発を作る現場とか、補修をしている現場で働いていたそうだ』

 中で、NHKか、民放かは忘れましたが、インタビューをしていた映像があって、ひどく感銘を受けました。

 それは、温厚そうで、しかも、ちゃんとした話のできる、しっかりした体格の人でした。ちびで、顔が悪いというタイプではないのです。骨格がしっかりしていて、老人としてはイケメンな方の男性です。中卒か高卒はわかりません。もし大卒で、あの簡易宿泊所に住んでいたら、インタビューに応じないと思います。どうも、高卒だと思われました。本当に普通の人です。ちゃんとした両親の元で、慈しみを受けて育て上げられた人です。

 でもね、彼はいわゆる原発現場で働いていたそうです。どうして、ああいう現場に取り込まれてしまったかはわからないのですが、下請けの企業だと、一日1万円程度の収入にしかならないので、お金がたまらなかったと思われます。ストレスの多い現場なので、パチンコ等に耽溺したかもしれないし、お酒を飲むのが好きだったかもしれないのです。休みもあるだろうし、税金や、年金も引かれるだろうから、月に、20万円前後の収入だと思われます。だからお金もたまらないです。また、一種の男性だけの社会で暮らしているわけですね。原発が、作られる場所は街中ではないです。田舎も田舎です。車に乗って、街へ行くとしても、そこに滞在するのは、長時間ではありません。のみやのおばちゃんと話をするぐらいがせいぜいだったと思われます。

 で、まず出会いがなかったのです。日本って、家族がいてこそ、お金もたまります。一人ぶちは食えないが、二人ぶちは食えると、昔から言われていて、奥さんがご飯を作ってくれるという形で、お金がたまります。ただし、最近では奥さんも働いているから、奥さんが料理を作らず、中食と言って、買って来たものを食べたり、外食も多いでしょうから、結局お金はたまらないかもしれませんね。それから、昔はあった家を守るという制度と、そこからくるお見合いの制度がありました。年配の女性が独身の男性でも女性でも、いたら、心配して、相手を見つけてくれたものです。たとえ、工事現場を転々としていても、生まれ故郷の近所のおばさんが、心配して、適切な女性とのお見合いを設定してくれたでしょう。今はそれがない。

 でもね、こういう人が原発を作ってくれたのに、まったく見返りがないのでした。一方で、福島にしろ六ヶ所村にしろ、他のどこにしろ、莫大な交付金が下りていて、それで、首長さんは箱もの行政に突っ走るわけです。しかも現在も莫大な補償金が出ています。うーむ。何とも言いようがない。おかしな政府だ。そして、この国の行政はおもちゃみたいな発想ですべてが行われている。

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副題8、『弱者は、行政の保護にも、遭遇できないのだった』

 この人が、生活保護を受けているのか受けていないのかは知りません。だけど、郊外に行けば、もっと安い賃貸アパートはあるでしょう。でも、保証人がいないとかがあって、借りることができないのです。そういうことをきちんとやっていくのが行政でしょう。この国は、単にお金をばらまくという行政しかできなくなっています。それは、きっと、原発があるせいでもあります。

 で、この気の毒な老人が、彼の年齢だと有名な存在である金の卵(東北から、中卒で都会へ出てきた人たち)だったのか、それとも、他の地方の出身で、しかも、高卒でもあって、たまたま原発の現場に組み込まれたのかは知りませんが、彼が、簡易宿泊所で、最後の時を迎えなくてはいけなくなったのは、善人過ぎたゆえ、または、控えめ過ぎた故だということもあるでしょう。アクティブ、または、攻撃的な要素がみじんもない人なのです。

 現代の様な世の中で、お金を稼ぐ人間は他者を食う要素がないとだめです。だます、いじめる。そういう要素がないと、お金持ちにはなれません。もっとも、上品な、お金もうけの手段は、人を使えるかどうかにかかっています。それだって、ある種の冷徹さがないとできないことなのです。

 その善人過剰ぶりが、上の節で挙げた若い人たちと共通する要素なのです。

 年収三百万円以下で、あって、恋人もほしくないし、結婚にも興味がないという若い人と、そこが、共通するポイントです。となると、今、1000万人いるとされる、年収300万円以下であって、恋人もほしくないし、結婚にも興味がないという人は、上にあげたかに宿泊所から焼け出された老人と、同じ老後を迎える可能性があるのです。

 暗澹たる将来です。自民党には、東大卒の谷垣さんみたいな人も居るのに、どうしてこういうことが解らないのだろう。信じがたいです。

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副題9、『木内万宇氏が、なぜ重要だったのか❓』

 私は、23日の昼間、一日中、木内万宇という名前を総タイトルにつけておきました。この名前は現代アートの世界の人には有名な名前でしょう。だが、それ以外の人にとっては、それほど、有名な人物ではないです。

 でも、夕方六時からの関東圏へ向けてのニュースに、彼が登場しました。どういう文脈で登場したかと言うと、日韓の間に、友好的な雰囲気が盛り上がってよかったという文脈でです。たまたま、彼が週に2日か、3日、お手伝いをしているギャラリー・アーチスト・スペースと言う画廊が、今週、日韓友好展をしていて、木内さんがプロデュースをしています。だから、彼がテレビに登場しても不思議はないのですよ。だけど、私は直観として、彼が登場したのは、例の敵さん連中が、いかに私を研究しているかを証明する出来事だと考えました。

 だって、もっと適切な人は、他に、いると思いますよ。姜尚中氏でもいいし、草なぎ剛君でもいいでしょう。彼は韓国ではチョナンカンと言って、人気者になるほど、韓国語をマスターしているそうです。または、リーウーファン氏でもいいし、崔洋一監督でもいいではないですか? だけど、木内さんが登場したのは、私を意識しているからだと思います。今では、どうしてか、送信できなくなったメルマガを送っていた人物だし、私が生涯でたった一回だけ誘われていったカラオケは木内さんと一緒でした。

 私は、カラオケと言うものが大っ嫌いなのです。と言うのも私がお歌をマスターしたのはカラオケが発明される前の1970年代なので、機械に支配をされるのなど、まっぴらごめんですから。

 ただし、これには、前段階があって、その新宿の東口にあるカラオケに入る前に、花園神社で、三人で、お歌を歌ったのです。

 この三人と言うのは、全員現代アートの作家なのですが、三人ともお歌が上手なタイプなのです。で、三人で、一時間弱、歌いあったのでした。ここで、木内さんに個人的に申し上げたいのですが、「私ね。あの頃未だ、お歌下手でしたね。今は抜群に上手になっていますよ。信じがたいほど、自由自在に歌える様になっています」と。

 花園神社って、赤テントの設立されている場所だと思うから、そこで、お歌を、歌っても別にどうっていうことはないのですが、これもまた、前段階があるのです。どんどんよみがえっていきますが、

 花園神社のすぐそばの中華料理店で、四人で、飲み食いをしたのでした。男性の現代アート系作家が、三人で、私がそこに一人混ざっているという形でです。しかも、私がごちそうするという形で支払っています。どうして、ごちそうをしたかと言うと、それはまた、いろいろ、事情があり、それをまた、これから説明をいたします。

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副題10、『新宿・花園画廊で、片岡昌・醍醐イサム二人展があった』

 私ね、片岡昌さんからずっと連続して個展の案内状をもらっています。氏は、ギャラリーGKと言う画廊で、よく個展をする人ですが、いわゆる企画展として、東京以外の街でも個展が開かれるタイプです。ひょっこりひょうたん島のお人形を作ったということで有名ですが、それとともに、今私が住んでいる山にも住んでいたことがある(=現在ではkamkura cottageと変化している旧石井邸)とも聞いていたし、現代アート、特に立体で、面白いものを作る人だし。

 で、サイトウリョウさんに対してもそうなのだけれど、私はブログを書いたり、本を作ったりするのに忙しいから、銀座以外の個展はいかないタイプなのです。だが、醍醐イサムと二人展とあらば、行かないとならないでしょう。で、行ったのです。まだ、母が死ぬ前で、本当に忙しかったのに、わざわざ行ったのです。

 花園画廊って、結構スペースの広い画廊です。新宿で開催される個展で、招待状をもらう画廊が三つあるのですが、そのうちでもスペースは広い方です。何かほかの業態で、儲けている人が、楽しみと名誉心で、経営している画廊だと思います。すると主役の二人はいなくて、見に来たお客が三人ほど、リラックスをしていました。それが木内さんと、彼の知り合いの作家とか、プロデューサーです。ただしここでいうプロデューサーはテレビ番組のそれではなくて、画廊を舞台にした企画をする人の事を指します。

 銀座の画廊と違って、お客はまるで我が家の様に寛いでいました。で、15分以上歓談をしていたと思います。突然に画廊側が、「今日は早じまいをするから帰ってくれ」と言いました。私以外のお客は寝耳に水と言った体でした。だが、私はピーンと来ました。これは、警察もしくは、例のCIAが行っている嫌がらせだと。2008年ごろから、2013年ごろまで、本当に激しい嫌がらせを受けていました。

 どういうミステリーが裏に隠されているかと言うと、片岡昌さんは、いまだに、(と言うのも、私と片岡昌さんの付き合いが始まったのは、公的に井上ひさしが生きていたころからの付き合いだから)・・・・・井上ひさしと付き合いがあって、彼に頼まれて、この花園画廊の招待状をくれたのだと、考えて、彼が、私の特徴を画廊のオーナーに、言っておいて、私が画廊を訪問をしたら、すぐ、どこやらへ上奏をする様に頼んでいたと、みなされます。または、名前だけを言っておいてもいいでしょう。会話内で、木内さんが何度も、「川崎さん・・・・・云々かんぬんと話しかけてきていますので、すぐわかるはずです。ともかく、私が来たら、片岡さん自身にも、電話をする様に頼まれていたのでしょう。で、片岡さん自身が、井上ひさしに電話をかけて、井上ひさしが、警察に電話をかけて意地悪をする様に依頼をしたとも考えられます。

 今の私だったら、すぐさま、この異常事態を、ブログに書くか、現場で、「もしかしたら、警察からでも電話がかかったのですか?」と質問をしてみるところです。そこらへんの話術は、マスターしましたよ。たとえ相手が否定をしても、大体間違いなく、真実は、わかります。しかし、この一件が起きたのは、7,8年前だったので、鎌倉雪ノ下の事案を、30%程度開示した段階でしたね。潜在意識の中ではすべてが解っていても、それを、表に出すことができない段階でした。でも、何となく釈然としない曇った気分になったので、一種の厄払いをしたくて、みんなを南国亭と言う食べ飲み放題の店に誘ったのです。割と強引にです。と言うのもこれまた、その前段階があるのです。

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副題11、『針生一郎さんから突然に裏切りのファックスが、はいって来たときと、まったく、同じ晩に木内さんとの電話のやり取りがあって、そこに心残りがあったのだ』

  それは2006年だったと思います。私が逗子のアトリエ(それは、主人も来訪を何度もしたことがある公明正大なものだったが、)を返却した後のことです。既に、子供たちは二人とも独立して家を出ていました。

 本と言うものは荷物としてものすごく重くて、大体24冊程度が、一つの段ボールに入って送られて来るのですが、製本所さんが、雪ノ下の我が家に持ち上げるのに際して、音を上げてしまったのです。ほかの出版社は、たいていは車が横付けできる一階に出入り口があると思いますが、わが家は、小さい小さいひとり出版社だから、自宅がオフィスです。そこは、道路からは、130段以上、石段をあがるわけで、一万円のチップをあげても「嫌でも、もう運べない」と言いだしてしまったので、主人が大町に持っていたオフィスに、半分程度を、運んでもらうこととしました。

 私が秋葉原無差別殺人事件に対してクローズアップ現代を利用して、警察を擁護した、井上ひさしに、たいへんな怒りを持っているのは、この後で、本をそこから発送をしていた夜の出来事で、分かったのですが、私の行動が、24時間監視をされていたということでした。そして邪魔され続けました。

 当時は携帯は帯同していない時期だったので、携帯のGPS機能が、作動していたわけではありません。そして、オフィスの電話が盗聴されているとは、夢にも思いませんでした。主人のオフィスですからね。そして、本はそこに置いてあるし、オフィスで、月刊ギャラリーとの原稿のやり取りをするのは、安全だとみなしていました。と言うのも自宅だと、印字してくれないことがあったのです。これは、ITチップスを使っている器具は何でも支配いあのなできるというシステムで、月刊ギャラリーの連載を邪魔するために、自宅のファックス機能を破壊されていたのだと思います。でも、オフィスの方は、監視されているはずもないと思っていました。で月刊ギャラリーから、ゲラをファックスで、送ってもらっていました。

 すると、突然に、別のファックスが、針生一郎さんから入ったのです。針生さんは、ひいきをしてくれていて、二ミリか三ミリと言う小さな字がぴっしりと、書き連ねてある好意的なはがきを、何枚ももらっていました。それを泥棒が入って盗んで行ったのです。家の中に何万点もモノがあるわけですから、何が盗まれたかなど、点検さえしません。でも、針生さんから恐ろしい文言のファックスが来て、その所以やら理由を考えると、『きっと、あの葉書が盗まれているのよ』とオフィスで気が付いて、帰宅後、確認をしたら、確かに盗まれていたのです。でもね、過去に書いた通りに、赤津侃さんからこの世にこれ以上はないほどの、罵詈雑言の、ファックスをすでに受け取っているわけですから、針生さんのファックスに関しては、それほどのダメージは受けずにいて、さらりと受け流し、何故、この種の裏切りが起きるかを考えました。

 すると、私の本の価値が高くて、かつ月刊ギャラリーの連載が、美術評論家たちに脅威を与えているのが解りました。だから、伊藤玄二郎が、CIAのエージェントで、瀬島龍三の手下ですから、彼が警察を支配していて、警察が、私が主人のオフィスにいることを、主人のオフィスの電話を盗聴していて、それで、知っていて、それで、夜だし、一人だから、脅かしが、効果が上がるはずだということで、酒井忠康氏を通じて、針生さんに頼んだと思われました。で、理由が明快になったのです。針生さんは左翼系の美術評論家だと言われていますが、芯はない人だったのです。

 それで、かえって、気分は晴朗になったぐらいです。ただね、私は、そういう攻撃下にあるわけで、普通の人間としての、リラックス状態ではないわけです。そういう中で、いろいろな人に、「この本を送るから、お宅の画廊で、個展をした誰それに、渡してください」と、頼む電話をかけ続けていたのですが、その際に、木内さんからあっけらかんと、「今度、一緒に飲みましょうよ」と言われたのですね。だけど、こちらは、ちょっと返事のしようがないという感じでした。しかし、こちらの事情が、相手に判るはずもないですよね。その頃は、一切、こういうことは外部には明かしていないことでしたから。で、木内さんは不愛想に取っただろうなと言う思いはありました。

 で、その頃の事ですが、こちらは、日の出の勢いがあるという頃でした。で、ちょっと、こちらが上だという感覚もありました。で、そのこちらが不愛想だということは、繊細な人なら傷つくことなので、それが、分かる私は、木内さんは、傷ついたのではないかと、思って、結構気にしました。で、印象に残り、覚え続けることとなったのです。

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副題12、『私とは、結構なレベルで、噂が入る立場なのだった』

 さて、それが、花園画廊を早めに追い出された後で、南国亭で、「飲み食いを一緒にしましょう」と誘った、最も大きな動機でした。が、もう二つほど、余計な動機もありました。当時、私が誰かから聞いていた話として、「木内さんって、お子さんがあるのよ。だから、結婚をしているの。でも、奥さんって、今、家にいないのよ」と言うものでした。これは、その飲み食いをした当時の話だから、今はもう違うのかもしれません。だけど、私は、それを聞いて居るものだから、『食生活は、単純なものだろうなあ。気の毒』にと思っていたのです。で、ごちそうをしたいと願いました。

 もう一つありました。それは、この南国亭の飲み食い会の当時に、私は、『黄色いさくらんぼ』を上梓したか、それとも準備中だったと思います。それはニューヨークでの版画修行の、特に2000年をまとめたものですが、たった、600冊程度を献呈しただけなのに、アマゾンとかブックオフで出回るほど、評判がよかったのですが、

 その中に登場するエドゥアルド(仮名)に対する理解から来たものがあったのです。

 それは、お金の話です。で、それもあって誘いました。しかし、木内さんは、今日以降、お金持ちになるはずですよ。私の文章に仲良しの人間として登場した人物は、私から、その人を、引っぺがすために、グーンと大きく、名誉とかお金が、それ以降は、舞い込むのです。

 でもね、その当時には、木内さんはお金持ちではないという判断がありました。現代アートの作家が、うまく生きていくためには、配偶者が、お金を稼いでくれる人であることが大切です。別業種の人であり、特にサラリーマンであると最高です。

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副題13、『芸術家と、誇りと、お金と、パートナーと』

  瓜南直子さんのケースでも、2011年の11月まではFBを読む限りにおいて、ぴんぴんしていると、私は感じていました。だが、次の年の4月の絶筆に等しいツィッター投稿では、体がだるいということと、芸術家によくある、金銭的な不如意と、引っ越しが重なっているので、苦しいと、発言しています。彼女は、上にも上げている鎌倉エージェントの伊藤玄二郎、および酒井忠康氏に、私のライバルとして利用されつくしていて、生活が落ち着かないものになっていたので、パートナーから別居を申し出でられていたのではないかなと、私は見ています。創作者とは、繊細なものだから、落ち着いた暮らしをしないとだめなのです。彼女はお酒が好きだし、漬物研究家として塩分を多量に取っていたとも考えられるし、肝臓はもともと悪かったでしょう。そのうえに、50代を過ぎてから突然に、一人で、生きていかなければならないことになったら、女流作家(美術系)は、本当に大変です。その精神的な消耗が一気に命を落とすことへ繋がったのです。

 これはエドゥアルドにも共通する事項です。エドゥアルドは、日本人の奥さんが居ると、うわさ話で聞いていました。彼は、ほとんど毎日おやつに、サツマイモの角切りの入りの、蒸しパンを持ってきていたので、それは、日本人がよく食べるものであって、ニューヨークのパン屋には置いていないものだから、私は奥さんが日本人だということを信じて居ました。そして、そういう働き者(=日本人)の奥さんが付いていれば、「彼は、芸術家としては大丈夫ね」と思い至っていました。しかし、私が帰国をした、たった9か月後、かれは、58歳で孤独死しました。と、メールで、共通の仲間から教えてもらいました。夏だったので、遺体から異臭がして、近所の人に気が付かれたのだと思います。

 その陰に、ミミ(仮名である。だが、実在する若手の日本人)と言う悪賢い女性が、自分がタダで、工房を使えるシステム(=モニター制度)を作って、若手の主力の12人がお金を支払わないで、使えるシステムを作ってしまったために、全体に、支払う人が居なくなってしまい、110坪くらいの広さがあったNY一古い工房が、つぶれたということがあります。工房があれば、他人の作品の摺師をしてでも、多少のお金が手に入ったでしょう。だけど、工房がつぶれると、彼には正規の費用を支払って、他の工房に所属し、そこを使用するお金はないのでした。それで、生活費も入らなくなるし、昼間そこに所属していた行き場所も無くなって、さらに、孤独になって行って、餓死したのではないかと、推察しています。

 私が最も反省をしたポイントは、彼がおやつとして持ってきていた蒸しパンは、お昼だったらしいと言うことです。しかも、工房がつぶれる前から、それで、朝も夜も済ませていた可能性が高いということです。そして、工房がつぶれたら、いわゆる電気代とかガス代も払えなくなって、無論の事、外食もできず、ベーグル一つ買ってくる事もできずとなり、餓死に至ったとみています。工房は24thの9番地と言う、マンハッタン島の、したの方にあったのですが、お昼には、合計10ドルは消費して、いわゆる中食をしていました。エドゥアルドとは、離れた場所で、隠れる様に食べてはいましたが、外階段を利用してタバコを吸う青年などが居たので、私のお昼を知る人は大勢いたと思います。ごめん。エドゥアルド、私何も気がつかなくってと思って、今でも、切ないです。すでに、15年近くたっているのに。

 この思い出があるからこそ、「奥さんが、今、家に、いないのよ」と聞いただけで、心配がどっと昂じたのでした。

 で、南国亭で飲み食いをしたわけですが、私もお酒が入ると陽気になる方だし、他の人も、そうだったらしくて花園神社でお歌合戦をすることとなったのです。ただし、曲目は、西欧風なものばかりですよ。オペラ、カンツォーネ、シャンソン。現代アートの作家なんて、教養の基本は、西欧のもので満たされているのです。さて、以上が絶歌が、井上ひさしの代筆だと書いた後の経過のうち、15-6-22(月)までの話です。それ以降ガラッと変わってきますが、それは、また後で。

 特に、火曜日(2015-6-23)には、共産党が外人記者クラブに招かれていますし。推敲が終わったら、署名と日付を入れます。なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、

  後注1、

【絶歌】出版の裏には、CIAが居る筈。淳君の死体を水道山まで持ち上げたのも、聖斗ではない筈     2015-06-19 22:35:08 | 政治

後注2、

見城徹が、NHK尾崎豊特番に出たのは、井上ひさし達からの『絶歌』準備中の、ご褒美であった筈    2015-06-22 00:07:00 | 政治

後注3、

唖然! ICU本館とは、旧中島飛行機の研究所だった(ヴォリーズ、一万田尚登、宮崎駿、秋篠宮)   2015-06-16 14:26:04 | 政治

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