銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ボストンマラソンの自爆犯が、何故、今、裁かれるのか?・・・・・・・絶歌シリーズの4

2015-06-24 21:41:34 | 政治

 今は、26日の夜ですが、以下の文章に、加筆やら、補筆をしました。

 ところで、この文章ですが、総タイトルは、はじめは、『鶴岡八幡宮と、花園神社の二つで、プチ音楽会を主催した(?)私』となっておりました。ところが、連想が連想を呼び、まったく違う方向へ向かってしまったので、25日の夜11時に二番目の総タイトル『鎌倉御成中学のPTAの三役を、一週間で降りてしまった30年前の決断が、今の、弾圧を招いているかな?』へ変更いたしました。

 ところが、26日の午前一時になってさらに、三番目のものへと変更をいたします。

と言うお断りを入れて、この一文の、24日の初稿部分へ入ります。

 前報(後注1)内の最後の方で、新宿の花園神社境内で、現代アート系の作家が、三人揃っていた時に、私が「お歌を歌いませんか?」と、提案をして、お歌合戦が始まったと、言っています。

 それは、どうしてかと言うと、実は、私は鶴岡八幡宮の境内で、まったく未知の人と一緒に、二人だけの音楽会と言うのをすでにやっていて、大成功をしていたからでした。

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副題1、『芸は身を助けるは、本当です』

 星占いの暗示の中に、『しし座生まれは意外とシャイなのだ』と言うのがあります。しし座の女の代表例は、ココ・シャネルだとおぼえております。だから、一般的には派手、派手な女だと、思われているでしょう。ところが、あにはからんや、実はシャイ極まりなくて、緊張することが多いのです。私はそのしし座の生まれであり、実は内心ではシャイなのでした。そう思っておられない知人は多いでしょうが、実は、シャイなのです。

 ところが、35歳の時に突然に、大幼稚園の園長からPTAの会長をやる様にと、命令されてしまいました。私より以前の会長は、代々、大金持ちの奥様が引き受けてきていて、誰もが『あの人なら、自分の上だから、会長として認めよう』というタイプがなっていたのに、急にまったく普通の主婦が会長になったので、フロアーの平役員が納得をしてくれないのです。

 で、お金の方はすでにどうしようもないので、せめて、打ち上げの時に、お歌で、皆さんに、ご奉仕をしようと思って、練習を始めたのでした。実は、音楽の先生には、中学の時の先生にも、高校の時の先生にもかわいがっていただいたという記憶があって、それは、たぶん、声がいいからであろうとは、推察はしていました。もちろんの事、かわいがられると言っても、ひいきと言うのではなくて、本当に、『ひそかに』ですよ。それに先生は、どちらも芸大出身の偉い方でしたが、女性です。そのかわいがられ方は、以前に話した、根岸小学校PTAコーラスの指導者の北村充子さんの、周辺の目に余るという様のそれとは、全く違います。後注2、

 40年以上前なので、カラオケは発明をされてはおりませんでした。で、練習は、自分がピアノの和音アルペジオを、左手で添えて、右手でメロディを引くという形で行い、本番の宴会では、本物のギター弾きが呼ばれていて、その伴奏で歌いました。それは、前年度に、平役員を引き受けていたので、その形式が解っていたのです。

 で、本番では、ギター弾きが、伴奏だけではなくて、デュエットに乗り出してきて、それもあって、大成功をしました。広い宴会場の上座に、ギター弾きが居て、私が、下座のマイクを使ったからです。で、丸テーブル、八個に座っている平役員の、みなさんを全員、巻き込んだというかたちも、加味して、大成功だったわけでした。で、終わった後で、お母様(平役員)方、ほぼ全員から、「やっと、何故、川崎さんが、会長に選ばれたのかがわかった。普通の人じゃあない。全然違う」と言われました。狭い階段を一緒に降りながら、腕やら、肩を撫でさすられながら、そういわれました。

 練習して練習して、そのうえで、自由自在な境地に達して、しかも覚悟を決めて、我を投げ出して、歌うので、そりゃあ、素人の度肝を抜くレベルに達しているのでした。曲はお母様方がよく知っている【長崎の女(春日八郎が、歌ったもの)】でした。その1時間前に、【マイ・ウェイ(フランクシナトラ)】を歌ったけれど、そちらは、さして、受けなかったのは、40年前の時代の横須賀のママ友は、その曲を知らなかったのです。で、他人に奉仕をするために歌う場合は、みんながよく知っている歌を選び、歌詞を覚えておくということが大切なことはわかりました。

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副題2、『30年前に、果断にも、私はPTA三役を一週間で降りたのだった。それは、私にとって、損だったのか? 得だったのか? 伊藤玄二郎からの弾圧を受けると言う意味では、確実に、損だったかな?』

:::::::::::ここで、二日目に、挿入を加えさせてくださいませ。鎌倉へ転入してから、たった、6か月後に、横須賀で、PTA会長を引き受けた方と、同じ方の子供の、今度は、中二の母として、平役員に選ばれてしまいました。やる気はなかったのに、どうしてもと言うことで、『平役員なら仕方がないか』と引き受けました。で、平役員だけが集まる会で、私は、広報委員を引き受けることとなりました。それは、自分が子供のころから新聞部所属だったし、今だって、これほど、ブログを熱心にやるほどだし、また、まったく未経験・・・・・(と言うのは、出版社にも印刷所にも勤務した過去がない)・・・・・でも、本を作ってしまうほどですから、軽々とできる仕事です。特に横須賀では、すでに、その広報委員と言うのを経験してきていますし。

 ところが、その同じ日の会合で、「広報委員長になりなさい」と、PTA会長から指名を受けてしまいました。それに、平役員の人が納得をできなかったらしいのです。それは、よくわかります。ママ友の間でも、『あの人はできる人だ』と言う評判は、幼稚園時代から積み重ねてくるものだから、引っ越してきてから、六か月後では、誰も、私を知らないわけです。

 で、内心で反発をしていたあるひとりの平役員(仮名、Mさん)が、最初の広報委員会で、激しく反発をしてきて、議事が何も進行しないという雰囲気になりました。で、会が始まってから、20分ぐらいで、私は、『この委員長を下りる』と、決断をしました。しかし、それは、外には出さず、ただ、「散会をします」と、宣言して、普通は、二時間程度、会合を続けるはずのものを、さっさと、30分後に、閉会にしてしまいました。

 当時・・・・・それも今では、瀬島龍三が裏から手配をした一種の弾圧だったと、分かっていますが、主人が、松阪に単身赴任中だったので、・・・・・ともかく、夕食を作って、子供には、「用事があるから食べていてね」と伝えたうえで、PTA副会長と、広報担当の教師を訪問をして、その晩のうちに、広報委員長を下りると、決定をしてしまいました。これは、PTA役員、特に三役(=トップの会長も)の経験者だから、できた事です。

 普通は、「やめたい」などと言い出したら、引き止められます。そして、理由は、『Mさんからのいじめに負けたからだ』と、だれにでも明らかですから、反発してきた平役員Mさんは、ますます、意固地になるでしょう。『自分は、いじめたつもりは無いのに』と、内心で思うからです。で、彼女にも引き止められるはずなので、結局のところ、やめられなくなります。で、その結果、Mさんとの間は、泥沼化し、紛糾に紛糾を重ねて、その一年間、私は消耗し続けることとなるはずです。

 この辞任に際して、引き止められるという事は、日本的な、しくみであって、”なあ、なあ、主義”と言うか、”決断をしない風土”と言うかの、国の特徴です。争いが、無い方がいいという、ムードが支配をしています。しかし、私は外見だけは、白うさぎみたいに温和なのですが、アメリカナイズをしているというか、なんというか、決断の人であり、ぐずぐずするのが大っ嫌いだし、なあなあ、主義も大っ嫌いだから、バシッと、物事を決定したい方なので、こういう方式を取ったのでした。

 しかし、社会的な通念と言う意味では、損だったのかもしれません。上の件が起きた、その30年後の今、伊藤玄二郎が中心となって、ひどい弾圧を仕掛けてきていますが、私が御成中学のPTAの三役を経験していたら、十分に、地盤が確立をしている筈なので、彼に、あそこまでの事をやらせなかったと思いますよ。彼も、それは、できなかったと思います。

 でね。東京に住んでいるお友達で、職業人としては、成功した女性が、私に向かって、「チャンスは、前髪をつかめっていうでしょう!」と、のたまわったことがあるのですが、そういう意味では、大損失を、受けた選択だったと言ってよいでしょう。

 しかし、損して得取れと言う言葉もあるでしょう。私は、クリエイトする仕事が、好きで、そういう仕事をするためには、実は、そぎ落としておかないといけないことがいっぱいあると、考えている人間です。知人が多いとか、友人が多いとか、コネがいっぱいあるというのは、有利なことなのではありますが、純粋に、自分を保つということができにくくなるのです。それはね。直観として、当時から、わかっていたのでしょう。だから、あえて、ああいう選択をしたのでした。納得の上の選択であって、追い込まれたうえでの辞任ではないので、損をしたとも思っておりません。

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副題3、『神様は、この件でも、お姿を、現されたのだった』

 上の件は、1986年の事なので、その反発をして来た平役員Mさんの事は、私の方では、すっかり忘れていました。パリへ行ったり、ニューヨークへ行ったりしたので、その時の刺激の方が、ずっと、大きくて強いものだから、ママ友とか、PTAのことなど、とっくの昔に捨て去ったことですし。

 しかし、30年後に、偶然にも、鎌倉のもっとも繁華な場所、駅前のT字路で、Mさんに、出会ったのです。その時に、私の方は、相手が誰かはわかりませんでした。ただ、相手が、注目をして来たので、どこかで出会った人ではあろうと思い、会釈をしました。と言うのも、鎌倉は、観光地だし、近代美術館もあるので、とんでもない遠くの住人のお友達に出会うことが多くあるのです。そういう人の一人だと思って、挨拶をしました。すると、相手もあいさつを返してくれました。

 しかし、相手の顔の上に、これ以上はない微妙な表情が浮かんだので、『あれ、誰なんだろう? あの表情は普通の友達ではないと言うことを表していますね。どういう友達だったのだろう。何が二人の間にあったのだろうか?』と、考え込みました。そして、五分後ぐらいに、彼女が満座の中で、反発をしてきて、私に広報委員長としての仕事を何もやらせてくれなかった、30年前の平の、広報委員Mさんだったことが解りました。

 私はその後、その件については、一切タッチをしていないので、誰が後任の、委員長になったのかも知りませんが、彼女が、次の週に、委員長を引き受けたのかもしれません。

 となると、『同時期に、別の委員長として、三役を引き受けていた前田清子さんと、このMさんは、知り合いである可能性があって、今でも、二人は付き合っているかもしれない』とも思い当たりました。で、『この件をブログで書く必要が出てきたな』と、思い当たりました。『前田清子さんが、私のブログに関する愚痴を言うとか、悪口を言うという形で、Mさんに私の情報が、今でも伝わっていて、それで、彼女の方は、私の存在を忘れることもなくて、あの曰く言いようのない複雑なニュアンスが、顔に浮かんだのか尾しれない』と思い当たったのです。

 しかし、私の方では、30年間に、すっかり忘れていて、彼女にあいさつを返した時には、平静で、無明の境地でした。それを、本当にありがたいことだと、神様に感謝しました。Mさんと言う仮名も彼女の苗字のイニシャルでさえありません。彼女の苗字は、当時も今でも知りません。ただ、A,B,Cとか、X,Y,等は、すでに使い切っているので、使わなかっただけです。

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副題4、『鎌倉には、セレブママたちだけが、通う塾があって』

 この部分だけは、今まで、一切語っておりません。だが、重要な因子としてあるのですが、前田夫人が、上にあげた件で、舞い上がってしまった可能性があるのです。

 私は、もともと、中学時の母親がPTA社会で目立つのはよくないとの判断を、してきている母親でした。本当にそうですよ。母親とは目立たない方がいいのです。で、元来引き受けるつもりは無かったのに、PTA会長の独断で、決まったのですが、面白いお話の仕方なので、みなさん、あっけにとられる形で、はいはい、と、頷いたのでした。

 面白い理由とは、「この人は、うちの家内と、同じ名前だから」と言う理由です。だから、反発してきた平役員さんなど、絶対に納得ができなかったでしょう。でも、それは、ただ、ただ、ユーモラスにおっしゃっただけで、別の理由ははっきりとあったのでした。それは、鎌倉に、セレブママたちだけが、子供を通わせる塾があって、私の子供は、引っ越してきた直後に、すでに誘われていました。自慢げに聞こえて申し訳ございませんが、うちの、子供は、たいへん友達に、受けが良い子です。すぐお友達ができるし、評価が高いのでした。・・・・・あ、お断りをしますが、”東大に入学できますよ”とかいう意味で、評価が高いというのではないのですよ。違う部分で、です。・・・・・・

 その同じ塾にPTA会長もお子さんを通わせていました。そして、その塾は塾のPTAみたいなものもあって、お母様方が会合を、一緒に持つし、そういう会で、私はたちまちに目立ったらしいのです。

 あ、ここで、またまた、説明が必要ですが、美人じゃアないのですよ。全然違う。それから、自分では、自分を派手な人間だとも思わない。だけど、どうしてか、目立ってしまうらしい。まあ、小さいころから、壇上で、言葉を述べるという様な子供だったので、自然と矜持と言うものが確立していたのかもしれませんが。で、PTA会長は男性ですから、塾のPTAには、出席をしない人なのですが、奥様がそちらに出席をされるので、奥様から、私の名前とか、評判とかを、事前に、聞いていらっしゃったのだと、推察しています。横須賀では全く効果がなかった、ICUと言う大学名が、鎌倉だと、有効だということもあったのでしょう。

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 ここから先は、新しく書く部分ですが、それでも、アンダーラインを引きません。うっとおしくなるし、いつもの続きで、政治の問題に入っていくからです。どうかよろしく。

副題5、『NHKニュースは火曜日以来、激しい復讐用ニュースに満ちていて、だからこそ、【絶歌】は、やはり、井上ひさしが書いたのだと確信をしているのだが』

 私はこの章を音楽から書き起こしています。でも、政治の項目に入れています。それは、前報で、思いがけず、私の被害の実態に触れられたから、それには、感謝していて、この文章だって、『どこから、政治に向かうか、分からないなあ』と、思っているからです。前報で、言っていることは、この22日の月曜日、夕方六時からのニュースで、銀座のギャラリーアーチストスペースと言うところで、60人のアーチストが、集合した日韓合同展をしているのですが、その企画者の、木内万宇さんが、日韓友好50周年記念ニュースの目玉として登場したことから、・・・・・

 私が、電話も、室内も、そしてパソコンもすべて、ハッキングを受けたり盗聴をされたりしていて、まったく自由がないということを語っています。しかも、新宿にまで出かけたら、花園画廊が、7時前に、邪見にも画廊から、追い出したので、外出先にまで、攻撃が及んでいると、知り、ひどく、困惑したとも語っています。

 しかし、それは、ある、特殊な事情を説明したいと言う要求から起きていることで、急に語ることになったことで、別に計画をしていたことではありません。

 こういうことも天の采配の一つとして、考えております。でないと、正面切って、自分の被害を語ると、それは、自分も暗くなるし、皆様も、お読みになりにくい事でしょうから。

 でも、月曜日までは、それで、済んだのですが、火曜日から激しい、復讐用ニュースがNHKの画面を踊り始めて、すごいことになっています。小渕優子さんに関して、群馬県で、誰かが、もう一度、訴追する様に、訴えたそうですが、それこそ、前田家(上にあげた清子さんが奥さんであって、ご主人の名前が祝一氏である)たち、鎌倉エージェント発の、いじめ用事案だと、昔から語っていますね。それは、ブログとしては、シリーズが完結していなくて、途中になっています。全部書き抜けてはいないのですが、その事案が、幽霊の様に、全国ニュースとして、復活をしています。ただ、幽霊ではなくて、ちゃんとした足のある人間が、それをする様に訴えたと、NHKニュースに登場をしましたが、裏があるのは見え見えであって、その人物は裏で、共産党員として、そうする様に上からお達しが下っているでしょう。

 アメリカにも次から次へと、復讐用ニュースが起こされています。それは、ボストンマラソンの犯人に対する裁判が、今になって、起こされたとか、イスラム国の被害者の人質費用を、被害者家族が集めて支払うのは構わないとか、が、その種のニュースであって、絶歌が、ゴーストライターとしての、井上ひさしの、手になる書物であって、しかも、酒鬼薔薇聖斗は、あの事件を実際にはやっていないとする私の説へ対する。激しい復讐用、攻撃の一つなのです。それが、火、水、木と、アメリカ発ニュースとして報道をされたのですが、木曜日のお昼のニュースとして、日本でも再び、復讐用ニュースが報道をされていました。それは、上川法相が、ある死刑囚≪一審だけで、服役した人間で、控訴をしなかった人間≫を一審後の、刑期確定後の、たった二年後に、死刑執行をしたと言うニュースです。しかも、第三次安倍内閣が始まってから、一年も経過していないのに、7件で、12人も死刑執行が住んでいるそうです。これも、私の過去ブログへ対する大いなる復讐です。

 で、どうするかですが、ここでは、『それらが、復讐のために、報道をされているニュースであって、私は気が付』、言っておきましょう。ただ、『いちいちに解説や反論は加えません』とも、言います。そして、結果として、『これほどの、復讐用ニュースを浴びれば、私が真実を語っているということをさらに確信をしました』と、も、言っておきましょう。

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副題6、『ボストンマラソンの、自爆犯は、イスラム国と同じく、後ろにCIAが居て、やらせている事案だろう』

 でもね、総タイトルにボストンマラソンの、自爆犯の裁判が行われたと、付けています。ので、その裁判については、その時期が、特に、意味を持つのだという事だけは、語ります。

 私はイスラム過激派とは、後ろにCIAが居ると、常に、言っています。で、ボストンマラソンの自爆犯も、そういう一人であって、お金をもらってやっているか、または洗脳をされてやっているかだとみています。で、ずっと、裁判が行われてきていなかったのも、それを証明していると考えておりました。こういう犯人は、秘密を洩らさせないために、必ず殺されます。ところが、この兄弟のうち、弟の方が、生き残っています。

 ただ、重度の傷を負った筈です。で、裁判が遅れたのは、正式には、彼の回復を待ったからだということになるのでしょう。もし、私が、ここで、時期が問題でと書いたらそういう発表が後追いで行われるはずです。ただし、敵さんたちも少しは頭がよくなっていて、ここで、誘い掛けに乗って、時期が遅れた理由を発表したら、さらに、私が確信を持つということはわかって来て、遅れた理由は結局は発表をされないかもしれません。

 ただ、うがった見方ですが、その犯人を、新たな洗脳をするのに時間がかかったと、言うのが真相だと思います。それは、頼まれたとか、命令をされた樋ことを秘匿し、自分自身の、考えで、行ったと裁判では言いなさいと言う意味での、洗脳です。

 でね、シャルリーエブド事件が起きた後で、こちらの事件をグーグルで引いてみました。私の行動は、24時間監視をされていて、パソコンは無論の事、24時間ハッキングを受けて居ります。で、敵さんたちにしてみたら、私が、ボストンマラソンと言う項目で、グーグル検索をかけただけで、私がどういう風に考えているかがわかるのです。

 つまり、私はこの事件も、一連の、嘘が内包された事件だから、結局は裁判はないのではないかしらと、推察して、それならそれで、書くことができると、考えていました。でも、それが、敵にも読めるからこそ、裁判を、実施したと、見ています。つまり、ブログを書かせないために、行われたのが、この裁判です。一種の修正用行動ですが、時期だけは、今を選んだことに意味があります。ともかく、私の推論を否定する方向のニュースだから、復讐事案として役立つと、考えた結果でしょう。

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副題7、『またまた、銀座でも、鎌倉雪ノ下でも、人間を使った復讐用・行動が起きているのだった』

 私は勘が鋭い人間だし、経験上、自分が正しい事、または、真実である事を書けば、激しい復讐が起きるのは、知っていて、覚悟をしております。【絶歌】が、表向きは死んだことにして、実際にはいまだ生きてて地下潜行をしている井上ひさしの手に拠るものだというのは、たぶん、彼らCIAのエージェントたちにしてみたら、絶対に見破られない真実だと、思っていたことでしょう。それなのに、見破ったから、井上ひさしは怒っているのです。それに、連動をしている人間が大勢いるということです。

 で、こういう時は真正面からは取り組まないこととしています。2009年の大相撲八百長疑惑のころに、それで、懲りたからです。次から次へと復讐用ニュースを作り出されました。彼らは、私を殺すことが最終目的ですから、真正面から取り組んだら、私の寿命が短くなるだけです。で、昔のことを語りたいと思っております。それは、変更されない事実だから。

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副題8、『この私の、30年前の、降りるという決断に対して、前田夫人は、勝った、勝ったと、思い至ったのもわかっているのだけれど』

 と言うわけで、1986年の、御成中学のPTA役員の話に入っていきたいです。私は、実際のPTA活動が始まって、第一回目の会合で、降りたわけですが、ご近所に住んでいて、私の土地を盗むという件では、今、このブログの世界では、大着な登場人物となっている前田清子さんは、その時、三役を、止めなかったわけですね。何と言う名前の委員会だったか、なんという名前の委員長だったかを、私自身は覚えていないのですが、ともかく、広報委員長ではないことは確かです。

 そして、彼女は勝った。勝った。自分の方が上よと、大喜びをして、驕慢にも、驚くべき攻撃を次から次へと繰り出してくるのですが、それを書きたいと思っております。しかし、本日の私は、疲労困憊しているので、ここで、中断をして続きは土曜日に書きたいと思います。この後に続けるか、それとも別章を起こすかは、分からないのですが・・・・

PV2950655

後注1、 

簡易宿泊所で、焼死した様な老人が、30年後の日本では、同世代の40%を占める予測がある・【絶歌】-3    2015-06-23 05:04:29 | 政治

後注2、これは、長いですが、副題7以降が、北村充子さんに関する部分です。

前川佳子(画家)本多栄子(版画家)北村充子(根岸小PTA合唱団指導者)らの行為から判る事

2015-05-25 09:36:34 | 政治
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