銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

小さい子が、学校でいじめられるとき、(愛子様の転校?)

2010-03-20 03:06:19 | Weblog
 最初にお断り申し上げます。今日から、明日、あさってと続く文章は、いつもと、書き方もテーマも違うとお感じになる方が多いと思います。・・・・・冷静ではないよ。感情の問題が前面に出すぎていると、お感じになって・・・・・ただし、これも、日本の政治を考える一文なのです。しかし、いじめの被害者になるということは、冷静には、書けない問題でもあります。でも、いじめの横行こそ、この社会が、退廃の傾向にあることを示していますので、危惧しないといけない問題なのですが・・・・・

 愛子様に関する不登校といじめ(?)に関する報道が出ました。その件に関して、私は何も言わないつもりでしたが、週刊誌の広告の見出しを見ている限り、『あれえー』と思うところがあるので、ちょっと、差し出がましくも申し上げます。皇太子ご夫妻にたいしては、「どんな家庭にも子育て上の、言うに言われない苦しみが、一生に何度も訪れるのだ」と、申し上げたいです。皇太子様だから、こういう問題がおきたのではなくて、すべての家庭にありうることなのだと、受け止めていただきたいです。

 愛子様がいじめに(近いからかいであったろう)お会いになったとして、それは誰にでも、十分に予想ができることです。愛子様は兄弟が、いらっしゃらないので、子供同士の、簡単な喧嘩とか、じゃれあいの経験がない方です。青山の『こどもの国』のなんらかのサークルに、入学前に、おかよいになったという話ですが、管理された世界での遊びでは不十分なのです。
 愛子様のほうに、子供社会の本質に対する免疫がなさ過ぎたわけですが、・・・・・不登校も考えようによっては、それだけ、愛子様が、感受性が強いということを示していて、素敵なことでもあります。

 私は、この問題で愛子様を救うためには、しばらく不登校でもよいと思います。家庭教師をお付けになって、科目としてのお勉強はそこで、マスターなさればよいのです。また、子供同士の付き合いについては、サークル(バレーとかピアノ)で、ご友人を見つけられたらよいでしょう。

 また、学習院側は、放課後、愛子様が好きな、そして、相手も愛子様を好きな学友に遊びに行くようにすすめて、東宮御所側もそれらのお子さんに、来てもらって、数人の親友を作るのも道程としてはよいでしょう。それらのお子様のお帰りは東宮御所側からの車で、各自の家まで、送っていくこととする。

 愛子様は恵まれていらっしゃるし、守られている存在なのだから、安心なさって、しばらくの冷却期間をおいて、様子をご覧になるほうがよいと思います。この件の解決のために、急いだり、大騒ぎをなさらない方がよいと感じます。

 特別なお嬢様中のお嬢様なのだから、しばらく、家庭教師に拠る教育でかまわないと思います。お心が向いたときに、学校へいらっしゃったらよいでしょう。雅子様が教室に付き添って監視するというのでは、子供社会の自由を束縛するし、本当の解決には役立たないでしょう。

 また、、水面下で行われているという転校計画も、よくないと感じます。転校なさってから似たようなことがおきたときに、どちらにとっても救いようがありません。また、転校先で、この問題を上手に進行させるために、先生や、学友が、愛子様に、超がつくほど、気を使ったとしたら、それは、愛子様の人間としての、真実の成長には、役立たないでしょう。
 東宮御所という場所も、ほかの子供が近所にはいないという特殊な場所ですし、雅子様というお母様も、大胆で、おおらか(つまり、下町庶民の肝っ玉母さん風)であるとは言いがたい方です。
 だから、こういうことがおきたのは、ごく、ありえることだと、冷静に見ていけばよいのです。ここまで、はっきりというのは、友納尚子さんという雅子様側に立って発言を繰り返す、週刊文春(に、専属的に、記事を載せる)ライターが『学級崩壊の学習院、何するものぞ』と、ずいぶん怖い見出しを記事につけておられるからです。こういう風に書くのは、学習院と対決するという姿勢です。

 こういう方向は、それこそ、天皇陛下のお好みにならないところだと感じます。結果としては愛子様のためにもなりません。ここで、雅子様が大騒ぎをなさることは、国民が『あれ、雅子様って、変だぞ。普通の母親なら、教室まで出向かない。子供同士のことでここまでするのは、動きが早すぎるし大きすぎる。泰然自若となさっておられればよいのに』と、感じて、将来の皇后陛下としての立場に傷がつきます。この場合は家来ども(東宮の官僚とか、学習院そのものも皇室の家来みたいな存在だと世間からはみなされています)に任せて「よきに計らえ」と、おっしゃっておけばよいのです。

 愛子様が不登校(熱がある)とか、おっしゃったら、その真実の意味を、ご理解なさるのも結構だけど、エジソンの母みたいに、「あ、行かなくてもよいわ」と、いったんは、受け止めてあげたら、愛子様は、気が、お楽になるでしょう。学校だけが、世界でもないです。『そこがいやなんだ』というサインは出ているのだけれど、子どもに不安があるときほど、母はさりげない態度をとらないとだめです。つまり、親であるということは一般的には、我慢の連続の日々なのです。

 ここは、子供社会のことだし、四年か、五年に進級すれば、子供たち自身もわきまえてきて、愛子様が特別、おとなしい(自己主張が出来ないタイプ)であっても、それはそれとして、仲良く大切にしていかれるでしょう。

 この自己主張が出来ないタイプという言い方は、お姫様だからそうなるので、劣等だとかそういう意味ではないのです。周りの人が、先回りして、何でもやって差し上げるから、主張する必要がないので、自己主張ができないタイプとなるのです。おとなしい人になるのです。

 昔『たけし君、ハイ』というドラマが、NHKで放映をされました。
 ビートたけしさんの幼いころの思い出を、ドラマにしたものですが、それなんかをみると、兄弟も多いし、物資も少ない時代だったから、「これが欲しい。あれが欲しい」「こうして欲しい。ああして欲しい」と、すべて自分から主張をしないと、手に入らないわけです。だから、主張の強い子と自然になって行き、今の「殿!」と自分を呼ばせるタレントとしての彼ができあがりました。

 ところで、私がここでこんなことを言っても、皇太子様ご夫妻は、愛子様を、転校をさせになるかもしれません。その際ですが、東宮御所というのは、ご近所づきあいがないわけですから、普通の子供より、負担が少ないはずです。普通の子供ですと、転校は地域社会から浮き上がってしまうので、不利です。ただ、週刊誌でこれほど、大騒ぎされるぐらいですから、、皇太子様ご一家と学習院が、対立、対決する関係がすでに出来上がっているのかも知れません。それなら、転校も、止むを得ないかもしれません。普通ですと、親側が、圧倒的に弱くてしばらくの間、泣き寝入りというものですが、皇太子様という立場は特別ですから、それもありでしょう。

 しかし、ごく普通に苦労をしながら、子育てをしてきた人間からみると、ここで、親側が救いの手をさして述べてしまうのは、愛子様のあるチャンス(試練を乗り越えるということ)を奪うこととなります。

 この経験を消化して、かつ、昇華して、『友達なんか、こわなくないんだわ。私は誰と接しても大丈夫なんだわ』と、お感じになる道を閉ざしてしまうこととなるからです。

 愛子様が内心で『あのいやな子』と思っていらっしゃる子との関係が、解決されないで、終わることは、おびえを一生、背負われることとなるでしょう。
 転校は、ここで、愛子様の小さな胸に芽生えた『人間っていやなものだわ』という感覚をそのままにさせたまま、表面だけをつくろう形になります。できれば、学習院の中で、穏便に解決するのがよいと感じます。五年や六年になったときに、その相手と仲良くなるのが理想の形です。今は子供が本能的ないじめとか、動物的な感覚を発揮しやすい、年齢です。だから、お姫様タイプのおっとりを、からかった可能性は十分あります。だけど、普通の学校生活をお送りになるつもりで、学校へ行かせていらっしゃるのだとすれば、そこは、道程として、受け入れ、「大丈夫よ。そんなこと、いつか終わるし、相手の子が悪いのよ。愛子はとてもよい子ね」と、ご両親がとりえあえずお慰めしておく、・・・・・・成長すれば立場が自然にわかってきて、やっていけないことと、いいことが子供たち自身に、わかるようになるでしょう。

 実はですが、感受性の強い子供は親が学校へ来ることを内心で嫌がってもいるのです。自分が特別な存在となるからです。自分自身の力で目立つ(たとえば、かけっこが一等であることはよいのですが、親のことで目立つのを嫌がります。雅子様が教室についていって、後ろで見学をなさったという週刊誌の見出しですが、それは、愛子様をさらに、追い詰めたとも、私は、感じます。

 この『雅子様、お一人の父兄参観』の件についてはさらに、気にかかる見出しが数本ありましたが、再録もしないし、私の考えもこれ以上は述べません。それについて述べ始めると、際限がなくなります。
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 ところで、もし、「我が家には何の問題もなかった」と豪語する親がいたら、そこのお子さんはいじめっ子の方になっている可能性はあります。母親が強気で、他の家族に対して、抑圧的に出ている家庭ほど、こどもが真実の姿を家庭で見せないからです。乱暴な子とかいじめっ子って、そういうお母さんの下で育っているケースが多いです。だけど、そういう子が、将来会社の社長なんか出来るのかもしれないから、人間は、一筋縄の価値観で生きて行くわけでもないのです。簡単に決め付けは出来ません。
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 すべての親にとって、こどもとは、大人になってからも就職の問題。結婚の問題で、何度も、悩みを与えられる存在です。だけど、子供を生み育てるのはごく普通のことであり、社会が健全に発展して、運営されていくための基本でもあります。年金は新しい子供が育って、下支えをしてくれるからこそ、老人が助かる仕組みです。それを、考え合わせれば、どこのご家庭でも、二人ぐらいの子供を育てるのが、普通のこととなります。

 その子育て上の、悩みですが、人生の途上、絶え間なく続くわけではなくて、学校で問題があれば、結婚がスムーズに行ったり、学校時代に何の問題が起きなければ、結婚のことで、問題がおきたりして、神様はよく、バランスをお取りになっているものだと感じます。

 皇太子ご夫妻が、まだ、お小さい愛子様のことで、大変な心痛をお感じになったであろうことは十分に推察できるし、「ほかの人のことも、おもんぱかりなさい」とおっしゃった天皇陛下のご発言も、ご立派だったと思います。ただ、普通の家庭ですと、こういう問題は、親側の泣き寝入り一途です。

 なお、上の文章は週刊誌の記事は一本も読まないで書きました。だから、間違っているところがあるかもしれません。が、他者の影響を受けたくなかったのです。ただ、幼い子の母であった経験から書きました。私の子供も、担任の先生からいじめられました。地獄の二年間でした。が、結局は我慢だけの日々でした。
 
                2010年3月20日 早朝1:30   雨宮 舜 
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