今、ふつかがかりで、下の文章を、やっと完成をさせました。なおこれは、下にある、11日付の文章の続きとして書いています
副題1、『悪夢でうなされるほど、フェイスブックに苦しめられた、この三ヶ月』
副題2、『国画会退会時と、フェイスブック退会時との、私側における差』
副題3、『さすが、ハーヴァードの学生が、創設したシステムだ』
副題4、『宇留野隆雄さんを見ていると、警察の悪辣さが、よくわかる』
副題5、『美術評論家とは、何であるか?』
副題6、『その弱さと、巧緻に長けた処世術に、
私が、最初から気がついていた針生一郎』
副題7、『味をしめたかれらは、山本容子と言う鉄砲玉を、宣伝する』
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副題1、『悪夢でうなされるほど、フェイスブックに苦しめられた、この三ヶ月』
この章は、数十行を書いて30分も経たないうちに、爆睡に入ってしまったのです。しかし、寝ながらも夢を見ているのでした。その中では、このグーブログのテキスト記入画面に、ダブって、半透明な形で、フェイスブックの画面が映し出され、そちらでは、・・・一種の炎上として、・・・私が書くにつれ、フェイスブックの方の会員が、それを、逐一否定していくと言う現象が起こりました。
それで、びっくりして、たった、40分で仮眠から目覚めて、新たに、打ち込みを開始したところです。しっかりと目覚めてみれば、あのダブった画面は、完璧に夢であって、今、グーブログの、入力画面は、フェイスブックと重なっているわけではありません。
しかし、それもまた、フェイスブックの特徴のひとつでありました。その画面が、閉鎖されていて、会員しか読めないのです。それで、自分が退会した後で、どうなっているのだろうと言う悲哀に満ちた心配の感情が、こう言う夢として表れたのでしょう。
しかも、今般、最大に苦しめられたのは、退会手続きが、なかなかできなかったこと。それは、一般には、簡単に、現れるはずの契約解除の項目が、どうしても、私のPC上では抜かされていて、それで、事務手続きが、進行しなかったのです。いったん、退会宣言をしたものの、離脱ができず、恥をさらし続けたからでした。
それはそれで、『店ざらしになって、恥をかいている私』という分章群、400字かける4を書いて、事情を吐露していました。が、幸いに、ある人が12時間後かな? 教えてくれて、そのハイパーリンクを利用すると、完璧な退会が、一気にできたので、今は完璧にそこから離れたわけですが、・・・・・
そうなってみるとあのフェイスブック紙上で、書いた文章群を保存しておかなかった事が悔やまれてきます。ある程度は保存をしてありますが、その上記の、『店ざらしに、なった私云々』というのは、落としていなかったのです。それは、一種の名文だったと感じています。この『名文だった』と言うのは、自分で言うのは、もちろんのこと、おこがましいのですが、名文を書けば書くほど、他人からサインを与えられるのです。
PC画面上で、脅かされるのです。『今、CPUが危ないですよ』と言う警告画面が出ます。
こう言うのが、私へ弾圧の最も頻度高く現れる本体で、それに従うと、せっかく作り出した名文(?)が消えてしまいます。すでに、慣れているので、動揺しませんが、これらの現象を見ていると、私のパソコンを常時監視している連中が、文章判断能力が高い事がわかり、
△△△△△△
『もしかすると、ハッキングは同時進行的に、井上ひさしに、ソウシンされているのではないか。そして、彼のパソコン画面には、いろいろ特殊なアイコンが、し組まれていて、『これをクリックすると、こうなり、彼女の文章は、そこで、消えるのですよ。だから、こちらに不都合な事を彼女が書けば、その時に、瞬時に阻止できます』と、教え込まれているのではないか』とさえ思い至ります。ただし、この△△△△△△罫線に囲まれた部分だけは、今のところ、想像の範囲を脱しては、いません。
証拠は、・・・・彼が地下潜行していると、私が信じている・・・・鎌倉佐助がやつの彼の豪邸へ入ってみないとつかめないからです。
特に、私が雪ノ下の自宅で、パソコンを打っている最中に、佐助へ瞬間移動をしないといけないので、スピルバーグの映画の登場人物にでもならない限り、永遠に真相はつかめません。雪ノ下と佐助と言うのは、直線距離にすると短いのですが、間に山坂と線路があるので、とても遠くなります。
△△△△△△
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副題2、『国画会退会時と、フェイスブック退会時との、私側における差』
皆様は知恵の言葉として、『継続は力なり』と言うのを信じておられるでしょう。
私もそれを信じています。この『文章を書き、それなりの世界ではあるが、読者へ向けて発表をする』ということも、1998年にパリに行ったときからはじめていますから、すでに、13年目に入っているわけです。パソコンを使い始めてからは、12年目であり、不特定多数への公開(ブログ)を始めてから、三年弱です。
しかし、一方で、クリエイターとしては、『天才の仕事は、18年ぐらいで終わる』とも感じています。長生きをして、長い制作キャリアーを続けていけるのは、日本画の創作の様に、一種の訓練を伴った作業なら、それが利く』 だけど、『純粋に創作だけを問われるのなら、その程度の継続期間で終わる』と見ています。
たとえば、熊田ちかぼサンなど、高齢になっても、細密な昆虫図を描かれたということで、大変に有名です。だけど、前半生は、デザイナーとして、暮らして来られたのです。
でも、それは、制作の方向性ということにおいて特に当てはまる問題であって、所属集団への忠誠の継続という意味では、悩みが起こりやすいでしょう。「悪い上司に悩まされていて、ここで、転職するかどうか』と言うのは、とても普遍的な問題で、新聞の身の上相談の欄には、しょっちゅう出てきている問題です。
私は、勤務期間が短かった人間なので、そこには言うべき資格も無いと感じています。
しかし、こと、趣味の領域に関しては、相当に、ものが見えている人間であり、所属しているソサイエティがあわないのなら、それは、変えてもいいという意見を持っています。
日本には、技術を伝えていくシステムのひとつとして、家元制度というのがありました。西欧でも、ギルドとか、フリーメイソンと言うのが発達している模様ですので、閉鎖性の持つ良さというのがあるのも認めます。しかし、閉鎖性の持つあくと言うのも完璧にあるのです。それは、数の論理による支配とか、強者の恣意がまかり通りやすいと言うことです。
日本の洋画界について言えば、戦前から官展と二科会という対立軸はあったわけですが、終戦を境として、その集団の数が飛躍的に増えました。
そして、各団体は、展覧会を公募しています。それが、日本社会が経済的に豊かになるにつれ、ある程度に、家元制度の仕組みを内包しはじめ、自由度を失ってきています。
その実情は外へもれ伝わっていて、今、2011年現在で、50歳以下の洋画家は、無所属として、個展だけで、生きていく人が多いのです。そして、彼らは自らを、平面作家と呼び、技術用語まで変えて行っています。
と、同時に、社会が、経済的な下降傾向に入り始め、美大を出ていない人が、作家生活(美術系)にはいることも少なくなってきています。
だけど、現時点で、60歳以上の人はそうは生きられなかったのです。たいていの人は団体に所属をしています。団体の中で、出世すること(=会員となり無審査となる事)が
求められてきました。1960年代に、自らの年齢が、30台であって、会員となった人はメリットを受けることができました。が、それら、現在80歳以上の高齢な有名画家以外は、公募団体展に所属することのメリットを受けられず、ストレスや、悲しみを味わっている人が多いのです。
私は一応、四年制大学を出ていますが、それは、美大ではないので、自分の画家としての的確性や才能を、チェックするために、国展に出品し始めました。そこが、もっとも上品だと見えたからです。しかし、国展の内部でも、相当に苦しみました。が、そこを離脱するのに、そう決心をしてからでも、10年はかかりました。
ところが、今回フェイスブックの方はあっという間の決断を果たしています。たった、三ヶ月の所属で、離れるし、また、そうと決心してから、実質、24時間以内に、完璧な離脱ができています。どこに、二つのケースの違いがあるでしょうか?
それは、間に、二十年と言う歳月が挟まっていて、私がすでに老境に達していて、残り時間が少ないと言うこともありました。それから、人生経験を重ねてきており、変化に対して、恐れないということも増えています。
しかし、決定的な違いは、こちらのフェイスブックで味わう悲しみが、大いに政治的な影響下で、与えられていると言う事であり、また、それが、確定的に、読めたからです。だから、改変や改良がありえないのも読めていて、それで、なんの悔いもなく、退会の決断ができました。
で、これから先は、その政治的な動きについて入っていくわけですが、その前に、フェイスブックの持つ、ソサイエティとしての、固有の性格を、少し、記載して行きたいと、感じます。
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副題3、『さすが、ハーヴァードの学生が、創設したシステムだ』
私は、この5月の半ばに、フェイスブックへ入り、たった三ヶ月で退会したわけですが、そこで、差別をされていやな思いをしたから逃げ出すわけでは有りません。そうではなくて、日本のほかのソサイエティのありとあらゆるところを支配している、国際的軍産共同体の、影は、ここにもしっかりと見えるからです。
会員の中でも、活発に活動をしている人と、そうでもない人がいて、活発に活動をしている人は、そこへ投稿が多いのです。で、見ている側としては、この人はどういうタイプの人だろうと、もし思えば、、公開されている個人情報へ、入って、調べることとなります。その時に自動的に、友達リクエストというのが送られます。
そういう形で、知り合いが増えていくシステムになっています。私はそのシステムとは別の方向で、たった、三ヶ月の間に、300人近い、友達を獲得していったわけで、相当に他の会員の耳目を集めました。が、その影に、今から述べるような数々の、もって回った、間接的な形での弾圧に出会っていました。が、どんなに、つらいことに出会ってもめげない精神を持って、自らも、書き続けていっていたのです。ユニークにして意義深い事を。
しかし、その間にフェイスブックがもつ、さまざまに特徴はわかりました。まず、物心両面で余裕のある人が多いと言うこと。それは、経歴や学歴を記載する事が一応の基準として求められていると言うことで、粒がそろってくるのです。
私は、社会を論じるために、東大と、芸大を論議の的としてきましたが、それを、今までは、『スノビズムの表れだ』と、けなされて来ました。が、けなされるどころか、恥ずかしげも無く、堂々とそのスノビズムが、展開するのが、このフェイスブックの世界です。
が、中にはごく少数ですが、そこに、気恥ずかしさを感じて、非常に面白い誤変換を用いる人もいました。たとえば、原文は漢字の羅列でしたが、『有り袖、なさそうな大学』とか、『馬鹿田大学』とか。
私は、それに、いや気が差して、劣等感も抱いて、気がめいって、フェイスブックをやめたのでしょうか? それはないです。実は、私は、それなりに恵まれている方なのです。控えめに言うことが多いので、それに乗ってしまう人が、実際に我が家を訪ねてきたり、私と一緒に版画工房で、長期に、仕事をしたりすると、その金遣いの荒さに、びっくりするほどです。実はアメリカでは、他の版画家が、嫉妬心を抱いて、歯向かってくるほど、経済的には余裕のある人間でもあります。
一点豪華主義で、芸術の修行にだけ、お金をかける人間だから、それ以外の側面を見れば、貧乏です。遺産をすべて、使い切って、お金が無いときもあって、すっからかんになった恐怖も知ってはいるのですが、どうしてか、また、どこからか、救いの手が降りてくる人間です。そして、学歴と家庭環境もさして劣っている方でもない。
しかし、徐々に心を折れさせる、災いが入れ込まれてきました。それは、この人は絶対に友達になってくれるはずだと思う人材が、なってくれないと言う悲しみです。そして、それは、『自分自身が、何かへまをした』というよりも、例の国際的軍産共同体と、そのエージェントたちが裏でうごめいているから、こうなるのだと、確信していますので、気持ちが暗くなって来ます。
そういう例が、10例ぐらいあって、それを、まず、書かないといけません。退会への決定的な引き金はニッチギャラリーのオーナー西村富弥さんと、枝香庵のオーナー荒井よしえさんが引いたのですが、その前に、徐々に、徐々に、いためつけられた、過程があるのです。精神的なボディブローが、数々あったのです。
それらの例として、
前報が、10日の段階で初稿として、ここにおかれていた段階で、メモとして書いたものを、ここで、採録します。
フェイスブック内の原文では#6
それに、いったん友達になった、南條史雄さんが、いつの間にか、友達リストから消えちゃっている。ぴんと来るところがあります。その件では、6月中に、すでに、『変だぞ、弾圧の対象になっているぞ』と気がついていたのです。が、やめるか、さらに、元気にやっていくか、どっちにするかを迷っていたのです。どうしてかというと、私は表側から言えば、決して弾圧の対象になるような人間ではないのですよ。
ただ、この日本は、被・植民地国家であり、日本人は豚のごとく扱われているという事を、はっきりと述べています。ここで、引いちゃったら、そういう意見をいう人間が、こう言う形でつぶせると、彼らが考える可能性は有るのです。ここで、彼らとは、核燃料を売りつけている側です。
で、それらの数々の名前をそこに挙げて、どうして、実名で書かざるを得ないかも理由をきちんと挙げてあります。それは、フェイスブックの原稿ですが、こちら、グーブログでは、さらに、深めて、理由を書いてあります。それが11日付の前報、『フェイスブックで、足を取られる・・・・・その間に小沢復権』へと発展して書いてあります。
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副題4、『宇留野隆雄さんを、見ていると、警察の悪辣さがよくわかる』
この章では、そういう風な苦しめてくる人材のうち、特に宇留野隆雄さんを取り上げましょう。
私は文章をすべて、現代史の記録として書いていますので、実名を表記されると、その人々は、この現在の日本に、核燃料を売りつけている側に立っていることと規定をされることとなります。
そういう趣旨で描いているこの文章の中に、宇留野さんをしっかりと実名で入れ込めているのは、宇留野さんの『あんたなんか、たいしたことは無いよ』と言うメッセージには相当に傷つけられてきていて、また、画廊のオーナー(スタッフ?)として、所属作家にいろいろ、悪口をおっしゃっている可能性も感じるからです。単に今回のフェイスブック騒ぎで苦しみを与えられたわけでもない。私が銀座で相当に風評被害にあって、生きにくくなっていることへの、道程を作り出している人のうちのひとりだからです。
これは、岡崎こゆ(羅針盤)さんも同じであり、後で、岡崎こゆさんについても述べないといけませんが、ここでは、宇留野さんにこだわります。
ところで、宇留野さんが、そういう態度を取り始めたのは、5年ぐらい前からであり、それゆえに、私は、当時の針生一郎さんの、私への変身を考えると、裏に針生さんがいると思っているわけです。
でもね、こう言っては何ですが、書いている文章の質と面白さに関して言えば、針生さんの文章より、私のそれの方がはるかに上でしょう。ただし、私はすさまじい弾圧の対象となっているので、現在のメディアで、ブレイクする事ができません。だけど、実際に読んだ人、特に両方を、読み比べてみた人には、必ず、それは、判っているはずです。
で、宇留野さんに思い直してもらうために、私はこのブログと同じものをエッセイメルマガとして、宇留野さんにも配信をしているのです。ところがちっとも効果が無い。で、あるときに、宇留野さんに聞いてみたのです。「届いていますか」と。
すると届いていないそうです。ふむ、ふむ。メールを空中に雲散霧消をさせてしまう人は誰でしょう。多分、今まで述べてきた、軍産共同体自身か、または、その支配下にある、警察、または、瀬島機関や、革○等。
そして、そのきっかけは、ご近所の猫をめぐる、ばかばかしい事件に起因しています。石川和子と言う女性がわがままのきわみをもって、我が家へ対して迷惑をかけ続けていてそのあげく我が家のねこに見放されるところにまで、彼ら自身の行動で、勝手に追い詰められてしまって、逆上して、警官をまきこんで、私へ復讐をしようとした事が原因です。
しかも彼女は伊藤玄二郎の(元?)愛人だそうで、それゆえに、警察は徹底的に、彼女たちをひいきするわけです。というのも、伊藤玄二郎は、きっと国際的軍産共同体のエージェントだからです。で、警察は国際的軍産共同体の支配下にあることも、ここから読み解けます。
ただ、読者の皆さんは、そこに入ると、突然に文章のレベルが落ちるようにお感じになって、読みやめてしまうと、私自身は推察していますが、そこがすべての始まりなのです。
そんな小さなことと言えば、それまでですが、それを、正しい処理をしてこなかった、ことのつけが、この日本国内に、忌まわしい原発を止め得ない現象につながっているのです。13日(土曜日)の朝は、浜松市の焼却場の灰から、放射性物質が検出されたとのこと。本当は柳沢昇をテレビカメラの前に立たせて、「私が悪うございました。東京圏で起きている電車の遅延現象はすべて、私の行為が原因として、起きています」と、頭をさげさせないといけません。
それから、「きちんと画廊を運営なさっている銀座の、かく画廊の関係者に多大なご迷惑をおかけしたのは、私の不徳のいたすところでした」とも、謝罪に出向かせないといけないのです。
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警察がどうして、宇留野さんへ、メールを届けさせないようにできるかと言う項目については、超・簡単に言えばスパムメールへの警戒心をあおり、それを利用して、人々が、重要なメッセージのこめられているメールを受け取る事を嫌がる運動を進めて、それで、受信停止をさせたのでしょう。しかも気がつかないうちに、パソコン内で、それが、自動的に設定されてしまうシステムも、作った可能性があります。
宇留野さんに上記の「メールが届いていますか?」と質問をした後でも、状況がこうなっているからは、さらに同じ事を皆様へ、おしらせをしないといけません。
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副題5、『美術評論家とは、何か?』
さて、ここに針生一郎と言う美術評論家がいます。今は死亡後であり、故人というわけですが、こと宇留野隆雄さんに、関しては、相当に、大きな存在として、私の頭に浮かんで来るひとです。
ただ、ここでは、針生一郎・考察・へ入る前に一般論を展開させていただきます。
美術評論家と言う職業の人に対して、作家側は、実は、隠微な嫌悪感を持っているものです。彼らが出世と言う意味で、生殺与奪の権をにぎっている事に対して、深い嫌悪感を抱いているのが実情です。成功した芸術家の一人で、お金を充分に持っている美輪明宏さんが、NHKの日曜美術館内で、いみじくも言い切ったのですが、
才能が無くて、真の作家になれなかった人物が、美術評論家になっていくのだと。
ここで、ちょっとした余談ですが、私が弾圧をしてくる側と激しく戦ったのは、インターネットを利用した、ただの、お金を取らない、形での、美術評論をやり始めていて、それが、相当に成功をしていて、若い人たちに、相当に大きな信頼を得ていたのに、パソコン内で図形が処理できないという形で、事実上仕事ができないと言うケースが現れたからです。これには激しい怒りをもっています。
自分の目を信じているし、誠実極まりない性格ですので、クリエーターたる人々を励ます事が可能です。しかし、この五年間はそれをあきらめているのです。
けれども、その五年以上、前に培った実績があり、だからこそ、フェイスブックに入っても、たちまちにして、300人の友達ができたわけです。一種のコアとなってもらった人がその時代の付き合いのある相手だったからです。
それに、その時代に鍛えているから、ちょっとした文章を書いても、たちまちにして目立つ方となります。つまり、お金を取らない文章、注文によらない文章を長い間書き続けてきていて、それで、人々の間を遊泳してきたわけですから、文章が生き生きしていて、感動を与えない限り、そんな、生き様が続くわけもないのです。
私の特徴は、数行の中に、その芸術家のどこが、または、何が優れているかを、他者にわかりやすく伝えられることができる点にあります。しかもお金を取らない人です。
これは強烈なる新人です。しかも、その能力の高さは、月刊ギャラリーで、数ヶ月連載をしただけで、わかるひとにはわかったと思います。で、既成の美術評論家たちから、激しい反発を食らったのですが、先頭に立って、姿を現して、攻撃を仕掛けてきたのは、瀬木慎一さんです。瀬木さんについてもいずれ、長い文章を書くつもりですが、
今日は、フェイスブックと関連の文章を書いている途中であり、かつ、その中で、宇留野さんが、友達になるのを拒否してきたと言う関連で書いているわけですから、針生一郎と言う人にこだわります。
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副題6、『その弱さと、巧緻に長けた処世術に、
私が、最初から気がついていた針生一郎』
実は、2000年ごろまでに、針生一郎氏とは、関係ができています。その時にさっとなついていけば、私は彼にすでに、1,2本以上の推薦文を書いてもらっていて、作家として、今以上のポジションにすでに立っていたかもしれません。あくまでも、たら、ればの話ですが・・・・・
何度も、人懐っこい感じで、電話で交わしていますし、おはがきは何枚ももらっています。大きさが、三ミリ程度の米粒ぐらいの字がびっしりと詰まっているはがき。このおはがきまでの段階が、美術評論家側からの誘い水の段階です。しかし、今はそれが、盗まれています。
この盗まれていることの意味ですが、一つには、『あいつ(私のこと)が実力が高かったり、優れているとみなし得る証拠は何が何でも消しておいてやろう』と、言う悪意ある集団がいて、盗んでいくという事が有ります。父の若い日の写真が、ほとんど、盗まれています。
若いころの父はものすごく格好がいいです。石油開発のエンジニアとして、満鉄から厚遇をうけ、恵まれた環境の中に暮らしながら、一方で、週末画家でもあったのです。で、中国の遺跡を油絵で描き、高い評価を得ていました。ピシッとした背広(ネクタイ付き)で、遺跡を訪ね、マーチョ(人力車)に乗っていた写真等があったのです。油絵を描くときは、汚れるから、作業服で行くものだと、思いますが、一方で、若きエリートサラリーマンでもあったから、スーツ姿で、写真には写っています。いわゆるモボの典型です。陸上をやっていたやせた体で、背だけは明治生まれでも、170センチ以上。そのころの新聞の切抜き等も、すべてぬすまれています。
同じく盗まれてしまった針生さんからの、はがきですが、
それは、1999年から2000年に何回かに分けてもらったもので、そのたびに菓子折り程度のお礼を送っていますが、それから先を発展させる気が、私の方には、無かったのです。詳しく説明をすると、また、一冊の本がかけるほどの、字数が必要だから、直感として、それを感じたとだけもうし上げますが、性格としては、弱い人です。そして、世間智にも長けている人です。処世術も充分すぎるほどある人です。
その針生さんが、突然に豹変して、敵として、現れた夜があって、大いに驚かされました。それは、2007年の11月だったと思います。
私は、その夜、主人のオフィスで、本の発送の仕事を、一人でやっていました。どうして、自宅でやらないかというと、我が家が山の上にあり、本を持ち上げるのに大変なので、配達を主人にオフィス宛にお願いするのです。
製本所の人にとっては、いっぺんに800冊の本を山の上に、手で持って上がることは、一万円のチップをもらっても、遣り通せない仕事なのだそうです。本ってそれほど、重いのです。
一万円は実際にあげて、しかも私も手伝いましたが、「最後までは、できない」というので、半分近くを主人のオフィスへ、運んでもらってあったのでした。余談になりますが、このときの経験に懲りて、私は、宅急便の会社は、三社を同時に、使うようになり、しかも、日にちをずらして、三週間をかけて、800冊を配達してもらうように変更して行くようになります。
で、元に戻れば、
そこは鎌倉駅の北側に在る我が家からは、歩いて、30分近く離れている場所です。そこで仕事をしていたら、ファックスが針生さんから、見事なタイミングで、在室中に来たのです。毎日、そこにいる場所ではないです。
そして、『もし、私ではなくて、これを、主人が先に、読んだらどうしますか。針生さん、大恥ですよ」というほど、乱暴な書きなぐりであり、乱暴な書体で、乱暴な文章でした。私、一人が読んだとしても、針生一郎の名誉はがた落ちです。
これが、どうして起きたかと言うと、このオフィスが、電話盗聴もされているし、室内の盗聴もされているからです。もちろん、自宅も同じです。
その夜に、もうひとつ悪い現象がありました。夜の7時前、画廊が終わる前ですが、銀座のある画廊に、私側から、電話をかけたのです。すると対応してくださった人が、一種の社交儀礼として、「今度、一緒にお酒でも飲みましょうよ」と言われたのです。すると、その途端に、電話が、外部からぷっつりと切られました。
それで、動揺したとみなされたので、さらに追い討ちをかけるべく、針生さんが、利用をされたのです。つまり、敵は、針生さんへ、電話で、「かくかく、しかじかのことをやってください。そして、それは、ファックスで、かく、かく、しかじかの番号へ送ってください」と、頼んで、その通りに進行したというわけです。
この件は非常に重要です。同じ事が、それから4年後の、この2011年、8月4日の昼、ニッチギャラリーを相手としての電話でも起きたからです。
で、この針生一郎を利用した連中の、驚くべき悪人ぶり、を、ここで思い出して、さらしているわけです。
ニッチギャラリーの電話を切ったのも、例の国際的軍産共同体と直接の関係が有ります。が、こちらの方では、電話を切ったのは、画廊オーナーの、西村富弥さん自身ではないかと思っています。川瀬さんというスタッフと電話を交わしていたのですが、すねに傷を持つ、西村さんが、話がポイントにちかづいたから、あわてて、電話機から、電話線を引き抜いて、いったん話を中断させたと考えています。そして、スタッフの川瀬さんと打ち合わせを交わした上で、私との電話を再開させたのです。
西村さんが、すねに傷を持つと言うのは、ここでは、フェイスブックで知り合い、重要な、かつ意味のあるチャットを交わした、画家、山田啓貴さんを、私から引き離すと言う役目とか、企図を指します。この件は、次回で、もう一回詳しく語ります。
ともかく、この章では、針生一郎さんと、宇留野さんに戻ります。後者は、前者から、教唆を受けて失礼な態度を繰り返していて、美術評論の仕事をさせないように、計らっていると、感じていますが、今までは、黙って耐えていました。しかし、フェイスブック紙上での隠微な攻撃があまりにひどいので、その象徴として、宇留野さんを論じるのに、上は欠かせない話なので、文章として、ここに記録をしたと言うわけです。
針生さんのファックスは、二重の意味で、『恐れ入りました』と言わざるを得ないものでした。まず『どうして、ここに、私が今、いることがわかるの?』と言うことが問題です。その時に、電話が盗聴をされている事を確認したのですね。銀座の画廊へ電話をかけて、仲良しぶりを、敵に示した途端に、電話が切られましたから。
この件は、私にとっては大損失です。
相手は女としての私になんか、興味はなくて、新進のしかも、最高に誠実な美術評論家としてあつかってくれたのです。出現を祝して言ってくれた言葉なのに、電話を切ると言う形で、こちら側の悪意を示せば、その電話はたちまちに、下卑た物と変化をしてしまいます。男と女の問題へとすり替わっていくのです。ですから、私は大損をしたのですが、
この『お酒を一緒に、飲むの飲まないの』と言う問題は、不思議な形で、四年後の2011年に新宿を舞台として、復活をするのでした。が、そこからも、またあれこれ、派生をした疑惑があります。が、それは、フェイスブックからは、離れすぎるので、別の機会にまわします。で、引き続き、針生一郎さんの件に戻ります。
しかも、私が仕事をしている最中と言うピンポイントの時間を狙って、ファックスが来た。しかも内容は今、自分が発送に取り組んでいる、4冊目の本、「伝説のプレス」の感想である。結論を言うと、『その本は、非常に内容がいいのでしょう』となります。
『そんな内容のいい本が、公に広まると大変だ。雨宮舜(=川崎千恵子)の存在感が高まってしまう』と言うのが、彼らの本音です。
そして、弾圧を、「出版するな」と言う命令ではなくて、こう言う間接的な形で、行うのです。
針生一郎さんと言う美術評論界の大御所にけなされたら、がくっと来て、本の発送をやめるであろうとみなされて針生さんが、ぱしり(または、鉄砲玉)として、使役をされたのです。これが諜略と言わずして何でありましょうぞ。
私は、この不思議な一夜に、確定的に進歩したのです。『これは容易ならざる敵を相手にしているぞ。ただし、犯人(または、こう言う事をやっている)側は、特定できる。伊藤玄二郎、酒井忠康、井上ひさし、瀬島隆三、それから、成岡庸司、そして、当時の警察庁長官・・・・・でしょう』と。
しかし、表面的には、引き続き、偽装工作が行われ続けてもいたのですよ。こう言う、もろもろの怪奇現象は、すべて、月刊ギャラリーの編集長がやっているかのごとき偽装メール等が、送り込まれていたのです。半年前に交わしたメールが大師だけ、ピンクに変更して、届いたり、さまざまな、かく乱工作は行われていたのです。
そして、舞い上がりきっていましたね。この企画者たちは。
私は、すべてがわかっていたけれど、その内実を明かすことはありませんでした。なぜかと言うとエネルギーには限りがあります。この2007年に戦いの火蓋を切って落としたら、こちらが負けていたと思います。
しかし、いまでは、だいぶ強くなっていますから。そして、戦える場所だけで、戦うつもりですから、エネルギー消費に関しても、より高い次元でコントロールしていますし。
それに、針生一郎と言う人物を尊敬もしていないのです。結局のところ、この人は、1960年まで共産党へ所属をしていて、そこを離脱をしたのです。それが、拾い上げられて出世をする糸口となった人物です。残間里江子、高野孟などと、同じ構図で、光があたっていった人物です。
時流に乗って、うまい汁を吸った人物の一人です。でもね、驚くべきことは、今、現在は、その共産党が大変質をしていると言うことです。「共産党こそ、国際的軍産共同体のかわい子ちゃんだわね」と思うときすらあります。
もう、ともかくのこととして、心を澄まして、生きないと間違った道へ進みかねない世の中です。油断大敵です。
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副題7、『味をしめたかれらは、山本容子と言う鉄砲玉を、宣伝する』
この一夜を、『成功だった』とみなした悪人どもは、その後、NHKを頻繁に利用するようになります。それは、いちいち、書いていますが、読者皆様、および、世間の注目を集めませんでした。
でね、彼らはやりたい放題で、NHKを私物化し始めます。この橋渡しをしているのが誰かがわからないのですが、もしかしたら、鎌倉の住人の、今井さんかもしれません。夜のニュースを担当するうちにいつの間にか、NHK副会長にまで上り詰めている人です。
その人事そのものも、これら、エージェントたちが裏で手を回していたものかも知れません。今、BSプレミアムで、たびたび登場する、山本容子さんは、税金(視聴料)を使って、宣伝をしてもらっている、超が付くほどの、あくの象徴です。ご自分では『美形である』と、自負しているようですが、えらが張った、怖い顔の人です。
ぶわーんと、ひろがった髪型でカバーをしていますが、あれを取ったら、本当に怖い顔のおばさんでしかないです。でも、悪人、酒井忠康、栗田玲子、および大悪人、伊藤玄二郎、および、大・大・悪人井上ひさし、等を、応援団として、大宣伝を、繰り返してもらっていますから、大アーチストらしく見えるだけです。しかも無料でやってもらっています。仕組みはアノご近所のおばかさん陶芸家石川和子女史に当てはめた方法と同じです。
山本容子の版画を扱っている、栗田玲子女史と、伊藤玄二郎が、夜の10時半に鎌倉駅のトイレの一緒にいるのを、目撃して、栗田さんと会話まで交わした私には、一切の悪徳が、見え見えなのに、悪人どもは高をくくって、さらに、NHKを私物化していくのです。
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副題8、『空き家特集と言う悪魔の企画、と、大銀杏倒壊』
その私物化が、許されきっているのは、大権力者側の政治的課題の達成に、役立っているからです。
山本容子が、表紙を装丁した、吉本ばななの本は大当たりをしました。その吉本ばななの父、隆明は今般、『原発は、停止すべきではない』といいました。テレビではなくて、新聞紙上ですが・・・・・
ほら、ほら、見事に連関(または、連環)がつながるでしょう。すべて、国際的軍産共同体側の人間なのですそして、核燃料を売りつけて、小沢一郎を先頭に立てて、自分たちだけはお金と名誉を独占していくのです。
しかし、彼らの行った悪のうち、極めつけのものは、NHK特集の、『空き家』篇です。それは一見すると社会学的な考察のように見えます。が、まったく違います。美術界への下品極まりない、かつ、不道徳極まりない攻撃です。
なぜ、美術家連盟の理事さんたちは、ほうっかむリをしているのだろう。そして、「元、モテキ(画廊名)のオーナー北側順一郎さんは、どこまでわかった上で、この番組に出演したのですか?」と、公開質問状を出したいほどです。
その件に関してはこのブログの世界で、すでに、ニカイほど、文章を書いています。
2011年1月21日発の、『空き家(NHK番組内)の主は、国展落選の画家です』と
2011年1月22日発の、『人権蹂躙番組(空き家特集)を作る、NHKの五度目の罪』と言う文章をごらんいただきたいものです。
ところで、最後になりました。今日の主役の宇留野隆雄さんに申し上げたいです。
「あなたに、私のエッセイメールが届いていないそうですが、あなたが見下しておられるほど、私は馬鹿でもありませんよ」と。
ところで、どうして、最後に、大銀杏倒壊と言う言葉が付いているかというと、昨日また、八幡宮様が我が家へいらっしゃったからです。この長い連載を、最初(2008年の9月)からお読みいただいている方は意味がお分かりになると思いますが、ここでは、それを繰り返しません。
ともかく、八幡宮様には、我が家にはいらっして、いただきたくないです。井上ひさしの原案で、アメリカキササゲをお切りになったと思うから。もちろん、それは、東京農大教授などの、別の人間からの進言として、八幡宮さまに入ったとは、推察しておりますが・・・・・裏は、井上ひさしからの発案でしょう。
では、2011年8月12~14日、雨宮舜(本名、川崎千恵子)
副題1、『悪夢でうなされるほど、フェイスブックに苦しめられた、この三ヶ月』
副題2、『国画会退会時と、フェイスブック退会時との、私側における差』
副題3、『さすが、ハーヴァードの学生が、創設したシステムだ』
副題4、『宇留野隆雄さんを見ていると、警察の悪辣さが、よくわかる』
副題5、『美術評論家とは、何であるか?』
副題6、『その弱さと、巧緻に長けた処世術に、
私が、最初から気がついていた針生一郎』
副題7、『味をしめたかれらは、山本容子と言う鉄砲玉を、宣伝する』
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副題1、『悪夢でうなされるほど、フェイスブックに苦しめられた、この三ヶ月』
この章は、数十行を書いて30分も経たないうちに、爆睡に入ってしまったのです。しかし、寝ながらも夢を見ているのでした。その中では、このグーブログのテキスト記入画面に、ダブって、半透明な形で、フェイスブックの画面が映し出され、そちらでは、・・・一種の炎上として、・・・私が書くにつれ、フェイスブックの方の会員が、それを、逐一否定していくと言う現象が起こりました。
それで、びっくりして、たった、40分で仮眠から目覚めて、新たに、打ち込みを開始したところです。しっかりと目覚めてみれば、あのダブった画面は、完璧に夢であって、今、グーブログの、入力画面は、フェイスブックと重なっているわけではありません。
しかし、それもまた、フェイスブックの特徴のひとつでありました。その画面が、閉鎖されていて、会員しか読めないのです。それで、自分が退会した後で、どうなっているのだろうと言う悲哀に満ちた心配の感情が、こう言う夢として表れたのでしょう。
しかも、今般、最大に苦しめられたのは、退会手続きが、なかなかできなかったこと。それは、一般には、簡単に、現れるはずの契約解除の項目が、どうしても、私のPC上では抜かされていて、それで、事務手続きが、進行しなかったのです。いったん、退会宣言をしたものの、離脱ができず、恥をさらし続けたからでした。
それはそれで、『店ざらしになって、恥をかいている私』という分章群、400字かける4を書いて、事情を吐露していました。が、幸いに、ある人が12時間後かな? 教えてくれて、そのハイパーリンクを利用すると、完璧な退会が、一気にできたので、今は完璧にそこから離れたわけですが、・・・・・
そうなってみるとあのフェイスブック紙上で、書いた文章群を保存しておかなかった事が悔やまれてきます。ある程度は保存をしてありますが、その上記の、『店ざらしに、なった私云々』というのは、落としていなかったのです。それは、一種の名文だったと感じています。この『名文だった』と言うのは、自分で言うのは、もちろんのこと、おこがましいのですが、名文を書けば書くほど、他人からサインを与えられるのです。
PC画面上で、脅かされるのです。『今、CPUが危ないですよ』と言う警告画面が出ます。
こう言うのが、私へ弾圧の最も頻度高く現れる本体で、それに従うと、せっかく作り出した名文(?)が消えてしまいます。すでに、慣れているので、動揺しませんが、これらの現象を見ていると、私のパソコンを常時監視している連中が、文章判断能力が高い事がわかり、
△△△△△△
『もしかすると、ハッキングは同時進行的に、井上ひさしに、ソウシンされているのではないか。そして、彼のパソコン画面には、いろいろ特殊なアイコンが、し組まれていて、『これをクリックすると、こうなり、彼女の文章は、そこで、消えるのですよ。だから、こちらに不都合な事を彼女が書けば、その時に、瞬時に阻止できます』と、教え込まれているのではないか』とさえ思い至ります。ただし、この△△△△△△罫線に囲まれた部分だけは、今のところ、想像の範囲を脱しては、いません。
証拠は、・・・・彼が地下潜行していると、私が信じている・・・・鎌倉佐助がやつの彼の豪邸へ入ってみないとつかめないからです。
特に、私が雪ノ下の自宅で、パソコンを打っている最中に、佐助へ瞬間移動をしないといけないので、スピルバーグの映画の登場人物にでもならない限り、永遠に真相はつかめません。雪ノ下と佐助と言うのは、直線距離にすると短いのですが、間に山坂と線路があるので、とても遠くなります。
△△△△△△
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副題2、『国画会退会時と、フェイスブック退会時との、私側における差』
皆様は知恵の言葉として、『継続は力なり』と言うのを信じておられるでしょう。
私もそれを信じています。この『文章を書き、それなりの世界ではあるが、読者へ向けて発表をする』ということも、1998年にパリに行ったときからはじめていますから、すでに、13年目に入っているわけです。パソコンを使い始めてからは、12年目であり、不特定多数への公開(ブログ)を始めてから、三年弱です。
しかし、一方で、クリエイターとしては、『天才の仕事は、18年ぐらいで終わる』とも感じています。長生きをして、長い制作キャリアーを続けていけるのは、日本画の創作の様に、一種の訓練を伴った作業なら、それが利く』 だけど、『純粋に創作だけを問われるのなら、その程度の継続期間で終わる』と見ています。
たとえば、熊田ちかぼサンなど、高齢になっても、細密な昆虫図を描かれたということで、大変に有名です。だけど、前半生は、デザイナーとして、暮らして来られたのです。
でも、それは、制作の方向性ということにおいて特に当てはまる問題であって、所属集団への忠誠の継続という意味では、悩みが起こりやすいでしょう。「悪い上司に悩まされていて、ここで、転職するかどうか』と言うのは、とても普遍的な問題で、新聞の身の上相談の欄には、しょっちゅう出てきている問題です。
私は、勤務期間が短かった人間なので、そこには言うべき資格も無いと感じています。
しかし、こと、趣味の領域に関しては、相当に、ものが見えている人間であり、所属しているソサイエティがあわないのなら、それは、変えてもいいという意見を持っています。
日本には、技術を伝えていくシステムのひとつとして、家元制度というのがありました。西欧でも、ギルドとか、フリーメイソンと言うのが発達している模様ですので、閉鎖性の持つ良さというのがあるのも認めます。しかし、閉鎖性の持つあくと言うのも完璧にあるのです。それは、数の論理による支配とか、強者の恣意がまかり通りやすいと言うことです。
日本の洋画界について言えば、戦前から官展と二科会という対立軸はあったわけですが、終戦を境として、その集団の数が飛躍的に増えました。
そして、各団体は、展覧会を公募しています。それが、日本社会が経済的に豊かになるにつれ、ある程度に、家元制度の仕組みを内包しはじめ、自由度を失ってきています。
その実情は外へもれ伝わっていて、今、2011年現在で、50歳以下の洋画家は、無所属として、個展だけで、生きていく人が多いのです。そして、彼らは自らを、平面作家と呼び、技術用語まで変えて行っています。
と、同時に、社会が、経済的な下降傾向に入り始め、美大を出ていない人が、作家生活(美術系)にはいることも少なくなってきています。
だけど、現時点で、60歳以上の人はそうは生きられなかったのです。たいていの人は団体に所属をしています。団体の中で、出世すること(=会員となり無審査となる事)が
求められてきました。1960年代に、自らの年齢が、30台であって、会員となった人はメリットを受けることができました。が、それら、現在80歳以上の高齢な有名画家以外は、公募団体展に所属することのメリットを受けられず、ストレスや、悲しみを味わっている人が多いのです。
私は一応、四年制大学を出ていますが、それは、美大ではないので、自分の画家としての的確性や才能を、チェックするために、国展に出品し始めました。そこが、もっとも上品だと見えたからです。しかし、国展の内部でも、相当に苦しみました。が、そこを離脱するのに、そう決心をしてからでも、10年はかかりました。
ところが、今回フェイスブックの方はあっという間の決断を果たしています。たった、三ヶ月の所属で、離れるし、また、そうと決心してから、実質、24時間以内に、完璧な離脱ができています。どこに、二つのケースの違いがあるでしょうか?
それは、間に、二十年と言う歳月が挟まっていて、私がすでに老境に達していて、残り時間が少ないと言うこともありました。それから、人生経験を重ねてきており、変化に対して、恐れないということも増えています。
しかし、決定的な違いは、こちらのフェイスブックで味わう悲しみが、大いに政治的な影響下で、与えられていると言う事であり、また、それが、確定的に、読めたからです。だから、改変や改良がありえないのも読めていて、それで、なんの悔いもなく、退会の決断ができました。
で、これから先は、その政治的な動きについて入っていくわけですが、その前に、フェイスブックの持つ、ソサイエティとしての、固有の性格を、少し、記載して行きたいと、感じます。
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副題3、『さすが、ハーヴァードの学生が、創設したシステムだ』
私は、この5月の半ばに、フェイスブックへ入り、たった三ヶ月で退会したわけですが、そこで、差別をされていやな思いをしたから逃げ出すわけでは有りません。そうではなくて、日本のほかのソサイエティのありとあらゆるところを支配している、国際的軍産共同体の、影は、ここにもしっかりと見えるからです。
会員の中でも、活発に活動をしている人と、そうでもない人がいて、活発に活動をしている人は、そこへ投稿が多いのです。で、見ている側としては、この人はどういうタイプの人だろうと、もし思えば、、公開されている個人情報へ、入って、調べることとなります。その時に自動的に、友達リクエストというのが送られます。
そういう形で、知り合いが増えていくシステムになっています。私はそのシステムとは別の方向で、たった、三ヶ月の間に、300人近い、友達を獲得していったわけで、相当に他の会員の耳目を集めました。が、その影に、今から述べるような数々の、もって回った、間接的な形での弾圧に出会っていました。が、どんなに、つらいことに出会ってもめげない精神を持って、自らも、書き続けていっていたのです。ユニークにして意義深い事を。
しかし、その間にフェイスブックがもつ、さまざまに特徴はわかりました。まず、物心両面で余裕のある人が多いと言うこと。それは、経歴や学歴を記載する事が一応の基準として求められていると言うことで、粒がそろってくるのです。
私は、社会を論じるために、東大と、芸大を論議の的としてきましたが、それを、今までは、『スノビズムの表れだ』と、けなされて来ました。が、けなされるどころか、恥ずかしげも無く、堂々とそのスノビズムが、展開するのが、このフェイスブックの世界です。
が、中にはごく少数ですが、そこに、気恥ずかしさを感じて、非常に面白い誤変換を用いる人もいました。たとえば、原文は漢字の羅列でしたが、『有り袖、なさそうな大学』とか、『馬鹿田大学』とか。
私は、それに、いや気が差して、劣等感も抱いて、気がめいって、フェイスブックをやめたのでしょうか? それはないです。実は、私は、それなりに恵まれている方なのです。控えめに言うことが多いので、それに乗ってしまう人が、実際に我が家を訪ねてきたり、私と一緒に版画工房で、長期に、仕事をしたりすると、その金遣いの荒さに、びっくりするほどです。実はアメリカでは、他の版画家が、嫉妬心を抱いて、歯向かってくるほど、経済的には余裕のある人間でもあります。
一点豪華主義で、芸術の修行にだけ、お金をかける人間だから、それ以外の側面を見れば、貧乏です。遺産をすべて、使い切って、お金が無いときもあって、すっからかんになった恐怖も知ってはいるのですが、どうしてか、また、どこからか、救いの手が降りてくる人間です。そして、学歴と家庭環境もさして劣っている方でもない。
しかし、徐々に心を折れさせる、災いが入れ込まれてきました。それは、この人は絶対に友達になってくれるはずだと思う人材が、なってくれないと言う悲しみです。そして、それは、『自分自身が、何かへまをした』というよりも、例の国際的軍産共同体と、そのエージェントたちが裏でうごめいているから、こうなるのだと、確信していますので、気持ちが暗くなって来ます。
そういう例が、10例ぐらいあって、それを、まず、書かないといけません。退会への決定的な引き金はニッチギャラリーのオーナー西村富弥さんと、枝香庵のオーナー荒井よしえさんが引いたのですが、その前に、徐々に、徐々に、いためつけられた、過程があるのです。精神的なボディブローが、数々あったのです。
それらの例として、
前報が、10日の段階で初稿として、ここにおかれていた段階で、メモとして書いたものを、ここで、採録します。
フェイスブック内の原文では#6
それに、いったん友達になった、南條史雄さんが、いつの間にか、友達リストから消えちゃっている。ぴんと来るところがあります。その件では、6月中に、すでに、『変だぞ、弾圧の対象になっているぞ』と気がついていたのです。が、やめるか、さらに、元気にやっていくか、どっちにするかを迷っていたのです。どうしてかというと、私は表側から言えば、決して弾圧の対象になるような人間ではないのですよ。
ただ、この日本は、被・植民地国家であり、日本人は豚のごとく扱われているという事を、はっきりと述べています。ここで、引いちゃったら、そういう意見をいう人間が、こう言う形でつぶせると、彼らが考える可能性は有るのです。ここで、彼らとは、核燃料を売りつけている側です。
で、それらの数々の名前をそこに挙げて、どうして、実名で書かざるを得ないかも理由をきちんと挙げてあります。それは、フェイスブックの原稿ですが、こちら、グーブログでは、さらに、深めて、理由を書いてあります。それが11日付の前報、『フェイスブックで、足を取られる・・・・・その間に小沢復権』へと発展して書いてあります。
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副題4、『宇留野隆雄さんを、見ていると、警察の悪辣さがよくわかる』
この章では、そういう風な苦しめてくる人材のうち、特に宇留野隆雄さんを取り上げましょう。
私は文章をすべて、現代史の記録として書いていますので、実名を表記されると、その人々は、この現在の日本に、核燃料を売りつけている側に立っていることと規定をされることとなります。
そういう趣旨で描いているこの文章の中に、宇留野さんをしっかりと実名で入れ込めているのは、宇留野さんの『あんたなんか、たいしたことは無いよ』と言うメッセージには相当に傷つけられてきていて、また、画廊のオーナー(スタッフ?)として、所属作家にいろいろ、悪口をおっしゃっている可能性も感じるからです。単に今回のフェイスブック騒ぎで苦しみを与えられたわけでもない。私が銀座で相当に風評被害にあって、生きにくくなっていることへの、道程を作り出している人のうちのひとりだからです。
これは、岡崎こゆ(羅針盤)さんも同じであり、後で、岡崎こゆさんについても述べないといけませんが、ここでは、宇留野さんにこだわります。
ところで、宇留野さんが、そういう態度を取り始めたのは、5年ぐらい前からであり、それゆえに、私は、当時の針生一郎さんの、私への変身を考えると、裏に針生さんがいると思っているわけです。
でもね、こう言っては何ですが、書いている文章の質と面白さに関して言えば、針生さんの文章より、私のそれの方がはるかに上でしょう。ただし、私はすさまじい弾圧の対象となっているので、現在のメディアで、ブレイクする事ができません。だけど、実際に読んだ人、特に両方を、読み比べてみた人には、必ず、それは、判っているはずです。
で、宇留野さんに思い直してもらうために、私はこのブログと同じものをエッセイメルマガとして、宇留野さんにも配信をしているのです。ところがちっとも効果が無い。で、あるときに、宇留野さんに聞いてみたのです。「届いていますか」と。
すると届いていないそうです。ふむ、ふむ。メールを空中に雲散霧消をさせてしまう人は誰でしょう。多分、今まで述べてきた、軍産共同体自身か、または、その支配下にある、警察、または、瀬島機関や、革○等。
そして、そのきっかけは、ご近所の猫をめぐる、ばかばかしい事件に起因しています。石川和子と言う女性がわがままのきわみをもって、我が家へ対して迷惑をかけ続けていてそのあげく我が家のねこに見放されるところにまで、彼ら自身の行動で、勝手に追い詰められてしまって、逆上して、警官をまきこんで、私へ復讐をしようとした事が原因です。
しかも彼女は伊藤玄二郎の(元?)愛人だそうで、それゆえに、警察は徹底的に、彼女たちをひいきするわけです。というのも、伊藤玄二郎は、きっと国際的軍産共同体のエージェントだからです。で、警察は国際的軍産共同体の支配下にあることも、ここから読み解けます。
ただ、読者の皆さんは、そこに入ると、突然に文章のレベルが落ちるようにお感じになって、読みやめてしまうと、私自身は推察していますが、そこがすべての始まりなのです。
そんな小さなことと言えば、それまでですが、それを、正しい処理をしてこなかった、ことのつけが、この日本国内に、忌まわしい原発を止め得ない現象につながっているのです。13日(土曜日)の朝は、浜松市の焼却場の灰から、放射性物質が検出されたとのこと。本当は柳沢昇をテレビカメラの前に立たせて、「私が悪うございました。東京圏で起きている電車の遅延現象はすべて、私の行為が原因として、起きています」と、頭をさげさせないといけません。
それから、「きちんと画廊を運営なさっている銀座の、かく画廊の関係者に多大なご迷惑をおかけしたのは、私の不徳のいたすところでした」とも、謝罪に出向かせないといけないのです。
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警察がどうして、宇留野さんへ、メールを届けさせないようにできるかと言う項目については、超・簡単に言えばスパムメールへの警戒心をあおり、それを利用して、人々が、重要なメッセージのこめられているメールを受け取る事を嫌がる運動を進めて、それで、受信停止をさせたのでしょう。しかも気がつかないうちに、パソコン内で、それが、自動的に設定されてしまうシステムも、作った可能性があります。
宇留野さんに上記の「メールが届いていますか?」と質問をした後でも、状況がこうなっているからは、さらに同じ事を皆様へ、おしらせをしないといけません。
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副題5、『美術評論家とは、何か?』
さて、ここに針生一郎と言う美術評論家がいます。今は死亡後であり、故人というわけですが、こと宇留野隆雄さんに、関しては、相当に、大きな存在として、私の頭に浮かんで来るひとです。
ただ、ここでは、針生一郎・考察・へ入る前に一般論を展開させていただきます。
美術評論家と言う職業の人に対して、作家側は、実は、隠微な嫌悪感を持っているものです。彼らが出世と言う意味で、生殺与奪の権をにぎっている事に対して、深い嫌悪感を抱いているのが実情です。成功した芸術家の一人で、お金を充分に持っている美輪明宏さんが、NHKの日曜美術館内で、いみじくも言い切ったのですが、
才能が無くて、真の作家になれなかった人物が、美術評論家になっていくのだと。
ここで、ちょっとした余談ですが、私が弾圧をしてくる側と激しく戦ったのは、インターネットを利用した、ただの、お金を取らない、形での、美術評論をやり始めていて、それが、相当に成功をしていて、若い人たちに、相当に大きな信頼を得ていたのに、パソコン内で図形が処理できないという形で、事実上仕事ができないと言うケースが現れたからです。これには激しい怒りをもっています。
自分の目を信じているし、誠実極まりない性格ですので、クリエーターたる人々を励ます事が可能です。しかし、この五年間はそれをあきらめているのです。
けれども、その五年以上、前に培った実績があり、だからこそ、フェイスブックに入っても、たちまちにして、300人の友達ができたわけです。一種のコアとなってもらった人がその時代の付き合いのある相手だったからです。
それに、その時代に鍛えているから、ちょっとした文章を書いても、たちまちにして目立つ方となります。つまり、お金を取らない文章、注文によらない文章を長い間書き続けてきていて、それで、人々の間を遊泳してきたわけですから、文章が生き生きしていて、感動を与えない限り、そんな、生き様が続くわけもないのです。
私の特徴は、数行の中に、その芸術家のどこが、または、何が優れているかを、他者にわかりやすく伝えられることができる点にあります。しかもお金を取らない人です。
これは強烈なる新人です。しかも、その能力の高さは、月刊ギャラリーで、数ヶ月連載をしただけで、わかるひとにはわかったと思います。で、既成の美術評論家たちから、激しい反発を食らったのですが、先頭に立って、姿を現して、攻撃を仕掛けてきたのは、瀬木慎一さんです。瀬木さんについてもいずれ、長い文章を書くつもりですが、
今日は、フェイスブックと関連の文章を書いている途中であり、かつ、その中で、宇留野さんが、友達になるのを拒否してきたと言う関連で書いているわけですから、針生一郎と言う人にこだわります。
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副題6、『その弱さと、巧緻に長けた処世術に、
私が、最初から気がついていた針生一郎』
実は、2000年ごろまでに、針生一郎氏とは、関係ができています。その時にさっとなついていけば、私は彼にすでに、1,2本以上の推薦文を書いてもらっていて、作家として、今以上のポジションにすでに立っていたかもしれません。あくまでも、たら、ればの話ですが・・・・・
何度も、人懐っこい感じで、電話で交わしていますし、おはがきは何枚ももらっています。大きさが、三ミリ程度の米粒ぐらいの字がびっしりと詰まっているはがき。このおはがきまでの段階が、美術評論家側からの誘い水の段階です。しかし、今はそれが、盗まれています。
この盗まれていることの意味ですが、一つには、『あいつ(私のこと)が実力が高かったり、優れているとみなし得る証拠は何が何でも消しておいてやろう』と、言う悪意ある集団がいて、盗んでいくという事が有ります。父の若い日の写真が、ほとんど、盗まれています。
若いころの父はものすごく格好がいいです。石油開発のエンジニアとして、満鉄から厚遇をうけ、恵まれた環境の中に暮らしながら、一方で、週末画家でもあったのです。で、中国の遺跡を油絵で描き、高い評価を得ていました。ピシッとした背広(ネクタイ付き)で、遺跡を訪ね、マーチョ(人力車)に乗っていた写真等があったのです。油絵を描くときは、汚れるから、作業服で行くものだと、思いますが、一方で、若きエリートサラリーマンでもあったから、スーツ姿で、写真には写っています。いわゆるモボの典型です。陸上をやっていたやせた体で、背だけは明治生まれでも、170センチ以上。そのころの新聞の切抜き等も、すべてぬすまれています。
同じく盗まれてしまった針生さんからの、はがきですが、
それは、1999年から2000年に何回かに分けてもらったもので、そのたびに菓子折り程度のお礼を送っていますが、それから先を発展させる気が、私の方には、無かったのです。詳しく説明をすると、また、一冊の本がかけるほどの、字数が必要だから、直感として、それを感じたとだけもうし上げますが、性格としては、弱い人です。そして、世間智にも長けている人です。処世術も充分すぎるほどある人です。
その針生さんが、突然に豹変して、敵として、現れた夜があって、大いに驚かされました。それは、2007年の11月だったと思います。
私は、その夜、主人のオフィスで、本の発送の仕事を、一人でやっていました。どうして、自宅でやらないかというと、我が家が山の上にあり、本を持ち上げるのに大変なので、配達を主人にオフィス宛にお願いするのです。
製本所の人にとっては、いっぺんに800冊の本を山の上に、手で持って上がることは、一万円のチップをもらっても、遣り通せない仕事なのだそうです。本ってそれほど、重いのです。
一万円は実際にあげて、しかも私も手伝いましたが、「最後までは、できない」というので、半分近くを主人のオフィスへ、運んでもらってあったのでした。余談になりますが、このときの経験に懲りて、私は、宅急便の会社は、三社を同時に、使うようになり、しかも、日にちをずらして、三週間をかけて、800冊を配達してもらうように変更して行くようになります。
で、元に戻れば、
そこは鎌倉駅の北側に在る我が家からは、歩いて、30分近く離れている場所です。そこで仕事をしていたら、ファックスが針生さんから、見事なタイミングで、在室中に来たのです。毎日、そこにいる場所ではないです。
そして、『もし、私ではなくて、これを、主人が先に、読んだらどうしますか。針生さん、大恥ですよ」というほど、乱暴な書きなぐりであり、乱暴な書体で、乱暴な文章でした。私、一人が読んだとしても、針生一郎の名誉はがた落ちです。
これが、どうして起きたかと言うと、このオフィスが、電話盗聴もされているし、室内の盗聴もされているからです。もちろん、自宅も同じです。
その夜に、もうひとつ悪い現象がありました。夜の7時前、画廊が終わる前ですが、銀座のある画廊に、私側から、電話をかけたのです。すると対応してくださった人が、一種の社交儀礼として、「今度、一緒にお酒でも飲みましょうよ」と言われたのです。すると、その途端に、電話が、外部からぷっつりと切られました。
それで、動揺したとみなされたので、さらに追い討ちをかけるべく、針生さんが、利用をされたのです。つまり、敵は、針生さんへ、電話で、「かくかく、しかじかのことをやってください。そして、それは、ファックスで、かく、かく、しかじかの番号へ送ってください」と、頼んで、その通りに進行したというわけです。
この件は非常に重要です。同じ事が、それから4年後の、この2011年、8月4日の昼、ニッチギャラリーを相手としての電話でも起きたからです。
で、この針生一郎を利用した連中の、驚くべき悪人ぶり、を、ここで思い出して、さらしているわけです。
ニッチギャラリーの電話を切ったのも、例の国際的軍産共同体と直接の関係が有ります。が、こちらの方では、電話を切ったのは、画廊オーナーの、西村富弥さん自身ではないかと思っています。川瀬さんというスタッフと電話を交わしていたのですが、すねに傷を持つ、西村さんが、話がポイントにちかづいたから、あわてて、電話機から、電話線を引き抜いて、いったん話を中断させたと考えています。そして、スタッフの川瀬さんと打ち合わせを交わした上で、私との電話を再開させたのです。
西村さんが、すねに傷を持つと言うのは、ここでは、フェイスブックで知り合い、重要な、かつ意味のあるチャットを交わした、画家、山田啓貴さんを、私から引き離すと言う役目とか、企図を指します。この件は、次回で、もう一回詳しく語ります。
ともかく、この章では、針生一郎さんと、宇留野さんに戻ります。後者は、前者から、教唆を受けて失礼な態度を繰り返していて、美術評論の仕事をさせないように、計らっていると、感じていますが、今までは、黙って耐えていました。しかし、フェイスブック紙上での隠微な攻撃があまりにひどいので、その象徴として、宇留野さんを論じるのに、上は欠かせない話なので、文章として、ここに記録をしたと言うわけです。
針生さんのファックスは、二重の意味で、『恐れ入りました』と言わざるを得ないものでした。まず『どうして、ここに、私が今、いることがわかるの?』と言うことが問題です。その時に、電話が盗聴をされている事を確認したのですね。銀座の画廊へ電話をかけて、仲良しぶりを、敵に示した途端に、電話が切られましたから。
この件は、私にとっては大損失です。
相手は女としての私になんか、興味はなくて、新進のしかも、最高に誠実な美術評論家としてあつかってくれたのです。出現を祝して言ってくれた言葉なのに、電話を切ると言う形で、こちら側の悪意を示せば、その電話はたちまちに、下卑た物と変化をしてしまいます。男と女の問題へとすり替わっていくのです。ですから、私は大損をしたのですが、
この『お酒を一緒に、飲むの飲まないの』と言う問題は、不思議な形で、四年後の2011年に新宿を舞台として、復活をするのでした。が、そこからも、またあれこれ、派生をした疑惑があります。が、それは、フェイスブックからは、離れすぎるので、別の機会にまわします。で、引き続き、針生一郎さんの件に戻ります。
しかも、私が仕事をしている最中と言うピンポイントの時間を狙って、ファックスが来た。しかも内容は今、自分が発送に取り組んでいる、4冊目の本、「伝説のプレス」の感想である。結論を言うと、『その本は、非常に内容がいいのでしょう』となります。
『そんな内容のいい本が、公に広まると大変だ。雨宮舜(=川崎千恵子)の存在感が高まってしまう』と言うのが、彼らの本音です。
そして、弾圧を、「出版するな」と言う命令ではなくて、こう言う間接的な形で、行うのです。
針生一郎さんと言う美術評論界の大御所にけなされたら、がくっと来て、本の発送をやめるであろうとみなされて針生さんが、ぱしり(または、鉄砲玉)として、使役をされたのです。これが諜略と言わずして何でありましょうぞ。
私は、この不思議な一夜に、確定的に進歩したのです。『これは容易ならざる敵を相手にしているぞ。ただし、犯人(または、こう言う事をやっている)側は、特定できる。伊藤玄二郎、酒井忠康、井上ひさし、瀬島隆三、それから、成岡庸司、そして、当時の警察庁長官・・・・・でしょう』と。
しかし、表面的には、引き続き、偽装工作が行われ続けてもいたのですよ。こう言う、もろもろの怪奇現象は、すべて、月刊ギャラリーの編集長がやっているかのごとき偽装メール等が、送り込まれていたのです。半年前に交わしたメールが大師だけ、ピンクに変更して、届いたり、さまざまな、かく乱工作は行われていたのです。
そして、舞い上がりきっていましたね。この企画者たちは。
私は、すべてがわかっていたけれど、その内実を明かすことはありませんでした。なぜかと言うとエネルギーには限りがあります。この2007年に戦いの火蓋を切って落としたら、こちらが負けていたと思います。
しかし、いまでは、だいぶ強くなっていますから。そして、戦える場所だけで、戦うつもりですから、エネルギー消費に関しても、より高い次元でコントロールしていますし。
それに、針生一郎と言う人物を尊敬もしていないのです。結局のところ、この人は、1960年まで共産党へ所属をしていて、そこを離脱をしたのです。それが、拾い上げられて出世をする糸口となった人物です。残間里江子、高野孟などと、同じ構図で、光があたっていった人物です。
時流に乗って、うまい汁を吸った人物の一人です。でもね、驚くべきことは、今、現在は、その共産党が大変質をしていると言うことです。「共産党こそ、国際的軍産共同体のかわい子ちゃんだわね」と思うときすらあります。
もう、ともかくのこととして、心を澄まして、生きないと間違った道へ進みかねない世の中です。油断大敵です。
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副題7、『味をしめたかれらは、山本容子と言う鉄砲玉を、宣伝する』
この一夜を、『成功だった』とみなした悪人どもは、その後、NHKを頻繁に利用するようになります。それは、いちいち、書いていますが、読者皆様、および、世間の注目を集めませんでした。
でね、彼らはやりたい放題で、NHKを私物化し始めます。この橋渡しをしているのが誰かがわからないのですが、もしかしたら、鎌倉の住人の、今井さんかもしれません。夜のニュースを担当するうちにいつの間にか、NHK副会長にまで上り詰めている人です。
その人事そのものも、これら、エージェントたちが裏で手を回していたものかも知れません。今、BSプレミアムで、たびたび登場する、山本容子さんは、税金(視聴料)を使って、宣伝をしてもらっている、超が付くほどの、あくの象徴です。ご自分では『美形である』と、自負しているようですが、えらが張った、怖い顔の人です。
ぶわーんと、ひろがった髪型でカバーをしていますが、あれを取ったら、本当に怖い顔のおばさんでしかないです。でも、悪人、酒井忠康、栗田玲子、および大悪人、伊藤玄二郎、および、大・大・悪人井上ひさし、等を、応援団として、大宣伝を、繰り返してもらっていますから、大アーチストらしく見えるだけです。しかも無料でやってもらっています。仕組みはアノご近所のおばかさん陶芸家石川和子女史に当てはめた方法と同じです。
山本容子の版画を扱っている、栗田玲子女史と、伊藤玄二郎が、夜の10時半に鎌倉駅のトイレの一緒にいるのを、目撃して、栗田さんと会話まで交わした私には、一切の悪徳が、見え見えなのに、悪人どもは高をくくって、さらに、NHKを私物化していくのです。
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副題8、『空き家特集と言う悪魔の企画、と、大銀杏倒壊』
その私物化が、許されきっているのは、大権力者側の政治的課題の達成に、役立っているからです。
山本容子が、表紙を装丁した、吉本ばななの本は大当たりをしました。その吉本ばななの父、隆明は今般、『原発は、停止すべきではない』といいました。テレビではなくて、新聞紙上ですが・・・・・
ほら、ほら、見事に連関(または、連環)がつながるでしょう。すべて、国際的軍産共同体側の人間なのですそして、核燃料を売りつけて、小沢一郎を先頭に立てて、自分たちだけはお金と名誉を独占していくのです。
しかし、彼らの行った悪のうち、極めつけのものは、NHK特集の、『空き家』篇です。それは一見すると社会学的な考察のように見えます。が、まったく違います。美術界への下品極まりない、かつ、不道徳極まりない攻撃です。
なぜ、美術家連盟の理事さんたちは、ほうっかむリをしているのだろう。そして、「元、モテキ(画廊名)のオーナー北側順一郎さんは、どこまでわかった上で、この番組に出演したのですか?」と、公開質問状を出したいほどです。
その件に関してはこのブログの世界で、すでに、ニカイほど、文章を書いています。
2011年1月21日発の、『空き家(NHK番組内)の主は、国展落選の画家です』と
2011年1月22日発の、『人権蹂躙番組(空き家特集)を作る、NHKの五度目の罪』と言う文章をごらんいただきたいものです。
ところで、最後になりました。今日の主役の宇留野隆雄さんに申し上げたいです。
「あなたに、私のエッセイメールが届いていないそうですが、あなたが見下しておられるほど、私は馬鹿でもありませんよ」と。
ところで、どうして、最後に、大銀杏倒壊と言う言葉が付いているかというと、昨日また、八幡宮様が我が家へいらっしゃったからです。この長い連載を、最初(2008年の9月)からお読みいただいている方は意味がお分かりになると思いますが、ここでは、それを繰り返しません。
ともかく、八幡宮様には、我が家にはいらっして、いただきたくないです。井上ひさしの原案で、アメリカキササゲをお切りになったと思うから。もちろん、それは、東京農大教授などの、別の人間からの進言として、八幡宮さまに入ったとは、推察しておりますが・・・・・裏は、井上ひさしからの発案でしょう。
では、2011年8月12~14日、雨宮舜(本名、川崎千恵子)