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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ジュード・ロウと、ロブ・ロウを間違えて、天才・監督に到る

2010-05-13 00:29:44 | Weblog
副題・・・トニーリチャードソンは、『長距離ランナーの孤独』ほかを作った、名監督です。

 映画『ブルースカイ』をどうして、思い出したかというと、この間、見た映画にジュード・ロウと言う俳優が出ていたからです。電車の中で若い日本人の女性が「ジュード・ロウが、どうして、こうして」と話していたので、今はやりの俳優だとは分かっていました。
 実際に『クローサー』と言う映画内での彼は、繊細で美形で、『なるほど、これだから大評判なのだ』とうなずけるところがありました。しかし、私はそれを、視聴しながら不思議でならなかったのです。

 『この人って、こう言う顔をしていたっけ』と思って。それで、グーグルで検索しまくって、自分が間違えていることに気がつきました。ロウという苗字で日本語・表記される俳優が二人いるのです。もっと以前に有名だった俳優がロブ・ロウです。私はロブ・ロウの方も、大変に美形でセンスがあると思いました。で、面立ちはことなるものの、クラーク・ゲーブル級の大・俳優へと成長をするだろうと、信じていたのです。しかし、彼は挫折をしました。

 残念なことに未成年との、淫行で、人気を失ったそうです。アメリカではそれは、厳しい責めを負うことだそうです。ただ、過ぎたことですが、私が考えるに、これは、ちょっと変ですね。俳優に色恋の沙汰が起きるのは、当然のことで、普通ならそれほど、責められることでもないでしょう。その少女だって相手が有名人です。特に美形の俳優なのだから、いわゆる恋愛として、ベッドインしたのではないかなあ? ただ、ロブ・ロウの方に奥さんがいたのだろうか? 

 タイガー・ウッズなどにも同じ現象が、見られますが、一種の集団ヒステリーの対象となったのかと感じます。それとも、アメリカでも、真に実力のある人材は疎んじられるのか? どちらかは分かりませんが、ともかく、まっとうに正の方向で成長する、道は閉ざされたみたいで、悪役というか脇役で、再出発を図っているそうです。気の毒ですが・・・・・
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 で、上のこと、すなわち、二人、ロウという苗字の俳優がいることへの手引きとなったのが、ホテル・ニューハンプシャーと言う映画です。それに、ロウという苗字の俳優が出ていた事は覚えていたのです。

 さて、その間違いに近づくまで、導入データとして、それを、グーグルで検索をしました。すると、ホテル・ニューハンプシャーも評判が悪かったと、出ています。つまり、収入が上がらなかったのでしょう。

 これは、アメリカでは国民的な作家、ジョン・アーヴィングの原作から、映画化したもので、アメリカ人には原作のイメージが強いわけで、それで、それと映画との乖離を、責め立てられた可能性はあります。
 しかし、これを、鎌倉の映画館(今は無い)の大スクリーンで見た私は、面白いと感じました。そして、出演している俳優たち、すべてを好きになったのです。ジョディー・フォスター、ナスターシャ・キンスキー、ロブ・ロウなどは、特に若手として印象に強く残りました。
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 で、面白かった映画なのに、どうして、評判が悪かったのか? と言う事を追求しているうちに、その映画の監督が、ブルー・スカイも監督をしていて、そちらも公開時に評判が悪くて、ブルースカイを撮影した後で、亡くなっている事を知りました。

 そこまで、検索した結果、その監督、トニー・リチャードソンの、天才の悲劇を感じたのです。彼は英国人ですが、よい映画をたくさん作っています。そして、公開時、評判が悪かったからこそ、私のような小さな存在でも、それが、大変によい映画であったと言う事は伝え継ぐ必要があると、感じます。

 ブルースカイと言う邦題の映画は、1946年にもビング・クロスビー主演で製作をされているみたいです。が、内容は、今話題にしている、1994年公開の方とは、まったく異なるでしょう。

 映画の世界にも政治は反映します。特にアメリカ映画界はそうです。赤狩りの話とか、マッカーシー(イ)ズムとは聞いた事があります。
 トニー・リチャードソン監督はイギリス人です。しかもイギリスの怒れる若者を代表する監督だそうです。フランスなら、フランソワ・トリフォー、日本なら大島渚という風情ですね。だけど、その『ホテル・ニューハンプシャー以前に、商業映画を何本も撮っているのですから、かたくなな左翼と言うわけでもないでしょう。特に長距離ランナーの孤独は、映画館でもテレビでも何度も見ました。
 でも、このブルースカイの時は、警戒をされたのではないでしょうか?

 当時の奥さんだった、ヴァネッサ・レッドグレイヴが別の男優と恋に陥ったことも、監督を困惑させ、苦しめた可能性はあります。まさかと思うが、最近日本でも裁判となって、犯罪者側が敗訴になったという別かれさせ屋、風手口を使われたりして・・・・・監督が撮影で集中している間に、誘惑がきたら、危ないことになるのは、私程度でも、推察できます。

 そして、ブルースカイと言う傑作を撮影しながら、それが、公開できない見込みであるとなったのは、彼の命を縮めたと、私は感じます。いえね。撮影後、一年間以内かな、公開を目にすることなく亡くなっています。

 反対に北野武監督など、大変なレベルでちやほやされている人です。だけど、二人がそれほど、能力が違うとは、私は思いません。北野武さんは、テレビ朝日で、政治番組を持っていて、政治を軽くすることに功績があったので、過剰にちやほやされていると、私は感じています。でも、レジョン・ドヌール勲章まで与えられると、さまざまな裏をかんぐりたくなります。

 4チャンネルで長らく放映されていた、テレビ・ジョッキー内での熱湯コマーシャル(それは、熱い温度のお風呂に我慢して入っていた秒数だけ、自分の死体宣伝をさせてあげると言う、もので、残酷な場面を、テレビと言う世界で堂々と公開するものでした。
 その次に風雲たけし城というのが、6チャンネルであって、これも視聴者参加型です。人々は泥んこまみれになって必死で、身体能力を競い合うのですが、それを、北野氏はスタヂオで、眺めながら、あれこれ、笑いを取るわけです。業界用語で、視聴者(しろうと)を、いじるというそうですが、それは<め>を、入れて、いじめるといった方がよいでしょう。もうひとつ、テレビ東京で、誰でもピカソという番組があって、そこでは美術と言うものが、競争の道具とされていました。恐るべき発想です。実際に「そこに出たことで、ノイローゼになっちゃって、回復するのに時間が掛かりました」という人に出会った事があります。芸大卒で、立派な作品を作る人です。

 私自身ある人から、『あそこに出ればブレイクする可能性があるよ』と薦められたので初めて、ヴァらイエティと言うものを見始めたのですが、・・・(それ以前のテレビジョッキーやら、風雲たけし城は、家族がチャンネルを合わせていただけで、ながら視聴というか、目に入ってしまうのでみていただけです)・・・驚き入って、「それに出なさい」と薦めてくれた人の神経をも、疑いました。もちろん、北野武監督については、たとえ、レジョン・ドヌール勲章が与えられても、自分の氏に対する判断の基準は、変りません。

 ところで、インターネットの世界では、北野武監督・在日説が浮上していました。これは、真偽定かではない説ですから、取り上げない方が、自分が上品に見えます。特に、NHKの『たけし君はーい』というテレビドラマを見た限りでは、在日説は信じられません。でも、レジョン・ドヌール勲章を与える方の審査委員は、講談社へ、軍団を率いて乗り込んで、暴力を(道具も使いながら)振るったことを、どう判断しているのでしょうか? ちょっと、フランスの文化レベルにがっかり来ます。
 その勲章が与えられたのが、ちょうど、浅田真央、キムヨナ、審査疑惑が澎湃として、日本におきた時点でした。そして、私が、・・・・・日本人を、韓国人に支配させるのが適宜である。特に在日に支配をさせると、一番適当である。と、国際的・軍産共同体は考えているのであろう・・・・・と、このブログの世界で、発表した直後ですから、おや、おや、おや、強引ですね。やりたい放題をおやりになりますね。黒マグロの禁猟と、シーシェパードだけでは足りないのですか?・・・・・と感じたしだいです。
 フランスのレジョン・ドヌール勲章を下げ渡す、審査委員会も国際的軍産共同体に支配されていると考えると、すべてのつじつまが合ってきます。

 で、北野武監督のように、政治に関与し、かつ時の大権力者にすりよって、体制側のお役に立つと、大いに、ちやほやされるのですが、反対に、庶民と言うか、大衆に大切な方向で、メッセージを送ると駄目なのです。迫害をされます。それも、大変間接的な形で行われます。

 北野武監督は、表向きは、反逆者風ですが、実質的には、小沢幹事長などとも非常に近しいでしょう。朝日新聞社および、テレビ朝日を媒介としてですが・・・・・
 ただし、ここで、皆様のご気分が暗くなると困るので、はっきり申し上げますが、時の試練というものがあります。傑作は傑作として残っていきます。駄作はダサくとして、今現在、どんなに、サポートを受けても、結局のところ、消えていきます。それは、確かです。だから、あわてなくてもよいし、信じて待っていればよいのです。

 で、北野監督と、比較をすると、リチャードソン監督の方は苦労の限りであったわけです。が、それでも、映画『ブルースカイ』は、一種のエンタメの形を取っていて、見事に自己完結しています。完成度は高いのです。その情報をグーグルでさえ、非公開であるというところは大問題ですが・・・・・

 特に奥さんの描き出し方が秀逸です。女性の本質を描ききっています。だから、私が惹かれたのでしょう。精神が不安定だと言う設定ですが、なぜ、不安定になるかというところが、見事に描き出されています。それに、ついては、明日お話をさせてくださいませ。    2010年5月12日   雨宮 舜
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